第二百三十八話
断ってしまえばいい。私にはそれだけの特権がある。
ルナで穏やかに、日々勉強をして、研究をして、お茶を飲んで、修練をして。ゆったりとした日々を過ごす。そういう道を選ぶことだってできるんだ。
魔物が跋扈して滅びかねない大陸の平穏を取り戻すために、好き好んで自分や仲間を危険に晒して……アホかと思う。
(でもアホはアホなりに、やらないといけないんだろうなぁ。心が赴いてるというか。──女神様、貴方は何を私にやらせたいんですか。これ契約違反だと思うんですけど……隠遁していいって言ったじゃないですか)
あの人はとうに消えている。十手の熱も、ふわふわも、あの人を感じられる何かは残っていないというのに。
「アンタ、ガルデのギルドマスターとは顔見知りなのか?」
日を改め、約束通り冒険者ギルドに出向いた。うちの連中はもうやる気満々で、やっぱなしで! と言える空気でもなくなってしまった。
故郷の危機、大量に得られるであろう貢献点、修業、巻き込まれ、お金。各々出向く理由は異なっているのであろうが。
「冒険者ギルドのマスターとなら、そうですね。ちょっとした知人程度の仲ではあります。代替わりしていなければ、ですが」
依頼と報酬の件について話をしにきたのに、なんでまたあのおっさんとの縁を問われているんだろうか。今もギルマスやっているかなんて知らないし、別にお友達というわけでもない。
「実は今、ガルデの特使がこっちに来ていてな。ここで冒険者を徴募したいと打診を受けて、許可を出した。その際に……アンタ、数年前まで髪が長かったのか?」
「そうですね、短くしたのは最近の話です。ガルデに居た頃は長かったですよ」
「心当たりのある一級冒険者を、次の船で探しに行くと言っていたんだが……?」
「ヴァーリルにも南大陸にも、その冒険者はいませんよ。ここにいますから」
「やっぱりそうか! ──おい! ガルデの連中止めてこい! やっぱりこいつだ!」
こいつて。私も大人だ、こんなことでいちいち目くじらを立てはしないが、お茶が出ていなければこいつはミンチだ。
ガルデの冒険者ギルドではお茶は出なかった気がするけど……これは商業ギルドから借りてきたのかな。淹れ方はまだまだだが、使っている茶葉や茶器はやたらと質が良い。このおっさんのセンスではないだろう。
自宅で振る舞ったのが良かったのか。お茶は良い。最高だ。おもてなしの心を忘れてはいけないね。
「おぉ、姉ちゃん! 久しぶりだな! 会いたかったぞ!」
薄々想像はできていた。王都ガルデの冒険者ギルドのマスター、名も知らぬおっさんが数人の男と共に現れた。
ギルドの人間らしい制服でも鎧姿でもなく、ラフな私服……中年冒険者といった体のおっさん。顔見知りでなければこいつもミンチだ。
他の男達も私服だが、ギルドの職員という感じではない。帯剣しているが、冒険者といった感じでもない。兵士というよりは、騎士だろうか。おっさんもそうだが、揃いも揃ってがっしりとしている。
「ご無沙汰しています。大変なことになっていると耳にしましたが、お役所はクビになったのですか?」
「はっ! 姉ちゃん釣りに南大陸まで出向くのと、抵抗してクビを切られるのと、どっちが気が楽だったろうなぁ!」
何かテンション高いな。ご機嫌なおっさんなど見ていても面白くない。
「舟に乗る前でよかったですね。リスロイまで出向いて成果なしでは悲惨に過ぎます。──そうだ、ソフィアいますよ。会っていきますか?」
「そりゃあツイてたな……リスロイって、南の端だろう? そこまで出向いて手ぶらで帰ったとあっては、戻ってきた頃にはガルデが落ちてるかもしれないからな」
そんなことを言いながら急に真面目モードに入ったガタイのいいおっさんと机を挟んで向かい合う。部屋の深刻顔おっさん率が上がってしまった。むさ苦しいにも程がある。聖女ちゃん連れてくればよかった、花が足りない。
「では本題に入りましょうか──内容と報酬次第では請け負ってもいいですよ。いくつか貸してましたよね、それもまとめて返して下さい」
以前の依頼の報酬は受け取っていない。ワニの皮一枚で報酬を支払ったなどと言われたらこの話はお流れだ。
「お前……覚えてやがったか。頭が痛くなるな……だが背に腹は変えられん。本当に切羽詰まってるんだ、手を貸してくれないか」
「内容次第ですね。一人で大陸を平定してこいなどと言われても困ります」
「姉ちゃんならできそうだがな……そこまで無理は言わん。現状はどこまで把握している?」
「キメラが群れていて、アンデッドやリッチがうろついているということくらいでしょうか。スタンピードのこともつい先日聞かされたばかりですので」
「元凶は龍だ。ここの死層にアンデッドドラゴンがいるだろう? あれの上位種が現れたと考えてくれ。ドラゴンロードと目されている。それが二、三年ほど前の話だ」
「中央二十五層のあれのことですか」
「アンデッドドラゴンはそいつのことだ」
ギルマスその二の相槌により、奴の名前が確定した。死竜でおおよそ間違ってはいなかったわけだ。不が抜けているけれど。
それにしてもドラゴンロード……かっちょいいな、ロードて。
「当初は冒険者も賑やかでな、珍しい高位の龍種が現れたということで、大陸中の冒険者が討伐に躍起になっていた。あれはここのチビとは違って鱗一枚、血肉の一欠片からでも金になる。そのような品が持ち込まれ始めたことで存在が確実視されたまではいい。だが、いつまでたっても討伐の噂が流れてこない。そのうち魔物がゾンビ化し始めたという情報が流れ始め、各国動きを見せ始めたが……それでも討伐は果たせなかった。初動で仕留め切れなかったのが全ての発端だ」
足並み揃えてとはいかなかったのか。まぁ、いかないだろうなぁ……利益は独占したくなるのが人の性よ。
「その上位だか高位の龍がオイタをしていると」
「そうだ。魔物を集め、ゾンビ化させて周囲に散らしている。一部はキメラ化していて多くの冒険者が返り討ちに遭っている。おまけに奴の寝床の周囲には霊体や悪霊の類も相当に多くてな……。パーティ単位だと、面子によっては手出しができん。小規模な集落や村落にその手の対策が充実しているわけもなく、既に村や町はいくつも放棄されている。国が落ちたという報告は受けていないが、大陸中央部の領主は夜も眠れないだろうな。いつ龍が襲い掛かって来てもおかしくないし、本物のお化けが出るわけだ。それに──距離的にそいつらがガルデに大挙して来ないとも限らん」
お偉方は恐慌状態に陥っていて使い物にならんとボヤいているが、まぁ分からない話ではない。
私は祓えるが、お化けは怖いもんね。地球人だった頃なら、そんなところで惰眠を貪れやしなかっただろう。
(ゾンビを撒き散らすとか、傍迷惑なことだ。それにしても、キメラってそういう……キマイラとはまた別なのか)
新鮮なワニがゾンビ化して、ワニゾンビが飛竜を食って、羽根つきワニゾンビが悪さをしているとか、そんな感じなんだろう。きっと。迷宮にいるのはキマイラだな。
ゾンビは聖水か焼却で対処するものと相場は決まっている。熱に耐性のありそうなワニゾンビなら……浄化するしかない。
わざわざ私を探しに来たわけだ。不死の龍とゾンビ、おまけにリッチやレイスとは。
「話は分かりました。まずその上位龍を処分して、後に残った猪や狼のゾンビを始末して回ればいいのですね」
「そういうことだ。話が早くて助かるぜ本当……それで──やれるか?」
「あれの上位種ということなら、問題はありません。飛んで逃げ回られれば面倒ですが……まぁ、手はあります」
不死ってどの辺りが不死なんだろう。首や魔石を砕いても死なないんだろうか。不死具合にもよるけれど、まぁなんとかなるとは思う。ならなかったらどうしようかな、どうしようもないかな。
道中は私が後ろで、龍は私単騎で突っ込めばいいだろうが。とりあえず一当してみないとなんとも言えない。情報が足りていないし。先に調査の必要がある。
お家に帰ってきた。あの男臭い空間に身を置き続けるのは耐え難い。ざっと話をまとめて早々にお暇してくる。
報酬関係はガルデの王家が絡むとかで、この場で確約できることは少ないとのことだ。ルナからも忘れずにしっかり毟り取らなければならない。
「ドラゴンッ!? 相手はドラゴンなの!?」
やったー! と万歳しそうな勢いでリューンちゃんが喜んでいる。やっぱりエルフはドラゴンが好きなんだろう。
遊びに行くわけではないのだが、震えて使い物にならないよりはいい。アリシアが不安だったが……一緒に話を聞いていたこいつも、何故かやる気満々だ。ふんすふんすしている。キュートで大変結構なことなのだが……何でこんなにドラゴンが好きなんだ。しかもどいつもこいつも倒せる前提でいる。
「二十五層のあの、アンデッドドラゴンのロードだってさ。魔物を呼び寄せて、そいつらをゾンビやらキメラにして周囲に撒き散らしているらしい。リッチやレイスもいるって」
それにスタンピードまで重なっている。色々と問題が絡み合ってややこしいので、一つずつ解決していかなくてはならない。
「ドラゴンロードか……相手にとって不足はないな!」
フロンも満面の笑みで喜んでいる。なんでハイエルフはどいつもこいつも龍と戦う気満々なんだろう。お姉ちゃんわけが分かんないよ。
「そのロードは魔石にしたいから私単騎で当たりたいんだけど、いいよね? 死体引きずって帰りたくないし」
「えぇっ……?」
「なっ……」
こいつ……信じらんない、みたいな目を向けないで欲しい。アリシアまで絶句している。
「何を甘っちょろいことを! 龍は首を落として凱旋するものです! 引きずるのはガルデにやらせればよろしいでしょう! 我らの名を知らしめる好機です!」
知らしめなくてよろしい。
「リリウムだけは私の味方だと信じてたのに……」
そうだ、こいつは脳筋だ。一級冒険者になりたがっている勢筆頭だ。上位龍の首……魅力的なんだろうなぁ。貢献点じゃぶじゃぶ貰えそうだし。
穏やかに暮らしたい私の、使徒という立場はすっかり忘れているんだろう。メアリー・スーではいられない。