第二百十五話
冷えきった身体に少しだけ熱めのお湯が心地良い。
金髪組が平然として気持ち良さそうにしているこれを熱いと感じるということは、やっぱり生力の熱耐性がほぼ効いていないんだろう。一晩休めば全快するのか、はたまた気魔力とはその辺りの事情も異なるのか──。
なんて考え事をしていると、視線を感じた。隣のわんこと、いつのまにか近くに寄ってきていたわんこ。二人に何やらじろじろと見られている。
「どうしたの?」
「えっと……その……お姉さんに聞いてみたいことがあって。そのぉ……」
「サクラさん、今……おいくつなんですか?」
きたか。きてしまったか、この時が。
寿命は個体差以上に種族による差が大きい。何千年と生きるエルフや数百年は余裕のドワーフなんてものが存在していて、その混血も多いお陰か、人種の見た目で長生きしていたとしても、別段不思議に思われることはない。
ただ、エルフやドワーフとて老いるのだ。ハイエルフや女性のハーフリングという例外を除けば、多少の個体差はあれど、大抵年寄りは歳相応の姿をしている。ピッチピチで五百歳の人種なんていない。私は少なくとも会ったことがない。
私の見た目は地球の暦で二十歳前半のまま変わっていないが……この世界で言えば、十代後半からギリギリ二十歳になるかどうかといった具合で、下手したら今のソフィア達とそう変わらない。
リューンが私を可愛い可愛い言って可愛い服を着せたがるのは、そういった見た目的なアレもあるんだろうと思う。
──そのうち追い越される。ごまかせない。過去、彼女を連れて行くことを拒んだのには、こういった理由もあった。
「……知りたいの?」
私の外見はエルフ的な要素が一切ない。エルフとの混血です! と強弁するのは難しい。
もちろんドワーフ的な要素もないわけで。となるともう、実年齢を誤魔化すか、話そのものをうやむやにしてしまうしかない。
髪をまとめていたタオルを解く。浴槽に浸かってしまうが、しっかり洗ったし《浄化》もしてある。少しだけ許して欲しい。
後ろから聖女ちゃんを抱きしめ、耳元で囁くように、でもしっかりとペトラちゃんにも聞こえるように声を出す。心なし低い声で、甘く、妖しい雰囲気を出す。頑張れば私にだっていけるはずだ、大人の色香! ある! あるんだ!
「え、えっと……は──」
「私ね、お風呂大好きなんだよ」
言葉を遮ってみる。賽は投げられた、もうやるっきゃないね。
「あ……う……し、知ってます」
抱きしめたまま、肩や太腿をさすりさすりと。地雷踏んだことを自覚させてあげなきゃならない。ちょっと楽しくなってきたぞ。
「どうしてだと思う? 高いお金払ってまで、ヴァーリルでも、ここでも、お風呂付きの家を買った理由。分かるかな? 周囲に誰も住んでいない、静かな家を選んだ理由が」
うーとかあーとかうめき声をあげて、顔を真っ赤にしている聖女ちゃん。超ラブリーだ。食べちゃいたい。
「そういえば、話変わるんだけど。──吸血鬼って知ってる? お伽噺に出てくるよね。若い女の子の血を吸って、ずっと若いまま──ふふっ、怖いね?」
食べたい、食べちゃいたい。そう思い込んで表情を作れば、中々真に迫れるんじゃなかろうか。
「やりすぎたら、そりゃあバレちゃうよね。臭いとか酷いことになるんだ……馬鹿な奴らだよ。でも、バレにくくはできる。掃除を徹底するとかね。知ってる? 人種は雑食性だからお肉は美味しくないんだけど、純血に近いエルフはね、美味しく食べられるんだよ」
お姉ちゃんは今から妹分を捕食します。がぶりといっちゃおう。
「でも、血はね、なぜか人種が一番美味しいんだ。不思議だね。若い、少女の、生き血が──」
チロリと首筋を一舐めしてみると、ひぅっ! っと悲鳴を上げて硬直してしまった。
「私がどうしてパイトでソフィアを連れて行くことにしたか、分かるかな? どうしてペトラちゃんが同行することをすんなり認めたか……分かるかな? ──リリウム、その娘を取り押さえなさい!」
「かしこまりました、マイロード」
おぉ、ノリいいな。後ずさりしていたペトラちゃんの背後に迅速に駆け寄ってがっちりと羽交い締めにしてくれた。
「出会った頃はまだ幼すぎたし、本当はもう少し寝かせておきたかったのだけれど……もう、いいかな」
ワインは寝かせた方が、美味しくなるんだよ、と。身体をガッチリと抑えて、しっかりと目を見つめて、視線を左の首元、頸動脈の辺りにずらす。
「立派に育ってくれて、お姉ちゃん嬉しいよ。ちゃぁんと全部……食べてあげるからね」
そこをですね、カプッっと──。
お風呂だ、悲鳴はよく響く。二人分の悲鳴は超響く。賑やかで大変結構だ。
「──なんてことになるかもしれないから、同性とはいえ妙齢の女性に年を聞いたりしちゃダメだよ」
ボイラーの温度を元に戻してからお風呂を上がった。しっかり温まったが、やっぱり寝ないとダメっぽい。まだ芯が冷えている感じがする。
「き、き、吸血鬼じゃ、ないん……ですか……?」
「どこの世界に鍛冶場で銀を打ったり十字の武器を使う吸血鬼がいるのよ。ニンニク食べるし川だって渡れるじゃない」
さすがに心臓を突かれれば死ぬと思うけど、日の光に弱かったりもしない。臭いは簡単に消せるのでネギ系もよく食べる。割と好物だ。
「髪も黒いですし……サクラは老けませんからね。脅しには見えませんでしたわ」
「ですよね!? ですよねっ!? よかったぁ……顔真っ青だったし、本当に食べられちゃうかと思いましたよぉ……酷いですよぉ……」
解放されたペトラちゃんも半泣きになっている。この世界の吸血鬼は髪が黒いのか。あまりその辺のお伽噺は読んでないんだけど。
リリウムに視線を送ると、察したのか説明してくれた。
「吸血鬼は銀髪か黒髪と相場が決まっていますからね。体温も低かったですし……ふふっ」
──と。
入れ替わりで風呂へと向かったハイエルフ組の後にミッター君も入浴を済ませ、そのまま夕食と相成った。そこで盛大にからかわれたことをリリウムが暴露して、フロンが大笑いする。
「言われてみれば……二人で並んでいれば吸血鬼っぽいかもねぇ。ソフィア、女に年を聞いたりしちゃダメだよ? サクラが吸血鬼だったら本当に食べられてたよ?」
「冗談に見えませんでした……」
リューンにまでいじられ、むすーっとむくれる姿がキュートだ。私はヅカを目指せたかもしれない。
(でもあそこ異常に厳しいって話だしな……ないな。ないないだ)
「まぁ、確かに年を聞くのは感心しない。リューンが相手なら首を切られていたし、私なら丸焼きにしているところだ。以後気をつけるといい」
暗に、私にも聞くなと言っているんだろうか。丸焼きは……嫌だな。
「それで、山篭りはどうだった? 成果はあったのか?」
成果はあった。今後も継続していきたいとは思っているのだが──。
「環境が過酷ですから、集中的にと言うのは……どうでしょうね。距離もありますし、お勧めできないかもしれません」
魔導具でバッチリ対策を練った上で迅速に突破するのが良しとされるような階層だ。身一つで長期滞在するのは……素人玄人問わずにお勧めできるものではない。
一朝一夕に生力育成とはいかない。修行というものはなんであれ、とにかく時間がかかる。せめて家でゆっくり眠れるようになれば、だいぶ話も変わってくると思うんだけど……そうもいかないわけで。
一人なら次元箱という手がなくもないが──。
(やっぱり転移……フロンに打ち明けて協力してもらおうかな……)
《転移》と転移魔法の合わせ技で真の技法に至れずとも、フロンの転移術式が使えればかなり融通が効くようになる。
(技法も……後々になっていたけれど、いい加減こっちの検証に取り掛かろうかな。まだ見ぬ先の階層も確認しておきたいし)
迷宮攻略なんてものへの興味は欠片ほどもないが、深部に出没する魔物は可能な範囲で確認しておくべきだろう。
革、角、骨、肉。魔石もそうだ。いつまでも私服に普通の革靴で迷宮に入るのもどうかと思う。
何かいい素材があるかもしれない。何かひらめくかもしれない。いい修練場所があるかもしれない。