第二百五十七話
父子と別れ、リリウムと二人で管理所を後にする。数年振りの再会なんだ、きっと積もる話もあるだろう。
そしてちょうどお昼時なこともあって、昔よく利用していたパニーニの屋台でいくつか調理パンを買い込み、食べ歩きながら道を戻って管理所のすぐ脇の大岩、第四迷宮へと入った。
「まるでピクニックですわね。こうも落ち着いた環境の迷宮というものも、珍しく感じます」
第四迷宮。風迷宮。ここは鳥迷宮だ。
天気良く、地面も背の低い草が茂っていて、迷宮内部ということを忘れそうになる、穏やかな階層。
一層はただの草原だが、二層三層へと進むとヒヨコがうろつくようになるので、足元には注意が必要だ。
「そうだねぇ、休日には公園みたいになってるし。しばらくは脅威になるような魔物もいないから、九層くらいから魔石集めていくよ」
必要な浄化緑石の量はそう多くない上に、ここはカモネギというスカスカミサイルバードからそれなりの大きさのそれを簡単に集めることができる。
正直楽勝だ。霊鎧の浄化真石は惜しいが、あまり頻繁にパイトの南部まで足を向けたくもない。迷宮の封鎖処理が済むまでに集めきってしまいたいので、まずはここでの作業を完了させてしまうことにした。
「終層はどうなさいます?」
「ノータッチ。迷い込んだら仕方ないけど、可能な限り避けていこう。怖いから」
「心得ました。確かにあれは、あまりいい思い出とは……言い難いですわね」
第二迷宮三十層。享年十……六、七歳くらいだったのかな、リリウムは。
うちのパーティではアリシアと並ぶくらいに小柄で、揃って最も年下に見えなくもないこのお嬢は、謎の時間軸に放り込まれたことにより、今では私よりも若干年上になってしまっている。外見が当時からほぼ変わっていないのは、成長しきっていたというわけではなく、使徒化の影響だろう。
忘れてはいけない。パイトの主であるところのどこぞの神に嵌められて、私達は二人仲良くご臨終と相成った。決して忘れるわけにはいかない。
この世界の神々とやらは、きっと全知全能で何でもありな存在ではない。
一つの要素を兄弟姉妹、双子といった複数で管理しているという内容の多くの書籍の存在も、その予想を強く確信に近いものとしている。ぶっちゃけ、それぞれの力はかなりへっぽこで、相当弱いんじゃなかろうか。
できるのであれば、雷でも落として直接手を下してしまえばよかったのだ。この世界に今も君臨している現役の神々の中の一柱と、明確に敵対していた女神様の後継者。さぞ鬱陶しい存在だろう。
だが、わざわざ瘴気持ちを私から遠ざけ、力を付けさせず、神器を集めさせ、それを使って迷宮の内部で殺害する──なんて面倒な手法を取らなければ、神力が弱すぎてお話にならなかった当時の私一人殺めることもできずにいた。神力を漏らさずに今を生きている私の存在も、根拠の無い自信によって、察知されてはいないと確信できる。
元祖『黒いの』や『ぐにゃぐにゃ』みたいな規格外の神器がポコポコ出土しないのも、そもそも宝箱の出現自体が希少なのも、渋っていると言うよりは、こういった神々の力が弱い所為なのではないかと推測している。
過去、ルナの死竜や第三迷宮の死神などは、魔石の魔力を吸い取って出現する箱の数を増やしていた。
初回は違った。初めて死神を討伐した際には見事な人型ドクロの形をした、白黒大根よりも大きな浄化真石を残したものだが、二回目三回目は迷宮に吸われて消えてしまった。
ルナの不死竜もそうだ。死神同様に迷宮に吸われ、宝箱が二つ三つ増えた記憶がある。六十三層の真っ赤なドラゴンも、魔石を残したり残さなかったりして、残らなかった際には宝箱が増える。
当時の私やフロンなどは、宝箱が増えたのは魔石の魔力に依るものなのでは──などと考えていたが、少し違う。
あれは、浄化を《浄化》として扱えていなかった当時の私から漏れに漏れていた、神力を吸ったことによって起こった現象だ。魔石を仲介して吸われていたのか、魔石その物の魔力も関係していたのかまでは分からないが。
神器や迷宮産魔導具の産出の仕組みまでは不明だが、その一要素として魔力と共に神力が深く関わっていたとみて間違いない。あの増えに増えた宝箱、そして明らかに異質な中身のカラクリは、私の神力。パイトとルナで産出物品の傾向が異なっていたのは……さてはて。
ともかく、迷宮にとって高位の魔導具や神器に類する品物は、ああいったイレギュラーな外部供給でもなければ、そう安々と産出できるものではないのだろう。
いつぞや聖女ちゃんが巻き込まれた霊鎧の一件も、浄化瘴石を素材に精製した霊薬の散布をしたことが発端にあると調べがついている。
これも案外、迷宮に魔力や瘴気を流せば宝箱生えるんじゃね? みたいなひらめきをきっかけに始まった試みであったのかもしれない。死骸と同様に、魔石も放っておけば吸われて消えるらしい。これもフロンが言っていたんだったか。
元々死層の宝箱から良品が現れ易いという認識は、冒険者にとっては一般的なものだ。私も昔ギースから教わった。
現場が浅い死層を有するこの第四迷宮だったのも、検証する際の利便を考えてのことだとか。どうだろう、そう荒唐無稽な話でもないように思うのだけれども。
瘴気、魔力、そして神力。これらは割と深い関係にある──であろうことまでは調べも察しもついているが、残念ながら今はここまでだ。放り投げたスプーンの数を数えることは、とっくに諦めた。
とにかく私相手に限らず、こいつらが生物に干渉するには、かなり面倒なプロセスを経る必要があるのではないかと感じている。
私は割と多才だが、こいつらにはそれぞれの管轄がある。鑑定神が鑑定以外の事象を以て現世に干渉してくることはないだろう。しかも干渉できる相手も、神殿内部で特定の術式を用いた神官相手に限られている。いきなり村娘の脳内に野菜の生産地をお告げしたりはしないわけだ。
私は女神様直々に迷宮に入っても良いと言われている。神器は使うことも集めることも禁じられているが、終層へ行くなとは言われていない。その一点だけで判断しても、おそらく終層に入ることも、主を倒すことも、問題はない。宝箱、その中身さえ避けていれば。
というか……既に一度終層の主を倒してしまっているわけだ。私ではなく、リューンがだけど。
ヴァーリル近隣、火石と土石とを集められる野良迷宮。あそこの終層のお化け馬。あの時は焦った。本当に殴り倒そうかと考えた。あの頃はまだ、顎下パンチを会得していなかったから、ハイになって言葉の通じなくなったイカレたエルフを下手したら殺すハメになっていて……躊躇してしている間に全ては終わってしまったのだけれども。
終層がノーグッドであるならば、私が直接手を下してないからセーフだった……とは考えにくい。あの後、どこぞの神様からのコンタクトがあったり、瘴気持ちを遠ざけられたり、迷宮産魔導具の誘惑があったりはしていない。終層そのものがセーフだったのだと思う。
野良迷宮だったから、創造主が弱小だったから、単に仕事をサボって管理していなかったから──想像は色々とできるが、終層はたぶん問題ない。入っても恐らくは平気。あの人もダメとは言っていない。だが分かってはいても……怖いものは怖い。
(あの人がポンコツなのもあるけれど、少なくとも迷宮の終層は、神の力が及ぶ領域かもしれないわけで……)
第二迷宮の死神。あれは異常な状況だった。あそこだけは……あそこだけは……確認しておく必要があると思う。
触らぬ神に──とも言う。正直触れたくはない。だが、怖いもの見たさという言葉もあって……藪を突付いてなんとやらだ。
確かなことは、それを今確認すべきではない、ということだろう。
人気のあるダチョウや、未だに接敵経験のない逃げ回るヒクイドリが棲息している浅い階層は素通りし、霊鎧も適当に散らすに留め、カモネギゾーンへと足を踏み入れた。
早速魔石集めを開始しようと思ったが、大岩と大岩との中間辺りに、結構な数の先客が陣取っていた。若い冒険者のパーティが複数、真剣な顔で落下してくる鳥達と戦っている。
流石に乱入して魔石を集めるわけにはいかない。次の層にもいるのだし……と進んだ先でも同じように、巨人種パーティといった感じの大柄な冒険者達が大岩の前に陣取っていて、専有モードの真っ只中だった。
絡まれる前に駆け足でその場を離れ、十層へと向かう。ここから体高二メートルほどの恐竜ゾーンが始まるのだが、ここもまたいくつもの冒険者パーティが積極的に狩りをしていて、更に奥へと足を進めなければならなくなった。
「今日は随分と混んでるなぁ」
どの迷宮も似たようなものなのだが、十五層辺りが駆け出しと駆け出し卒業とを分ける、一つのボーダーラインになっている。
一つ奥の階層を狩場としたければ、その階層と大差ない難度の階層を一つ余計に戻らねばならないということを忘れてはいけない。
経験上、階層を隈無く殲滅しながら先へと進む冒険者はそれほど多くはないので、十層で狩りをしたければ二十層分を往復できる力が、十五層で狩りをしたければ三十層分を探索できる力量が求められる。帰還途中で力尽きた冒険者の話なぞ、そう珍しい話でもない。
(復路に七割は残せ、だね)
それ以上に、時間がかかることも要因としてあるだろう。魔物が多数うろついている階層を、集団で、次の階層まで一息に走り抜けるというのも、それなりに危険が付き纏う。
魔物のランク……種による強さというものも、大体この辺りで切り替わることが多い。
第二迷宮もその辺りで虫類からサイのようなやつに切り替わり、第三迷宮も暗闇具合が一層増して、階層の様相も──あの層だけだが──変化する。
第四迷宮は十層で鳥から竜へと切り替わったまま、肉食獣系の階層が続いていた。
熟練者は更に深い階層へと滞在することが多いので、十五層からしばらくは割とどこもスカスカなことが多いのだが、今日の第四迷宮は違った。余裕で二十層過ぎまで人が居る。多い。
「食料調達でしょうか。カモネギもあの小竜達も、それなりに美味な肉ですし」
お昼ご飯もとうに食べ終えてしまった。サンドイッチ片手にピクニック気分のまま迷宮に挑むのは、いくら余裕で攻略できるとはいえ褒められたことではない。
普段あれだけ気を抜くなと、若者組に口を酸っぱくして注意しているのだし、どこかで立ち止まるべきだったか。
だが今日はそれ以前の問題だ。迷宮に挑めない。お陰でレジャー感覚で魔物と相対することはなかった。
(そういえばあの恐竜のことはリューンも知っていたっけ。割りとメジャーな種なのかな)
スタンピードの影響で、食料難に? ──いや、それはないか。迷宮の序盤からでも継続的にお肉の調達ができる、それが迷宮都市パイトの良いところだ。
難民が流入しているというわけでもないと思う。町中も特に普段と変わりないように感じたし、いきなり食料の消費量が跳ね上がるとは考えにくい。
(となると輸出品かな。乾燥肉にでもして売るんだろう)
「そうかもね。この様子じゃ第五迷宮も大賑わいかな」
水迷宮も少数ではあるが、食用可能な魔物が出てくる。あのサメのお肉が食用可能であるかどうかは知らないけれど、かなりの下処理が必要になるであろうことは容易に想像できる。サメのお肉は臭いのだ。
「他の迷宮はどうなんです?」
「第三はコウモリとゴーレムだね。第六にお肉は……いなかったような気がする」
第一迷宮にも食肉はうろついていないと聞いている。私が数年前に探索した範囲でも、そういった種とは遭遇していない。
「なるほど。鳥肉迷宮と魚肉迷宮に人が群がっている、と」
そうかもしれないし、そうではないかもしれない。ともあれ、お肉迷宮までもを専有したら、他の冒険者から更なる恨みを買うことになるのは目に見えている。
ちゃちゃっと済ませたいところだ。