第二百三十話
見た目相応に若いハイエルフの女の子、アリシアと名乗った。
本名だったのでほっとした。偽名だったら叩き出しているところだったわけで、小さく安堵の息が漏れたのは、きっと気づかれていない。
東大陸からルナへとやってきたはいいものの、迷宮で引率者が死亡して、天涯孤独の身になったらしい。その辺りの事情は詳しく聞くつもりはない。
(国に帰れば家族はいるのかもしれないけど……何か帰ったら殺されるとかなんとか、リューンが言ってた気がするんだよな……何なんだ、ハイエルフの国って)
言葉の事情は納得してもいいが、わざわざ旅に連れ出して……何になるんだろうね。穏やかにお茶っ葉を育てて暮らすのはダメなんだろうか。
うちのお風呂は頑張ればすぐに沸く。うちの聖女ちゃんが超頑張って、食事を調達して戻ってきたペトラちゃん共々、先にまとめて風呂に叩き込んだ。洗濯物もあるだろうし。
言葉は通じなくても頑張ればコミュニケーションは取れるはずだ。なんでもかんでも私を当てにされても困る。これも経験の一つになるだろう。
「あの、サクラさん……申し訳ありません、このようなことになってしまって……」
止められたはずだ。そうすることもできたはずだ。そうしなかったということは、そうしたかったのだろう。
優しい子達だ。全くもう……お姉ちゃんは嬉しいよ。
「ハイエルフのこと、どのくらい知ってる?」
「不勉強でお恥ずかしいのですが、ほとんど何も知りません。彼女は……ハイエルフなのですか?」
「そう。ハイエルフは特に問われない限り、自分からはそう名乗らないものらしくてね。エルフより長生きをする種族なんだけど、外見で区別をつけるのは難しい。彼女達は故郷ではエルフ語だけで生活していて、旅に出る際にエルフ語を理解している引率者……大抵は国外にいるエルフだね、それと一緒に世界を回って共通語を初めとした様々な事柄を学んでいく。言葉を覚える前に引率者がいなくなれば……彼女みたいなのが出来上がるってわけ。きっとそう珍しいことでもないよ、私も過去に会ったことがある」
君達もよく知っているエルフのことだ。
「先程話されていたのは、エルフ語なのですね」
「そう。ただ私は、多少会話ができる程度の練度でしかない。共通語の読み書きを仕込めるほど、これに熟達しているわけではないんだよ。──フロンかリューンにでも頼む必要がある。二人への紹介までは私が請け負った。後は彼女と彼女達次第だよ」
「ありがとうございます。お手数をおかけしてしまい……」
「驚きはしたけど……まぁ、いいよ。大したことをしたつもりも、するつもりもないし。後は君達と……彼女次第だ」
人の縁なんて、どうなるか分からないしね。案外長い付き合いになるかもしれないし、ならないかもしれない。
そんなことは神様にだって、きっと分かりゃしないんだ。
割と長いことお風呂にこもっていた三人が出てきてから、少し遅めの昼食を頂くことにした。家から割と近いところに店を構えているパン屋さんの、サンドイッチの盛り合わせだ。お昼の定番となっている。
遠慮しないで好きに食べるように伝えると、夢中でパクつきだしたのが愛らしい。着ている服は聖女ちゃんの部屋着かな。こうして三人で並んでいると、妹が一人増えたようにしか見えない。また金髪が増えてしまった。
まだ借りてきた猫というか、口数少なく静かに食事をしている。仕方がないことだろう。食後にお茶を飲んでうとうとし出したのも、これまた仕方がないことだと思う。
「お姉さん、ど、どうしましょう……?」
聖女ちゃんの肩に頭を預けて眠ってしまった。仕方ない仕方ない。耳が潰れているけれど……痛くないのかな。
「好きにしたらいいよ。ペトラちゃん、毛布取ってきてあげて」
「はーい!」
ミッター君もいつの間にやら部屋着に着替えてしまっている、迷宮になんて行ってる場合じゃないね。私はちょっと用があったんだけど……行ってる場合じゃ、ないんだよなぁ……いつ帰ってくるか分からないし。
視線で助けを求めてくる枕わんこをガン無視しながら本を読んで時間を潰し、日が落ちる前に家の中の明かりを灯して回っていると、玄関から人の気配を感じた。すぐさまリビングに戻って、お仕事帰りのエルフ組を出迎える。
「おかえり。ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
「──ふむ。あれか、先達に捨てられた口か」
流石にフロンは話が早い。話をするまでもなかった。一目で答えに至るとは、やはりハイエルフは探偵なのかもしれない。
リューンも即座に察したようだ。憐憫と、他に色々と混ざった複雑な表情を浮かべている。リリウムはちびエルフを見やって首を傾げていた。
実は私も首を傾げたい。よくこの娘がハイエルフだって分かったな。私も初見から、なんとなくそんな気がしていたんだけど。
「迷宮で死別したらしいよ。ソフィア達がギルドで拾ってきたんだけど、共通語がまだダメみたいなんだ。後でこの子が頭下げに来ると思う」
よほど疲れていたのか、はたまた度胸があるのか、ちび助は昼食後からずっと聖女ちゃんを枕にして眠り続けている。ご飯食べるかな、それくらいは面倒見てあげてもいいんだけど。
「言葉は……そうだね、サクラじゃキツイよね」
キツイんです。勉強してもいいんだけど……優先すべき事柄が他に山積みになっている。
「二人共忙しいのはよく知ってるから、私からどうしてこうしてとは言わないよ。一宿一飯を提供するのが精々だ。──それで、夕飯どうする?」
「焼き串の旨い店が開いたという話を耳にしてな、食べに出ようと思っていたのだが……次にしよう、適当に見繕ってきてくれないか」
リリウムはさておき、リューンからは特に感じないが、フロンは結構お疲れのようだ。焼き鳥とビールで乾杯! ──といきたいところだったのかもしれない。申し訳ないね、ほんと。
ビールとかエールやら発泡酒だかの違いは私にはよく分からないが、麦酒っぽい、ビールっぽい香りのするお酒は割と普通に流通していて、酒場ではよく飲まれている。
「お風呂は水張ってあるから、適当に沸かし直して入っちゃって。私はご飯買ってくるよ」
「うーん、一緒に入りたいんだけど……ご飯……」
はらぺこエルフをこのままにしておくとあとが怖い。非常食を食べ尽くされてしまうかもしれない。ちゃちゃっと行ってこよう。
「あの、サクラさん……自分が──」
「いいよいいよ、今日一歩も家を出てないし。散歩がてら行ってくる。──そのお店、どこ?」
肉を食べやすい大きさに切り分け、甘辛いタレと絡めて焼く。あるいは焼いてから絡める。料理の歴史なんてものは知らないが、肉に塩を振って食べる文化が始まれば、こういったところに帰着するのは、どの世界でも当然の流れなのかもしれない。
この手の焼串は、何の肉を使っているのかよく分からないという点に目を瞑れば、焼き鳥や豚串とそう変わらず、昔の私も比較的抵抗なく手に取ることのできた料理だ。
竹のような植物系の細く裂いた串に、不揃いの大きさの肉を豪快に刺して、焼いて、タレをぶっかけて……あるいはタレの入った壺にぶち込んで、焼いて……香ばしい臭いが隣近所の営業を盛大に妨害している。お陰でそれなりに繁盛しているようだ。
(これは、三日後に店が残ってるか怪しかったね。今日来て正解だったな)
商業ギルドはこういった飲食店の統括なども行っているようなのだが、まぁ……出る杭は打たれるというか、普通に打ち壊されている店が出てきたりする。
この世界で十年生きてきた私だ、何度も見てきているし、そういったことになる店の傾向も、なんとなく分かってきている。
調和を乱す、出すぎる、若すぎる……まぁ、やりすぎないことが肝要だ。
店舗の前の屋台で、豪快にいい香りを撒き散らすくらい、別にいいんじゃないかと思いはするけれど。よく思われはしないだろう。
きっとこの店はそう長くは保たない。そんな確信に近い感想を胸に秘めながら、大量の盛り合わせを手に家へと帰った。
「店の前で屋台出してたの? それは……ダメかもねぇ。美味しいのに、もったいないねぇ」
「店主は若かったし、ダメかもね。あれはきっと他所から来た一般人だね。三日もすればなくなってると思うよ」
ルナで生活している人種はおおよそ三種に分類できる。現役の冒険者、元冒険者、そして船乗りだ。
この元冒険者というのがルナには相当数いて、かなりの割合を占めているのではないかと思っている。
冒険者をやっていたが、怪我やら何やらで続けられなくなって、武具屋や酒場、飲食店などの生産業や経営業に鞍替えするのだ。
ギルドの職員なども性別問わず、体格が良かったり目つきが鋭かったりする人間が多い。その辺に熊のような体格のパン屋がいたりする。パイトでお世話になっていた宿の店主もそうだったし、きっと珍しいことではない。
そしてそういった連中は大抵、気性が激しく気が短い。営業妨害されれば、正面から乗り込んだり裏で火を付けるくらい普通にやらかす。
どこかで耳にした記憶がある、冒険者なんてものは所詮、無頼の輩だ。世の少年少女たちはあまり冒険者に夢を見ないで欲しいし、そうはならないで欲しい。