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第百九十九話

 

「では、お先に発ちます。後ほど合流致しましょう」

 翌日、早朝からやる気満々のリリウムとペトラちゃん、覚悟を決めたような凛々しい顔つきのミッター君、それに生気のない顔をしたリューンと聖女ちゃんが、やる気組に手を引かれてアイオナから走り去っていった。手を振って見送る。頑張ってね。

 物資はリリウムに預けてある。後は上手くやってほしい。


「さて、やることやっちゃおうか。追いつかないとリューンが拗ねるからね」

「そうだな、さっさと済ませてしまおう。手分けするかい?」

 宿とレンガ工場を引き払って、未納分の魔法袋の受け取りと借りている分を買い取るための支払い。あとはついでに消耗品などの買い物を済ませて……それでおしまいかな。

 追加の保存食もだが、本が欲しい。急な話だったので全く準備していなかった。面白そうなもの、役に立ちそうなものは片っ端から買い漁っていこうと思う。

「なら、魔法袋の件をお願いしていいかな? 私は工場と役所に行ってくるよ。あとで本屋で落ち合おう」

 あのハーフリングの学者さんにはよろしく言っておいて欲しい。

 私はまずレンガ工場だ。火炎放射器や魔石の粉末は回収してあるが、一応掃除をして釜をチェックして……出しっぱなしになっているミンチ製造器やら型などをしまっておかないといけない。残っている粘土は全て頂戴していく算段だ。

 安い物だし持っていく必要もないかと思っていたのだが、ヴァーリルで作ったレンガとアイオナで作ったレンガ、当たり前の話なのだけれども、品質の差は粘土にあったのではないかと……どうして真っ先に思い至らなかったんだろうね。

 邪魔になったら、もったいないけれど捨てるか売るかしてしまえばいい。


 フロンと別れ、最後に見た時よりも明らかに量が増えている粘土を回収して、お世話になった工場内を浄化で清掃して回る。魔導具の置き忘れがないかどうかもチェックしていく。これには大して時間もかからない。最後に釜をチェックして、酷く傷んでいないことを確認して……小走りに役所へ走って件のお偉いさんに返却の連絡をすれば、私のお仕事はおしまいだ。

 所々工場の床が凹んでいたのは見なかったことにしておく。

 自称皇帝のお父ちゃんへの挨拶は……まぁ、不要だろう。お友達というわけでもない。


(さてさて、本屋だ本屋。いっぱい買っていこう。料理と建築と、造船なんかの専門書は……あるかなぁ、あればいいなぁ)

 後は例の如く、神話とかそういった系統の物も仕入れておきたい。うちの名もなき女神様は、一体どこのどなたなのでしょう。

 過去から現在に至るまで、それなりに文献を漁って調べてはいたのだが、さっぱりだ。匙を投げてもいい。別に判明しなくても生きてはいける。だが判明しないことには、私の愛しい前任者の残した神器とやらの在り処に目星をつけることもできやしない。

 在るはずなのだ、どこかに必ず。十手とは別の、あの人の神器が。本人がそう言っていたのだから、見つけて御覧なさいと。

 私の人生は長い。千年かかろうが万年かかろうが、見つけ出して収めてみせよう。こればかりはどこぞの宝物庫に在っていい物ではない。いつか必ず手にしてみせる。

 本屋の店主に苦い顔をされたら、大金貨の束を見せてしまえば一発で黙るのでお勧めだ。別に冷やかしで来ているわけではないので邪魔をしないで欲しい。


 書店でフロンと合流し、互いにしばらくの間無言で本選びに没頭していたが、あらかた見繕い終えたので、まとめて支払いをして店を後にした。

 私にとってはそれなりに満足のいくラインナップであったが、読書家のフロンにとってはそうでもないようで、彼女が手に取ったのは三冊のみ。

「あの本屋、品揃えはどんなもんだったの?」

 リューンのおやつや適当な防寒具などを購入しながら、少し疑問に思っていたことを聞いてみた。上下水道に関するやたら立派な専門書が手に入って私はホクホク顔だ。馴染み深い、蛇口を捻って水が出る……夢が広がるね! これは是非ともお家に実装せねばなるまい。研究が必要だ。

「大都市なりに数は多いが、良くはないな。書籍が欲しければ東大陸……研究都市辺りを当たるのが一番だろう」

 何度か耳にしたことがある研究都市。私の脳内では大学のキャンパスのような情景がイメージされている。正直興味はあるのだが、東大陸というのがネックだ。

 争いが絶えないとか、リューンの実家があるとか、超都会があるとか、世界一大きいらしい迷宮があるとか、何かと興味を惹かれる大陸ではあるのだが、リューンが行きたがらないしな。しばらくは縁がないと思う。

「魔導具の研究では、エイフィスの方が上?」

「ふむ──。そうだな、物の水準はエイフィスやヴァーリルの方が高いと言える。あそこは技術者が学者よりも低く見られがちでな。兼ねる者は水が合えば問題ないが、作りたいだけの連中は大抵耐えかねて他所へ出て行く。それこそエイフィスは『亡命先』として人気がある。私もその口だよ」

 ほお、それは初耳だ。でも言われてみればさもありなん。フロンは迷宮ジャンキーと言うよりは学者、それよりも技術者と言われた方がよりしっくりくる。

「学術研究に重きを置いた都市はいくつもある。仮に興味があったとしても、東に出向くのは……まぁ、止めておくのが賢明だ。最近は特にきな臭い」

 先人の提案には従っておこう、悪いことにはならないことを私はよく知っている。学んだ学んだ。


 用事と買い物とを終えて、時刻はおよそ昼過ぎといったところ。最後に術式をチェックするために魔法屋に寄り道をしてから、我々もアイオナを発つことになった。

 私は修行を兼ねて私服姿だが、フロンは全身モコモコにしてある。

 耳をすっぽりと覆えるような大きめの耳あてを皮切りに、帽子をかぶり、衣服を何枚も重ね着して、靴の先にも布を詰めてある。雪だるまみたいで可愛い。

 こういった装備もいずれは揃えていきたいところだ。耐熱耐寒性完備の全身タイツとか作れないものだろうか。

「じゃあ、何か用があったら適当に身体を叩いて教えてね」

 雪だるまを背負うのはしんどいので、例の如くお姫様抱っこだ。人通りが完全に途絶えた辺りで転移に切り替えて横着していく予定でいる。

「了解した。安全走行でお願いする」

 速度を出した車から投げ出されたら、フロンは死にかねない。その前に結界で囲めるとはいえ、気を付けて走ることにしよう。


 久々のマラソンだが、特に話すことはない。正規に出国して、パラパラと舞い降りる雪の中を軽快に走っていく。

 街道はそれなりに人通りが多い。私が非力な商人だったとしても、寒い中安全に移動することを選ぶのではないかと思う。

 南大陸にやってきた時は結構な数のゴブリンやらオーガやらに終始襲われ続けたものだが、あいつらはどこに消えたんだろう。どこぞに巣でもあるのだろうか。探査をかけてみてもいいが、神力の無駄遣いは避けたい。

(クマみたいに冬眠してるのかな。巣穴に高威力の放出魔法を叩き込めば楽々と神格の糧が稼げる……?)

 そもそも攻撃系の放出魔法で倒しても糧は得られるのだろうか。リリウムが遠当てで殺した瘴気持ちからは糧が生まれていたし、それを私は吸い取れた。ならいけそう? 燃える剣の熱の部分で炙って倒しても? 私の放出魔法とフロンのものと……混ぜて撃ち込んだらどうなるんだろう。

 この辺りも検証が必要だ。必要なのだが……難しいな。そもそも私は火弾といった攻撃系の放出魔法を使えないし、使うつもりがない。向いていない確信がある。

(爆弾みたいな放出魔法でバンバン瘴気持ちを吹き飛ばして神格が育つなら──ゲームの世界だな)

 火炎放射器で瘴気持ちを焼き尽くしたらどうなるんだろう。製作者がリューンやフロンじゃなくて私なら? んー、謎だ。


 人目がなくなった辺りで走るのを止め、認識阻害と探査と転移とを使ってポンポンと移動していく。夕方になる前に合流しておきたい。

 こうして横着をしているとだんだん身体が冷えてくるが、致し方ない。合流予定の町にお風呂があったかどうか、確認しておけばよかった。

 五、六時間程度先に出発していたマラソン組とはその町では落ち合えず、頭に疑問符を浮かべながらしばらく先へと進み、二日目に立ち寄る予定だった町でようやく探査に引っかかった。

 特に入国審査のようなものがあるわけでもなさそうだったので横着して町中に転移して、裏路地でフロンを降ろしてから足で宿へと向かった。

 フロンは雪だるまモードを解除して美人さんが露わになっている。屋内に入ってから脱げばいいのにと思わないでもない。


「随分と走ったね、前の町にいなかったからどうしたのかと思ったよ」

 宿は中部屋特化といった風体の、四人部屋オンリーという……どういう層に需要があるのかよく分からない造りをしていた。

 石造りでしっかりしているし年季も入っているから、それなりに儲かっているのだろうか。二、三人から四人分の料金をふんだくれるとかで。

 そんな部屋の戸を叩くと、椅子に腰掛けたリリウムと、ゾンビのようになった残りの四人がベッドで出迎えてくれた。中はそれなりに暖かい。

「今日余計に走っておけば後々楽ができますから。ソフィアがいれば筋肉痛の心配もありませんし、本当は次の合流点まで夜通し走りたかったのですが──」

 実にいい考えだ。この寒さの中夜通しマラソンをする……私も一度経験しておきたい。

 ただまぁ、まず間違いなくソフィアが潰れる。小声で騙した騙したとブツブツ言っているリューンも怪しい。そしてリューンが潰れていれば、ペトラちゃんもミッター君も間違いなく死んでいる。

 だいぶ生力も増してはきているが、まだまだ卒業には程遠い。

「ルナに着いたら治癒師雇って本格的にやろうか? 治癒師には魔導具持たせておけばいいし」

 火山や氷山地帯を何の憂いもなくひたすら走る。実にいい修練になるだろう。六十層以降まで連れて行くのが面倒だけど、苦労するだけの価値はありそうだ。泊まり込みで数日篭もろう。

「嬉しいですわ! サクラならそう言ってくれると確信していました! 聞きましたかリューンさん、わたくしが正しかったでしょう?」

「……リリウム嫌い」

 私は大好きだよ。存在感を出さないように努めているフロンはどうしたものだろうか。魔法師を走らせても仕方がない気もするけれど──。


 フロンとリリウムの三人で一部屋取り、荷物の整理をしながらまったりとする。火が使えるのでお茶も飲み放題だ。

 アイオナを発つ前に色々と取り揃えてきた。その中の一つを蒸らしていると、露骨にフロンが嫌そうな顔をしているのが目に入った。

「これ嫌い?」

 この世界に来てからというもの、それなりに多種多様なお茶を飲んできた。だがつい先程まで目にすることがなかったこれを、急造の浄化真石急須(きゅうす)に突っ込んで、少しだけ冷ましたお湯をゆっくりと注げば……いい香りだ、懐かしい。急須で飲むのは随分と久し振りだ。

「あー、いや……嫌いというわけではないのだが……それ、リューンの前では飲まない方がいいぞ。というか外に出ているハイエルフは基本的に苦手としていると思ってくれてもいい」

 ただの緑茶なのに、なんだそりゃ。

「どういうこと?」

「それの産地は知らないが、緑茶は地元の名産なんだ。そして我々は……幼少の頃から国を出るまで、延々とこればかりを飲まされ続ける。扶養に入っている限り、水かこれ以外はほぼ飲めないと思ってくれ。酒なんてもっての外だ。稀に好んで飲む奴もいるんだが……」

 あー……なるほど。飲み飽きているのか、理解はできる。

「発酵させればいいのに。フロンもリューンも紅茶は飲むじゃない」

 紅茶も烏龍茶も、花茶だって同じ茶葉から作る。この世界でどうかは分からないけど、きっと同じだろう。緑茶しか飲ませないというのは不思議な慣習だ。

「──法で禁じられている。犯せば死刑だ。あいつらはイカレているよ……」

 げっそりとしたフロンの顔なんて初めて見た気がする。ハイエルフは緑茶に命を賭けているのか。すごい世界だな。

「飲んでみたい気はするね。そこまでするならさぞ美味しいんだろうし」

 網で葉っぱを抑えつつ、木のコップに注いで飲めば、うん、美味しい。記憶通りの懐かしい味だ。また一つ興味が湧いてきたな、東大陸。ハイエルフの国にもいつかは行ってみたい。

「ルナまで流通しているかは分からんが、手に入らないことはないだろう。まぁ……私はこっちがいい。姉さんもやるかい?」

 そう言って良い笑顔で酒瓶を取り出したフロンに苦笑して首を振る。リリウムは飛びついていたが……これがエルフです。信じられません。



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