第二百二十五話
魔石を集めて迷宮を出て、ギルドから町中を歩き、自宅へと帰る。
お家には明かりが灯っており、帰ってきたなぁ! とはなるが、これでしばらくはのんびりとできる! まずはお風呂だ! ……といかないのが、辛いところだ。
「ええぇぇ……嘘でしょ……」
呆然となる。足下がガラガラと崩れ落ちるような……とまではいかないが、へたり込んでベソをかきたくなる程にはショックな出来事。
大根が本当に腐っていた。白黒問わずに実が腐り果てている。
定期的に狩り集め、成人女性の頭蓋骨を優に越える巨大な浄化蒼石か浄化黒石と引き換えに手に入れられる、モアイ大根。
リリウムが防具製作の練習に大量に消費していたし、私も私で何かに使えないかと日々試行錯誤していた。
おそらく初日に取ってきたものだろう、ダメになっていた。
グズグズになった部位も、これはこれで使いようがあると思ったのだが、あれは腐っていたわけではなかったようで。
生きたまま切り崩した新鮮な大根も、魔石を抜いたことで形が崩れたものも同じように、本当にドロドロに腐りきっている。臭いが少ないのがせめてもの救いか。
「どうしましょうか。表皮は……無事のようですが」
エルフ工房の中で頭を抱える私とリリウム。リューンは苦笑しており、フロンも何やら真面目な顔で検分をしている。
「これはもうダメだな。簡単に燃えるし、私でも素手で繊維を千切れる。魔力を通しても硬化するようなことはない。何か手があるかもしれないが……今すぐどうにかできはしない」
匙を投げおった。実を投げおった。ドロドロになってるのに燃えるのはちょっと面白いが、あー……だ。うー……だ。
「……皮は?」
「皮は普通に使えそうです。ですが、弾力を活かした……靴底などには──」
ゴムとして使う着想があった。馬車の車輪にとか、盾に挟んで緩衝材にとか。全ておじゃんだ。ショックだ……。腐って形の崩れた試作ブーツの姿が物悲しい。
「けど、加工は楽になったんじゃない? 腐らせれば簡単に皮だけにできるし……この厚さなら服にも使えそうだし」
肌触りもいいしね! などとほざ……言って喜んでいるおしゃれさん。服なぁ……服かぁ……。
確かに滑らかではある。腐った実を取り除けば、化繊のような、不可思議な、スベスベ感の一枚布と言ってもいい丈夫な皮が残る。フロンが燃やしているが、燃える気配がない。フロンが凍らせているが、凍る気配がない。
「熱は通すが焦げも凍てつきもしないようだ。ワイバーンの皮膜がお役御免とはならないようで、何よりではないか」
そういう問題じゃない! あー! もー! 笑うなー!
人生そんなに甘くない。まぁ……そういう性質なんだ、仕方がない。ごねてもゴムは戻らない。
それから朝、昼過ぎ、就寝前の一日三回、フロン総動員で徹底的に大根を狩りまくった。魔石を避けて、根本から一撃でスパンと、心を無にして収穫していく。腰をやりそう。
なんて罠だ。普通に使えますよ! ゴムですよ! といった澄まし顔の裏でほくそ笑んでいたのだ。ある程度経ったら馬鹿めっ! と本性を現して、突如として腐り落ちるのだ。冗談がキツイ。糞モアイめ……。皮まで同じことになったら、私はルナを破壊し尽くすかもしれない。
皮を加工するにも『黒いの』並みの切れ味が必要になるわけで、リリウムに作った道具が無駄になるなんて悲しい事態は避けられたのがほんの少しだけ慰めになっている。
採取して即布の加工に移るといかないのが歯痒いが、仕方がない。桂剥きにするのも面倒だ。少しでも実が残っていればそこが腐るし、形も崩れる。
準備は大事だ。備えておこう。空き部屋をいくつか大根ルームとして、そこに使い古しの樽や安い空調魔導具と一緒に放り込んでおく。はよ腐れ。
七人で生活している我が家だが、朝から晩までずっと一緒にいるなんてことは滅多にない。
朝はおおよそ全員いる。お茶を飲むくらいまでは揃っていることが多いが、朝食辺りから各々好きに行動を始める。
私はお茶だけで朝は済ませることが多く、ほとんど何も食べない。鍛冶場に篭もる時だけはしっかりと朝食をとって昼夜は抜くのだが、基本的には昼夜の二食だ。
リューンなどは三食におやつまできっちり食べる。リリウムは基本朝と夜にがっつりと、フロンはおやつと夕食しか食べなくなった、などなど、生活スタイルもそれぞれだ。
昼や夕食も、家に居る人間で適当に買ってきたり食べに出たりと、割と適当にやっている。
掃除は私がパパっと浄化で済ませ、洗濯は手の空いた人間が適当に済ませてしまう。乾燥部屋があるので洗濯物が乾かない! なんてことはない。フロン以外は全員身体強化が使えるわけで、シーツの洗濯もなんのそのだ。
お風呂は夕方沸かして朝の洗濯後に水を抜く。追い焚きはご自由にどうぞだ。入る際は扉に札をかけてラッキースケベを回避している。
そんな感じで特段問題なく、ぬるーくやっているのだが、一つ二つ問題がある。全く手を入れていない庭と、飾り気のない邸内。
「超めんどくさい」
「そうだねぇ……」
もうすっかり秋だ。やがて雪が降り始める。その前に……話の流れで庭を何とかしないかということになった。
花壇には雑草しか生えていない。秋だというのに地面のそれは青々と、伸び放題茂り放題。あまりにも見栄えが悪いが、正直こんなことにかまけている暇はない。かといって庭師を雇うなんて選択肢は最初から存在しないわけで。
庭なんてたまに身体を動かす時にしか使われていない。雑草が生えているから何だと言うのだろう。放っておけばいいと思うんだけど。
「火炎放射器でこう、バーっと焼き払っちゃえばいいじゃん。まだ残ってるよ、あれ」
「そうだねぇ……」
レンガ製作の折に大活躍したフロン謹製の真銀製火炎放射器、全てまだ残っている。フル活用すれば庭を焦土とすることくらい造作もないことだ。
「それにほら、もうすぐ冬だし、放っておけばそのうち枯れるんじゃない? その後でいいじゃん、暖かくなってからで」
「そうだねぇ……」
聞いていない。日向ぼっこするのにちょうどいい、日差しと気温に頭をやられている。黙々と、のろのろと雑草を抜いている。やっぱりこういう作業が好きなんだろうか。頭から花でも咲いてきそうな呆け具合だ。庭に植えてやろうかしら。
「サクラもほら、最近鍛冶場篭もりっきりだったじゃない。ちょうどいいよ、ゆっくりしようよ。たまにはお日様の光にも当たらないと」
そういうことはフロンに言って欲しい。私はちゃんと寝室と風呂場と鍛冶場とで移動している。一日中工房にこもりっぱなしの引きこもりエルフとは違う。
そのフロンは四本目の神杖が完成するや否や引きこもりを脱却し、リリウムをとっ捕まえて迷宮へと旅立ってしまった。若者たちも今日は朝一で出掛けていて、今は二人きり。デートだったらいいなと期待しているが、たぶん違う。
「ゆっくりって……なら中でお茶でも飲んでようよ。わざわざ庭の草むしりだなんて……」
「まぁ、そうだねぇ……」
聞いてない。ダメだこりゃ。
やることは依然として山積みになっている。
フロンの杖は四本目が完成したが、まだ数本欲しいとおねだりされている。魔石が足りない。うちの子達の剣や盾も作り直さなければならない。こちらはほぼ足りているはずだが、大根が腐ったので想定していた仕様を練り直す必要がある。
(それになんか、リューンも盾欲しいとか言ってたんだよな……盾なぁ……)
刀に盾の組み合わせは、私からすれば違和感バリバリだ。二本差しとかなら分からないでもないんだけど、盾……盾……。
ぽけーっとした顔で地面にしゃがみ込み、ぼーっと雑草を抜いては放り投げを繰り返している私のエルフ。髪が地面に付くのも、スカートの中身が見えるのもおかまいなしだ。
「──リューン、髪伸びたね。切る?」
色素の薄い、茶に近い綺麗な金髪。大好きな色。
「んん? あー……そうだねぇ……少し切ろうかな。でも暖かくなってからでいいよ」
髪型をいじったりするのはもちろんのこと、縛ることすら嫌うリューン。同じくしゃがみこんでいる私の方がかろうじて地面に付かないくらいの短さなのは、長々とちょきちょきする切り裂き魔のせいだ。私の方がいつも少しだけ短くなる。
(髪……髪。……髪?)
私の髪。私の黒髪。私の身体、その一部。
後ろを向いて右手に《引き寄せ》てみる。私の十手。この十手は、泉を埋め尽くしていた女神様の身体が元になっている。
この十手は神力を通す。神格者の、後継者の、私の神力を。
この十手は気力を通す。私の、身体の延長線上にある。
この十手は、《引き寄せ》られる。
(──髪か)
試してみる価値はある。一時的に短くはなるけれど……まぁ、そのうち伸びてくる。原価はタダだ。
流石に今からというわけにはいかない、準備と覚悟が必要だ。明日から準備をしよう。そうと決めたら今は……猫じゃないけど、日向でぼっこだ。リューンを眺めてのんびりしよう。
力を抜いて思考を放棄して、雑草まみれの花壇ではなく、頭から花を咲かせよう。ぼーっとしよう。
「いい天気だねぇ」
「そうだねぇ……」
草むしりは……正直どうかと思うんだけど。まぁ、もういいや。平和でよろしい。