第二百三十二話
うちのちび助ことハイエルフのアリシアと、同じくハイエルフのリューンとフロンとの間で、どのような話し合いが持たれたのかを私は知らない。
「教導の期限は二年。三度雪が溶けたら、私達の手を離れてもらうことになった」
「ソフィア達の修行もその辺りまでの約束でしょ? ちょうどいいかなって」
「ご、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんっ! よろしくお願いします!」
うちの少年少女たちのレポートに目を通した翌朝のティータイムの折、同居人が一人増える旨を伝えられた。ちび助は相変わらずガチガチになっているが、いじわるエルフに虐められたんだろうか。ここまで全てエルフ語なので、わんこ達が話に入ってこれずにそわそわしている。
「構わないよ。魔導具の件を忘れないでいてくれれば、私からあれこれ言うことはないから。頑張ってね」
「ありがとうございますっ! 精一杯頑張りますっ!」
大人しい系かと思ったが、元気っ娘の素質もあるんだろうか。まぁ無理せず頑張って欲しい。私も頑張らないといけない。
「──という感じで記述されているんだけど、どこか分からないところがある?」
「……全部分かんない」
「うーん……これ、かなり簡単な術式なんだけど……」
私が魔法術式をさっぱり理解できないことは鍛冶を習う前にリューンも思い知ったとあって、うるさく私にお勉強しなさい! と言ってくることはこれまで一度もなかった。
なかったのだが、ここの構築を自力で行えるようになれば、アリシアの先生をやっているリューンを捕まえて、魔石型の術式をその都度確認してもらう必要がなくなるわけだ。うちの子達の剣を作り直す際に授業を中断させまくったのが申し訳なくなったので、自分でも本腰入れて学んでみるか! と思い立った。
思い立ったら即行動だ。共通語学の後に魔法術式の講義を入れてもらい、真剣に取り組んでみたのだが……まるで理解ができない。
「えっとね、これ──ここからここが刃先の鋭利化に関する記述でね、魔力の制御はこれと、これと、これと、これと、これでね、これをここと、ここと、ここと、ここでね、制御して──」
「……ごめん、最初のここからここ、からもう意味が分かんない」
「……諦めたら? 正直、向いてないと思うよ」
匙を投げられた。言葉には乗せないけど、馬鹿なんじゃないの? 的な視線が突き刺さっている。こういう態度を取られることは初めてだったので、正直ショックだ。リューンちゃんに見捨てられるなんて……私はもうダメかもしれない。
「──この記述によって魔力の属性を識別し、火石と赤石の魔力のみを通すように指定しているわけだ。同時に流入量の制御も行っている。それがここだ。少しややこしく見えると思うが、分解してみるといい。分かりやすくなる。ここが破損すれば熱を撒き散らすだけのゴミになるわけで、それを避けるためには極力負荷を与えぬようにせねばならない。そのためにここを──」
「ふむふむ……安全弁と魔力の識別とキャパの制御をまとめて……。ん? ねぇ、こことここの記述が違うのは、どういった理由によるもの?」
「いいところに気がついたな。これらは──」
「ちょっと! どうしてフロンの説明なら理解できるの!? 私があんなに丁寧に優しく手取り足取り教えてあげてもちっともさっぱり分かってくれなかったのに!」
エルフが吠えた。うるさいからあっち行ってて欲しい。今いいところなんだ。
「お前の教え方が悪い。姉さんは馬鹿ではないぞ、きちんと教えれば理解できる頭をしている。いいから黙ってろ、今いいところだ。──ここの差異についてだったな、それはだな──」
お姉ちゃん大好き。もうフロンのお願いなら、私なんでも聞いちゃう。
リューンに捨てられて消沈していた私を救ってくれたのは、当家きっての頭脳派、魔法師のフロン先生だった。
リビングで一人お茶を飲んでいた私を部屋に招き、未稼働の暖房を教材にして懇切丁寧に講義をしてくれた。これが転機となる。
魔法とは、といった本当に基本の基本、常識の部分から始まり、魔力について、属性について、術式について、その種類をと、丁寧に一つずつ、段階を追って根気よく説明してくれた。
徐々に理解ができるようになる。理解ができれば楽しくなってくる。フロンもきっと、教え子の理解が深まることでやり甲斐が出てきたのだろう。ちび助の語学教室をリューンに押し付け、迷宮行きも控え、それからも毎日のように魔法術式の教師役を請け負ってくれた。
私もあまり詳しくはないが、コンピュータのプログラム言語にもいくつもの種類があったはずだ。似たようなもので、魔法術式の記述式にも色々と種類があった。
ようはあれだ、漢字は分からないけどひらがななら理解ができるとか、そんな感じ。
リューンがメインに扱っていたそれは私にはまるで理解ができなかったが、フロンが扱えるいくつかの言語の中の一つがなんと、私の頭に合致した。一般には使われていない古い記述式の一つとのこと。これが《意思伝達》……《意思疎通》? とにかく、それらによって言葉として理解できるようになった。
なってしまえば問題ない。まだ簡単なことを教わっている段階だが、なぜなにどうしてができるくらいの会話ができるくらいにはなるのはすぐだ。
ある意味、これも語学教室と言えるだろう。魔法言語をものにしてしまえば、私単独でも魔法や魔導具の製作をすることができる。後は語彙を増やせばいい。
「こんなの想定できないよ……何でよりにもよって、こんな化石みたいな記述式に適性があるのよ……」
できた。暖房魔導具! 板に術式を描いて、ナイフで回路を彫って、浄化赤石を乗せてスイッチを入れれば……熱を発する。
できた! できた! 魔導具! 超嬉しい!
「化石とは随分な物言いだな。全ての記述式はあまねく、ここから別れた一枝に過ぎん。これこそが、言うなれば魔法の本質だろうが」
今までも散々作ってはきたが、それらは全て、指示された模様を刻み込んでいたに過ぎない。自分の頭で考え、一から術式を刻んで現象を発現させることができた。この感動はちょっと……言葉にできない。すごい。ヤバイ。暖房だ。熱を発してる。適温の、いい感じの熱を放出し続けている。これはすごい。宝物にしよう。
「そうだけど……なんで一般的な記述式が全部分からないのに、古代エルフ語が読めるのよ……意味分かんないよ」
リューンちゃんがボヤいているが、私はそれどころではない。興奮が冷めやらないんだ。
私がこの世界の生まれではないことをフロンは知っている。私が他所から召喚された人間であるということ、女神様と邂逅して力を引き継いだことを、彼女は時間遡行の際に夢として見たと言っていた。
言葉が──エルフ語が通じることも、口には出さなかっただけで、過去から疑問には思っていたようだ。当たり前だと思う。
共通語もエルフ語も無勉強で最初から理解ができた。ならば、より言語に近い記述式であれば、すんなり理解できるのではないかと……聡明だね。探偵だね。もうフロンには頭が上がらない。
古代のエルフが用いていた、現代のエルフ語とはまた異なる理から成る言語。古代エルフ語。私が今記述しているのが、これだ。
次元箱から取り出した浄化赤石を薄い板状に変形させ、そこに暖房の術式を刻み込んでいく。彫る必要はない。頭に思い浮かべれば、その通りに『変形』で溝ができる。
その記述を以って回路と成し、冬場の寒さを適温に維持できる程度の熱量を発し続けるように設定して、最後に『変質』の術式で魔石の性質を変化させてしまえば──。
「──何なのこの子……ズルすぎる……」
「何を言う。自分で術式が書けなかっただけで、やっていることはこれまでと変わらないではないか。些か……呆れが混ざることは認めるが」
魔石のみで構築された、暖房魔導具が三十秒かからずに完成する。慣れればおそらく十秒切る。リューンはドン引きしており、フロンも軽く……ちょっとだけ、引いている。
「……えへっ」
「えへっ、じゃないわよ! もうっ……」
試しに同じ物をもう一つ作ってみる。今度はスイッチも設けた。簡単にオンオフの切り替えができるが、これは使っていれば小さくなってしまい、術式諸共機能しなくなるだろう。
「とは言え……これが最良というわけでもないのか」
「そりゃそうだよ! 古いものが、失われたものが一番良いだなんて、そんなことはないんだよ! 使われなくなったものにはそれなりの理由があるんだよ!」
リューンがやけに食って掛かってくる。そんなにふんすふんすしなくても、リューンちゃんはすごい。知ってる知ってる。
違うものもあるのかもしれないが、現代に伝わる記述式は、古代の言語を元にして、改良に改良に改良を重ねてきた……魔法師達の歴史そのものだ。
効率が違う。洗練されている。五十年前と現代の自動車を……内燃機関を比較して……性能がいいのはどちらか、言うまでもない。
構成されている鋼材からして質が違うわけだ、勝てっこない。
(けどまぁ……これを研究して、改良していったらいけない……なんてことはないよね)
というか、現代の魔法術式は……フロンの教えでちょこっとだけ分かってきたけど、私にはまるで理解ができないといって差し支えない。これを使って頑張るしかない。