第二百二十九話
それぞれ思い思いに日々を過ごしている我が家だが、最も忙しくしているのはフロンで間違いない。
日に多ければ三回、魔石や大根、飛竜の皮を回収するために私を送迎し、己も修練やギルドの依頼で貢献点を稼ぐために、精力的に迷宮に出入りしている。
それだけではない。メガネを始めとした魔導具の研究、術式の調達や改良などに加えて、最近はうちの聖女ちゃんを筆頭とした若者組の鬼コーチ役も担ってもらっている。
これらを併行して、文句一つ漏らすことなく、完璧にこなしてみせるのだから……生力というより、生命力に満ち満ちているな。間違いなく輝いている。
「本当にフロンには足を向けて眠れないよ」
「──なんだ、藪から棒に」
彼女はこう見えてしっかりと休息を取る。食事も睡眠も抜いて延々と工房にこもりきりで生活が破綻するような人格をしていないというのも、もちろんあるのだが、寝なければ魔力が絶対的に足りないからだ。どうやって時間や魔力をやりくりしているのか、本気で疑問でならない。
自己管理を徹底できているので手がかからないというか、心配の必要がないというか。面倒事ばかり持ち込んでごめんなさいというか、感謝しきりだ。
この愛しい友人の手をなるべく煩わせないように、私も努めねばなるまい。こんなことを考えていたのが、フラグになってしまったのかもしれない。
猫がネズミやセミを拾ってくる。よくあることだ。犬が骨やら棒やらを拾ってくる。ほめてほめてーってね。よくあることだと思う。
わんこが……エルフを拾ってきた。決して褒められたことではないのだが、何拾ってきてるの! 捨ててきなさい! とは言えない。私にも経験がある。
ソフィア、ペトラちゃん、ミッター君の三人からなる若者組は、身内の贔屓目を抜きにしても、年齢と人数を考えれば優秀過ぎるほど優秀な冒険者パーティだと思う。
三人共気力と魔力の二つ持ちであり、火山行きには難色を示したものの、生力も日々修練しているお陰かグングン育っている。
私が言うのもあれだが武器もいい。才能と仲間に恵まれているのもあるが、何よりも慎重に一歩ずつ、慢心することなく階段を上がっていくという堅実な方針を共有することができている。
ただ、やはり常々バランス型ならではのバランスの悪さは感じていたようだ。剣士が三人。攻撃系の放出魔法と治癒を備えてはいるものの、膂力は多くの気力持ちとそう変わらず、攻撃魔法の威力は杖持ちの魔法師と比較すれば遥かに劣る。常に魔物一匹を三人掛かりで相手できるわけがない。距離を問わずに力が弱い。
索敵も視力頼みで、距離を問わずに不意打ちに弱い。勝てる相手には危なげなく勝てるが、極端に固かったり、早かったり、遠かったりとする魔物や階層で立ち回るのは、きっと厳しい。これがギースの言うところの、器用貧乏なりに……というヤツだろう。
盾は大小一枚ずつの二枚に増え、それと足場魔法の物理障壁があって比較的堅牢ではある。迷宮中層から出没する、遠距離攻撃を主体とする連中にボッコボコにされて無事に逃げ帰ってこれたのは幸いだったが、これが転機になったのだとは思う。
それぞれの持ち味をより活かす方向に、役割をきちんと分担しようという流れになるのは、当然の帰結だったのかもしれない。
日々修練と試行錯誤を繰り返していたが、人数の関係で大きな転換を図ることは難しかった。
だが、彼らは運命的な出会いを果たす。たまたま言葉の分かる職員がいなかったことで、右往左往していた若いエルフ──ハイエルフと出会った。
「……それで、拾ってきちゃったの?」
朝からしっかりと準備をして迷宮へと出掛けた若者組が、即座に引き返してきたことにも驚いたが、何よりも驚いたのは、咥えてきたのが骨でもモグラでもオモチャでもなく、半泣きになっているエルフの少女だったことだ。ちゃんと着替えていてよかった、客人とか想定してない。
「その……すごく困っていたみたいで、その、フロンさんだったら……その……話ができるかなって、思って……」
拾ってきちゃいました……と。本当に想定していない。
私は知っている。ハイエルフは、故郷ではエルフ語のみで生活し、ある日突然旅に連れ出されて、そこで共通語を学びながら世界を知っていくのだ。
言葉や世界の常識を教えてくれる付き添いのエルフがいなくなれば、意思疎通のできない残念エルフが市井に取り残される。どこかで聞いた話だ。
拾うことを主張したのは癒し系わんこの方だったようだ。この滲み出る聖女ちゃん気質というか、優しさがこの娘のいいところではあるのだが、事情も知らずに勝手に連れてくるのはどうかと思う。付き添いの人、いたかもしれないのに。今頃ギルドでは騒ぎになっているかもしれない。誘拐だー! って。
現在はフロンもリューンも、リリウムまでもが不在にしている。間の悪いことに、ちょうど揃って迷宮に出てしまったところだ。
無理もないことだろう。いきなりこんなところに連れて来られて、ちびっ娘は超おろおろしている。まだ涙は溢れていないが、放っておけば容易く決壊すると思う。
二人とは違って瑞々しい若さが溢れる、正真正銘の少女。美少女ハイエルフだ。
牛革っぽい、よく見る形の胸を覆う部分鎧と革靴。下は短パン、上はこれまたよく見る形の普通のシャツ。腰には短剣が一本と、背後には弓と矢筒。大きめの背負鞄を手持ちにしていたところが、アレとの違いかな。背丈はかなり小柄で、髪はアレとは違ってはっきりとした濃い金髪を、後ろで簡単に縛っている。
(あぁ……本当に……妹は姉に似るのかね)
こんなところまで似ないでもいいのにと思わないでもない。けどまぁ、このまま放置じゃ可哀想だ。誰も幸せにならない。
「ごめんね、うちの子達が勝手なことして。君、ハイエルフだよね?」
違ったら赤っ恥だが、私の口から発せられているのはエルフ語だ。これには多少馴染みがある。この時点でもう決まったようなもの。この娘はハイエルフだ。
「──!」
「この子達はハイの方だとは知らないと思うんだけど、うちにはハイなエルフが二人いるんだ。今は迷宮に出かけていて不在にしてる。博識なエルフだから、彼女達なら言葉が通じるかもと思って連れてきたみたい。困っていたように見えたから、助けようと思ったって三人は言ってる。悪意はないんだ、そこは分かってあげて欲しい。でも無理やり連れてきたことは、私から謝るよ。ごめんね」
少女と一緒にわんこズも驚いている。お姉ちゃんはなんと、意思疎通の力でエルフ語が話せるんです。どやどやー。
(こんなことでドヤ顔しても仕方ないんだけどね。努力して身につけたわけでもないんだし)
これを機に学んでみるべきか。その前に魔法術式──いや、後にしよう。
「君の事情は知らないけれど──昔、付き添いのエルフと死別して……世間に取り残されたハイエルフと会ったことがあるんだ。君はそんなことなくて、単にこいつらが浚ってきただけかもしれないけど、仮にそうだったとしても私は驚かない。余計なお節介かもしれないけど、もし困っているようなら──」
話くらいは聞いてもいいよ。と告げたところで、眼尻に涙が浮かび、盛大に泣き出してしまった。お姉ちゃん既視感バリバリです。
ソファーを勧め、ペトラちゃんに紅茶を淹れてもらってそれを飲みながら、少女が落ち着くのを待つ。
「緑茶の方がよかった?」
軽くからかうようにして笑いながら聞いてみたところ、ブンブンと首を振られて、恐る恐る冷ましながら飲み始めた。
「うちの連中も揃って緑茶を嫌うんだよ。飲み飽きたとか言って。私は好きなんだけどね」
こういう時は雑談から入るといいと思うのだが、中々口を開いてくれない。落ち着くのを待て? その通りだと思う。待とう。私は待てのできる女だ。
「あ、あの……ありがとうございます。お茶」
しばらくして……おかわりを注ごうかどうかといったところで、ようやく声を発してくれた。とても澄んだ、可愛らしい、少女らしい声だ。大人しい系の美少女エルフ声だ。
「気にしなくていいよ。それで、一人? 引率の人がいる? はぐれただけ?」
「いえ、その……お察しの通りです。先日死に別れてしまって……途方に暮れていました。いつもはギルドにエルフ語を話せる職員の方がいらっしゃるのですが……今日は、その……」
アレ二号だ。さっさと帰ってきてくれないかな、夕方まで帰ってこないとは思うけど、願わずにはいられない。
「そうだと思った。前の時も思ったんだよ、共通語を仕込んでから旅に出ればいいのに、って」
性格もアレ系かと思いきや、受け答えはしっかりしていて割としっかり者感がにじみ出ている。フロンとリューンを足して割って小さくした感じか。……いや、そこまで単純な話でもないな。
「確か……その、言葉は変わるものだから……と。そのようなことを、師が……」
確かに言葉も死ぬ。変わっていく。何千年ものスパンで考えれば……いつの間にやらエルフ的共通語が通じなくなっているとかも、あるのかもしれない。
だからこそ、外を知っているエルフに引率を頼んだりするんだろうか。機会があればお偉いさんに、その辺りの話を一度、しっかりと聞いてみたいものだ。
「なるほどねぇ。──それで、どうしたい? さっきも言ったけど、うちにはハイエルフが二人いる。共通語くらいなら、頭を下げれば学ばせてくれるかもしれない。私が教えてあげられればいいんだけど、こう見えて結構多忙でね。彼女達への紹介までなら、請け負ってあげてもいいよ」
私は意思の疎通こそできるが、言葉を教えられるわけではないのだ。それができるうちの年寄り達も忙しいわけで、これは私が勝手に決めていいことではない。それ以前の問題として、そこまで骨を折る義理もない。
「あ、ありがとうございます! 是非お願いします!」
相当切羽詰まっていたんだろう。一も二もなく飛びついてきた。あまりジロジロ見るのもどうかとは思うのだが、装備の手入れも怪しいし、外見も若干煤けて汚れている。苦労したんだろう。一目でそうと分かる出で立ちだ。
どこぞの大陸へと向かうにしても、大金貨の数枚はどうしても必要になる。弓を使うなら矢も買わねばならないし、一人で浅い階層に篭っていても、蓄えを作るのは難しい。彼女にとってはきっと大金だ。
見るからに若い。どう見ても若い。無理をすれば、先達と同じ道を辿るだけだ。
頷く前に、その前に……一つだけどうしても確認をしておかなくてはならないことがある。
「うちは迷宮産出の物品の持ち込みを禁止にしてるんだ。何か持ってるなら、もし共通語を学ばせてもらえることになったとしても、この家じゃなく、どこか外でやってもらうことになる。今回は仕方がないけれど、出入り自体を禁止にするよ」
ここは譲れない。どうかな、と視線で尋ねてみるも、これは杞憂で済んだ。
「魔導具も巻物も何も持っていません弓も矢も、ナイフも違います、荷物の中にもありません」
「嘘じゃないね?」
しっかりと目を見て確認をとる。少したじろいたようだが、しっかりと目を見返して彼女は宣誓した。
「誓います。か、確認して頂いても構いませんっ」
嘘を付いているという感じはしないが……まぁ、持っていたらこうもボロボロになったりはしないか。ここは都会だ。言葉の通じる店でも人でも、探して売ってしまえば干し肉くらいは買える。
「ソフィア、お風呂沸かしてきて。ミッター君とペトラちゃんはご飯買ってきてくれないかな? 五人分、適当に」
話が分からずおろおろしていた三人の方にしっかりと顔を向けてから仕事をお願いして、彼女と再度向かい合えばひとまず話が終わる。
「そっか、なら問題はないよ。今ご飯とお風呂の準備させたから、しばらくゆっくりしてて。落ち着かないと思うけど」
「あ、ありがとうございます……ありが……うぅ……」
そしてまたぐすぐすと泣き出してしまった。きっとこれが安堵の涙だということは伝わったのだろう。お姉ちゃん、別に善人でも聖人でもないんだけど……若者組から注がれている視線が、少々眩しすぎる。