第二百二十八話
「──お、きたきた」
きてますきてます。ガンガンノックしてます。あっけなかったな、すんなりいったのは喜ばしいけれど。ちょっと拍子抜けした。
あとはこれを承認してあげればいい。今断ったらどんな泣き顔を見せてくれるか……。
(まぁ、しないよ。しないしない)
この段階であれば普通に断れるというか、私に選択肢があるようだ。この手法で作れば、万が一無名の品が流出したとしても、勝手に名付けられてしまうという最悪の結果は避けられる。
(髪以外で可能かどうかも試しておく必要があるな……。血とか、爪? 涙? お小水とかどうなんだろう……試すの? やだなぁ……)
現場を想像してみる。──うん、変態以外の何者でもない。聖水なんて呼ぶ業界もあるけれど……忘れよう。
「できた! できたよ! やったよー!」
ジッと祈りを捧げるようにして名付けをしていたリューンちゃんが息を吹き返した。しばらく焦らしてみたが、あまりやり過ぎるとまた泣き出しそうだし、程々のところでね。
エルフ工房の遮音性は完璧なので、いくらでも騒いでも問題ない。見れば、ナイフの上に乗っていた髪の文字は消えている。試しに次元箱にしまおうとしてみたが、できなくなっている。無事私の手を離れたようだ。
「それにしても、またそれにしたの?」
「そりゃあそうだよ! 黒いんだから!」
三代目『黒いの』が誕生した。『黒いの』が二本あってややこしいが、まぁ、気に入ってるならいい。リューンが嬉しそうで何よりだ。
問題は一つ解決したが、最大の焦点はここからだ。
「それ、《引き寄せ》できる?」
「──おぉ!?」
言うや否や、あっさりと床の上にあったナイフがリューンの左手へ移動した。成功だ。驚いた腕ごと動いているが、それだけで簡単に鉄を切り裂けるので、扱いには気を付けて欲しい。
しっかりと私の神力が動いて……ちょっとだけ減ったのを感じる。
(勝手に神力が減るのは新鮮だ。この辺りもきちんと検証しておかないといけないな……)
特に神力が漏れているような感じはしない、しっかりと消化されてるというか、完全燃焼しているというか──まぁ、バッチリだ。
「左手なんだ。私のは指定しないと右に飛ぶんだよ」
「左手にあるのを想像したからかな……? でもこれ、凄いよ……神器みたい」
「神器だろう、正真正銘の」
「おめでとうございます。ホッとしましたわ」
こんぐらちゅれーしょん。リューンちゃん、地味に初神器だな。元祖を握っていた世界は記憶の中にしか存在しない。
リリウムやフロンは複数持っているのだが、リューンには最初の剣以外、何も作ることがなかったわけで……これで戦闘の幅も広がるかもしれない。良きかな良きかな。
珍しくリューンが自分から迷宮へと行きたがったが、流石に夜も遅い。私も眠いので日を改めてからにしてもらう。
そして寝所でガンガン減る神力を前に辟易している。ガンガンは誇張が過ぎるが、消費が極めて軽いとはいえ減るのは分かる。優しく肩でも叩かれているような感じで……とにかく気になって眠れない。
「ねぇ、眠れないから……止めて……」
「え、えへ……えへへ……」
だらしない顔で真上に放り投げては《引き寄せ》るのを繰り返している。冗談抜きで危ないから止めて欲しい、それは十手と違って、普通にリューンをも害することができる。刺さったら痛いじゃ済まない。かすっただけで指の一、二本落とせるし、胸にでも刺されば即死だ。薄いんだから。
「刃物で遊ばないのっ。明日付き合うから、もう寝ようよ……今日は本当に疲れたから眠いんだよ……」
抱きしめて身動きを封じてしまえば済む話ではあるのだが、ナイフで遊んでるイカレ女に迫る度胸はない。私も似たようなことをやって、十手を胸だか腹だかに落としたことがある。心臓に悪いからはやくそれを置いて欲しい。湯たんぽの自覚はどうした。
断髪して、ナイフを打って、名付けをして──濃かった。たったそれだけのことなのに、思った以上に濃い一日となってしまった。
一晩眠って冷静になったのか、翌日は起床即迷宮ではなく、リューン美容院の開店から一日が始まる。
外はまだ薄暗いので鍛冶場に明かりを灯して、お手製のハサミと櫛を駆使して毛先を整えられている。姿見を前に置いておくとリューンの顔が見れて、これは退屈しなくて良いな。
かなり適当に後ろをぶった切ったので、改めて見ると結構酷いことになっている。だがそこは長生きエルフのリューンちゃんだ。可愛く仕上げてくれるだろう。
プロの美容師並とはいかないだろうが、こいつも伊達に年を食っていない。年の功を侮ってはいけない。おばあちゃんの知恵ぶく──。
「……何よ?」
なんでもないよ。
バランスを取って、慎重にちょきちょきと、側面は大胆に。梳きバサミを既に使いこなしているのは流石だと思う。……ハラハラしないで済むのを知っているので、眠くなってしまう。
「もう少し長い方が……?……いや、短い方が……もうちょいもうちょい──できたっ! ほらっ、最高に可愛いよっ!」
それはそっくりそのままお前に返す。鏡だけに。
手鏡との合わせ技を伝授して、後ろも見せてくれる。いい出来だ。普通にボブヘア。切りっぱなしになっているが、そのうち勝手に遊ぶだろう。
見慣れなくて割と誰これ感はあるのだが……まぁ、すぐに慣れる。
「ありがと。可愛くできてるね」
《浄化》を互いの身体と道具に施したところで、頭をかかえるようにして抱き締められた。嗅ぐな。
「どういたしましてっ! じゃあほら、フロン待ってるし迷宮いこ? ねっ?」
急にそわそわし出したな。散髪中はその薄い胸の奥に秘めていた想いが、溢れんばかりになっている。いつもこうならフロンも喜ぶだろうに。
武器に限った話ではないが、道具という物は手に馴染んでからが本番だ。
十手も金鎚も、髪切りハサミだってそうだ。杖もトンファーも、ナイフだってもちろんそうだろう。
そして何事も、イメトレや素振りだけでは分からないことも多い。実地で試してなんぼだ。
というわけでやって来ました大根畑。今も一本の白大根が、刺され、殴られ、焼かれている。
刺しているのはリューンだ。投げナイフをイメージして作ったが、頑張れば近接格闘に使えなくもない。サクサクと大根を切り刻み、時折距離を置いて投擲し、即座に手元に引き寄せ、それをまた投擲し……と、忙しく身体を動かしている。
殴っているのはリリウムだ。ハイエルフの身体強化を使って全力でトンファーでぶん殴りながら、時たま距離を置いて遠当てを叩き込んだり、そのまま突っ込んでグルグルドーンをしたりと、真剣に身体を動かしている。
殴り、焼いているのはフロンだ。一発くらいは誤射かもしれないと、二人が近接しているのもおかまいなしに、バンバンと岩槍と紫色の火玉とを景気良く両手の杖から交互に乱射している。
それを回避するのもまた修練のうちと、リューンもリリウムも文句の一つこぼさない。時折魔力破壊の得物で斬り伏せてすらいる。立派なものだと思う。
私は一人で農家……木こり? 料理人でもいい。皮だけを大雑把に剥いて、残りを《浄化》で魔石にして、それらを次元箱に放り込むだけの作業を階層中で延々と繰り返している。剥いてしまえば簡単に魔石にできることを発見できたのは革命だった。少し小さくはなるが、それでも人の頭蓋より大きな魔石が残る。手に入る。腐敗する大根の量も減る。革命だ。これこそが革命だ。木こりは卒業だ。
愛しい大根達を手当たり次第に傷物にされては困るが、白大根を一本を念入りにしばきあげるくらいであれば……許容範囲内だ。別にいい。たまに岩槍や火玉が飛んでくるのもご愛嬌だ。笑って流せるくらいには機嫌がいい。
「フロンもだいぶ慣れたみたいだね」
「うむ。名付けをしてからというもの……取り回しやすくなってな。楽しくてならん」
それは結構なことだ。名付けをすると、神器は軽くなる。そのままの意味で、重量が減る。これは元祖『黒いの』や『ぐにゃぐにゃ』などと同じ性質だ。
刃物や杖といった得物では基本的に有利に働くことが多いと思うが、打撃武器……トンファーみたいなものは少し勝手が違う。リリウムの単純な攻撃力は、おそらく名付け前の方が高いはずだ。
だがフロンの言う通り、取り回しのしやすさが段違いなわけだ。魔力貫通や霊体干渉の特性も強化されるわけで、一長一短ある。
「リューンも、まぁ……楽しそうで何よりだよ」
「楽しいったらないよ! 戻ってくるんだよ!? お伽噺に出てくる武器みたいだよ!」
階層内くらいであれば、何ら問題なく手元に戻すことができるようだ。遠投なんぞを試していたが、私の神力消費も極々軽微なので、存分に検証し、存分に活用して欲しい。
「それに……ナイフが腰にあると安心感が違うよ」
まだ腰にはないわけだが、鞘は作ると決めている。初めて会った時も、短剣を一本身につけていたし……長年そのスタイルだったのかもしれないね。あの時は子供に奪われていたっけ。
あれが抜かれていなければ、こうしていることはなかったかと思うと……感慨深い。
右手で刀を、左手にナイフを。盾を使うなら左腕に括りつけられそうだし……うん、剣士なのか侍スタイルなのかよく分からないことになってきたぞ。切り裂き魔路線からの脱却は、もう諦めた。
こうして四人ともお手製の神器を握って、やっていることが大根をボコ殴りにしているだけというのは……しまらないけれども。遊んでいるわけではない。これも修練のうちだ。