第二百七十三話
制作物は大半をフロンに預け、キリの良い所でソファーに横たわり、《次元箱》から取り出した毛布にくるまる。彼女にはエルフ工房とは別に私室兼寝室があるので、居間には私一人だ。
お屋敷を包み込む静寂はしばらく破られることはないだろう。範囲を広げたところで、《探査》の網にかかる不届き者の姿もない。
流石に日が沈んでしまえば、野次馬やおこぼれ目当ての誰それも去るようだ。門番の人だけはご苦労なことで、時節を問わずに張り込んでくれていることを、多少申し訳ない気持ちにならないでもないのだが。
(うーん……眠くない)
お茶がいけなかっただろうか。目を瞑ってジッとしてしていても、一向に眠気が訪れない。
私とて別に睡眠を必要としない身体というわけではない。普通の人種から逸脱したこの身ではあるが、食べねば飢えるし飲まねば渇く。眠らなければ、満足に頭が働かなくなるのは変わらない。
高揚している──というわけでもないはずだ。テンションは上がるどころか、今は割と落ち気味な自覚がある。理由は言わずもがな、寒さと共に私を避けるようにして寝室に戻ってしまった、うちのちび助とわんこ達。
(考えようによっては、これでよかったのかもしれないけどねぇ)
若者組と私の間柄を、仲間という言葉で表すのが適切であるのかどうかは、あまり自信がない。
私は彼らが独り立ちするその時まで、保護者として同行しているに過ぎない。人種組は五年、アリシアの語学修練期間はおおよそ二年程度の予定で、この一件が片付く頃には、共に任期も満了となる。
ソフィアもペトラちゃんもミッター君も、アリシアだって可愛いのだ。できる限りのことはしてあげたいし、やりたいことは応援してあげたいと思って行動してきたけれど、些か仲良くなり過ぎた自覚もある。
いい頃合いだったのかもしれない。少しずつでも距離を取っておかないと、別れは一層辛くなる。
私と一緒に居るのは安全かもしれないが、彼らの人生にとって、私はイレギュラー──ただの異物でしかない。
(嫌だなぁ……嫌だけど……仕方ないんだよね)
彼らが青年期を終え、立派なおじさんおばさんから、可愛いお爺さんお婆さんとなる時まで一緒にいることは、どの道できやしない。
赤ん坊を抱いてあげることはできるかもしれないが、孫の顔まで見れはしない。その成長を見守ることも不可能だ。
(ガルデに骨を埋めるのかなぁ。あの娘達はこれからどうする気でいるんだろう)
話をしてみたいが、流石に今すべきことではない。
全てが終わってその時が来れば、私からきちんと切り出そう。
悶々と益体もない脳内会議に明け暮れた後、日が昇る頃に毛布から這い出て、洗面と運動を済ませてお茶を淹れる。
お家の周辺までを《探査》で探ってみたが、異常はなし。至って平和だ。
「あー……掃除でもするかぁ」
鍵を持っていないので散歩には出られない。お城に行くには早すぎる。気の早いパン屋くらいなら営業を開始しているかもしれないが、私はガルデのお店事情には疎い。
この屋敷は腐っても貴族街に建っているので、あまりウロウロしてもどこそこの門番の人に要らぬ気苦労を与えるだけだ。庭で身体を動かすのも、うちの門番の人の気を散らすだけだろう。
「掃除だな、掃除して時間を潰そう。一階……だけでいいか」
掃除道具もなしに家が綺麗になっていたらおかしい。時間を掛けて二階や三階まで綺麗になっていたら、早起きのペトラちゃんなぞと鉢合わせた時に言い訳が面倒だ。
ついでに洗濯も済ませてしまいたいが、この家には乾燥部屋があるんだろうか。よもや庭に竿を置いて、そこに干している……なんてこともないとは思うのだが。
照明魔導具をいくつか取り出して、寝間着から部屋着に着替えた後に邸内の徘徊を開始する。寒いので大きめの虫の反応は少ないが、ネズミ系の害獣の類はそれなりに潜んでいる。水場は特に酷かった。
「あっ……お、おはようございますっ!」
掃除ついでにと邸内の水瓶に井戸から水を汲む作業をしている最中に、洗面スペースで早起きわんこと遭遇した。
「おはよう。相変わらず早いのね」
その洗面所には、ルナの風呂場から回収してきた中型の鏡を一枚新たに立てかけ、同じく照明魔導具も一つ設置しておいた。
「すいません! こんな仕事をさせてしまって……」
「いいのよ、早起きして暇だっただけだから」
今日は寝てないけど、昨日の朝は早かった。嘘じゃない。
蛇口を捻れば新鮮な上水が出てくる地球の技術が恋しくもなるが、この手間を惜しまなければ屋内に井戸がなくとも顔は洗える。宿暮らしをしていた頃は、外の井戸まで出向いて洗面を済ませることも多かった。
ギースから貰ったルナのお家、ヴァーリルで一瞬だけ私の物だった幽霊屋敷、最近買って半年程度過ごしたのみで去ることになったルナの屋敷。その全てが屋内井戸だったがために勘違いしそうになるが、この世界で一般的なのはむしろこの『山』の字屋敷の方だ。
飲食店ですら外から水を汲んでくる。大抵は敷地内にあるとはいえ、毎日ともなると、かなりの重労働になってしまうことだろう。
井戸のことなんて詳しくもないが、掘ったらそこから必ず水が湧き出る……なんて都合のいい話はないはずだ。水が出たところに築いた建物を飲食店としていれば……飲食店街なんてものが見当たらないことも頷ける。
王都ガルデは近くに森こそあれど、山も川も遠い。水事情は正直良くないように感じられる。お国の事情は私の知ったことではないが、行軍中の事情は死活問題だ。早いうちに解決したい。
掃除をして水を汲んで、久しぶりの朝風呂改め朝シャワーなぞで身を清めていると、続々と起床組が増えてきた。
既に起きていたペトラちゃんに続き、フロンにミッター君、アリシアときて、しばらく経った頃にリリウムがリューンを引きずってくる。
朝食を取りたい組などもいるだろうが、バラける前に話しておかないといけないこともあるので、まずはこちらを済ませてしまおう。
「私は今日お城に顔を出してくるよ。術式と火炎放射器君のことは引き続きお願いね」
「あぁ、そちらは滞り無くこなしておく。炉の使用許可も今日中に取ってこよう。なるべく早めに抑えておく」
「お城かぁ……一緒に行きたいけど……お城は嫌だなぁ……」
フロンもリューンも相変わらずだ。話が早くて助かるのと、ついてきてどうすんの、っていうのと。お城デートは流石にレベルが高すぎる気がしないでもない。
「まぁ、それはすぐ終わると思うよ。今後のことも話し合わないといけないけど……どうなってるんだろうね?」
ペトラちゃんに視線を向けてみる。何か聞いてないだろうか。
「えっと……話し合いは頻繁に持たれているようですが……あまり有意義なものとはなっていないとか、何も決まっていないとかぁ……」
言ってたような気がします。などと返答を頂く。
「──何も決まってないの?」
思わず表情が強張りそうになる。未だ寒いが冬明けも近いのだ。同行する人員とか、兵站の確保だとか、行軍経路などなど……そういうのを決めるのが御上の仕事だと思うけど、もしかして全部こっちに丸投げされてるんだろうか。
ルナで徴募した冒険者や、今も続々とガルデに集まっている志願兵はどうするつもりなんだろう。この件にギルドがどこまで噛んでいるのかも不明だ。この国に統率できるんだろうか。私はできない。
私に任せると強行軍になる。大半の人員は付いてこれない。おそらくお偉方はその点を正しく理解していない。
「勝手に進めて反感を買うことを恐れているのではないでしょうか。案自体はいくつも挙がっているのでしょうが」
ここであれこれ推論を重ねても仕方がない。お偉方が朝一から登城しているかは不明だが、今から向かってしまおう。
最低でも王様は居るだろうし、寝ていたら叩き起こしてしまえばいい。身支度する間くらいは待ってあげる優しさは残っている。
「サクラの有無で採れる作戦の幅は大きく変わりますし、致し方ないでしょう。わたくしも同行してよろしいかしら?」
「ちょっと、なんでリリウムがついていくのよ! それなら私が行くよ! リリウムはお留守番!」
「……お前、昨日は昼まで寝ていたな。あの後何機仕上げた? あとどれだけ仕上げればいいか把握しているか? 言ってみろ」
「ぐ、ぐぬ……」
年寄り組がじゃれているが我関せず。リリウムは暇なら連れていってもいいけど……これでリューンが拗ねると後が面倒くさい。今日のところは置いていこう。
手が空いている若者組には冷凍乾燥作業をお願いしよう。汁物の在庫も増やしたいが、ただの野菜や果物なども大量に欲しい。
その前にお披露目しなければならないが……今は朝食前だ、ちょうど良い。