第二百三十六話
そもそも訪ねてくる人物などいないわけだが、我が家は基本的に来客お断りのスタンスでやっている。
第一に私の存在その物がアレで、転移もアレな術式で、作っている物がアレだし、研究しているものもアレで、おまけに他所様に知られては面倒な諸々が、邸内の至る所に転がっている。
その辺に無造作に置かれている照明や冷暖房の魔導具一つを取ってしても、特級品の浄化品から成る、ただの消耗品として使い捨てるには異常な品々だ。鏡に至ってはダントツで世界トップクラスの質をしているし、地球の物と比べれば原価も狂っている。
リリウムがオモチャにしている大根の皮も、加工難度が高過ぎるという点に目を瞑れば革新的なマテリアルだと思う。それが無造作に樽に突っ込まれて部屋にぎっしり並べられたりしているわけだ。
うちの子達が他所のパーティと共同で事に当たったり、メンバーを増やしたりすることがなく、三人のみでずっとやっていたのも……この辺の事情を鑑みてくれていたのだと思う。
ヴァーリルに居た頃はまた違ったが、今は他者を招き入れるデメリットの方が大きすぎる。そのために家政婦や庭師といった使用人すらお断りしていた。
今までは来客お断りのフラグによって守られていた我が家だが、うちのわんこがアリシアを拾ってきたことで、折れてしまったのかもしれない。
先日買い物の最中、北大陸の泉の底に想いを馳せたことで、北大陸お断りフラグもまとめて折れたに違いない。守りがなくなれば、そこを突かれるのは必定だ。
──そうとしか思えないタイミングで、厄介事が揉み手をしながら寄ってきた。
「お忙しい中申し訳ありません。火急にお目通しして頂きたい案件がございまして……失礼とは思いましたが、参らせて頂いた次第です」
「まず先触れを寄越しなさい。次はありません」
今日はたまたま──本当にたまたまだよ! ──暇していたからよかったけれど、冒険者がそういつもいつも家で暇を持て余しているわけがないだろうに。先に手紙の一通でも寄越して欲しかった。おっさんからのラブレターなんて要らないけれど、いきなり押し掛けてこられる方が困る。
何だ何だと作業部屋からリリウムとフロンも出てきた。年寄り組が勢揃いしてしまったが、こいつらは口を開く気配がない。
溜息を押し殺し、リビングのソファーにふんぞり返って手足を組む。不機嫌さを隠そうともせずに話を促すが……いい加減このキャラ面倒くさいな。
でもまぁ、いきなりやってこられても困るのは事実だし、面倒事を押し付けられるのが嫌なのも事実だし。不機嫌なのも事実だ。
(でも自然体でいたら舐められそうだしなぁ……どうしたもんか。処世術ということで、磨いていった方が……うーんでもでも──)
この家を買うときに会った商業ギルドのマスターと、その横にいかついおっさんが一人腰掛けている。茶を出すほどのことでもないのだが、リューンちゃんがちゃちゃっと準備してしまった。お茶だけに。
私も早くそっちの役回りに専任したいな、南大陸からかっぱらってきた燕尾服……このままだとカビが生えそう。
今後も傍若無人モードを貫くか、いっそ慇懃無礼モードを実装するかで頭を悩ませていると、初見の方のおっさんが話し始めた。
「まだ大々的な告知はしていないのだが、北大陸で深刻なスタンピードが発生したらしく、救援要請が来ている。唐突で申し訳ないのだが、向かってもらえないだろうか」
嫌だよ。意味が分からん。なんで私が! とでも言えればよかったのだが……スタンピードか。残念ながら意味は分かる。分かってしまう。
「面倒なことですね──」
溜息を抑えきれない。超面倒くさい。
「規模が大きく、現地の戦力では抑えきれないとのことだ。西や東にも話は行っているとは聞いているが……大規模な援軍は期待できないものと思われる」
書物によれば、迷宮とは神から人に与えられた試練であり、同時に恩寵でもある。
世界に点在しているこれらの迷宮は、大変に調和の取れた訓練施設と称して差し支えないだろう。
アイオナはともかく──階層毎に最大で常に六十匹前後、階層には特定の魔物のみが出現し、環境は一定で変化しない。基本的に弱い魔物から徐々に強い魔物と遭遇できるように配置されている。
迷宮でしかお目にかかれない魔物やその素材には有用な物が多く、浅い場所でも食べられる肉や、葉物の類まで手に入る。時に宝箱からはガラクタ混じりに、現代の技術では再現の難しい凄いお宝まで出てくるわけだ。
命がけという点に目を瞑れば、楽しい訓練所だ。お金も稼げる遊園地、現金の出てくるメダルゲームといったところだろうか。
だが迷宮の外は違う。魔物の数は一定していないし、より野性的で、強さも大きさも棲息地もまちまち。ワニと飛竜が群れているし、ゴブリン程度の魔物にしたって、棒持ち剣持ち弓持ち魔法士が混在して仲良く暮らしている。オークやオーガも然りで、瘴気溜まりでもあれば、そいつらが狂ったように襲い掛かってくるようになるわけだ。
伝説になっているようなドラゴンなんかは知らないが、狩ったところで大した素材も手に入らない。宝箱なんて物も出てこない。強いて言えば、誰かの遺品が宝だろうか。
より良い生活を求めるのであれば、誰だって迷宮に入ることを選ぶだろう。私だってそうする。そうしてきた。
しかしながら、だからといって迷宮にかまけて在野の魔物を放っておいていいというわけではない。
全ての冒険者を養えるほど迷宮のキャパシティは大きくないし、魔物が普通の生物であるかどうかは知らないが、あいつらは食物連鎖の上の方に居るため、増えて、力を蓄えて、そこに何かの考えがあるかも知ったことではないが、時に人や家畜、そして街などを襲うわけだ。
そしてこの世界には、そういった在野の魔物が増えに増えて、村や町や国や大陸を飲み込んで魔物パラダイスとしてしまう現象がある。それがスタンピードなどと呼ばれていて、それが今、北大陸で割と深刻な被害を出しているのだと。
それを何とかしてこいなどと吐かしているのだ、このおっさんは。現地の戦力では抑えきれない規模のそれを。冗談じゃない。
数年前、北の王都で大量発生した魔物を間引いたことがあった。西大陸から港町へと向かう最中でも、オークか何かがやたら増えて、道中の町がてんやわんやだったと耳にした記憶がある。多少魔物が増えることなんて、別にそう珍しいことでもない。よくあることだ。
だからかつての北の王都……ガルデは、騎士を増やして備えようとはしなかったのだろう。あれが予兆だったかどうかは知らないが、特に問題ないと判断して。
(問題あったわけだ。迷惑なことだね、ほんと……。そのお陰でソフィアはヴァーリルまで一人旅をしなくて済んだわけだけど──)
騎士も兵士も抱えておくにはお金がかかる。問題が起きてからこうして冒険者をかき集めた方が、きっと安上がりなんだろう。迷惑な話──いや、冒険者にとっては喜ばしいことなのかな。食い扶持は増えるわけで。
「それで、何が湧いているのですか? ゴブリンやオーク程度なら、その辺の冒険者で何とでもなるでしょう」
「アンデッドや瘴気持ちの群れだ。ゴブリンやオーク、ウルフ種から……オーガやキメラは群れていて、レイスやリッチの類も報告されている」
「──在野に? 北大陸で?」
「北大陸で……だ。発生源は大陸中部で、そこから全土に広がっているとのことだ。お陰で大陸間の流通は止まっていないのだが、それも時間の問題……という判断を下さねばならないほどの、規模であると」
超頭痛そうにしてる。別にルナが頭を抱える必要もないと思うんだけど……。所詮は他所の出来事だ。対岸の火事でしかないだろうに。
北大陸は割と清潔な土地のはずだ。私は瘴気持ちを探すのに苦労したし、瘴気溜まりの清浄化には力を入れていると──あそこのギルマスのおっさんは言っていたはず。
おまけに野良レイスや野良リッチなんて見たことがない。迷宮の死層ならともなく、これは在野の魔物の話だ。
「はぁ……面倒くさいことですね──それで、依頼の内容と報酬は?」
「請けてくれるか!」
ガバッと身を起こして、助かったーみたいな表情を浮かべているが、まだ早い。
「それは報酬次第です。わざわざ出向いてタダ働きすることにでもなれば、貴方方の命はありませんよ。ルナはいくら出すのですか?」
余裕綽々の表情で、優雅にお茶を頂くわけだ。リューンちゃんのお茶、おいちい。
「ぐっ……」
私は一級冒険者だ。超お高い女だ。それにそもそもギルドに限らず、国や権力者ですら私をこき使う権限はない。こき使いたかったら相応の態度と、支払うべき対価というものがある。ここで私が慈善事業の真似事をしてしまえば、他の同級の冒険者に迷惑がかかるかもしれないし、下手したら恨まれかねない。きっちり毟る。
ルナの両ギルドもきっと、北大陸のどこかで依頼を請けて、お代はそちらでどうぞ、としたいのだろうが……そうはいかない。ルナからも毟る。
下手したら滅びかけている町や国が、報酬に大金支払えるとも限らない。私は善人でも聖人でも、世界を救う勇者などでもないんだ。金だ。金を出せ。
分不相応な邸宅を買わされたせいで、今は私の懐事情も寂しいのだ。無論北で依頼を受ければそこからも毟る。もうあれだな、どれだけお金をかき集められるか試してみてもいいな。今は貯金や仲間達の稼ぎで普通に食べていけているが、魔石を換金するところまで追い込まれたくもない。
「魔導船は上等級の十人部屋を取ってもらいます。もちろん経費で、往復分です。──それで、ルナは私に何を依頼し、対価をどれだけ用意するのですか? 仮に請けたとしても、私は依頼だけをこなして成果を持ち帰るのみです。気を利かせて余計なことはしませんよ」
こういう時は微笑んでみるのだ。円滑なコミュニケーションには、伝達、傾聴、そして笑顔が欠かせない。
私の笑顔はリューンちゃん曰く超可愛いらしい。おっさん達に見せるようなものではないが、なーに、これはサービスというやつだ。これでも見た目は若い女だ、嬉しいでしょう?
だがなぜだろう、このおっさんは、まるで悪魔でも見たかのような表情を……苦々しい顔を向けてくるのだ。




