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第二百六十九話

 

 西側の倉庫には窓がない。建物は石やレンガの造りで入り口も固く閉じられているので、無理やり押し入ろうとしなければ、その辺の一般家屋よりは優れた堅牢さを誇っている。

 だがそれは、押し入ろうと思えば簡単に侵入できる程度の堅牢さでしかないということでもある。本気で悪意を向けられてしまえば、身を守る盾にもなりやしない。

 浄化橙石はともかく、浄化赤石をここに置いておくのは、正直怖い。

 浄化赤石は火に放り込めば、それだけで激しく燃え上がるようなガソリンじみた危険物だ。

 しかも量が量で、質は特級品。それがここには樽で山積みになっている。

 直射日光の下に放置した程度で燃えはしないが、火弾一発打ち込まれれば、それだけで『山』の字のお屋敷はおろか、お城くらいまでは余裕で吹き飛ぶだろう。その余波でガルデがどんなことになるか……恐ろしくてならない。

 正直《次元箱》の外に出しておきたくはないのだが、こればかりは仕方がない。


「魔法袋の量産って、まだ難しいよね?」

「ふむ──。そうだな、難しい。準備を始めてもいないのもあるが、素体とする材料にもある程度条件があるようでな。布を買って服を縫うようにとはいかない」

 魔法袋が何十枚何百枚とあれば、私がきっちり管理できる。ここに置いておく必要もない。そうできれば話は早いのだが、ないものはない。

 なので、この危険物満載の樽はずっとここにあった。──少なくともその一部は。そういうことにしなければいけない。そうでなければおかしい。

 私がいくらリリウムに脳足りん呼ばわりされるオツムであっても、これの輸送を実績があるとはいえ、その辺の冒険者に任せてしまえるほど、この頭の中はお花畑ではない。

 正式な書類が残っているはずだ。樽の中身は浄化橙石。輸送物はそれに加えてミッター君が集めてきた金属トカゲのみ。その中にこの火石は一樽はおろか、一欠片とて含まれてはいなかったと。


 ここにある樽の山は、セント・ルナや帝都アイオナで集めてきた私の私物に加え、パイトから集めてきたものも、いくつかは混ざっている。

 ギルドも、ガルデも、そういった認識で居てもらわないと困るんだ。そしてそれは、うちの子達とて同じこと。

 私が所有している魔法袋の数は身内には割れている。輸送力には限度がある。

 流石に明かせない。《次元箱》なんて劇物の存在は。


 魔導具としての次元箱は、こことは違うどこか別の空間と、所持者──契約者を繋げる鍵のようなものだ。

 ただの魔法袋の代替品ではない。魔導倉庫だ。なんと自身が内部に入ることができる。避難所として、自宅として使うことすら可能。フロンはいつだったか、これのことを一種の転移魔法のようなもの……とか言っていた。

 そう、『転移』だ。この世界において禁忌扱いされて、徹底的に排斥されている、転移に限りなく近い……契約者を滅茶苦茶にする倉庫魔導具。

 私はかつて、あの四角い箱に血を垂らすことで、二十畳余りのプライベートスペースを手に入れた。それが女神様に没収された折、あの人は確かに言っていた──はずなんだけど。


 ちと確証が欲しい。《探査》で周囲を探って、リリウムやリューンを含めて近場には誰も居ないことを確認する。相変わらず門前には人が群れに群れているようだが、不法侵入者の姿はない。

 樽を取り出す手を止めて、フロンの背部に瞬間移動をした後におもむろに抱きつき、《結界》の阻害を最高強度で施す。そして耳元に、小声で甘く囁くのだ。

「──ねぇ、フロン」

「どっ、どうしたいきなり」

 急なことで固まって、ちょっと顔が赤くなっているのが可愛くていいね。美味しそう。耳をハムったらいい声を出してくれそうだ。

 だが彼女をおちょくるとあとが怖い。本題に入らなくては。声音も戻す。

「うちの女神様さ、次元箱……魔導具の方ね? 私から取り除いた際に、あれのことを道具って言ってた? それとも神器?」

「神器だ。あの女神が道具という言葉を使ったのは、その前だ。他の神が創りたもうた道具を使うのは止せ、とな」

 よしよし、記憶は正しかった。やっぱりこれはフロンの記憶が褪せてしまう前に一度記録を取っておかないとダメだな。一字一句漏らさずに。

「ありがとっ!」

 ついでなので、ほっぺにチュッと吸い付いておいた。困ったように笑って妹分のお茶目を笑って許してくれる、そんなフロンが私は大好きだ。


「それで、どうしたんだ。何か懸念でも出てきたか」

 引き続き倉庫で《倉庫》から樽を黙々と取り出す作業に戻る。道具ではなく神器となると、こんな懸念も頭を過ぎる。

「私が持ってることにしたら、後々面倒になるなーって再認識したところ。見ず知らずの他人がどうこうなろうと知ったことではないけど、あの子達が滅茶苦茶にされることになったら、悔やんでも悔やみきれないからね」

 手を止めずに言葉を返すが、中々終わる気配がない。我ながらアホみたいな量を集めてきたものだな……二度とやらないぞ。樽屋さんは儲かったかもしれないけれども。

「危険だな。あれも希少な品だ、そう簡単に手に入る物ではないが、ソフィアなどは飛びつくだろう。お揃いだ、などと言ってな。それに迷宮産魔導具を忌避しているということに説得力がなくなる。それが手に入れる以前の話とあっても、これまで使っていなかったこと、秘匿していたことを突かれもする。不便を甘受した方がマシというものだ」

 その通りだ。私もそう思う。持っていれば、流石に使わない理由がない。使うたびに異変が身を襲う──なんてこともない、なかったわけで。

 これが一点物なら誤魔化しも効くだろうが、これは長い歴史を紐解けば、それなりに産出されていて、同時に研究もされている。

 ミッター君のお父様が概要を知っていたくらいだ。下手な嘘をつけば思わぬところから突かれることになるかもしれない。沈黙は金とも言う。


 私の名もなき女神様がこの世界の魔法袋事情に精通していたかどうかは知らないが、何とかしてこれを使えるようにしておかねば、きっと私がいつかまた、これに手を出しかねないと危ぶんだのだろう。ただの想像でしかないが、それほど的外れだとも思えない。

 神力の説明を端折るようなあの人が、余裕の無い中で、わざわざ夜なべして技法を織り込んでくれたくらいだ。

 それくらい次元箱という魔導具は、危険な魅惑で満ち溢れている。

 魔法袋ほど頻繁に産出される魔導具ではないとはいえ、出逢う時には出逢ってしまう。こんな──奇跡のような魔導具と。

『転移』由来の『神器』。便利な便利な魔導倉庫。なんて甘い罠だ。


 ──血の契約で魂を繋げる。私はあの頃、一体ナニと繋がっていたんだろう。あそこは本当にプライベートな空間だったのか……。今ではもう、知る由もない。


 他の神器も大概ではあるが、こんな殊更危険な代物にだけは、うちの可愛い弟妹達には近づいて欲しくない。別れる前には助言をして、今しばらくは、『私ならこの程度の荷運び、何とかできるんじゃ……』的なほんわかした考えでいてもらいたいものだ。

 やっぱり沈黙こそが金だな。素知らぬ振りをして黙っていれば、賢明な男の子なぞは突っ込んでこないかもしれない。


 樽の山を全て運び出したことで、《次元箱》の中身はかなりすっきりとした。

 細々とした衣服だとか、誰それの私物だとか、依然として山積みになってはいるけれど──火石の樽は存在を公にした後に、火炎放射器君達と共に魔法袋や馬車の荷台で運ぶことになるはず。

 となれば、ここにヘソクリを隠しておけるわけだ。さて、何を詰め込もうか。

「やっぱり食べ物かなぁ。水でもいいけど、これは後から輸送してこないと……どの道足らなくなるよね」

 数日食べなくても死にはしないが、飲めないのはキツイ。塩分が欠けてもマズイ。この辺りは何があっても大丈夫なよう、十全に……心情的には百全以上、いや千全くらいは備えたい。

「水源はどうだったんだ? 確認はしてきたんだろう?」

「たぶんダメ。山と、川は死んでる。私も素人だから何とも言えないけど、あれを飲もうとは思わないね」

 掘ればどうだろうか。私も流石に地面を掘り返しはしなかった。井戸は……どうだろう。きっとダメだと思う。

「水源が汚染されているとなると、浄化使いを集めても飲用とするのは難しいかもしれんな。煮沸して冷やせば純水は取り出せるが」

 科学的な定義のあれこれは知らないが、ここで《意思疎通》が訳した純水とはただの水のことだ。泥水、塩水、瘴気水ではない、飲めるやつ。

「それを飲んでその辺の冒険者がゾンビ化しても困るからねぇ」


 魔物のゾンビ化は瘴気の影響ではない。十中八九不死龍の王とやらの仕業ではある。

 だが原因が究明されていない以上、沸騰させて水蒸気から集めた水に、そのゾンビ化成分が残っていないとも限らない。《浄化》でも浄化術式でもゾンビは消せたから、見習いでも法術士を束で連れて行って、ひたすら火と水と浄化の番をさせれば、カーリで飲み水を確保することは不可能ではない。

 だがこいつらは私同様、汚染された版図を取り戻す貴重な戦力だ。どの程度の人員が集まるかは知らないけれど、きっと水の清浄化に張り付かせておくような余裕はない。沸かせるにも燃料が要るし、下手したら消費する水の量の方が多くなる。

 白大根の浄化蒼石からでも飲用水は作れるが、これも使えばなくなる。それなりの量を抱えてはいるが、これも保険の一つとして用意したものに過ぎない。

(八人でパパっと事を済ませるならば足りたかもしれないけど──何人くらい集まるんだろう)

 お城にも顔を出さないといけない。……面倒くさいな。忙しいし、呼びつけてやろうか。

「姉さんの器と魔力の回復力をもってすれば、合間に飲用水を捻出することくらいは可能だと思うが……刻んでみるか?」

「適性もないし、正直かなり気乗りはしないんだけど……そうも言ってられないよね」

 背に腹は変えられない。水がないのは本当に怖い。あの時のことは、きっと生涯忘れることはできないと思う。

「向いていないというのは事実だ。だが力技で何とかできなくはない」


 私は泉の底に潜んでいた浄化の女神の後継者なんていう、大層水っぽい、清廉そうな肩書をしているが、実のところ水属性とは相性が最悪に近い。

 ペトラちゃんみたいに攻撃に使えるレベルの氷弾を射出したり、フロンみたいに殺傷力全振りの氷槍を飛ばしたりはできない。同じ術式を使って私にできるのは、溶けかけの氷の塊を出すところまでだ。目一杯頑張って、ちょっと冷たい水風船を放出できる術式。無駄以外の何者でもない。

 ──最悪だろうと何だろうと、とりあえず発現させるくらいはできるのが、この身のズルいところではあるのだが──。

 そんな私がウォーターサーバーと化したところで、その効率はたかが知れている。普通ならこんなことに魂の領域と魔力を費やしたりしようだなんて考えない。フロンでも止める。リューンは鼻で笑う。それくらい悪い。


 だがまぁ、我々には効率を追求した杖を作るという手がある。水を凍らせる必要も、それを射出する必要もない。飲めればいい。ダダ流しでいいわけだ。

 そんなもんであれば複雑な術式も必要ない。効率を度外視し、時間とやる気があればきっと私にだって記述できる。

 アダマンタイトは多少持ってきているし、浄化真石も手持ちがある。

 水白金を使うというのはなしだ。術式の負荷で破裂したら可哀相だし、万が一術式を刻んで形状が固まってしまったら……少なくとも十年は凹む。一生涯悔い続ける可能性の方が高そうだけど。

「魔石炉の当てがある?」

「ああ、ある。焼却魔導具の部品は分割して方方の工房に発注していてな、懇意にしている鍛冶場の一つが保有していることを確認している。一日貸し切るくらいは可能だろう」

 それならば……できない理由はない。金鎚も金床も持ってきている。新品の樽を買ってくればそれで済む。

 この期に及んでまた鍛冶だ。私は鍛冶師ではないのだが、これを怠ると……渇く。やらないわけにはいかない。



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