第二百六十話
サクラとミッターとおまけがパイトへ出稼ぎに向かってからしばらくした頃、パイトから荷物が届いたとの知らせを受けて、作業の手を止め、私はフロンと共に冒険者ギルドへと向かった。
受付で案内されたギルドの裏庭には、数台の馬車から降ろされている見慣れた樽の山と、動かすたびにガチャガチャと耳障りな音を立てる灰色をしたオオトカゲの死体がいくつも転がっていて、何人もの職員が書類片手にその数や重さを確認している。
「おお、来たか。第一陣とのことだ。確認して受け取りのサインを頼む」
北大陸、王都パイト、冒険者ギルド、ギルドマスター。サクラの昔馴染で、あの三人の師匠筋にも当たるらしく、彼女達にそうするように、この男も私達に対する態度は軽い。
船上の時とは違って服装だけはきっちりとしているが、元冒険者だと言うし……気にしても仕方ないかな。本当はすごく気になる。気安すぎる。馴れ馴れしい。フロンが全く気にしていないのが余計に腹立たしい。
「これは──浄化橙石か。姉さんとミッターの戦果だな」
山積みになった樽の中身は、全て浄化橙石だそうな。相変わらず樽が好きな子だ。いつも樽とか、金鎚とか、干物とか、ワケが分からない物ばかり愛でている。そんなところも可愛いんだけどっ。
「あの姉ちゃんの魔石をしっかりと見るのはこれが二度目だが……相変わらず何もかもが狂ってやがるな。一級を薦めておいてよかったぜ、本当に」
樽の蓋を外して中身を確認している職員もまた、一様に驚きを隠せないでいる。気持ちはよく分かる。
「違いないな。彼女が二級以下で認知されているのは危険極まりない。今以上の面倒事が舞い込んでくるであろうことは想像に難くない」
一級冒険者がそれ以外の階級の冒険者と明確に異なっていることは、冒険者ギルドや、冒険者ギルドの受け入れをしている国々からの、一切の強制ができなくなることにある。
私やフロン、ソフィアやペトラにしたって、今この瞬間に何らかの仕事を押し付けられても、余程の事情がなければ嫌だとは言えない。私達は未だ四級という低めに在籍しているが、それでも半ば強引に押し付けられるなんてことがないわけではない。
リリウムだって階級と居場所がバレていれば、ひっきりなしに依頼が舞い込む。強制もよくある。本来二級冒険者とはそういう立場にある。
そんなリリウムがギルドに居場所を知られていながらもサクラと遊んでいられるのは、ひとえにサクラが一級冒険者であるからだ。
サクラの心証を損ねたら、この国は滅びかねない。これは誇張でもなんでもない。
今の北大陸は割と切迫した状況にある。物資調達の要となっているのももちろんだが、彼女はやろうと思えば真っ向からガルデと武力で戦争しても余裕で勝てるだろう。周辺の国々を巻き込んだって──勝てる。それだけの力がある。
国もそれを認識しているはずだ。そして世間の人々が一級冒険者へと向ける視線や持っている認識というものも、彼女に限らず大体このようなものだ。「怒りを買えば国が滅ぶ」「魔食獣よりも尚も恐ろしい」「海原で遭遇する大嵐の方がマシ」ってね。これも決して誇張の過ぎた表現ではない。
マリン様だってやろうと思えば、きっとガルデくらいなら一朝で滅ぼせる。サクラと違うのは、うっかり道半ばで死んでいる姿や、途中で飽きて帰ってしまっている光景が容易に想像できることだろう。一方サクラは本当に……容赦がない。
そんな災厄の方がマシ扱いされている彼女達ではあるが、紐を付けずに野放しにされているにも関わらず、最悪な状況になるなんてことはほぼほぼない。どいつもこいつも、一級冒険者というものは揃って表に出たがらない。仕事をしたがらない。目立ちたがらない。
鍛冶とか修業とかお茶とか釣りとか、そういうことにばっかり夢中になっていて──余計なちょっかいをかけなければ、基本的には無害なんだ。
「ん? ──リューン、リリウムから手紙だ。目を通しておけ」
手分けして荷物の数合わせをしていていると、フロンが職員から手紙を手渡され、それをそのままこちらに流してきた。その後はこれを宿に運び込むために、再度馬車に乗せるよう別の職員に指示を出している。
手紙の内容は、まぁ……形式張った時候の挨拶から始まり、長々と……つまるところ、二人で仲良くやっています。といった感じのもの。ナマイキ!
何でもパイトの迷宮の専有には無事成功し、寝る間も惜しんで魔石を集め続けているらしい。これはいつものサクラだ。ちょっと安心する。
そして、焼却魔導具──サクラが言うところの火炎放射器を、あの子が大層楽しみにしているということが、ついでのように記されて終わっていた。
「ぼちぼち量産に入った方がいいかな。何か……本気で百や二百欲しがってそうだよ」
半分くらいは冗談だと思っていたのだが、何やら本当に楽しみにされている。期待されている! 滅多に頼ってくれない私のサクラが、私と……ついでにフロンに期待してくれている。
「そうだな、そろそろ着手しよう。国から請けた仕事だ、多少融通を効かせてもらえば不可能はあるまい」
サクラが大好きな火炎放射器。パイトの三人が戻るまでに、今の私達に作れる最高の物を用意しておいてあげよう。
自分の意志でガルデに残ったんだ。このために。これだけのために。
火炎旋風や炎渦といった術式は、古くから存在する割りとありふれたものだ。
火系魔力のみでも発現は可能。けれど風系魔力を併用することで、その威力や効率は大きく向上する。
制御に若干練度を必要とするけれど、ある程度の適性がありさえすれば、成人前のエルフでも魔法術式として単体での行使も可能な、その程度の難度でしかない。魔導具に落としこむことも容易い。
術式その物の記述なども特に難しいことはない。雛形は既に存在しているし、威力と魔力効率とを秤に乗せて術式を調整して、後はそれを複製していくだけ。
手作業ではあるが、二人共長年こういうことを続けてきた。何ら問題はない。
「フロンさーん、部品受け取ってきましたー」
「ただ今戻りました。改善点があれば早めに知らせて欲しいとのことです」
おつかいに出ていたペトラとアリシアが戻ってきた。鍛冶職人に委託していた物品の回収をお願いしている。
今回作る火炎放射器は万が一故障した際にも部品の交換で対応できるように、分割したいくつかのそれを組み立てて使用可能となるように設計されている。
組み立てた筒を三脚に乗せて固定することで、狙った場所へ勝手に炎を吐き出し続けてくれるのは、南大陸でフロンが作った物と同じ。筒の向きを上下に何段階か変更できるようにしたのと、三脚が風で倒れないように鈎で地面に固定できるよう工夫したのが変更点だ。
持ち運ぶ際の利便性とか、分割して……とか、サクラはいつもそういう変なことばかり考えている。
この辺りはアイオナで用いた試作品の感想として、サクラからフロンに意見が出されていたらしい。……フロンに。フロンにっ! いっつもフロンにばっかり言うんだ! あの子は! もうっ!
こんな簡単な仕組みの魔導具部品に機密も何もあったものではない。手隙の工房に片っ端から発注をかけて──これにはギルドが大いに役に立ってくれた──運び込まれる部品に術式を取り付け、組み上げれば完成だ。
術式も暗号化は施しておらず、煩雑化を避け、効率と耐久性の両立に重きを置いた。どうしても複雑な術式は破損しやすくなってしまう。
サクラの魔石は質がオカシイので、ただ魔力を吸い上げるだけでも火力はオカシナことになる。術式にかかる負担も相当なものなので、ここはもう仕方がない。
アダマンタイトが使えれば、話は全く変わってくるのだけれども。
次々に仕上がってくる焼却魔導具の部品。要となる術式の記述。定期的に運び込まれる樽と金属トカゲの山。その受け渡し。完成した焼却魔導具の動作確認やそれらの物品の管理といった、舞い込む仕事の山を相手に、潰されないように忙しく日々を過ごしていれば、サクラのいない日々もあっという間に過ぎていく。
何度目かの荷が到着した際に、この頻度で物が増えれば部屋に住めなくなる! とちょっとした騒ぎになり、ギルドに相談して、苦渋の決断ではあったけど……拠点を変更することにした。
ガルデに管理させてしまえば話は早いのだが、そうはいかない。そのまま樽の山を渡すのではなく、要求された量をきちんと管理して、公式な記録に残した上で渡して欲しいと、サクラ直々に強くお願いされている。ちょろまかされたら嫌だから、と。気持ちはよく分かる。
組み上がった焼却魔導具の性能試験や動作確認のためにいちいち城門の外に出るのも大変なので、広めの空き地を擁する使われていない倉庫と、そこに隣接する家屋とを借用することになった。
今も広い庭では、ソフィアが景気良く生木を燃やしては薪と炭の中間の物体を作り上げている。この娘も誰に似たのか、今では大層この焼却魔導具がお気に入りだ。ずっと不機嫌が続いていたが、今や嬉々として、確認作業のほとんどを担ってくれている。
馬車は毎回十五日置き程度の頻度でやってくる。いつも変わらず樽と金属トカゲの死体とが積み込まれていて、書類と一緒にリリウムからの手紙が一通添えられている。
問題なくやっていますだとか、火迷宮は楽しいですだとか、美味しいパン屋の常連になりましたとか、樽は処分しないでいてくださいとか、近況を報告してくるのはいいんだけど──。
「どうして毎度! 毎度毎度っ! サクラのことが書いてないのよ! アイツ分かってやってるでしょ!? サクラは元気にやってるの!? ちゃんと食べてるの!? そういうことを書いてよぉ!」
初回の手紙以来、一切サクラのことは書かれていない。苛立って基板を握り潰しそうになったところで慌てて自制した。フロンに焼き殺される。
「魔石が届いているんだ、心配はいらん。騒いでないで手を動かせ」
「ねぇフロン、やっぱり様子見に行こうよ。心配だよぉ……」
「お前なぁ……これを見て物を言え」
今日も続々と焼却魔導具の部品がやってきては、工房と化した居間の隅に無造作に積み上げられていく。昔のルナの家を思い出して懐かしさが溢れ出ると共に、サクラがいない寂しさがより一層募ってしまう。
最近は職人も慣れたのか、ペースが一層上がっていて……分かっている。今が正念場なことくらいは。
おまけに魔石の受け渡しの手続きは万が一がないように、私とフロン二人揃って行うことと決めている。これも定期的に国の役人が取り立てにやってくるので、私達がいなければ何もかもが止まってしまう。術式なしに組み上げても炎は出ない。そんなこと分かっている。分かっているんだけど!
「会いたいよぉ……サクラぁ……」
暑さが和らぎ始めると、ふとした瞬間にどうしても思い出してしまう。しかもここはまさにガルデ。宿が変わったところで忘れられるわけがない。
「雪解けの前には戻るんだ、それから出発までには多少時間がある。甘えたければそこで甘えろ。今お前に抜けられると私は過労死するぞ」
「ねぇ、ちょっとだけ……」
「弱音を吐いて楽になるなら好きなだけ吐けばいい。だが少女達の前では止しておけよ。ソフィアにまで抜けられたら……泣くぞ」
今ではソフィアもなくてはならない戦力だ。火炎放射器の品質管理を一手に担っている。今は没頭してくれているが、うっかりサクラに会いたいなどと口にして、それを耳にされたら……走って向かってしまいかねない。
彼女が抜けたらペトラやアリシアにまた、一から仕事を教えこんで……?
「ああぁぁぁ……早く帰ってきてぇぇぇ……」
「同感だな。だが、今一番大変な目に遭っているのは、恐らく姉さんだぞ」
その言葉で沸き立っていた頭が休息に冷えていく。皆頑張っているが、一番辛い目に遭っているのは、きっと──。
「──そうだね」
パイトからの公文書に記されているリリウムの筆跡のそれ。そこに記載してある数は、常に異常だ。
私達が何か思い違いをしているのでなければ、サクラは一日当たり、大小合わせて四千五百個近い浄化橙石を継続して収集していることになる。
この魔石は全て天然品だ。変形も変質もされていない。魔石を分けたり混ぜたりはしていない。それは見れば分かる。査定を挟むまでもない。ずっと一番近くで見ていたのだから。
私も何度か足を踏み入れたことがある第二迷宮。リリウムは──あそこの終層を何層だと言っていたか。初めて概算してみた時、その結果に肝が冷えた。
しかも彼女は、これに加えて──。