第二百四十三話
気力、生力、魔力、精力。私にはこれに加えて神力があるが──地力だけ育てていけばそれだけで強くなれるというわけでは、当然ない。
攻撃魔法だって相応の魔力の格と器を育てるのはただの前提であり、それに加えて装備の補助なしではその威力もたかが知れているわけで、良い物が必要になる。
更に加えて、それらを十全に扱えるよう、訓練が必要になるわけだ。当たらない火弾なんてないのと同じ。弱点を外して殺しきれない火弾なんて、ないのと……同じとは言えないかもしれないが、必要十分とは言えない。
気力を用いての筋力増強が凄まじいので軽視されがちではあるが、生身の筋力も無駄にはならない。尤も、大事なのは身体の柔らかさではないかと、私は思っているのだが。
この世界にきてもう十年は軽く経っているが、私にはかなり初期の頃から一貫して続けている日課がある。素振りとストレッチだ。
特にストレッチは、この馬鹿力を十全に活かす上でなくてはならないものとなっている。関節の可動域は動きの広さに直結するし、いくら反動を抑えているとはいえ、固いと怪我の元になるのは、ここでも地球でも同様だ。
地球人だった頃にはそれなりに固かった私の身体も、今やすっかり股割りはできるし、前屈で胸が床につくくらいにはなっている。
「ミッター君は……中々柔っこくならないねぇ」
ペタンと上半身で床の冷たさを堪能しながら顔を横に向け、柔軟に苦戦している彼氏君を見やる。
「これでも……だいぶ……曲がるようには……なってきたのですが……イタタタタ! おいペトラ!」
私達八人は、内六人までが近接戦をするとあって、こうやって一人が身体を動かし出すと、釣られて何人も一緒にストレッチや素振りを始めるという光景が割とよく見られる。
お風呂上がりは特に効果的とあって、朝はもちろんのこと、寝る前にも汗をかかない程度に継続して……今やタコのようになっているのが数人いるわけだ。
その筆頭がリリウムだ。こいつはリューンと違って、二十年以上もの間、一人でこの日課を続けてきたらしい。
黒のタンクトップにスパッツ姿で、ヨガか新体操かと言いたくなるような、足を首の後ろに持っていったり、股割りして身体を横に倒したりと、ぐにゃぐにゃになっている姿を見ることができる。
かつて短期間だけ使っていた誰かの神器。あの波打った長剣に彼女が名付けた名前は『ぐにゃぐにゃ』だ。名は体を表すではないが──。
彼女の前世は、クラーケンなのかもしれない。
ミッター君とペトラちゃんが洋上でアリシアの的になっている間、それを邪魔しない場所でうちのわんこに術式の指導をする。
待ちわびたのだろう。少し目が赤くなっているし、昨夜は眠れなかったのかもしれない。
私からペトラちゃんに移植された年配ハイエルフ二名の力作、物理特化障壁──通称足場魔法。これをついにこの娘が使う時がやってきた。
術式を刻んでそれが馴染んで、リューン先生からオッケーが出るまでの間、ずっとそわそわそわそわとしていて……鬱陶しいことこの上なかったが、気持ちはよく分かるし、それが聖女ちゃんなら可愛いものだ。
リューンもずっと苦笑していた。この娘がどれだけこの瞬間を渇望してきたかを、よく知っているから。
確か西大陸の港町で、南大陸行きの船を待っている時からだ。あの時は切れ味強化の術式との選択で、今必要な方を採ったわけだ。
切れ味強化が魔導剣化することで不要になり、術式が消え、フロンの特訓によって順調に魔力の格を伸ばしたことで──おめでとう!
「私はいじわるされたけど、時間がもったいないし、ソフィアにはきちんと教えてあげるからね」
「いじわるって……人聞きが悪いなぁ」
アリシアに魔法の指導をしながら、ちゃっかり聞いていたエルフが口を挟んでくる。
あれがいじわるでなければなんだと言うのだろう。足から魔法が出るなんて、百年やっても私は気付かなかったと思う。
「はい! よろしくお願いします!」
ペトラちゃんの時もそうだったが、これは障壁魔法の癖に用途の関係で割と危険な術式なので、しばらくは保護者同伴時以外の利用は禁止させてもらう。またお船とサンドイッチされてリューンの肝を冷やすことになったらマズイ。こいつの怒りは尾を引くんだよ。
帯剣さえしていればうちの近接担当者は全員、魔力障壁を壊せるわけだけど……万が一もあるわけで。
(そういえば、全員なんだな……リューンの投げナイフ、リリウムの黒トンファー、うちの子達の剣も全部浄化黒石を使っているし……私は咄嗟に対応できないけど、力づくなら壊せる。それに二代目『黒いの』があるにはあるしね。私も小さなナイフ作ろうかな……作っておけばよかった)
まぁ、今考えることではない。最低限、足場と盾に使えるようにはなってもらおう。
「ソフィアはエイクイルにいたころ、認識阻害以外の結界術式は使えなかったの?」
ペトラちゃんにもしたような説明を聖女ちゃんにも伝えていく。この娘も足裏に回路が繋がっているので、すぐモノにするだろう。ただ使うだけなら簡単なんだ、これは。
「えっと……はい、あの頃は隠密式だけでした。魔力が……弱かったので」
「そっか。でもまぁ、適性があるってだけでも貴重だもんね」
結界は浄化ほどではないが、れっきとした希少技能に分類されている。魔法師が選択肢の一つとして気軽にチョイスできるようなものではなく、本人にそれなりの適性があり、魔力の格と器の下地もある程度は備えていないと十分な防壁として使うことは難しいと……かなりの素養を求められる。
私のように適性が下の下であろうと、何でもかんでも使うだけはできる……みたいなのは本来ありえないことらしいのだ。
この娘は幼少期から目につくレベルで結界に向いていた。魔力が弱かったと言っても、それも今や昔だ。今はまだ物理障壁のみだが、この娘が望めば癒し系結界師としてやっていくことも決して不可能ではない。
そうなればきっと前線で大人気だろう。戦場の華、アイドルにだってなれる。今は船上で話しているだけだが。
実は私はそれほど結界魔法には秀でた適性があるというわけではないので、治癒魔法の適性差も相まって、この娘の才能は誇らしく思うと同時に、少々眩しくも感じている。
「それだけで聖女職に就けたようなものですから……っと!」
まぁ適性もだけど、他に持って生まれた資質とか、意欲とか、そういうのも大事だ。雑技団を目指せばいいとこ行けそうなくらいに元からバランス感覚に優れ、きっとペトラちゃんから話を聞いて、脳内でイメトレを繰り返していたのだろう。初めて使うとは思えない練度で宙を舞っている聖女ちゃん。フライングわんこ二号だ。
側転をし、何もない宙に足場を設置して、それを剣を握ったまま片手腕立てをするようにして己の身体を跳ね上げ──なんてアクロバティックな動きを繰り返している。私はきっと真似できない。
「おー、上手い上手い。けど身体にしっかり馴染むまでは洋上はおろか、一人で使うのもダメだよ? 約束破ったら海に叩き落とすからね」
甲板にビタンビタンと落ちる分には構わないが、両手に刃物を握っているので一人で練習をするのは絶対にダメだ。
「はーい!」
まさに今叩き落とされかかっているミッター君の姿が横目に見える。何事かと思ったら、魔力の切れたアリシアに代わって、フロンが杖持参で氷槍を飛ばしていた。陽の光を浴びにきたのだろう。ミッター君は逆光になる位置を強いられていて、大変やり辛そうにしている。サングラスくらいならすぐ作れるけど──。
満面の笑顔で跳び回っているソフィアとは対照的だ。地味だが、ペトラちゃんもずっと必死で足場を操作している。頑張れ頑張れ。
「なんつー訓練をしてるんだ、お前らは……」
「あ、師匠!」
数日後の午後、すっかり修練場と化している後部甲板におっさんが現れた。ガルデの冒険者ギルドの一番偉い人。ギルドのマスター。三人のお師匠さんだ。
相変わらず仕事中とは思えないような、シャツに短パン、それにサンダルというラフな格好をしている。私も似たようなものだが──アロハとグラサンに、缶ビールのセットが似合いそうだ。
やかましくしていたのが聞こえたのか、単に偶然かち合っただけか、秘密特訓を見られてしまった。
後部甲板のちょい上をソフィアが飛び回り、息抜きに出てきたリリウムと両手武器同士でじゃれあっている。
甲板の上に大きめの円を描き、そこから出たら負けというルールだ。リリウムの足場担当は私。彼女を視界に収めずに、動きを読んで《探査》頼りで前もって足場を置いておく訓練を兼ねさせてもらっている。
まだ余裕を持ってリリウムが優位に経っているが、何がトリガーになるか分からない。船の修理費を出せるほど今の私の懐は暖かくない。
この脳筋が我を忘れ、分厚い氷をぶち抜く脚力で甲板に大穴を空けられたらたまったものではない。いつもより多く敷いております。
その後ろでは、船の軌跡の上でミッター君が必死で氷槍を捌いている。その足場をこれまた必死で作っているペトラちゃん。そろそろ魔力も切れるだろう。注意しておかないと彼はまたドボンだ。
ミッター君は前に進みながらフロンの氷槍を打ち払わないと、船に置いて行かれてしまうという割とハードな状況下で修練を積んでいる。
分かってはいるだろうが、中々冷静沈着に……とはいかないかもしれない。訓練とあって加減はしているようだが、フロンも結構容赦がない。
「日々是鍛錬です」
「その通りだ。継続こそが力になる。まぁ……他に客もいないし、船の安全面には配慮しているようだからうるさくは言わん」
「ありがとうございます。うるさかったですか?」
「いや、音は部屋まで届いてはいない。ただ、魔力がな……ありゃあ、ヤバイな」
風切音だけを残して次々に高速で飛んで行く氷槍の発生源を見て、おっさんの顔が引き攣っている。世間様の基準から見ても、フロンはヤバイらしい。
「頼りになる仲間です。戦闘でも、それ以外でも」
「だろうな。氷だけか?」
「火も同等以上で使えます。ゾンビを焼き払うくらいは造作もありません」
「そうかそうか……! いやー、姉ちゃんが捕まってよかったぜ、ほんと……思わぬ拾い物ができた」
このおっさん、リリウムには見向きもしないな。フロンの評価が高いのは嬉しいが、こいつの凄さを見破れないようではお里が知れる。もしかしたら巨乳は好みじゃないのかもしれない。
「そんなに状況は悪いのですか?」
雑談しながら《探査》に意識を集中させて、足場の設置を継続していく。これはなかなか良い修練になるな。
ソフィアもリリウムと延々と打ち合っている。随分とスタミナもついた……と褒めてあげたいが、今はお師匠さんにいい所を見せたいがために、最後の生力を振り絞っているだけだ。朝からずっと身体を動かしていたし、もうすぐダウンするだろう。
まだまだ曖昧ではあるが、自分以外の残魔力、生力なんてものも……なんとなく、肌で感じられるようになってきている。
「出航の時点ではガルデはまだそうでもなかった。国境はちと怪しいらしいが、中央からの群れは砦で塞き止められているからな。今どうなってるかは分からんが……油断はできん。一つ二つ落ちている可能性も十分にある。そのくらいの規模だ」
「パイトやバイアル方面はどうなのでしょう。何か知りません?」
「パイトは立地的にもほぼ無害だ。バイアルは北も東も砦が堅牢だし、おそらく無事だろう。大陸の端だからな、まだマシと言っていい。たまに動物がゾンビ化する程度で済んでいる」
地理が分からない。大雑把な地図は見たことがあるからガルデやパイトの位置関係は把握しているが……とりあえず、エイクイルやガルデ、それにパイトやアルシュといった私が知ってる諸国は、大陸の南南西の端に位置している。
南南西の港がルナ……じゃなくて、ルパ。そこから北東方向にエイクイルとコンパーラ、コンパーラから北がパイトで東がガルデだ。パイトから更に北進すればバイアルが見えてきて、その真西にアルシュがある。アルシュは西西南といっても……いや、まだ南南西かな。まぁ、細かいことはいい。
魔物の発生源──迷惑な龍がどこにいるのかが不明だが、スタンピードの発生源が大陸中央とのことだし、たぶんその辺にいるんだろう。
話を聞く限りでは、バイアルが無事ならアルシュが面倒事に巻き込まれているとも思えない。多少のゾンビはギースがなんとでもできるだろうし。
「バイアルの薬草畑が汚染されたら……面倒ですね。治癒師は前線に出ているでしょうし」
たちまち傷を治してくれる治癒魔法なんてものはあるのに、飲めば一瞬で同様の効果をもたらしてくれるお薬といったものは、私の知る限り存在していない。
それでも、腹痛に効くだとか、虫下しだとか、傷に塗っておけば治りの早くなる軟膏だとか……そういった物は普通に存在するし、広く流通している。
うちには癒し系わんこがいるが、治癒使いに治療を頼むのはそれなりに高い出費で、治癒も適性によるところが大きい魔法の一つなので、村落にまで癒し系が行き渡っているわけでもない。
お薬がダメになったら、色々と問題だろう。バイアルには踏ん張って欲しいものだ。
「あそこは姉ちゃんほどではないにしても、それなりの浄化使いが定期的に巡回してるはずだ。状況が大きく変わらない限りは畑の心配は要らんと思うがね……。随分と気にかけるな?」
「私にだって知り合いの一人や二人、いますよ」
「そりゃあ、そうか──」
何かしんみりしてしているが、別にバイアルにはいないし不安に駆られているというわけでもない。知り合いを増やしすぎるとこういう時に困りそうだ。
幸いなことにギース以外は人種だし、百年もしないうちに知り合いは皆、天寿を全うするだろう。その後のことは知ったことではない。
「ガルデそっちのけで出向く気はありませんから、そこはご安心を。──それも依頼内容と報酬次第ですけどね」
「そりゃあ、そうだなぁ……どうしたもんか……なぁ、少々まからないか?」
「ダメです」
金だ。金を毟る。単位は束だ。山でもいい。大金貨の束を山で用意して欲しい。
「そりゃあ……そうだよなぁ……どうしたもんか……」
ここまできて依頼を断りでもすれば、仲間達から非難が殺到するだろう。あまり価格交渉のようなことはしてほしくないのだが……どうだろうなぁ。
今回は依頼主が国だ。取りっぱぐれたら守った国に対して戦争を吹っかける必要があるわけで、大変面倒で気が重い。
貢献点ばかりを積まれても私は困るわけだ。年寄り組は喜びそうだけど。




