第二百二十二話
倒れこみはしなかったが、膝に手を当て、大きく息をついて疲労困憊気味の若い衆。無事一体の水色ゴーレムを倒しきった。今日はここまでだ。
少し早いが、もう割といい時間になっている。時間があるからと言って手間暇掛けた夕食を作るというわけでもないが、疲れを残して明日死んでもらっても困る。
人は割とあっさり死ぬ。盗賊も、リリウムも、私もだ。休息を怠ってはならない。
「先に進むならここで一泊しちゃうけど、どうする? もう戻る?」
「いいんですか!?」
どっちの意味だろう。進みたいっていうなら、別に構わない。元々そのつもりで準備をしてきている。ここは足場がちょっとアレだが、横たわって眠れないわけでもない。
それにまだ、本気のほの字も出していないわけで。
「この先はどんどん険しくなるから、戦わせてあげたり……っていうのは難しいと思うけど」
イノシシワニのような、普通にガブリンチョされたら即死するような魔物が増えてくる。すべての階層がそうではないけれど、剣を抜く機会はほぼないだろう。
それを聞いた上で尚も先へと進んでみたいと言うのであれば、付き合おう。付き合ってもらおう。
この階層は踝くらいまでの水たまりが一面に広がっているフィールドだが、実は端の方に少しだけ、丘のように地面が隆起して水に濡れていない場所がある。四畳はないが三畳はある、その程度の広さではあるのだが。
その辺りは水色ゴーレム達が少しだけ、気持ち多めに陣取っていて、先へと進むだけならわざわざ出向く必要もない。私達も数年前に遡行前のフロンの依頼で、ゴーレムの素体を大量に持ち帰る際に、たまたま見つけたに過ぎない。
「ちょっと湿気がアレだけど……地面があるだけで良しとしよう、贅沢は言えないね」
フロンの土槍で無理やり高床に……という手もなくはないが、床がボコボコするし、硬いし、そのままにしておいた方が無難だ。
「あの、いっぱいいますけど……これ、放っておくんですか? 倒すんですか?」
そりゃあ倒す。盛大に倒す。放っておいてもいいけれど、邪魔だ。倒せば惰眠を貪らない限り生えてこない。生えてきたところでこいつらは何もしないのだけれども、起きたらゴーレムの上でした、なんて展開は避けたい。もしかしたらテントの下から突き破って生えてくるかもしれないな。
「素体が残っても邪魔だから、全部魔石にしちゃうよ」
言うなりひたすらド突いていく。別に若い子たちにやらせ──てもいいな。今日は無理だけど、次があったらやらせてみよう。
ともあれ、聖女ちゃんが間近で見る浄化に超喜んでいる。南でも……見せたような気がするんだけど。
(あれ、あの時どうしたっけ……せがまれた記憶はあるんだけど……)
まぁいい。ほれ、とくと見るがよいぞ。これが《浄化》じゃ。レアぃぞ。浄化魔法とは違うのじゃぞ。言わないけど。
(しかしあれだな、これ魔力に詳しい人が見たら、魔力使ってないってバレるよね……)
《浄化》を浄化の術式に嵌めると近当て化してパーン! となってしまう。見世物にする気は欠片ほどもないけど……やり過ぎない方がいいな。
浄化魔法の術式は何種類かあるみたいだし、どれかが魔石生成と同調しないだろうか。今以上のすっごい魔石を作れるようになれれば嬉しいんだけど。
この辺の道具もきちんと揃えた方がいいのかもしれない。
市販の床敷、市販のテント、毛布は……まぁ、市販品でいいけれど、外から火玉でドーンとやられたら普通に焼け死ぬ。それに硬い床で寝るよりも、ふかふかの寝袋にくるまって眠った方が疲れは抜けるだろう。畳的なマットも欲しいな。
そのうちまた護衛依頼を請けて野宿したりもするかもしれないし、枕を高くして眠れるように、耐火性とか、安眠グッズとか、その辺りの快適装備にも気を配った方がいい。温かい食事がとれるように、料理も覚えるべきなんだろうが。
何でもかんでも自作していかないと、なんでもかんでもできるようにならないと、快適な暮らしはあちらから寄ってはこない。手が足りないなぁ……などと思いはするのだが、不平をこぼしてもどうしようもない。
(──キャンピングカーとか……? 馬車を改造して……)
こっちのが便利そうだな。足場を気にせず眠れるし。
いくら安全な水色ゴーレムの階層とはいえ、全員一緒に朝までおやすみとは、当然いかない。
交替で見張りをやりながら朝までの時間を過ごす。贔屓ではないが、フロンとリューンは明日があるので、見張りは免除で朝まで休んでもらうことにした。
こういう時に心強いペトラちゃんだが、今日はさすがに疲れたのか、退屈すぎて暇なのか、たまに船を漕ぎ、慌てて首を振って、キリッとした顔をして見張りに戻る。そんなことを何度か繰り返している。
「もうちょっとだから、頑張ってね。その後はゆっくり眠れるから」
時間がくればリリウム達と交替できる。持っててよかった砂時計だな。本当に作ってよかった、これは便利だ。手軽に量産できるのが何よりも良い。
「はい……でもうるさくできないし、退屈です……でも、見張りは大事です……」
今にも落ちそうだ。今日は頑張ってたし、仕方がないとは思う。
私も退屈だが、仕事中に魔石をこねくり回して遊ぶわけにはいかない。ここは安全とはいえ、次の瞬間にゴーレム達が何かに目覚めて襲い掛かってこないなんて断言はできないんだ。迷宮でそんな腑抜けた真似できるわけがない。
かと言って身体を動かすわけにもいかない。うるさくすると束縛魔法と火玉のコンボが飛んでくる。逃れられない死が待っている。主に巻き添え食らったペトラちゃんの。
「あの、サクラさん。一つお聞きしたいことがあるんですが」
「何かな?」
退屈で……といった感じではなく、かねてから疑問に感じていただけれども、といったニュアンスで言葉が掛けられる。
「先程も、二十五層の宝箱……放置していましたが、どういった理由があるんですか?」
ある。どういった、こういった、重大な理由が。それを明かすことはできないが、他にも色々あるっちゃある。ありすぎるほどある。
「怖いからだよ」
「怖い……?」
「迷宮産の、宝箱から得られる道具は……大抵はゴミだけど、凄い物が入っていたりもするんだよ」
剣とか剣とかメガネとか。メガネが出てきた時は笑ったなぁ……何で被るかね、ピンポイントで。
楽しかったし、何よりワクワクした。これこそが冒険者の、迷宮探索の醍醐味と言っても決して過言ではないだろう。魔だと分かっていても、あの魅惑は抗い難い。
「ただね、危険でもあるんだ」
「呪われていたりとか……そういった物も多いとは聞きますけど……?」
「そうだね、そういう物も多い。ただそうじゃなくてね──壊れたら、それっきりだから」
ピンと来ないのか、少し悩んでいるような顔をしている。この娘は普段の言動からは想像できないくらい賢いし、少し考えれば答えに辿り着きそうだが、私も暇だしお喋りすることにした。
「例えば、そうだな……ペトラちゃんもソフィアも、たぶん予備の武器って用意してないんじゃないかな。ミッター君には短剣を二本あげたから、あれが一応予備として使えるかもしれないけれど」
私も十手以外の得物を使ったのは、『黒いの』が初めてかもしれない。剣と短剣、槍と短刀、メインとサブといった武器を常に用意しておくことは別に珍しくもなんともない。
「それは、自分で言うのもどうかと思うけど、あれらが必要十分で、それなりに優れているからだと思うんだ。それなりに斬れるはずだし、ちょっとやそっとじゃ曲がらないし、余程のことがないと欠けも折れもしない自負がある。失われる心配は少ない。わざわざ武具屋で鉄剣買って魔法袋に入れておこう……までは考えるかもしれないけれど、それを普段使いにしようだなんて思わないでしょ?」
武具は装備して使ってなんぼだ。死蔵したってなんにもならない。
「そう……ですね、確かに用意していません。これを使わないなんて……考えられないです!」
ペトラちゃんの寵愛を一身に受けているレイピア。大事に大事にされているのがよく分かる。嬉しい。
「迷宮産魔導具には唯一性があって、優れていて、杖持ちの術師が明日いきなり槍使いに鞍替えしても、すぐにそれまで以上の成果をあげられるような……そんなぶっ飛んだ品がある。出る時は普通に出てくるんだ、そんな……奇跡のような一振りが。そんな武器に依存して、それが失くなったら、どうかな。これまでと同じように暮らしていける?」
「替えの利かない良い武器を手に入れる。冒険者の階級が上がったりする。より多く稼げるようになる。名誉も得られる。生活のレベルが上がる。いい物を食べたり、いい服を着たり、いいところで暮らしたり、生活の水準を上げられるようになる。その武器がなくなれば、それができなくなる。今まで倒せていた魔物が倒せなくなる、こなせてた依頼がこなせなくなる、守れていた仲間が、守れなくなる。一番怖いのは、希望や願望と入り混じって判断基準を誤ってしまうことだ。経験を積んだのだから、これくらいなら数打ちの剣でも倒せるんじゃないか。これくらいの依頼ならこなせるんじゃないか……ってね」
想像するのは容易い。生活水準を落とすのは、キツイ。船でこの娘達も震えていたじゃないか、大部屋は地獄だと。もう二度と使いたくないと。
私とて別に贅沢三昧しているわけではないが、水やその日の食事に困っていたり、野宿上等と外套にくるまって門前で眠っていた頃からすれば、信じられないほどの大金をありとあらゆる物に注ぎ込んでいる。
もし《浄化》や《結界》がこの十手の力で、十手を失ってしまったら……私は生きていけるだろうか。そういう話だ。
「迷宮産魔導具も極一部に例外はあるけれど、普通に壊れるんだよ。思い通りに伸び縮みする剣、いくらでも魔物や魔法から魔力の吸収ができる剣、魔力の回復速度を何倍にも早めるネックレス、防御力の高すぎる綺麗なすね当て──思い入れのある防具や装飾品の数々。色々なものを手に入れたし、実際に使っていたよ。魔法袋だって昔は迷宮産出の物を使ってた。頑張ってお金を貯めて買った物も多い。でもそれらは全て、今はもう私の手に残ってはいない。売ったんじゃない、失ったんだよ」
それらと共に、命までも。
「その後は……苦労した。今も苦労してる。あれがあれば、もっと楽に、安全に、余裕を持って強敵とも戦えるのに……ってね」
ワンピース、ネックレス……あの二種があれば、どれだけ無理ができることやら。あったらあったで、私はここまで生力の育成を頑張らなかったかもしれないけど。
「だから私は……私達は、装備を自作することにこだわっている。失っても同じ物を作り直せる環境を重視している。市販品を愛しているよ。いくらでも代替の利く量産品を使い、それらを参考にしながら質を自分たちの手でより向上させることに、重きを置いているんだ」
大事にしてくれるのは嬉しい。リューンも、ペトラちゃんも。私が照れてしまうくらい、各々の剣に愛着を持って接してくれている。
私にとっても我が子のようなものだ。決して軽く扱うわけではないが……これらは所詮、数打ちだ。
アダマンタイトとて不変ではない。白黒大根とてあの性能を永劫維持できるというわけでもないだろう。いつか必ず失われる。不壊の品とて、火口や海溝にでも落としてしまえば拾いに行けないんだ。その時に同じか、それ以上の物をすぐさま用意できること。これが肝要だ。
「それにね……本当に恐ろしい呪い。そういうのも確かに存在する。触れないに越したことない。近づかないに越したことない。視界に入れたくない。一瞬たりとも所有したくない。所有者が自分という事実を認識しただけで、発狂しそうになる。──そんな呪いは確かにある。私はね、怖いんだよ。宝箱が。迷宮産の魔導具が。得体の知れない物が。あの宝箱にはそれが入っていたかもしれない。次の宝箱には入っているかもしれない。開けただけで呪われるかもしれない──ってね。だから私は宝箱を触りもしないし、市販の品も、少しでも疑わしければそれがおおよそ人造品であろうと、絶対に手にしない。そう決めてるんだ」
ナハニア……行きたくないんだけどなぁ……そのうち行かなきゃダメなんだろうなぁ……。嫌だなぁ……。
まぁ、それはさておきだ。そろそろ砂が落ちきる頃合い、交替の準備をしなくては。だがその前に──。
「ソフィアには昔告げたことがあるけど、いい機会だからペトラちゃんにもはっきりと言葉で伝えておくよ。宝箱を開けたいなら開けてもいい。迷宮産の武具や装飾品が欲しければ買っても使ってもいい。そういった物を手にしている仲間を増やしたって構わない。私は君の夢や自由を縛らない。だけどそれは……先に私と別れてからにして欲しいな」
私は、臆病な人間だから。