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第二百七十二話

 

 ここは大きな敷地を持つ立派なお屋敷ではあるのだがあまり住み良い造りをしていない。

 まずこれまでの住居と違って邸内に井戸が存在しておらず、お水は外から汲んでくる必要がある。

 浴室は存在しているが、大浴場には魔導具のボイラーが設置されておらず、薪で沸かす仕様となっている。つまり広いお風呂に入るには使用人がうんしょよいしょと水を運んで、それをお外から煮立たせる必要がある。

 これはこの世界においては割とスタンダードなやり方なので、別におかしいことではない。


 だがうちの居残り組は毎日毎日この重労働に明け暮れていたわけでも、隔日で行っていたわけでも、封鎖して公衆浴場に出向いていたわけでもない。

 小浴場──というか、シャワールームがあったわけだ。おそらく使用人用のものだと思う。

 二畳程の狭い小部屋にガルデ公衆浴場名物の打たせ湯のようなシャワーヘッドが天井に固定されていて、近くにあるタンクに水を溜めて魔導具ボイラーに火を入れればお湯が沸き立ち、蛇口を捻ればそれが降り注ぐ。

 仕組みは単純だ。だがとても効果的。シャワールームはいいな、これは新居を建てる際には実装すべきだ。

 難点があるとすれば……タンクがそれほど大きくないのでその都度外から水を継ぎ足さなければならないことと、そのタンクが天井に備え付けられていることと、足した水とお湯が混ざり合って温度が均一にならないことと、温度管理が勘頼みになっていることだろうか。

 熱湯をかぶることになるのは避けたいので、何らかの対策を講じる必要がある。


「リューン、やっぱり狭いって……一人ずつ入ろうよ」

 そんな狭いシャワールームで一日の汗を流そうとしたところ、リューンちゃんが押し入ってきた。ぎゅうぎゅうとまでは言わないけれど、かなり狭い。

「どっ、どうしてそんなこと言うの!? サクラ私のこと嫌いなのっ!? 好きでしょ!? 好きって言って!」

「いや、大好きだけど……後がつかえてるんだから手早く済ませようよ」

「な、なんでそんな適当に言うの!? 目を見て言ってよ! 抱き締めてっ! リューンちゃん愛してるよって言ってよぉ!」

 必死だ。理由はまぁ……うん。分からないでもないが、時と場を選んで欲しい。やっぱり明るい時間から公衆浴場まで出向くべきだったか。

 大浴場を沸かすのは重労働だし、もう時間も遅いし、湯冷めすると嫌なのでここで済ませてしまったが……いや、正直に言えば単に使ってみたかっただけだ。本来湯船より優先すべき事柄なぞ存在しない。

「はいはい、愛してるよ。ほら、出て行かないなら洗っちゃうから、そこ座……いや座ると余計に邪魔だね。立ってて」

 立たれると頭を洗いにくいので、中腰を維持してくれると楽なのだが。これでは満足に磨き上げることもできない。

「うぅぅ……愛が雑だよぉ……」

 冬の盛りとはいえ、温水を流しっぱなしにするとすぐになくなってしまう。ちゃちゃっと洗って流して補充して、再度加熱する時間のことを考えればゆっくりはできない。時間が経てば、せっかく温めた水も冷めてしまう。

(シャワールームは半地下に作って、水とボイラーは一階に屋根付きで……? うーん、インスピレーションが広がる。やっぱり建築の事もそのうちしっかり勉強するべきだな)

 温泉地なら打たせ湯くらいで妥協してもいいのだが、街中に建てるとなればしっかり計画を練っておきたい。

「ちゃんとあるからいいじゃない。そんなことより、あんまり騒ぐと外に聞こえるよ。ここ壁薄いんだから」

 元々は別の部屋……更衣室か何かだったんだろう。それを家主が気まぐれで改造したかのような、そんな印象を受ける。

 排水はきちんとなされているようだし、工事を挟みはしたのだろうけど、些か雑で……まぁ、いいか。我が家はしっかり建てればいい。


 これは事前連絡もなしにいきなり帰ってきた我々に非があるのだが、この家にはそもそも、家具の類がろくすっぽ残っていなかったらしい。

 帰還早々に仲間とじゃれあっていたのも、食事時に空気が変な感じになったのも、その後お風呂に入りたいとシャワールームに逃げ込んだのも、全部……もう全部でいい。全部私の行いによるものだ。不平を漏らせる立場ではない。

 そろそろ寝るかーの段階になってようやく、ガルデ組もパイト組の私室はおろかベッド、その前にマットレスや毛布すら用意していないことに気づいた。

 こんな時間だ。宿屋の受付は閉まっているし、家具屋が開いているわけがない。

「ベッドは明日にでも借りに行ってこよう。今日のところは仕方がない、二人はソファーか寝袋でも使ってくれ」

 私はリューンと寝ることが決まっているような物言いをされ、リューンもうんうんと頷いている。まぁそれでいいか……と自分でも考えていたが、思わぬところから思わぬ物言いが入った。


「サクラ、今夜はわたくしにリューンさんを貸してください。ソファーはお譲りしますわ」

 このお嬢はミッター君を寝袋に追いやる気満々だったようだ。彼は自分から入りそうなものだが。

「はぁ? なんでよ、私はサクラと寝るの!」

「いいではありませんか、たまには親睦を深めましょうよ」

 嫌がるエルフと、そんなことまるで気にせずに話を進める半分エルフ。私のベッドにリューンやリリウム、それに聖女ちゃんが乗り込んでくることはよくあるが、この二人が一緒にというのは、私の記憶には──ないような気がする。かなりレアな現場なんじゃなかろうか。

「えぇ……何なのよいきなり。話があるなら聞くから、明日にしてよ。私はサクラを抱き締めてお昼まで寝たいのっ!」

 このエルフ、今日も昼まで寝てなかったか。火炎放射器君のパーツはその辺にまだ積まれているし、今日は全く作業を進めていなかった。手隙になったというわけではなさそうなのだが、進捗には結構余裕があるんだろうか。

「──私はソファーでいいよ。明日も朝早いし、今晩のうちにやりたいこともあるから」

 面白そうだからここは見送ってみよう。最近は仲良く喧嘩していることが多い二人だが、昔からこうだったわけではない。

「ありがとうございます。ではそういうことで、お休みなさいまし」

「えっ? ちょ、ちょっと待ってよリリウム! ちょっと、引きずらな──!」


「──何だったの?」

「さぁな。だがあれは元々リューンにも懐いていたんだ、積もる話もあるだろう」

 有無を言わさずに引っ張って行かれたリューンを見送って首を傾げて聞いてみるも、まるで興味が無いといった体の返事が帰ってくるのみ。

 少女組はシャワーを済ませ、寒さから逃げるようにして寝所に引っ込んでしまい、ミッター君も比較的埃が溜まっていない一室に寝袋を設置して既に夢の中。居間には私とフロンしかいない。

 そんなフロンも机に向かい、ウォーターサーバーの術式構築に戻ってしまった。

 考えても仕方がないし、覗きに行く気もない。慌ただしい一日だったが、やっと落ち着いた時間がやってきた。

 お茶を二つ用意してから、私も工作の準備を始める。

(そういえば……万年筆とか作れないかな)

 ソファーで望遠鏡の量産準備を始めながらチラリと視線を向けた先、姿勢良く机に向かっているフロンの手には、ちょっと豪華な装飾の羽ペンが一本握られている。この世界の筆記具事情に明るいわけではないが、私の知る限りこれが全てだ。


 付けペン──とかいう区分になるのだろうか。爪楊枝にインクを付けて、それで紙をなぞることで描くような、酷く原始的な物。何度もインクの入った壺に先端を浸して、数文字もすればまた浸して、下手を打つとかすれたり垂れたりする。慣れればそうではないのかもしれないが、鉛筆やボールペンのようなものしか使ったことのなかった私にとって、これはとてもストレスの溜まる文具だ。何度か手紙を書いたことがあるが、その度に大層苦労した。めんどくさくてヴァーリルの住所を記し損ねる程度には。

「あー……何だったっけ。何かあったよね……ガラスの……」

 一人ぼやいてオデコに手を当てる。万年筆は確か金を使う。今すぐどうこうできはしない。それ以前に仕組みも分からないのだが、それに関連して、お脳のどこかに残っていたかすかな記憶が蘇ってきた。

「どうした?」

「私の地元の道具なんだけど……試してみようかな。ちょっと作ってみるから、後で感想聞かせて」

「ふむ。了解した」

 望遠鏡の筒にしようと思っていた白黒紫の色付き魔石を放り出し、毎度おなじみの浄化真石を手に取る。

(なんて言ったかな、ガラスのペン。毛……なんちゃら現象とか言ってた気がするんだけど……)

 螺旋状の溝──だったような気がする。


「ふむ……革命だな、これは」

 試作ペン三号君を手に、ハイなエルフが小さく震えている。

「毛細なんちゃらってこっちのことか……溝にインクが吸われるわけだね」

 紙にインクが滲む方だと思っていたが、そうではなかったようだ。ペン先の細い溝に吸い取られるようにして、インクが上っていくのが面白い。

 一号君は刺突武器のような鋭利さにしてしまったことで、紙と共に机に傷をつける色付きカッターになってしまった。二号君は溝もペン先も太すぎて、書けはするが十全にそのポテンシャルを活かせずにいた。

 絞った生クリームを思わせる円錐状のペン先に緩やかな細い螺旋の溝をいくつも堀り、ペン先を指で押しても痛くない程度の優しさに仕上げることで完成した試作三号君は、太さで文字が潰れることなく、数文字どころか数十文字以上を余裕で綴れる、中々の仕上がりを見せた。

 おまけに美しい。今はまだ透明一色の棒だが、インクの色と相まって、切子グラスと同様の古き良き伝統芸能感が滲み出ている。

 これはただの飾りではなく実用品。変質魔法を施した私の魔石だ、強度もただのガラスなぞとは比べ物にならない。破壊の意志をぶつければ簡単に壊せる程度のものでしかないが、普通に使っていれば早々破損することもないだろう。

「後は文字と本体の太さと、長さと……彩色もしたいな。それにペン置きと、蓋もあった方が便利だよね。太さはどのくらいが好み?」

 とりあえず実用に耐え得る物はできたが、ここで満足していてはいけない。満足がいくまで作り込むのだ。杖もペンも、汎用品より専用品の方がポテンシャルが高いに決まっている。

 ペン先は交換できた方が便利だろうか。インクの壺も、漏れることのない蓋付きにできれば持ち運びの際にきっと便利だ。ペンの内部に蓄えておければいいんだけど、いい案が浮かばない。

 とりあえず蓋だ。ペットボトル系の蓋、何とかならないものだろうか──。



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