第十八話
日が登る前に目が覚めた。何とか眠れたようだ。私も荷物も無事だ。
起き上がると門番の一人がビクリとした。ごめんなさいね。
水袋を浄化してから口を湿らし、そのまま井戸へ向かって水を補給する。携帯食はまだ残っている。
身体を動かし調子を確認する。うん、良好だ。疲労も違和感もない。
明るくなってきたので靴をチェックする。特に問題はない。破れも傷みもしていない。いい子だ。
門番に会釈をして西の門を抜ける。
「おはようございます。どちらまで?」
「おはようございます。走ってきます。……パイトまで」
「なるほど、うんど……パイト?」
「お世話になりました。お仕事頑張ってください」
そのまま村を外壁沿いに移動して南東へ向かう街道を見つけると、私は走りだした。
普段巡航している速度は身体に染み付いている。気力を一定に維持するいい訓練になる。
筋力はそのままに、気力を防御面に割り振り身体的疲労を最低限に抑える。
(いい感じ、何事も修練だ。道も平坦で助かるな、ほぼほぼ真っ直ぐだし荒れてない。それなりに使われる道なのかもね)
バイアルは薬で有名だと言っていた。この道を使ってパイトまで流れているのかもしれない。
そんな事を考えながら二時間ほど走って水分補給だけを済ませる。そして息をつく時間も置かずにまた走り出す。
(身体強化使ってても筋力は成長するのかな)
それなりに周囲に気を払ってはいるが、特に何事もなく退屈になってきた。そのため思考に没頭することになる。
最初の二時間は特に疲労も感じずに走り続けることができた。町にいるときにも一時間ほど走ったと思うが、その時も特に疲労していない。
(思えば明確に疲労したのは、岩場での打撃訓練の時くらい?)
あの時は試行錯誤しながら反動を抑えたが、身体はガタガタになった。気力の身体強化を使えば疲労しないというわけではないはずだ。
気力を覚える前は、泳いだり歩いたりで疲れを感じたし、その後多少なり持久力が付いたような気がしていたのだが、今はさっぱりわからない。
就寝時以外、ほとんど気力を切らないからだ。ギースには可能な限り気を張り続けて生きるよう教えられた。
手っ取り早く比較できるのは腕力なのだろうが……これも迷宮都市に辿り着いてから検証するしかない。
身体強化と言えば、これはあくまでも自力を強化するものだと思うが、気力身体強化と魔力身体強化との関係はどうなっているのだろう。
今回教わることはできなかった、魔力による身体強化。これは気力身体強化と加算の関係にあるのか、乗算の関係にあるかだ。
例えば腕力を一として、それぞれの強化を一・三倍とする。加算関係なら私の腕力は一・六、乗算の関係なら一・六九になる。
この零・零九差は効率に大きく響いてくるはずだ。だが魔力身体強化を身につけたところで、魔力と気力が違うものである以上明確な比較もできない。
消費が数値に現れるような道具でもないだろうか……。その点ゲームは分かりやすい。消費も威力も数字で出るのだから。
つまりどういうことかと言えば、これはただの暇つぶしだ。二時間ほど経ったので水分補給を済ませ、身体の調子を確認だけしてそのまま走りだした。
相変わらず道は平坦で、多少緩やかに曲線を描くこともあるが、道の先が見えないほど曲がりくねっているということもない。
稀に小規模な林のようなものも見えるが、基本的に平地か草原といった感じで変わり映えしない。これは町を出たときから言えることではあるが。
馬や馬車が交通の主要手段なのだから、平地に道を、町を作るのが当たり前なのだろう。
林を神力で探ってみたい衝動に駆られる。どうしよう。聞いても無駄だと思ったので、町や魔物の棲息地の具体的な場所については尋ねなかった。
(そう深くなさそうだし、あんなとこには住み着かないかな。森があったら少し調べてみよう)
何か考えることは……パイトに着いた後のことについてはもう少し後に回したい。他には……国? 宗教? 神? 考えても分からないし、正直、私の愛しい女神様以外の神々に興味はない。ちょっかい出してこなければそれでいい。
国も別に……どうでもいいな。政治体系とか税金とか、興味がないわけじゃないけど……。でも歴史と地理は知りたい。この世界の今と過去。今のことを知っておいて損はないし、過去は特に、女神様について何か分かるかもしれないしね。
宗教については、私の呪いを解けるか否かだけが焦点だ。解除できればもう用はないし、できないのなら二度と関わることはない。
(しっかし『浄化』で呪いが解けないものかね。まぁ、これは私の力が弱いのが問題である可能性の方が高い。作法も知らないし適度に試していこう)
二時間程が経過した。太陽はほぼほぼ天頂にある。水分補給をし、保存食の硬パンと干し肉を齧る。身体強化して食べればそのままいけるが、引きちぎった後は水でふやかして気力を解いて食べた。休憩するか悩んだが、疲労を知るためにそのまま走り出す。
段々と考えることがなくなってきた。六時に出たとして、ほぼ六時間が経過している。
上り坂はなく、速度も変えていないから大体二百四十キロほど進んでいることになる。多少は前後しているだろうが、改めて考えるとおかしいな、車かよ。
(そろそろ眠れる場所……村か町が見えたら止まらないと。お金足りるかな。補充しておきたいけど、魔物いないなぁ)
考えるの飽きてきた、今どれくらい走ったっけ……わかんなくなった。いいやもう。喉が乾いた辺りで足を止め、水分補給をしてそのまま走り出す。
ここにきて嬉しい変化があった。疲労を感じたのだ!
(おお、疲れてる疲れてる。気力を増やせば楽になるだろうけど、このまま進んでみよう)
そのまましばらく走り続けるが、疲れが急激に増していくということはなかったように感じる。
これは体にかかる負荷によるものなのか、気力が減ったことによるものなのか。
(横腹でも痛くなれば分かりやすいんだけど……食後に走ってるんだけどな、身体じゃなくて気力の方かな……まだ何とも言えない)
そのまま水を欲するまで走り続け──これまでの感覚からおおよそ二時間程経っただろう──速度を緩めて足を止める。
「村は? 町は? もう十時間くらい走ってるよね私。ないんだけど……。魔物もいないし」
ひょっとして、パイトの周辺に複数あるだけで、バイアルまでの中継点に使えそうな村は、ない……?
「マジですか……どうしよう、その辺で寝るかな。身体拭くくらいはしたいんだけど、これ以上は暗くなるし走るのは無理だ」
水はまだ残ってるし食べ物もまだある。寒くはならないから凍死はない。危険があるとすれば魔物か野盗の類だけど、ここに至るまで何ともすれ違っていない。
(ん? 何ともすれ違っていない? ひょっとして、道間違えた? でも道あるし……。方角は合ってるはず……)
このまま進むと……暗くなる。魔物の群棲地に突っ込んだら悲惨な目に遭う。最悪死ぬかもしれない。
ここで野宿だと……魔物は襲ってくるかもしれないけど、野盗は……暗くなってからの強行軍でもない限り遭遇はしないと思う。
(木の影に隠れて寝る……しかないか。早めに林にふわふわ飛ばして調べないと)
水分だけ補給すると、近場の林へ向かって走りだした。
林は特に異常を感じられなかった。目で確認もしたが、生き物もいない。特に豊かではないが、それなりに青い葉の茂っている普通の木々が連なっている。
問題は空だ、雨が降ってきた。そりゃ降るよね、草も木も生えてるんだから。
この世界にきて初めての雨だ。初降雨記念日。私は野宿だ。畜生……。
「土砂降りになったら嫌だなぁ……とりあえず来た方向間違えないように木に傷つけておこう。降雨記念日だよ、やったね」
木々で阻まれる雨は少しだ。ずぶ濡れになるのは確定している。しかも悪いことに、何かが近づいても気配に気づけない恐れが。
(同じ雨宿りを志した同士に殺られるかもしれない。この際荷物はいいから、十手と我が身だけはなんとかしないと)
みるみるうちに周囲が暗くなり、雨足も強くなってきた。ギースのポンチョに全てを託す。
(なるべく守って下さい。私と十手と、ご飯を……)
これ以上の活動は不可能だ。大人しく眠ることにする。私、この世界に来てから野宿か倉庫でしか寝てないな。
文明的な生活は遠い。
明くる朝無事目が覚める。十手はある、荷物も腹側に抱えている。身体は濡れているがそう大したことはない。物は盗られていない、身体も無事だ。
道は濡れているが大したことはない。天気も良くはないが雨が降りそうな気配はない。状況は悪くない。ただ、これまでの速度で走ると滑って転びそうだ。水溜りなんかもあるだろうし、少しゆっくり走らないといけないだろう。これも修練か。
身体を動かし食事を取る。今日は五時間半程度走る予定だったが、とりあえず行けるところまで行くしかない。
忘れ物がないことと来た方向をもう一度確認し、私はパイトへ向かって走り出す。今日中に着けることを願いながら。
そして三十分程走って少し小山を上り……緩やかに曲がった道の先から大きな都市が見えた。
町の至る所に大きな岩場のようなものが点在し、その周囲に建物が多く並んでいる。区画は雑で、計画的に作られた町であるとは思えない。
つまりあの岩場が迷宮で、その周囲に並ぶのがそれ目当ての人間向けの施設で、あの都市がパイトなのだろう。
(つまり、私は後少し走っていれば……。いや、到着は夜になっていたし、どの道雨中を走るなんて結論は下さなかった。いいんだ、もう)
こうして、これまでで一番強い疲労を感じてその場に座り込んだ。
うちの女神様はきっと、悪戯が大好きなのだろう。