第百七十八話
微妙な空気でお風呂を上がり、昼食兼夕食を取って宿に戻り、さてお話の続き……といきたいところなのだが。
「特に話すこと……もうないよね? まだ何か聞きたいことがある?」
「あるにはある。だが……四人で話した方が良さそうなことも多いからな。拠点については二人には話していないのだろう?」
私の意思──港町に惹かれていること、鍛冶場が欲しいこと、瘴気持ちと戦い続けたいことなどは、まだ周知していない。
というか、金属を打てることはリューンしか知らないし、魔石をいじって遊んでいることはフロンにまだ言っていない。港町に居を構えたいと考えていることはフロンに今し方告げたところで、賛同を頂いた。当然リリウムもリューンもこの話は知らない。
とりあえず四人で集まって会議をしなくてはならないな。迷宮とかは後だ。うちの子達にはひたすら走っていてもらおう。
「急ぎになるけど……アイオナに向かおうか? 今ならまだ、二人共起きてるだろうし」
冬の盛りも近いが、まだ日は落ちていない。今からなら……まぁ、数分で着く。私でも、フロンでも。
「そうだな、それは構わない。しかし姉さん、もしかしてこの寒い中……走ってきたのか?」
違うんだなぁ、これが。
「……ズルいぞ。何だこれは……」
荷物をまとめてフロンの宿を引き払い、港町の裏路地でお姫様抱っこして、認識阻害転移でぽんぽんぽんっと転移を繰り返せば……はい、アイオナでーす。
「うちの女神様は多才でね。ただ迷宮に出たり入ったりはできないんだ、一長一短あると思うよ。かなり疲れるし」
「それにしても……いや、言っても仕方ないな……どちらかと言えばこの認識阻害結界の方が──」
転移や次元箱は便利だし、探査なしで魔物を探そうなんて考えはもうとうの昔に消え失せてしまった。それでもやはり、浄化と結界の二点は、おまけの技法とは比較にならないレベルでぶっ壊れている。
門を素通りどころか直接帝都の外から壁の中に転移して、そのまま宿の近辺まで転移して、受付の目の前を堂々と歩いて、三人で泊まっていた部屋の前まで辿り着く。この間誰一人として私達に気付かない。
流石に直接部屋の中に転移しようとは思わないので、鍵を開けてフロンを部屋に招き入れると……ベッド周りに結界石が。
「何やってんの、真っ昼間から……」
「密談中か。二人かい?」
鍵をしっかりとかけて……もしかして二人、私がこれの中見えること知らないんだっけ……?
「密談というか……全裸でお医者さんごっこしてる」
「……そうか。──そうか、なるほど、結界の……この程度の、阻害、は……あってないような……ものか」
何かフロンがぷるぷるしてる。この感情はあれだ、怒りだ。
「まぁね。しかしどうしようか、これ燃費重視で作ってあるから、双方向で音も視界も遮断してあるんだよ。向こうがこっちに気付くことはないと思う」
というか、私が結界と浄化の女神の後継者ということは、下手したら……フロンしか知らない。リューンにも言ってないような気がする。察してはいるだろうけど。
「随分と弛んだ生活を送っているようだな──すまないが姉さん、こじ開けてくれないか」
「お手柔らかにね」
外部からはかなり手間をかけないと解除できない仕組みになっているのだが……まぁ、私ならワンタッチなわけで。南無三、ポチッとな。
「違うのっ! これは違うの! リリウムが! リリウムにっ!」
「なんですか、脱げと迫ってきたのはリューンさんではありませんか」
「黙れぇ!! お願いだから火に油を注がないでぇぇ……」
超面白い。修羅場だこれ。爆笑したいが自重している。私が自前の結界で部屋の外への音漏れを防いでいることは秘密だ。
結界石の魔力がだいぶ目減りしていたのは分かっていたが、解除の衝撃で一部が破損してしまった。また量産しておかないと。
さておき、フロンが激怒している。リューンは半ベソで必死に弁明しているが、リリウムは開き直っている。何が悪いのかしら? とでも言いたげに、豊かな胸を張って……大変眼福だ。
「そういえば、お久しぶりですねフロン。随分と早かったですが、事のあらましはお聞きになって?」
「あぁ、軽くな。だがそれは後だ、お前らそこに直れ」
いそいそと結界石を再設定して、外側から起動して……お達者でー。
流石にお説教の現場を眺めているほど悪趣味ではない。頑張れリューン。
ゆっくり時間を使って魔食獣を三匹屠り、日が落ちる前に部屋に戻ると結界石は解除されていた。
何やら難しい顔をしたエルフ三人衆に囲まれてしまう。様子がおかしい。
皆深刻な顔をしているというか。何かあったのかな。
「何、もうお説教は終わったの?」
「あぁ、それは問題ない。ところで姉さん、先に話をしたいんだ。聞かせてもらいたいことがある」
私もそのつもりだが、何だ急に。
「姉さん、神域からここに至るまでの流れと、知り得た事を教えてもらえないか?」
ん? どういう意味だ。
「言ってる意味がよく分からないんだけど……」
「姉さんも遡行しただろう。そこから今この時に至るまで、何をやってきたか。なるべく具体的に教えて欲しい」
何をと言ってもな。色々やってきたけど……何かフロンだけではなく、リューンも真剣な顔をしている。リリウムも難しい顔を。
お説教の後に何か話し合いでもしたんだろうか。
「事細かく?」
「事細かくだ。言いたくないこともあるだろうが、詳らかにして欲しい」
(ふむ。まぁ……いいか)
神格を育成せずに神力をばら撒き続けて一度死に、女神様にやり直しをさせてもらって──。
神格を育てるのに瘴気持ちを倒すのが有効だと判明したこと。瘴気持ちを浄化すると、普通に殺すよりも圧倒的に糧の光が少なくなることも分かった。北大陸の瘴気溜まりに棲息していた瘴気持ちを屠殺して、パイトへ向かって──。
「そうだ、フロンが作れたら作ってもらおうと思ってたんだ。霊薬の資料……まぁ、これは後でいいや」
その後なんだっけ、盗賊に襲われてる商隊の護衛に参加して、北の王都で冒険者になって……。その後聖女ちゃんに見つかって、連れて行くことになって……夏が終わる頃にはパイトから王都に戻ったんだったか。
後は……ソフィアと別れてパイトでフロンの言伝を聞いて、ルナまで走ってリューンと再会して……魔石を集めてヴァーリルへ向かって、また護衛をしながら盗賊を屠って、お化け屋敷を掃除して鍛冶を覚えて? 数年ヴァーリルにいたけど、ソフィア達が来たから南大陸へ向かった。
港町からアイオナまでの護衛はほとんど仕事をせずに、一日だけ『黒いの』のテストがてら働いて……アイオナについてからは日課をこなしながらリリウムとフロンを捕まえて。こんな感じだろうか。
何度か質疑応答を挟みながら、一通り説明してみたが、こんな感じでどうでしょう。
「その日課というのは……信じがたいのだが、魔食獣の討伐と、リリウムは至高品とか言っていたな。その浄化黒石集めか」
「そうだね、素振りとかストレッチとかもあるけど」
「なるほど……。──姉さん、はっきり言うが……狂っているぞ」
「狂ってるって……何が?」
別に気にするような仲でもないとは言え、いきなり人に狂ってるなんて言わない方がいいと思う。
「貴方だ、姉さん。──自覚がないのか。少々不味いかもしれないぞ、これは」
「リリウムは特に……いや、おかしいはおかしいんだけど、そういう意味でおかしいんじゃなくて……」
「おかしいおかしい連呼しないで頂けますか。わたくしは普通です。正常です」
私に言わせれば三人の方がよっぽどおかしいんだが……。何なのこれは。
「私が修行で魔物を倒すのも、魔石を集めるのもずっとやってたことじゃない。ルナにいる時とやってることは変わってないよ」
「違うな、はっきりと分かったよ。今の姉さんは頭がまともではない。まるで別人のようだ。──魔食獣と瘴気溜まり、そしてスライムに接触するのは止せ、取り返しがつかなくなるぞ」
随分と……言うね。神格の育成と浄化黒石──神器の素材集め。共に私には不可欠な作業なんだけど。
「よく聞いてくれ。瘴気というのは、そのままの意味で穢れだ。瘴気に強いまともな生物なんてものは存在しない。瘴気を糧にする生物なんてものも存在しない。あれは麻薬のようなものだ。魔物だけではなく、人やエルフにも瘴気に親和性が高く、それを行使する者がいる。彼らは共通して、例外なく狂っている。程度は違うが決して例外はない。今の姉さんは彼らと同じ、ヤク中のそれだ」
酷い言われようだ。薬物中毒って……フロンも迷宮ジャンキーだろうに。
「姉さんは神域を出た後、浄化を行使できるようになった段階で、それを使うべきだった。思い返してみるといい。盗賊にちょっかいかけて殺して回る……追いかけまわして皆殺しにする。貴方はそんなことをする人だったか? 元来、その手のトラブルには近寄ろうとしなかっただろう」
近寄ろうとはしなかったが、そりゃあ顔見知り……でもないけど、襲われてたら助けるくらいはする。情けをかけたってどこかで誰かを襲うのだから、全滅させるのは別におかしなことではないと思うんだけど。商隊にも感謝されたし。
「リューンから聞いた。ソフィアという少女……以前は頑なに連れて行くことを拒んでいたそうだな。私もそれが正しいと思う。だが、なぜ急に受け入れた? 流されていないか? よく考えて決めたのか? 頭が虚ろになっていないか? 貴方は慎重で臆病な人だ。内情をこうも簡単に明かすのもおかしい」
なぜ……? 育てればいいと、考えて……決めて……。内情は……確かに?
「リリウムを探しに行って、リューンの元へ戻らず、顔も見せずに、連絡の一つも入れず……リリウムと遊び歩いていたそうだな。これが一番信じ難い。リューンもだが、姉さんもリューンのことが大好きだった。私はそれをよく知っている。一番近くで見ていた。──今の貴方は何かに取り憑かれているようにしか見えない。──この短時間の間にどこに行っていた? ここまで臭ってくるようだぞ、その瘴気。一見まともに見えることもあるからたちが悪い。これが正気だと言うのなら、私自らの手で引導を渡してやるところだ」
連絡を……入れなかった? あれ、入れなかったっけ。ともかく、時間があれば魔食獣は狩りに行く。朝狩れなかったけど、さっきは三匹狩れた。明日からは三匹ずつでいいな。
「だがこれが正気だなどとは私には思えない。原因がある。言うまでもないな。浄化せずに大量の瘴気を取り込んだこと。濃い瘴気溜まりに長く身を置き、吸収し、浄化黒石をかき集めていること。貴方の異常はこれらが元になっていると、私はそう判断する。常人ならとっくに壊れている。姉さん、貴方がいくら強かろうが、あれは本来冒険者が単独でどうこうできる相手ではないんだ。魔物ですらないんだ。頼む、魔石にできないなら……浄化できないなら、今後も魔食獣と接触するのは止して欲しい」
魔食獣はなんとかなる。倒せる。あいつらを倒せば神格は育つんだから、倒さないと。そうだフロン、魔物を瘴気持ちにするための薬がね──。
「考えてもみろ。そもそも浄化の神の神格が……どうして浄化したら育たないなんてことになる? 私は見ていないから推測でしかないが……糧になるというその光、浄化せずに倒して量が増えている分は、十中八九瘴気そのものだ。今の貴方は……貴方の神格も、間違いなく汚染されている。対策を講じる必要がある。このままでは本当に、堕ちるぞ」
────。
何が起きたのか分からなかった。急に光の縄に身体の自由を奪われ──これは、束縛魔法? リューン?
「どうしたの? これ、解いて?」
「……ダメ。やっぱり……今の、最近のサクラはおかしい。私の扱い雑だし」
「扱いが雑になったかはともかく、これは中毒患者のそれだ。──連れていくぞ。妹分の不始末だ、姉が責任を取らなくてはな」
「ほんとにもう……私の見てないところでいつもいつもいつも……! どうしてサクラはっ! 私の見てないところでいっつも変なことばっかりしてっ!」
そんなリューンの言葉に言い返そうとしたところで、意識を刈り取られた。