第二百六十八話
ソフィアとの散歩を楽しんだ後、満足したのか自分から屋内へと案内してくれたわんこに率いられ、玄関から案内された一室は……エルフ工房と化していた。
窓は閉め切られ、照明の魔導具が並び、机上や床にまで雑多な物品が散らばっている。おまけにどこもかしこも埃っぽい。
「ただいまー」
「ん? お、おぉ? 戻っていたか。おかえり」
「うん、ただいま」
「ただいま戻りました」
ただいまにはおかえりだ。久し振りのやり取り。挨拶は大事だね。
だがその挨拶は一つしか返ってこない。私のエルフは不在にしている。
「あら、フロンだけですか?」
「あぁ、アイツは寝てるよ。しばらくは起きてこないだろう」
昼寝をしているのか、夜寝てまだ起きてきていないのか、判断に困るのがリューンちゃんだ。
体調を崩しているのかと聞いてみたが、そういうわけではないらしい。なので放っておくことにする。
そしてソフィアがこのことを知っていて私を連れ回したのか、知らずに連れ回したのかも、ご機嫌プリティーフェイスからは窺い知れない。
「そっかそっか。なんかごめんね、無理させちゃって」
山積みになった金属部品の束。色合いと形から、これは全て火炎放射器君達のパーツなのだろう。私の記憶にあるものとはだいぶ違いが見られる。
「いや、大したことでも……とは言えんな。姉さんほどではないだろうが、それなりに大変だったよ。雑務が多くてね」
苦笑交じりだが、こっちのエルフがこういう物言いをするのは珍しい。これは自己管理のできるエルフだ。本当に大変だったんだろう。
戦いの場は何も迷宮だけではない。ここにはいないペトラちゃんやアリシアも、どこかで戦いを繰り広げているのかもしれない。
数は力だが、火炎放射器君の弟の数を増やすよりも、彼女達の健康の方が大事だ。タスクに余裕があってもなくても、ここいらで一息入れてもらいたい。
掃除ついでにまとめて磨いてしまおうか。
この家は『山』の字の形をしていて、底辺が王城方面を向いている。頂きの先が玄関だ。
両脇の縦線が丸々背の高い倉庫となっていて、生活空間は逆『T』の字の部分、しかも一階部のみだ。玄関を入ってすぐに、大きな階段で二階に上がるように家が指示してくる。
それを無視して目につきにくい入り口から入った通路を進んだ先が、使用人空間といった感じのスペース。台所や使用人ルームがいくつも並ぶ。
その中にある居間のような大きめの部屋がエルフ工房となっており、お風呂も突き当り──交差点の部分にあった。
そして家と倉庫が繋がっているわけだ。雨に濡れることなく家と倉庫とを行き来できる。外からも倉庫に入れるため、防犯力は壊滅的だが、そこに目を瞑れば便利ではあるのは確かか。
一応二階や三階にそれなりに大きな私室の類もあるらしいのだが、動線の関係で不便なので、封鎖しているとのことだ。一階部分と倉庫しか使われていない。
事前に清掃が入っていたかは知らないが、入っていたとしても数ヶ月放置されっぱなしとなれば……今更使う気にもなれないだろう。
これまでのお家と違う点があるとすれば、まず台所に目が行く。
この曰くつきのお屋敷の問題が解決したこと、一級冒険者とそのパーティがガルデに滞在していること、滞在先がここであることなどは、割と早々にバレたらしい。
そして野次馬がうじゃうじゃと押し寄せることで、気軽にお屋敷の外に出ることも難しくなってしまった。門番が配置されたり、兵士が巡回するようになったのもこの頃で、侵入騒ぎもあったとか。
町の人にとっては娯楽の一つかもしれないが、我々からしてみれば迷惑でしかない。
気軽に食事に出ることも難しくなってしまい、仕方がないので自炊することになった──とのことだ。
リューンとフロンだけなら不可能な作戦だが、ここにはお料理エルフのアリシアと、騎士学校で最低限は仕込まれたペトラちゃん、それに実は料理のできたソフィアが残っていた。
何でも、エイクイル時代に仕込まれていたとか何とか。得意ではないが、最低限はできる、と。
知らなかった。昔聞いたことが……あるような気がしないでもないんだけど、私は癒し系わんこが料理用ナイフを握る姿を、ここにきて初めて見た。
だってこの娘、ルパからガルデの道中はゴミ捨てとか配膳くらいしかしてなかったんだもん。
屋敷を挟んで東西に鎮座している倉庫も、その片側しか使われていない。
東側の倉庫の正門や前庭側に、ぶつ切りにされたメタルリザードの死骸が無造作に積み上げられており、奥側に浄化橙石の樽と、火炎放射器君達の部品が並べられている。
そんな奥側は扉で本邸と繋がっているわけだ。これは便利だね。
だがここを建てた設計士はやっぱり頭がおかしい。これだけ高さがあるのに、何故に倉庫には二階も三階も存在しないのだ。私の《次元箱》のように、ただの直方体の空間をしている。
クレーン車の車庫としては完璧だ。しかし梁が通っているというわけでもないので、地震でも起きれば一発で崩れるであろうことは……想像したくないなぁ……。
私は未だにこの世界で地震と遭遇してはいないが、これはちょっと肝が冷える。余裕で寝泊まりを厭うレベルだ。
「けどまぁ……これだけ広ければドラゴンも保管しておけそうだね」
「街中を通せるかどうかは怪しいのではないか?」
「いざとなったら足場組とアリシアで持ち上げて運び入れればいいよ」
というか、私が足場を作って全員で引っ張れば何とでもなる。遠目に見ただけではあるが、二つの倉庫に収納できない大きさでもない。入り口さえ何とかすれば。
拡張したら崩れそうだし、いっそ崩して野晒にした方が……いいのかもね。
「さて、ちゃちゃっとやってしまおう」
東側の倉庫をちょろっと観察した後、廊下の逆側にある西側の倉庫へと足を向ける。
こちらは東側と違い、本邸側から鍵が掛けられていた。
施錠を解いたフロンと共に薄暗い倉庫に足を踏み入れ、扉を閉めてしっかりと鍵も掛けた後に、ササッと《浄化》を通して適当に埃を除去し、《次元箱》から浄化赤石と浄化緑石の樽を取り出して積み上げていく。
「量は土石よりもあるのか?」
照明の魔導具に魔力を通しながらフロンが声をかけてくる。備え付けられてはいないらしい。
倉庫風の建物の中で背後から照らされるというのは、オイタが見つかった盗賊っぽくて、何か……良い。
「うーん……そうだね、火石は土石の四割増しくらいかな。風石は火石の三割くらいは集まってると思う」
そんなどうでもいいことを考えながらも、作業の手は止めずに答えを返す。数はそれくらいだが、量は……正直よく分からない。
大きさはともかく、魔石はそもそも種別毎に重さが違うのだ。しかも個体毎にも若干の差異がある。
特上だの極上だの、そして特級だのと査定のランクがあるものの、私にとってはこれはもう、あまり意味のない分類に成り果てている。
白大根の浄化蒼石と、その辺の魔物から集めた浄化蒼石。世間様の査定で得られる評価や等級はどちらも変わらず特級だ。
だが後者を前者の大きさまで集めたところで、その内部に内包されている魔力量は、前者の方が圧倒的に多い。リューン曰く数百倍。
その大根の魔石も、初期の頃に集めた完品と、後期に始めた皮を剥いて《浄化》するようになったものとでは、若干大きさも内包魔力量も違ってくる。
おまけにこの蒼石も、篭っている量が破格なだけで、一見したところで査定で重視される魔力の質はそれほど高くはない。極上まで落ちはしないが、かろうじて特級。上中下で言えば下だ。
パイトで集めたものは、低級から中級くらいのランクの魔物がほとんどだったわけで、そんな大した差もないだろうが……モアイ大根クラスが混ざってくると話がややこしくなる。
サイのようなやつの浄化橙石も大根ほどではないものの、そういった意味で割とおかしい質をしているわけだ。なにせガルデで数個納品すれば、それだけで一級冒険者が生まれてしまう。
数も重さも量も質も滅茶苦茶だ。何を以って優劣を定めればいいのか、私にも判断できかねる。
私の魔石を正しく査定できる人物は、おそらく世界のどこにも居やしない。
考えると頭が痛くなってくるので、もう気にしないことにしたい。
「ルナの物とそう大差はないようだ。風石が火石の三割なら十分過ぎる、よく集めてくれたな」
樽の中身を軽く検分していたフロン先生からお褒めの言葉を頂いた。もうざっくりした区別でいい。良いと、凄く良い。この上究極品だの至高品だのといった独自のアレまで含めては、面倒なことこの上ない。
「世界を焼き尽くさないといけないからねぇ」
質的な意味では火炎放射器君の燃料として不足はない。量まで足りていれば十全。それだけで十分だ。
「ま、まぁ……そうだな。山や森の一つや二つ焼き払おうと言うのだ、相応の準備というものがある」
「別にガルデを焼き払おうなんて考えちゃいないよ。報酬さえきちんと支払ってくれれば……ね」
そんなビクビクしないでも、これを人に向けようなんて気持ちは、今のところない。ほんとだよ。