第百八十一話
「──という訳で、ただいま大変立て込んでおりまして。貴方達はしばらく先日伝えた通りの基礎修練を積んでいるように。今のままサクラの指導を受ければ、三人共間違いなく死にます。ただ、頑張って見違えた姿を見せれば……きっと喜んで、褒めてくれるでしょうね」
リリウムが部屋の外でソフィア達を追い返している声が聞こえる。というか、修行で死ぬ前に、下手したらあの三人共、下手したらこの国を巻き込んで、下手したら……滅ぶ。
ソフィアは助かるかな。……いや、期待しない方がいい。いくらサクラがソフィアのことを可愛がっていたって、きっと諸共だ。ゴーレムと私の区別がつくかも怪しい。仲良くバラバラにされてしまう。
そんな破滅を避けるため、今日も今日とて板を削り、術式を刻み続ける。
この木箱の効果は絶大だ。サクラから漏れ出していた瘴気はきっちりと木箱に、そしてその中に鎮座している浄化赤石に吸われ、それを侵している。
割りと間一髪だった。もう少し判断が遅れていれば……この宿には居られなかったと思う。よく今まで他所から苦情が来なかったものだ。
あぁ、でもこれできっとサクラは助かる。そうすれば、ありがとうっ! って、可愛い顔で抱き付いて、優しく私を──フフ、フヒヒ……。
「妄想していないで手を動かせ。下手したら四百個以上必要になるんだぞ」
木箱の効果は絶大だ。絶大なのだが……この子は……本当にどれだけ瘴気を溜め込んでるのよ……。
木箱はいくつも完成している。どれも正常に機能している。だが赤石が……報告書に記載されているような、瘴石のようにならない。多少くすんで、色が黒みがかって……汚くなっている。その程度の違いしか見られない。こんなものでも普通に浄化赤石として扱われ、売れてしまうだろうけど……それは危険だ。これは確実に処分しなければならない。
そしてサクラから漏れ出る瘴気の量も減らない。濃度もきっと落ちていない。片っ端から吸われてはいるが、止めどなく溢れてくる。漏れ出ている。
フロンの見立てでは、赤石が完全に染まるのに、下手したら年単位の時間を要すだろうとのことだ。
この瘴気吸引箱の数が増えれば増えるほど、瘴気が多く吸い出されていく。百でも二百でも作らないと。吸い出さないと。瘴気を全部。
「フロン達のそばにも多少設置しておいた方がよろしいかと。距離が開くと吸い取られにくいようですし。大型の空調魔導具に組み込めれば便利そうですね。ここいら一帯で、景気良く売れるかもしれません」
そうだ、私達がやられたら……全滅だ。自分の健康にも気を遣わないと。
ちょっとやそっとの瘴気でへたるような身体はしていないが、万全を期さないと。このままではサクラにイタズラすることもできない。
とはいえ、私達も生物である以上、食べて食べて食べて寝る必要はある。浄化で楽をさせてもらうことも今はできない。洗濯物だって溜まってしまう。手が足りない。とはいえ……。
「ねぇ、ソフィア達に──」
今は有事だ。一大事だ。とはいえ。とはいえ……。
「どのように説明するのですか。正直に話せば……ペトラはともかく、ソフィアが大暴れしそうですが」
謎の悪いエルフの魔法師が部屋にやってきて、サクラの意識を術式で封じてしまった。意識が戻るかは分からない。ご飯を買ってきたり洗濯をしてきて欲しい。
……意味が分からないが、私なら何の躊躇いもなくフロンを斬る。フロンが斬られるのはこの際構わないけど、それで箱作りのペースが落ちたら何の意味もない。
「──フロン、腰から上が無事ならいいよね?」
「何の話だ……手を動かせないなら寝てしまえ。雑に作られても困る。チェックしてる余裕もお前の面倒を見る余裕も、私にはない」
「外注しては? 術式を刻んで組み立てているだけのように見えますが」
「この術式は少々厄介でな……かなり緻密な上、応用すればいくらでも悪用が可能だ。外には漏らさない方がいいだろう。そうでなくとも、姉さんに断りなく漏らすのは気が引ける」
フロンの命一つ……いや、他所の職人を巻き込むくらいぃ……。
「……リリウム、このポンコツをベッドに縛り付けろ。こんな奴でも今はいないと困る」
もうダメ。
(──あああぁぁ……もうやめてぇぇ……吸わないでぇぇ……)
私が何をしたって言うんだ。リューンに簀巻きにされて延髄チョップ……をされたかは知らないけれど、とにかく意識を失った。それは分かる。そこまでは分かる。
しばらく意識を失っていて、それが浮上したことも分かる。今は少し頭がすっきりしてるというか、少しモヤが晴れたというか、少しずつ瘴気が抜けていってるのが分かる。
何をしているのかは知らないけど、きっと医療行為なんだろう。瘴気でヤバイみたいなことをフロンが言っていた。瘴気が抜かれているのだから、きっと治療してくれているのだろう。私は狂っていた。おかしくなっていた。それでいい、認めるから。お礼もする。言うから。ありがとう。ごめんなさい。後は自分でできるから。だから、だから──。
(やめてぇぇ……しっ、神力、神力まで吸われてるのおぉぉ! 絡まってるんだよぉぉ……引きずられてるのぉぉ……もうやめてよおぉぉ……)
身体が動けば泣いている。いかなる技法によるものなのかが分からない。少なくとも結界ではない、干渉できない。
意識はしっかりしている。目覚めている。だが瞼が開かない。身体も動かない。何なんだこれは、そのくせ五感が生きているものだから気持ち悪い。まだ涙は流れていない。
(起きてるんだよ! おはよう! お願いだから起こして! 暴れないから! これマジで取り返しがつかないんだって! 死んじゃう! 死んじゃうから! 神力抜けてるのっ、これ続けたら枯れちゃうからぁっ!)
フロンは何やら言っていた。浄化なしで瘴気持ちを倒して嵩増しされた分は、瘴気だとか何とか。それは半分ハズレだ。
増えた分は、瘴気と糧の混合物。黒と白の中間、灰色の存在。
私は黒と灰色を取り込んでおかしくなった。もうそれでいい、おかしくなりました。
そして今、黒と一緒に灰色が身体から吸い出されている。そこまでならまだいいが、灰色に引きずられて白まで一緒に器から出て行ってしまっている。
本当に怖い。いつ終わるか知れないこの状況に、今までで一番の恐怖を感じている。これはきっと、灰色が尽きない限り終わらない。
私の白と灰色、はたしてどちらの量が多いのか……白が勝っても、その時点で黒が残ってたら第二ラウンドが勃発する。
っていうか、白が汚れて全て灰色扱いされてたらおそらくアウトだ。泥中の蓮でない限り、私は死ぬ。
この灰色、少し時間と手間をかければ白になる確信がある。黒の無害化はもっと簡単だ、数分で済む。
っていうかこれはあれか。毎度毎度きちんと自身に丁寧に浄化をかけていれば、ひょっとして防げたのか。
──外から帰ったら手を洗いましょう! サクラお姉さんとの約束だよ!
(瀉血じゃないんだから、これマジでマズイんだって! 本当にもうやめて! 死んじゃうから! ああぁもおおぉぉ、助けてよ、リリウムぅ……)
私の使徒は何をしているんだ。知っている。隣のベッドで眠っている。
(ああああぁぁぁぁぁぁ…………もうダメだ。女神様……私、エルフに吸われて……死にます……)
吸血鬼……いや吸神鬼? 何か滅茶苦茶強そうだな……。
ほっぺでも口でも胸でも、いくらでも吸っていいから、とめて……たす……けて……。
エルフ達は何やら、魔導具を作って私の瘴気を吸っているらしい。今もせっせと量産して、それを私の周囲に設置しているらしい。
空気清浄機とか、掃除機みたいなものだろう。箱とか何とか言っていたけれど、形状なんてどうでもいい。お願いだから止めてくれ。本当に怖い、狂う。狂ってしまう……。
黒と灰色、それと白の量の比較なんてできない。どんな比率で抜かれているのかも分からない。拷問だ。今この時この瞬間も、着実に吸われ続けている。私の生命が。
助けてくれリリウム。もう君だけが頼りなんだ。あのマッドのハイエルフ共は当てにできない。頼むリリウム、気付いてぇぇ……。
普通祈りは神に向けるものじゃないのか。これじゃまるっきり逆じゃないか。私が神の側かどうかはともかく、この世界では、神様の方が祈らなければならないのか。
私の名もなき女神様も、もしかしてこんな気持ちで後継者を探してたんだろうか。腰低かったもんなぁ……。
(私の愛しい女神様──私は今初めて、貴方の気持ちの一端を理解したかもしれません)
このままだと最後の晩餐が……リリウムの指と、砂糖水になってしまう。