第二百九話
数日使って家具や照明といった道具を揃え、私は鍛冶場の、ハイエルフ達は私室に加えて工房の機能を取り揃えた。
これにそれなりの支出をすることになったが、これは仕方がない。フロンの私物が全滅したのは私の責任だ。
最も時間を要したのは結界石の確保。一つ一つ手作業で、窓一つの防虫をこなすのにも四つ必要だ。何百という量が必要になるわけで。
今日はリューンとフロンが冒険者ギルドを経由して迷宮にお仕事に、リリウムと若者三人がこれまた迷宮に修行を兼ねてお金を稼ぎに出向いている。
私は一人でお留守番。ようやく本業の鍛冶を始める下地が整った。
アダマンタイトや真銀、合金用のその他多種多様な金属の原石を取り揃え、浄化赤石を始めとした魔石も……まぁ、それなりの量が残っている。
ヴァーリルの物より数倍の大きさの、槍の一体成型くらいなら軽く可能なサイズとなった魔石炉。赤石の火力に耐え得る性能になっていることは確認済みだ。アイオナで入手した耐火粘土はすこぶる質が良い。かっぱらってきてよかった。
アダマンタイト製の金槌も金床もヴァーリルから持ってきている。タガネもブラシも、必要な道具は全てある。作業着も完璧。準備万端。
ひとまずリハビリだ。リハビリがてら、鏡とハサミを拵えよう。
理髪店といった類の店はもちろんルナにもあるのだが、冒険者はその辺、大抵は自分達でやってしまう。無頓着だったりもする。
店数が少ない上に自宅からも遠い。おまけに千円カットのそれよりも遥かに雑だ。
私とリューンは定期的にいじくり合っていたが、うちの子達はシティーボーイアンドガールズだった為に店に通い、たまにハズレを引いて酷い目にあっていた。
お金も時間ももったいない。ここに暇人がいるとあって、道具を揃えてやってしまうことにした。サクラ美容室鍛冶屋店。ここなら髪の毛も炉に放り込めば消し炭にできるし、浄化でカスも綺麗にできるので始末が楽だ。
そのために姿見──大きめの鏡が欲しいとなりました。
「まぁその前に……鏡になるかどうか試さないとあかんのだけど」
真銀も銀だ。磨けばそれだけで鏡としての機能は持つ。だがそれだけでは、生まれた頃からガラス鏡に慣れ親しんだ私は満足しない。
「とりあえず磨いて真石で覆ってみるか。粉末化はその後でいい」
少し思い出していた。銅板を……使っていたような。ただ銅はおそらく鏡の機能とはあまり関係がない。
まっ平らになるまで磨いた真銀に、綺麗な浄化真石を均一の厚さで貼り付ければ──。
「うん、まぁ……できるわな。いいね。簡単だね」
鏡ができた。めんどくさくて取っ手まで浄化真石で作ってしまったが、割と良い出来だ。
これだけでも十分売り物にできそうだが、少し物足りない。真銀の磨きが足りないし、真石の厚さもちと怪しい。紙やすり……ないんだよなぁ。
やすりが問題だ。目の細かいものはヴァーリルでも全く目にしなかった。荒い物で磨いても仕方ないし、かと言ってこんなもんの研究にかかりっきりになれるほど、今は時間に余裕もない。
(なので、鍛造の過程で綺麗になるよう……叩かなければならないわけだ。いつもこれだ……)
ありがとうヴァーリルのお爺さん。貴方達のお陰で、私は綺麗な鏡を作ることができています。バレたらぶん殴られそうだな。
数枚作ったところで、満足の行く仕上がりの手鏡が完成する。
「研磨も結構楽しいな。仕上がりに思いっきり影響してくるだけあって……これはアクセ作る時にも活かせそうだ。──バレたら絶対に殴られる……」
こんなことの為に秘伝の技術を教えたわけではない! とか言われそう。いや、無言かな。無言で殴られるな。
その都度鍛冶場の埃を除去するために浄化を撒いていくのが手間と言えば手間だが、何とかなる。もう作れる。空調魔導具も設置しよう。
「後はハサミか。リハビリがてら、アダマンタイトでやろう。その前に型を作らないと──」
楽しくなってきた! そうそう、これこそが私の生きる道。真銀やアダマンタイトで鏡やハサミを作って、鍛冶場で散髪をする。
絶対にバレるわけにはいかない。確実にぶん殴られて炉に放り込まれる。私が。
「鏡? これ普通の鏡なの? 魔導具じゃなくて?」
夕方になる頃に炉の火を落とした。しばらくしてただいまおかえりした後に、その辺に立てかけられている鏡に目ざとく気付いたのがフロン。その後にギョッとしたのがリューンだ。
私はいくつか作ったハサミのネジ止めなんぞをやっている。シャキシャキといい音を立てて……きっとよく切れるだろう。
けど和鋏の方が使い勝手良さそうだな……今度作ろう。
「普通の鏡だよ。真銀に浄化真石で膜張っただけ。変質させてないからぶつけないでね」
真石を変質させてしまうと、どうしても若干ではあるがくすんでしまう。製品とするならさせた方がいいのであろうが、売るつもりもないのでこのままでいい。質重視だ。
「これはまた見事な物だな……驚いたよ。こうもくっきりと反射する鏡など、見たことがない」
うちの地元では当たり前のように存在したものだけど、この世界ではそうでもない。透明なガラスの作り方が確立されれば作れそうなものだが、私はそんなもの知らない。そもそも素材は何なんだ、あれは。
まぁ、この鏡の製法はマスターしている。希望があればいくらでも作ろう。
「──安請け合い、よくない……」
いくらでも作ろうと、口に乗せてしまった。吐いてしまったからには飲めない。
ちょっとした騒ぎになってしまった。これは素晴らしい物だと絶賛され、煽てられ、わんこ達からも──洗面所やお風呂にも要るのではないかと説得を受ければ……作らないわけにはいかない。
手鏡と姿見と、おまけに家に設置する大きめな物もいくつか。石が足らんくなる。
リューン、真銀買ってきて! 再び。二つ返事で行ってくれた。
「不思議なものですね……あの石ころが、真っ赤になって……鏡になってしまうのですから」
今日はお客様がいる。この半分エルフは魔石炉の熱量をものともしない。いつものタンクトップとスパッツ姿で、ほけーっと私の仕事を眺めている。
リューンと違うのは、炉のすぐそば、私の近くまで寄って来れることだ。危なくないので私も特に注意はしていない。
「それが鍛冶というものだよ」
知った風な口をきくな! と殴られそうだ。私は技術を仕込まれただけで、心までは伝えられていない。だから鏡を作るわハサミを作るわ、客人を招いて雑談しながら真銀を叩いたりできるわけだ。おまけに職人の聖域で理髪店の真似事をしようとしている。
リリウムは半分ドワーフだけど、馴染みはないのだろう。興味津々といった感じでキョロキョロしている。別に全てのドワーフが鉄を打っているわけではない。ギースもそうだった。
すっかり慣れてしまった。真銀を打って洗って磨いて洗って真石で覆って、完成したそれに布をかけて部屋の隅に立てかける。
準備運動は終わりだ。本題はここから。炉も私も十分温まった。
「暇だと思うけど、本当にずっと見てるの? 本当に丸一日ずつかかると思うよ? 話し相手もできないよ?」
「はい。是非。見ていたいのです」
そこまで言うなら……仕方ない。見ていてもらおう。トンファーができるまでを。
対となる武具の類を、私は作ったことがない。
ミッター君にあげた試製短剣十号君と十一号君も、別に一対の刃物として作ったわけではない。
十手がどうだったかは知らないけれど、トンファーは二本持って両手で扱う武器だ。それくらいは知っている。
せっかく作るのだから、術式を込めた良い物を──となりそうなものだったが、フロンとリューンが杖の術式にかかりっきりになっているのと、まずは普通に使ってみたいとのことで、今回は術式なしの普通の物を作ることになった。
もちろんただ打つわけではなく、浄化真石で霊体干渉を、浄化黒石で魔力貫通を付与する。当然アダマンタイト製だ。
どうせやるなら……真石の方が神器化するかどうかのテストも兼ねることにした。
リリウムと二人で集めてきた、スライムの──至高品の浄化黒石と、幽霊大鬼をしばいて集めてきた、フロンが見たら泡を吹いて倒れそうな量の浄化真石とを自重なしに注ぎ込んでいく。
コツコツ集めてきた希少な素材を、高価な素材を、湯水のように注ぎ込んでいくのはとても気持ちがいい。買い物中毒の人はきっとこんな感じなんだと思う。
アダマンタイトの原石、魔石型、過剰に浄化を篭めてコポコポしている冷却水を二セット分。それと真石と黒石の粉末を余裕を持って四樽分ずつ。浄化赤石は山となっている。数えるまでもない。
まずは浄化黒石で。鍛錬に鍛錬を重ね、折り曲げ、粉末をかけて、畳んで、また叩いて延々と繰り返して、型に嵌めて、冷却水に突っ込むと同時に《結界》で密閉する。
大きさはリューンの剣や『黒いの』より小さいとは言え、やはり日が落ちるまでかかってしまった。とりあえず片方は完成。
「──うん、いい感じ。後でリューンに鑑定してもらってみて。たぶん神器化してる」
数時間ぶりに口を開く。よくもまぁ飽きもせず、リリウムはずっとそばで見ていた。腰を抜かしているのはご愛嬌だ。
若干熱を持っている棒をリリウムに預けてグーッと伸びをする。うっかり名前をつけると名付けされてしまうかもしれないので、ただの棒呼びでいい。
続きは明日だな、ちと疲れた。
だが良い物ができた。感触からして十中八九アレなことになっている。
「わぁ……ありがとうございます! 神器……。嫌な感じは全くしません。やはりあの感じは、他所の神由来の──」
何やらブツブツ言っているが私は残念なことに、その嫌な感じのする迷宮産魔導具の見分けが全くつかない。ルナの町中で『あれですわ! あれ!』とか言われても、本当に少しも、さっぱり分からなかった。
使徒独自の物なのか、あるいは敵対神レベルのアレでなければ、私は感知できないのか。単に鈍いだけなのか……。
「あっ、猫? サクラ、猫! 猫がいます!」
見つかってしまった。握りの部分、その先っちょにいつもの、身体を丸めて眠っている猫を模様としてこっそり彫り込んでみた。この程度の細工はなんてことない。術式も何もないシンプルな造形だったので、ちょっと遊んでみたかった。
「それ好きでしょ? もう片方は……どんな猫にしようかな」
同じものでもいいけれど……伸びか。猫は寝起きに伸びるものだ。それでいこう。ぐるぐる回されても目を回すことはない。
翌日もまた、飽きもせずに朝一から鍛冶場にやってきたお嬢は一言も喋らずに、ずっと、じぃっと、夜まで私のそばにいた。
(リューンの剣が神器化しなかったのは……粉末が不足していたのも一因っぽいな)
真石を混ぜに混ぜたアダマンタイトも、黒石の物と同様にどろーんと緩みきってくれた。油断しきったところを型に嵌めて、水樽に突っ込んで冷やしてしまえば──。
相変わらず物凄い音と衝撃を放ち、冷却水の入った水樽を粉々にした片割れを手渡すと、二度目とあって音にビビらなかったリリウムはキャッキャと喜んだ。こちらもいい出来だ、大事に使って欲しい。
これも感触的にはおそらく神器化に成功している。霊体干渉の上がどのような名前になるかも気になるし、こっちの鑑定の際には同席させてもらおう。効果の如何によっては、リューンの剣も作り直す必要が出てくるかもしれない。
(あの子達の剣も……お化け斬れた方がいいのは当然だけど……過剰かなぁ。悩ましい)
末端価格で億から桁がいくつか上がる量の魔石を費やして出来上がるのが、霊体を切れる剣一本だ。それだけだと費用対効果は最低に近いが、神器ともなれば話は別。
なにせ何を斬っても絶対に刃毀れしない。壊れない。ただそんな高価なものを持ち歩かせたら……ここは冒険者が多い。目をつけられても困る。
魔力破壊も優秀だが、浄化黒石が圧倒的に足りていない。スライムを専有して潰し続けるのは駆け出し冒険者に嫌な顔されるかもしれないし、そもそも何十年かかるやら。三百以上の階層を回って瘴気持ちを根絶やしにしていくという手が使えなくもないけれど……はっきり言って面倒くさい。
(悩ましい限りだね……)
とりあえずお風呂だ。火を落として掃除をして、お風呂に入ろう。
風呂上がりと言えばアレなんだが……ないんだよなぁ。