第二百五十九話
人は慣れる生き物だ。私は未だに日常でもリューンにドキドキすることがあるし、ずっと一緒にいるとリリウムの可愛さは天井知らずに上がっていくし、聖女ちゃんは相変わらず愛くるしくてたまらないし、フロンやペトラちゃん、アリシアにしたって文句なしの美女と美少女揃い。
美人は三日で慣れるし飽きるという説には断固として異を唱える立場に立たせてもらう。毎日が目の保養で私の周囲は大層華やかだ。
「サクラっ、サクラぁっ、起きて……起きてくださいまし……」
目を瞑ってベッドに倒れ込んだ直後、忌々しくも可愛い誰かに優しく起こされる。広い寝室、豪華なベッド。居室もこれまた素晴らしく広く、立派で、照明や調度の一つを取っても、一介の冒険者に使わせるには無駄もいいところな、観光客向けの、それなりにお高いホテルの一室。だが些か華が少なく、そんな一輪の花を愛でる余裕もない。
身体を優しくゆさゆさしていたのは、でかい胸をゆさゆさしている私の使徒だ。引っ掴んでぐにぐにしてやりたい。生きるの辛い。
「はい……」
抵抗する気力もないので大人しくベッドから這い出て、腰に下げっ放しの十手を手で確認しながら軽く身体を解していると、その間にリリウムがショートブレッドや干し肉などを用意して甲斐甲斐しく口に突っ込んでくれる。その後軽く身体に《浄化》を施し、差し出されたランタンを引っ掴んで第二迷宮へと赴く。着替えの必要はない。なにせ常に戦闘服であるからして。
鍛えに鍛えた私の身体、何と健気なことか。悲鳴を上げる気配が一切ない。
「あ、あの……お気をつけて……」
「はい……」
心はもう、とっくに死んでいるというのに。
お手製砂時計の時の刻みが正しければ、この世界はおおよそ二十四時間前後で一日が過ぎている。多少の誤差はあるだろうが、今はどうでもいい。
パイトの迷宮の魔物の再誕周期は、終層を除けばどこもおおよそ八時間だ。零時、八時、十六時の一日三回、七時間迷宮に篭もり続ければ、無駄なく魔石を回収し続けることができる。
確かに昔考えたことがある。リビングメイルを一日三回狩りに向かえば、もの凄く稼げるよね! みたいなことを。愚策もいいところだ。三日以上続けるようなもんじゃない。
なんで私は砂時計なんて忌々しい道具を作ってしまったんだ。時計なんてなくていいじゃないか。これのお陰で……これのせいで、私は規則正しく迷宮へと向かうことができる。
手を抜いたらただでさえ少ない睡眠時間が削られる。一日二十一時間労働、睡眠時間三時間。風呂トイレ無し。奴隷でももっとまともな生活してると思う。三時間のまとまった睡眠が取れるなら少しは心穏やかでいられただろうに、私はなぜかこれが三分割されている。
何が忌々しいって、これは誰に強制されたものでもなく、私が私の意志で決めてしまったことなんだ。
宿から第二迷宮の入り口まで走り、封鎖に立っている衛兵に木板を見せて中に入る。ちんたら歩いてなんていられない。時間が惜しい。
顔ぶれは定期的に変わるので、顔パスとはいかない。衛兵は交替任務できちんと休みを取れているんだろう。妬ましい。
迷宮に入るなり不要になったランタンを《次元箱》に放り込み、心を殺して虫やミミズの群れを機械的に《浄化》し続け、それをこれまた《次元箱》に収納していく。
この地獄のようなブラック労働で唯一喜ばしい収穫があったとすれば、《探査》と《次元箱》が繋がっていることを発見できたことだろう。
魔石はどうやら、生成した直後から所有権が生成者にある。そして私は自身に所有権がある物品であれば、手にしたものを自由に《次元箱》に収納することができる。
そしてこれが《探査》と繋がっていた。いつぞやエルフ語と共通語を使い分けられるようになった時と同じような感じで、明確に《探査》で魔石に意識を向ければ、触れずとも《次元箱》に直接取り込めることに気づいたのだ。
お陰で魔法袋を広げてそこに放り込むという些事に囚われることなく、ひたすら魔物をぶん殴るだけの機械になることができている。
──ただ、一打一打に心を込めることを忘れてはいけない。
適当に振った打突で得られるものなんてない。一日に一万二千匹近い魔物を屠ることを選び、同じ数だけの素振りの機会を得たのだ。
せっかくだし、今こそ完璧にモノにしなければならない。デコピンを始めとした私の──女神式十手術の技能の全てを併用できるように。
術は誇張が過ぎるが──小物に用いるような膂力に物を言わせたノーモーションの打突一つをとってしても、これは一つの技と称していいレベルにまで昇華されていると思う。随分と洗練された自覚がある。普通の人間を殺すには過ぎた代物だ。だがそれも、生身にきちんと当たればこそ。
そしてこれは、必殺技ほどの技ではない。イノシシワニ然り水色ゴーレム然り、それなりに強い魔物相手では容易く威力が不足する。近当ても《浄化》も、《浄化》の技法も込めなければ、私はフロンよりもずっと攻撃力が低い。
これまでは威力を増したかったら、構えや振りそのものの形を変化させなければならなかった。
右手の振りに、右足の踏み込みの力と反発力を乗せる。早さに重きを置いた打突。
左半身を前に出した状態から、左肩を引くようにして、全身のバネと捻りと踏み込みと膂力とを右手の十手に乗せてえぐり込む。正拳突きのような威力重視の打突。
そしてお船でデコピンが加わった。今まさに私の死んだ顔目掛け、お腹を見せ、うるさい羽音を響かせながら飛び込んできた甲虫を狙う。
軽く腕を曲げた自然体の構えから切っ先を向け、十手の棒先に《結界》で蓋をし、ぐぐぐーっと力を溜めて、解放に合わせて突く。ただそれだけなのに──これまでのどの一打よりも速く、重い、一閃が飛ぶ。
この一連の流れをより早く、無意識下で行えるように、ひたすらに、ひたすらに数をこなしていく。いずれは他の打突とも併用できるように、まずはこれを身体に覚えこませる。
ただ数だけを繰り返しても仕方がないが、真剣に数をこなせば、必ず血肉へと化ける。
地味で面白味のない作業だが、この手の地道な修練は得意分野だ。左手でも行えるようにしなければならないし、一人で黙々と没頭するにはちょうどいい内容でもある。
しばらく進んだ先の襲い来るサイのようなやつの群れも、終盤近い階層に棲息しているサイのようなやつの腐ったゾンビも例外なく全て魔石にし、迷宮を急ぎ脱出して第一迷宮前でリリウムと合流する。
火迷宮は限界ギリギリで何とか踏み止まっている私一人で放り込むのは本当に危険だからと、大人しく休息を入れるか、迷宮に潜る頻度を落とすか、リリウムの同行を認めるかの選択で、同行を認めることとなった。
ここは土迷宮以上に気を張る必要がある。このお嬢が修練を兼ねて縦横無尽に階層を飛び回るのだ。
階層一つにつき五分ほど、リリウムの動きを読みながら上下左右にと足場を展開していく。
当然魔石の生成を行いながらになる。《探査》に意識を払い、足場魔法の設置と魔石の回収をも併行しなければならない。当初は縦横無尽にリリウムがその辺を転がっていく姿を見られたものだが、その頻度も減りつつある。
かつては十五層付近で熱に負け、これよりも浅い階層で魔石を拾っていたが、長年に渡る鍛冶や、ルナでの火石回収を続けた私の耐熱性能をもってすれば、魔導具なしの身一つでも三十九層まで行って帰ってくることができた。
ここの魔物は火系のファンタジー生物が主で、火の蜂とか火の鼠とか、ヴァーリルでも見かけた火のサソリとか、光迷宮にも出てくる鬼火とか、暑苦しいクマだとか、そんなのが主だ。なんとここにクマがいた。階層内は燃焼系動物園といった様相をしている。
死層も幽霊系の鬼火というか……青白い、人魂みたいなヤツ。特に面白味のある個体が出没するというわけではない。
ここに四時間ほど篭って宿に帰れば、一時間ほど眠れる。魔石を《次元箱》から床にばら撒き、ランタンを預け、意識と身体を放り出して眠りに落ち、リリウムに起こされる場面へと戻る。
一番辛いのは、起床時だ。
私が第二迷宮に入っている間、リリウムはリリウムで仕事をしている。
このお嬢がいなくなると私の生活は即座に破綻するので、なるべく休みを取ってもらうようお願いしてはいるが──私がぶち撒けた魔石を選別したり、選別した物を収納する容器を樽屋さんから仕入れてきたり、ランタンに魔力を補充したり、水や食事を調達してきたり、洗濯をしたりと……割と多忙だな。
一日当たり──瘴気持ちと浄化黒石はこの際存在を無視することにして──おおよそ火石が六千六百六十個、土石が四千八百六十個、霊石が三百六十個ほど増える計算になる。
ミミズとサイのようなやつから手に入る物は大きさが何倍も違うわけで、これを同じ一個として数えるのはどうかと思うが……まぁ、一個は一個だ。
変形させてしまえば多少管理も楽になるのであろうが、そんな余裕はない。気力も魔力も神力もカツカツだ。
こうして毎日死に物狂いで集めた土石はパイトに溜め込んでいても仕方がないので、人を雇って定期的にガルデへ搬出してもらうことになっている。これもリリウムがパイトを通して手配してくれた。
これらの魔石の数と重さをきちんとはかって、箱や樽ごとに正式な書類を作成し、運び出す。この世界にも秤や、何やら商人が用いる重さの単位なぞが存在しているらしいのだが、あまり詳しいことは余裕がないので聞いていない。
ミッター君と連絡を取って、彼が集めてきたメタルリザードも一緒にガルデへと送りつけているらしい。結構な大きさと量だったと驚いていた。
運搬にはパイトから推薦された信頼と実績のあるそれなりの冒険者を使っていると、火迷宮での活動時に教えてもらっている。
貴重な睡眠時間を削って《転移》で持って行ってしまってもよかったが、この量を誰が運んできたの? となりかねないので実行には移せなかった。
こういった雑事を文句一つ漏らさずに一身に引き受けてくれるリリウムには本当に頭が上がらない。おかん属性あるよ。
頭がおかしくなってしまいそうな迷宮三昧な日々を過ごしているが、ここで得られたものは決して無駄にはならない。
浄化橙石が多ければ多いほど堅牢な砦をより多く建てられるはずだし、浄化赤石と浄化緑石が多ければ多いほど、ゾンビや死んだ森を焼き払う魔法師の魔力を温存できる。
副産物として着実に数を増やしつつある浄化真石や浄化黒石も、剣や杖の数本を拵えるに十分な量になっている。
リリウムの三次元戦闘はまだ実戦で使うには危なっかしい練度だが、当初から比較すればかなりマシになってきているし、私の打突もその鋭さを大いに増しつつある。
雑魚をひたすらに殲滅し続けていくというこの作業は、カーリに大量に溜まっているゾンビやキメラ、それにリッチなどを処理する際の手際の向上に大きく貢献しているだろうと思う。
「あーそうだった、リリウム……これが終わった後、第四迷宮の専有許可をもらってきて……」
今にも落ちそうなほど眠いが、これは先に、覚えているうちにお願いしておかないといけない。火炎放射器に使う風石が絶対的に足りてない。第二迷宮と切り替えて第四迷宮に入らないと、火炎を放射できなくなる。
浄化橙石はもういい。これだけあって足らないとか言われたら、もう滅んで下さいと匙を投げた方が早い。砦より死骸処理の方が私にとっては重要だ。
そういった点から浄化赤石はギリギリまで回収を続けたいのだが……朝晩の気温も下がりつつある。許可を貰っているとはいえど、限度というものはある。
「──それは構いませんが、手配が終わるまでは迷宮をお休みすると約束をして下さい。きちんと休息を入れると宣言して頂かねば、請け負ってあげませんから」
「わかったよぉ……」
すぐさま意識を手放す。もう二度と国からの仕事なんて請けない。そう強く心に決めた。