第二百話
食堂で無理やり食事を詰め込んだうちの子達と、自棄食いでお腹をぽっこりさせたリューンとが宿の別室で眠りにつき、私は引き続き酒盛りをしているフロンとリリウムをそっちのけで、同室で本を読んでいる。
私は別に勤勉なわけではないのだが、知識は力だ。力を身に付けなければならない。快適な暮らしのために、穏やかな人生のために。気力ばかり鍛えていても仕方がない。
(水位の高いところを経由して? ──サイフォンの原理か。こういうのは知られているんだな。理解できる分野のものなら専門書も面白いな)
挿絵なんてご丁寧なものは載っていない。文章から察するに、おそらくこれのことだろう。魔石や術式の力で無理やりなんとかしているのかと思いきや、こういった物理現象も当たり前のように生活に取り入れられているらしい。
私も学生レベルの知識しか持っていないけど……どこかで役に立つかもしれない。当面、お家の下水を排水する際に役立ちそうだ。
(でも、ルナに家建てるのは……どうだろうなぁ。お金稼ぐとなるとほぼほぼ魔石頼みになるし……アイオナからもっと絞りとってくればよかった。なんで三億程度で満足して帰ってきたんだ、私は)
ルナとて建物で埋め尽くされているというわけではないが、利便性の高い一等地なんかはきっとどこかの誰かの所有地だ。郊外はそれほど高くはないだろうが、飲食街から遠いと生活するのに困る。
(料理人を雇う? でもなぁ……。いっそ皆で料理を覚えるか。百年頑張ればそれなりになりそうだ。台所はお湯を沸かすのにどの道必要になる)
一応お料理の本を買ってきてはいるが、過去にギースから貰った家でも、ヴァーリルの家でも、結局台所で食材を利用したことがない。刃物のテストに果物を剥いたくらいで。
こんな私達が料理を……? 想像できないな。お金で解決したい。
でもでも、可愛いエプロンを着けたリューンやリリウムが手料理を作ってくれれば、私はいくらでも迷宮で頑張れると思う。煽てればやってくれないかな。食の問題さえ解決すれば、別に飲食街の近くに家を建てる必要はない。
どの道工房や鍛冶場でそれなりの敷地面積が必要になるわけだし……悩ましいね。
造船所を兼ねるのであれば更に立地に制約がかかる。本当に悩ましい。
翌朝暗い時間からマラソンを敢行したことで、お昼過ぎには丸一日の余裕を持って港町へと到着することができた。
タイムスケジュールは余裕を持って組むに限るね。少年少女とリューンを騙して二日分の距離を稼いだリリウムには後でご褒美をあげなくてはいけない。
ゾロゾロと後ろに六人を引き連れて、先日も訪れた役所で個室の手配をすれば後は自由時間──なのだが、ここで問題が発生した。
「七人部屋も八人部屋も埋まっているのですか? 他の大部屋も?」
ほんの数日前に来た時は空いていたのに。駆け込みで二部屋とも埋まってしまったと言う。がーんだ、がーん。
「申し訳ありません。上等級の十人まで寝泊まりできるお部屋でしたら空きがございます。もしくは部屋が離れていてもよろしければ……三人部屋が三部屋空いておりますが」
──値段を聞いて目玉が飛び出るかと思った。交通費に使うにはいささか高すぎる。
二人部屋も一人部屋も全て埋まっているらしい。悩ましいな、術式刻んだりするかもしれないし、離れるのは……うーん。
お船的にも、十人部屋が空いているよりは三人部屋を三つ空けておいた方が都合がいいだろう、しゃーなしだ。
「なるほど……仕方ありませんね。では、十人部屋をお願いします」
「恐れ入ります。少々お待ちいただけますか? 多少お値引きができないかどうか、上に確認して参ります」
少し待ったらちょっとだけ安くなった。ありがとうお姉さん。それでも結構な出費だけど……いいやもう。
「いくらかかったの?」
こっそり小声で問いかけてきたリューンに無言で指を三本立てる。アイオナでの収入の一割が吹っ飛んだ。恐るべし船……。
げんなりしそうだが、そんな内心を顔に出さないように努めた。この程度なんてことありませんわ、といった澄まし顔で胸を張ってお船の役所を出る。
いいんだ。これは修行を頑張っているうちの子達、それに彼らの指導役や魔導具の開発、術式の改良といったお仕事を担ってくれている皆へのプレゼントだ。
一人当たり大金貨四百枚程度と考えれば、そう高いものでもない。
「じゃあ、後は宿を決めて自由行動でいいかな。ミッター君はその後ちょっと時間くれないかな? 疲れてると思うけど、デートしよう」
「デート……ですか?」
「そう、追加の魔法袋受け取ってきたから。船の中退屈でしょ? ここで足りてない道具とか買っていこう」
新品未使用の魔法袋が五枚増えた。傷が付く前に衣装を着せなくてはならない。彼も時間を見つけてチクチクとやっていたようなのだが、まだ完成品は上がってきていない。
本体は暗い緑色をしたただの袋だ。口を押さえないとひっくり返したら中身が出てくるし、手に持つにしろ身に着けるにしろ、紐は要る。
上質の布や革といった素材は高いし、彼のお小遣いから出させるわけにもいかない。よく知らないけど道具が必要になるのは明白であるし、必要な物を揃えよう。私は黙って財布役をこなせばいい。
「分かりました、そういうことでしたら。ありがとうございます」
お礼を言うのはこっちなんだけどな。裁縫だけはできる気がしない。ちまちまとやるのは苦手だ。
「見て見てペトラちゃん! これ可愛い!」
「いいね! あー、でもこれも可愛い。ちょっと派手かな?」
全員ついてきた。姦しいことこの上ない。おしゃれ着にでも使いそうなヒラヒラの布や服を前にしてリューンやリリウムと一緒にはしゃいでいる。何しに来たんだこいつら。
現在地は港町の布屋だ。問屋なのか、結構な在庫を有する大きな店舗。リューンの御眼鏡に適った、割と良いお店とのこと。
「内側の素材は──そもそも何重にするのが良いのでしょうか?」
「特に制限はないが、あれくらいの品になると、四重程度にはしておいた方がいいだろう。外側は飾っても問題ないが、内側はしっかりとした魔物素材を用いた方がいい。飛竜種の皮膜やイノシシワニの革などが相応しい」
「イノシシワニならあるよ」
北の王都で瘴気持ちを戯れに持ち帰った際に、革を鞣してもらっていた。使われることも捨てることもなく、今も次元箱に放置してある。
一頭分丸々残っているのでそれなりの量だ。せっかくなので提供しよう。財布にでもしようと思っていたはずなのだが……時間があったら端材で作ってもらおうかな。
「それは好都合だ。後はあれを加工できるナイフと針、それと糸だな。ロウ引き糸が必要だ」
「針はないけどナイフはあるよ。糸にロウを塗るの?」
「はい。そうすると切れにくく、長持ちするようになります。専用品を買うというのもありですが──」
すごいな。思っていた以上に詳しい。こりゃ一任してしまって大丈夫だな、私はただの財布だ。飛竜……取ってきてもいいけど、加工が間に合わないよなぁ……。
レザークラフト用の糸やロウ、針や万力? それと型紙といった道具と、雪合戦のご褒美として何に使うのか分からない可愛い系を含んだ布の束とを購入して、早めに夕食をとって宿へと向かった。
まだ出航までに一日あるが、万が一寝坊したりするといけないので、七人で寝泊まりできる大部屋を取っている。
「はい、ナイフとワニ。ナイフはあげるからそのまま好きに使っていいよ」
試製短剣十号君と十一号君だ。ギースの柳刃包丁をイメージして打った、大小の二振り。包丁の予定だったが、一度も使われることなく次元箱に眠っていた。小さい方の十一号君は手作業をするのにちょうどいい大きさだと思う。
アダマンタイト製で魔石型を使ってはいるが、魔石の粉末は未使用で術式を刻んでもいないただの刃物だ。鞘すら作っていない。
そしてワニが……でかい。全長十メートルを優に越える、黒光りした革。《浄化》なしで殴り倒すの苦労したんだよなぁ……。
「随分と立派だな──頭部以外の傷も少ないように見受けられる。これだけでも相当良い値が付きそうだ」
(もしかして蒼石よりも高くで売れたのかな? でもきっと加工した上での話だよね)
北のギルマスのおっさんは大して値がつかないから森に捨ててきていいとか言っていた。鵜呑みにしていたので革は一枚分のみ、奴らは全て浄化蒼石になってしまっている。
まぁ多少割高で売れたところで、捌いて剥いで鞣してとなると、私にできるわけがない。
だが。だが……だ。今後はこういった素材も、なるべく集めていくべきだと思う。
ペトラちゃんによって提起された剣の問題点などもそうだが、私は魔石と金属でしか物を作ることができない。魔導具は別にそれらの素材だけで作られるわけではない。私の耐火レンガも、粘土と土石で作った一種の魔導具のような物だ。
竜の皮でもワニの革でも、角でも骨でも腱でも、必要になりそうなものは収集していった方がいいと思う。その為に解体を……リューンやリリウムにやってもらおう。そうしよう。
私にゃ無理だ。裁縫より無理だ。勘弁して欲しい。
アイオナと違って、町中でも南大陸らしく普通に雨混じりの雪が降り続けている。一息ついたので観光に出かけよう、などという気概のある猛者はいなかった。
乗船前からお裁縫教室が始まったことは自然な成り行きだろう。内側はともかく、魔法袋のおしゃれ着は自分達で作ることにしたらしい。新品を持って行く気満々みたいだけど……いいよもう。新品七枚、一枚ずつ配布しようじゃないか。
ソフィアとペトラちゃん、それにリリウムと、先生役のミッター君の四人がちくちくと一所懸命針仕事に没頭している。これで船の中でも退屈せずに済むかもしれない。
一方のリューンとフロンは術式の改良作業に入った。私が使う浄化魔法の術式を、お手本を元に一から構築してくれている。
私も勉強させてもらおうと同席していたが、五分と保たなかった。やっぱり三千年くらいは勘弁して欲しい。
しばらくぼーっとリューンの真剣な表情を眺めていたが、視線に気付いた彼女がふにゃふにゃになって仕事にならないとかで、私は部屋の隅に追いやられた。
今は二人から距離を取って魔石をいじっている。
(冬は内職に明け暮れる……これが本来あるべき姿だな。マラソンしたりレンガを焼いたり、その工場で戦闘訓練に邁進するのはちょっと違うと思う)
南大陸からルナまではおよそ二百五十日かかるとのこと。おおよそ半年から半年と少し程度だと思う。
おそらくこの世界の一年は四百から四百五十日程度だ。きちんと数えたことはないけれど、地球の三百六十五日よりは確実に長い。
(今までは生きるのに必死でその辺も特に気にせず過ごしてきたけれど……いい加減この辺も本腰入れて調べるか。一日の時間も不明、一年も長い。星の並びも違う。何よりも月がない。不思議だね)
ここは広い太陽系、銀河系に属する星々の一つなんだろうか。この世界を照らしている太陽のような星も、地球から見上げていた星明かりのいずれかだったりするんだろうか。調べようがないけれど、それならそれでちょっと面白い。
私の愛しい女神様の力は、地球の科学の現在をはるかに越えたところにある神様の力で、遠大な距離を無視して一瞬にして私を《引き寄せ》てみせたのだ。
逆のことができれば地球にも行けそうなものだけど、行ってどうすんのって話でもある。宇宙船でこの星を出ても、私は永劫を生きる謎生物のままなんだろうか。
(遭難したら地獄だな、流石に飢えれば死ぬと思うんだけど──)
案外霊体みたいになって彷徨ったりするのかもしれない。でも死んで神力ばら撒いたらどうしようもないな。
まぁ考えても詮無きことだ。太陽扱いしている星は、今日も変わらず東から登って西へと沈んでいく。