第二百二十七話
気力は全くといっていいレベルで通らない。神力はほんの少しだけ通る気がするが、これも通らないと称していい。軽く試した限りでは、《浄化》の技法を十全に蓄えておくこともできなかった。だがこれでも神器だ。別に失敗ではない。このままでも普通に使える。
ただ……《引き寄せ》られそうな感じはするのだが、動かない。
床に座り込み、目の前に横たえられた我が子を眺める。念を送る。だが、何も変化は起きない。
「戻ってこようと……動きそうな感じはするんだけどなぁ」
ピクピクと──実際に動いているわけではないけれど──反応はしている。感触のようなものが間違いなく帰ってきている。私本体の神力がもぞもぞと動いているのは感じるんだ。
ただ、ダメだ。詰まっているというかなんというか。頑張ればあと一歩で成功する……みたいな感じではない。スイッチを切り替える手前の、遊びの部分で止まっているような……言葉にすればそのような感じで。
つや消しの、ちゃっちぃ黒色をした……両刃造りのナイフ。薄い柄まで一体成型をしたため、本当にプラスチック製のオモチャのようにしか見えない。弁当にでも付いてきそうだ。
だが間違いなく神器だ。凶器だ。この状態でも『黒いの』やリリウムの裁縫道具一歩手前の切れ味を保有している。
「言葉だけ聞けばなんのこっちゃって話だけど……んー」
力の抜ける名前を付けるという作戦はよかったな。これが神剣スーパーよく切れるソードとかだったら、万が一他人に聞かれた場合「えっ、あれ超切れる剣じゃん」って、一発でバレるもん。殺して奪おう、ってなるもんね。
多少疲れてはいる。お風呂もたぶん沸いている。お腹もすいている。私の分の夕食が用意されているかは分からないけれど。
ゆっくりしたい気持ちもある。あるのだけど……けどけど、ちょっとこれは後回しにできない。あまりにも興味深すぎる。
私の祈りがこの子に届いたのか、《引き寄せ》が写っている感じはしている。全く動かないのであればそれはそれで諦めもつくのだが、反応を返してきているんだ、不思議なことに。このまま捨て置くことはできない。
たぶん成功してるとは思うんだけど──。
(ただなぁ……戻ってこないもんなぁ……どうしたもんか。名付けしちゃってもいいんだけど……)
それで問題が解決するならそれはそれで構わないのだが、名付けって解消できるんだろうか。
できなければ、国宝だのなんだのは全て一人用の……本当の持ち主が死んだら本来の力を発揮できない二級品でしかない。
そしてこの贅沢な一級品は、私が持っていても大して役には立たない。近当てもモドキも通らないなら『黒いの』があるし、刃物は間に合っている。
「贅沢な悩みがあったもんだね」
ある種の保険にはなっているのか。人の物を勝手に持ち出しても十全にその力を発揮できない。海にでも捨てられたらそれまでだが、持ち主は何とかできるかもしれないわけで。
「埒が明かないね、試してもらおう」
名付けしてもらって……それで上手くいけばよし。いかなかったら……鞘を作ってそのまま使ってもらおう。
片付けをして鍛冶場を出れば、辺りはすっかり暗くなってしまっている。
星明かりが微かに周囲を照らしている。遠目に街明かりや港の灯台も灯っているし、それほど真っ暗というわけでもない。家からも明かりが漏れている。歩くのに支障はない。
地球に居た頃はきっと、こんな暗い中出歩こうだなんて思いもしなかっただろうけど……十年も暮らせばこんなもんだ、夜目は利かなくてもある程度は慣れる。慣れますわ。
肌寒くなってきたのは気温の低下によるものだけではない。落ち着かない、後ろ髪がない。引かれない。適当にぶった切ったから、髪型もきっとアレなことになっているだろう。明日は散髪だな。リューンに頼んで整えてもらおう。
「ただいまー」
この家は裏口の類がない。わざわざ玄関まで回らないと家に入れないので、玄関から入ればただいまだ。エントランスも普通に明るい。闇石よりはマシだが、数少ない光石──浄化白石の活躍の場、照明。
煌々と灯っているのは大変に結構なことだが、ずっと暗所に居たために、白い明かりが目にキツイ。間接照明化したい。暖色系で。
「あら、おかえりな……さ……」
「サ、サクラさん……?」
はいはい、サクラですよ。ただいまリリウム、ペトラちゃん。
「ちょ、ちょっと! 何よこれ!? どうしたの!?」
夕飯は用意されていた。皆は既に食べ終えていたが、いつものパンとお肉と、私が好むサラダが山盛りになっている。この量は残り物のような気がしないでもないが、別にいい。野菜は好きだ。野菜を食べる。
皆して驚いている。一様に驚いてはいるが、このエルフほどやかましくはしていない。何やら自分の長髪を触りながら考えこんでいるソフィアは早まらないで欲しいな。
「あとでちゃんと話すよ。明日にでも整えてくれないかな?」
「それはいいけど、やるけど、なんで急に──あーでも、短いのも新鮮でいいなぁ……可愛いよぉ……」
ベタベタとうなじや横顔を触られて大変鬱陶しい。食事中だぞ、後にしてくれ。
それと若者の前で盛らないで欲しい。教育に悪い。
「それで、どうしたの? 何か作ってた物と関係してるの? 失敗して燃えたの? 肌は大丈夫なの?」
食事とお風呂を済ませて、寝室──ではなく、エルフ工房へと年寄り組が集まった。とりあえず話をしておく必要がある。
「ナイフを打ってみたんだ」
次元箱から両刃のナイフを剥き身で取り出して机上に置く。明るいところで見ると……ほんとちゃっちいな。プラ製に見紛わんばかりの、オモチャみたいな薄いナイフ。
「髪をね、アダマンタイトに混ぜ込んでみたんだ」
頭おかしいんじゃないかこいつ、みたいな視線がいくつかこちらへと向く。理由があるんだ。残念な子を見るような目で見ないで欲しい。それは話を聞いてからにして欲しい。
「皆には見せたことなかったかもしれないけど、私のこれは少し特殊なんだよ」
常に身につけている十手を腰の鞘から取り出して、同じように机上に置く。そしてそれを《引き寄せ》てみた。当たり前のように右手に収まる。これは正常だ。
「──転移か」
「似たようなものだね。これは私の前任者……正真正銘、女神様の身体が素体になってるんだ」
皆して驚いている。そりゃそうだろう。
「死亡前まではあの人の残り香がここにあったんだけど、今はもうない。亡骸とでも表現するのが適当かもしれないね。ともかく、これは私の身体の延長線上にあるようなものだから、気力も魔力も神力も、身体に流すのと同じように通るんだ。そして私の一部みたいなものだから……こうして《引き寄せ》られる」
なら。ならば──だ。
「なるほど。姉さんの身体を素体として用いれば──同様の特性を得られるかもしれない、と」
そこは失敗してしまったのだけれど。……量かな。この十手には、広大な泉一つ分の女神様が詰まっているわけで。
「最も祈りを込めたのは、この《引き寄せ》の対象にできないかって部分。気力と神力はほぼダメだった。名付けで変わるかもしれないけど、私の物としては今のところ失敗作なんだよ、これ。ただね──」
私のエルフ。私のリューン。可愛いエルフ。可愛いリューン。
「リューンが名付けて、リューンの元へ《引き寄せ》られるようなことになれば……投げナイフとしてこの上なく優秀になるよねって思って。この形状にした理由が、それ」
無言で飛びかかってきた。この程度の衝撃で体幹がブレるほど柔な鍛え方はしていない。
全身で愛を表現されているが、後にして欲しい。話が進まない。
「あぁん、サクラぁ……好きっ……好きっ!」
「私も大好きだよ。そんでまぁ、名付けと検証をしてもらおうかなって。その後に鑑定もやってもらおうとも思ったんだけど……疲れてる?」
「サクラのお願いなら鑑定の十回や二十回、身が朽ち果ててでも使うよ! すればいいの? もうしていいの? するよ? しよ?」
待て待て。どうどう。
「名付けということは……これ、神器になっているのですか?」
不思議な質感ですね……などと口にしながら、お嬢は興味深げにナイフを眺めている。
「それは間違いなくね。名付けだけで《引き寄せ》られるようになるかはかなり怪しいんだけど……できなくても、リューンに使ってもらいたいな、って」
「──愛が止めどなく溢れてくるよ……!」
盛らないで欲しい。後にして欲しい。
リリウム曰く──。他の神の神器も、私の神器も、名付けに至るまでの行程そのものは変わりなく、同じようにできるらしい。
名付けて名乗って、そこで初めて主従の契約が生まれる。『ぐにゃぐにゃ』と、猫棒ズと裁縫道具。これらは同じように名付けられたと。
「拒まれるなど……わたくしは経験ありません……」
いつものように煽るかと思いきや、流石に自重したようだ。戸惑いと哀れみの混ざった視線をメソメソしているエルフに向けている。
「なんでよぉ……サクラのっ、サクラのナイフ……なんでっ……なんでぇ……」
意気揚々と名付けに入ったリューンちゃんだが、なんと名付けられなかった。プイッっとそっぽを向かれている。何度やっても失敗している。
これは私も想定していなかった。名付けて、もう一声……でいけると思ったのだが、最初の一歩で躓くなんて。
試しに鑑定もしてもらったが、これはまだ無名のままだ。うっかりスーパーなんちゃらソードと命名してしまったわけではない。次元箱にも収納できる。ご主人不在のまま、所有権は私にある。
フロンの杖はもう私の次元箱にしまうことができない。私の物ではないと世界に認められている。
世界……あるいは、そういった事柄を司る神みたいなのがいれば、そいつに。
「契約にも色々ある。贄を、血を、名を──対価を要求するものがな。そういったものは大抵呪物や呪法、そういう負の属性が強い代物だ。姉さんの創作物だ、そういったことはないだろうが……試しに血でも垂らしてみたらどうだ?」
「そういえば次元箱も、血を垂らさないと使えなかったね」
途端、ナイフで掌を躊躇いなく突き刺しやがった。超焦った。過去を懐かしむ暇すらなかった。指先をちょこん、でいいだろう。
「うぅ、これ……でっ! ────あぁぁん、ダメだよぉぉぉ……」
久しぶりに号泣しまくっている。地べたにペタンと女の子座りで、超可愛いのだが、今は愛でている場合ではない。どうしたもんか。
「……血ではなく、髪ならばどうなのでしょう。サクラも血を混ぜたわけではないのでしょう?」
(──ああ、その手があったか。うちの女神様のことだから、ガチの契約には名前や記憶を要求するとか、使徒限定とか、ありえるなー、だなんて……)
考えてしまった。先にこっちに思考が向いた。それは流石に不味い。封印決定となるところだった。これをそのままリリウムに流すほど、私は鬼ではない。
「リューン、髪の毛一本抜いていい?」
「うぅ……いいよ……」
いくら泣き虫エルフとはいえ、こいつには笑っていて欲しい。その前に手の傷を何とかしたい。何とか解決しないと──。
流石リリウム、私の可愛い使徒。私のことをよく分かっている。
毛根ごと引っこ抜き、それを一本柄に巻きつけて──その後の名付けには失敗したが、確かな手応えがあった。私の神格をノックしているのが分かる。ビンゴだ。
「髪の毛は当たりだ。けど、まだ一声足りてないね……」
これは鍵だ。焦点は量じゃない。髪の毛を全て引っこ抜いて、巻きつけてもきっと解決はしない。
巻きつけただけじゃダメだとすれば……燃やしてみるか。制作の段階で一緒に混ぜないとダメだったらもう、どうしようもないけれど。
焼き付けてみれば、あるいは……。
「刻印か……ふむ。契約の一種に血の署名といったものがある。髪で……名前を書いてみたらどうだ」
何かどんどん呪術系統に話が寄って行っている気がする。黒魔術じゃないんだからと言いたいところではあるのだが……やってることがそう遠くはないという自覚はある。フロンも言ってみただけで、これで成功するとは思っていないだろう、きっと。
「名前って……わ、私の? サクラの?」
「お前のだけでいい。所有権をあやふやにするわけにはいかん」
ハサミを取り出して渡す。自分の金髪をぶつ切りにして、床に置いたナイフの上に並べていくめそめそエルフ。本当に何かの儀式にしか見えない。魔法陣でもあれば、リューンが生贄にされる現場だ。
これでダメなら、どうしたもんかね。