第百七十四話
12/19 編集済みです。
大きな変化はありません。
ハエトリグサが生い茂る雑草区画を突破し、特に何事もなく五十五層に辿り着いたところで今日の移動は終了だ。
皆が身体を休めている間に単独で六十層まで様子を見に行ったが、階層は綺麗なものだった。十八層からは他の冒険者とすれ違ってもいないし……しばらくは安全……かな。そう判断してもいいと思う。
結構距離を稼げたのは嬉しい誤算だった。どこまで進めるかはともかくとしても。
パンと干し肉とを水で流し込み、毛布一枚羽織って通路の壁に背中を預ける。明日も早い……いや、早朝から動くのは無理か。リューンが起きてこないだろう。
「明日は六十層までは今日と同じように走り抜ける予定だけど、六十一層からは殲滅しながら先に進む予定でいるからね。きちんと身体を休めておいて」
なぜアイオナが大規模迷宮に指定されているのか割と疑問だったが、この迷宮は階層に蔓延る魔物の数が、他の迷宮よりも明らかに多い。
しかも、奥へと進めば進むほど、その数が増している。それに伴って階層も広くなっているような気もする。
一直線に出入り口を突き進めば大したことはないが、遠距離から干渉してくる魔物がいるとなれば話は変わる。
正直魔力を弾く外套一枚でなんとかなるような程度では済まないだろうと思っている。岩程度ならともかく、魔法を弾くには《結界》を用いねばならない。近場に密集してないことを願うばかりだ。
そうでなくとも、イノシシワニが何百匹出てくるか……考えただけでもげんなりする。
おそらく普段通りの時刻に目が覚め、同じく目覚めていたペトラちゃんとリリウムの三人でストレッチなどをしていると、ミッター君も起床してきた。
やはり若さなのか、昨日はだいぶ疲れていた二人は、割りと元気いっぱいというか、やる気に漲った顔で素振りなどをしている。
「ねぇ、あのアルマジロ……二人で一匹なら相手できないかな?」
「アルマジロって……五十五層のですか? 一匹に限定して相手してもらうなら危険もないのでは。倒せるかはともかく」
階層は平坦だったし、どこぞから群れが転がり込んでくるということはない。二人も走るだけでは流石に退屈だろうし。
(やらせてみるか。何事も経験だ)
一見なんてこともないような魔獣がとんでもなく厄介だったりする。それを知っておいてもいいと思う。
「ペトラちゃん、ミッター君も、防具装備して集合。身体は温まっているよね?」
ソフィアとリューンは、二人で仲良く肩を寄せ合って眠っている。寝顔は天使だな。
「はいっ。あの……えっと?」
こっちのわんこも大変可愛い。
「魔物相手に身体動かしてみない? 二人共まだ起きないだろうし」
「えっ、いいんですか!?」
しっぽをブンブンと振って目を輝かせている。細剣の出番はないと諦めていたのかもしれない。
「倒せないかもしれないけど、知っておいた方がいいと思うから。在野にもいる種だからね」
この不思議世界は不思議生物の宝庫だが、なんてことなさそうな普通の生物が、不思議要素の塊だったりするから面白い。
この体長一メートルほどの灰色をしたアルマジロ……ダンゴムシのような哺乳類っぽい魔獣は、魔法の名手だ。
「無理をするな! 一度引け!」
「でもぉ! もうちょっとでっ! 当たっ! ──ぐぬぅぅ!」
階層の入り口近くを掃除して、遠くから一匹抱きかかえて連れてきたこの子が彼らの先生を務めてくれている。
アルマジロの魔物ともなれば、球状に丸まってゴロゴロと突進してくるファイタータイプを想像しそうなものだが……この子達は生粋のガーディアン。
こと物理障壁に限って言えば、竜種にも匹敵する硬度のそれを行使する。
「しかし、見事なものですね……あれ、小さい障壁を重ねているのでしょう?」
ペトラちゃんの素早く鋭い突きの連打も、全て逸らされ、弾かれている。背中側だというのに……どうやって察知してるんだろうな、これ。
「そうだね。紙を何度も何度も折り畳んで、厚さを増したようなもの……ってイメージでいいよ」
それを自身の周囲、斬撃や突きに合わせてピンポイントに展開してくるのだからたまらない。少しずれれば届くのに、その少しが果てしなく遠い。
そして普通ならこれの相手に熱中している間に、危機を察知した仲間がゴロゴロと駆け寄ってくる。そうなればもう諦めて帰るしかない。
本体もそれなりに硬い。腹や顔面はそうでもないが、それ以外の硬度は迷宮中層レベルを逸脱している。
よくよく見れば可愛い顔をしているのだが……それがペトラちゃんを余計に煽っているのか、随分とムキになってまぁ、可愛いなぁ。
幸いなことにこの子達は大抵眠っているし、その上比較的温厚で、爪は非常に鋭いが手足が短く足も遅い。転がって集まってはくるが勢いも別になんてことはなく……よほど気を抜かなければ怪我をするようなことにはならない。
──ただ瘴気持ちだけは別だ。あれは些かやんちゃが過ぎる。
「背が低くて戦いにくいですー! あーもぉぉっ!」
「それは確かだが……魔物に文句つけてもしょうがないだろう……がっ!」
何度か作戦会議を挟みながら延々と挑み続けてはいたが、とうとう手傷の一つを負わせるどころか、障壁の一枚を貫くことも叶わなかった。
「はい、じゃあそれまでー。そろそろ二人を起こすから、汗拭いて身体を休めておきな」
ありがとうアルマジロ先生。君は魔石にしないでお友達のところに帰してあげよう。
抱きかかえようとするとじたばた暴れて障壁を展開されるが、私にそんなものが効くはずがない。構わず持ち上げて、遠くへと放り投げた。
「朝の運動にはちょうど良かったでしょ?」
「はい……あれほど厄介な魔物がいるとは……」
まぁ、無理もない。私も随分と苦労した。
過去、セント・ルナの迷宮で彼らアルマジロを相手に修行を繰り広げていた時期がある。
あそこは階層がすり鉢状で、前後左右から彼らが集まってくるものだから……何度も轢かれたなぁ。その御蔭で、全周囲に気を配る修練を一緒に積むこともできたのだが。ありがとうアルマジロ先生。
「全てじゃないけど、竜種の障壁が大体あんな感じ。ワイバーンじゃなくて普通のドラゴンね」
ドラゴンは強い。意思を持って攻撃してくるし、硬い上に障壁を用いる種が多いし、飛ぶし。飛ぶのはズルいよね。
「一つの目安にはなると思うよ。彼らを安定して討伐することができれば……竜に手傷の一つも負わせられるかもしれない」
ただ、飛ぶんだよなぁ……空から火を吐かれたら、剣技だの何だの言ってる場合じゃない。飛ばないドラゴンもいるけど……いないこともないけれど。
「ペトラちゃんとみっちゃんばっかり、ズルいよぉ!」
おはよう聖女ちゃん。よく眠れたかな?
「サクラさんが何も言わないから俺も言うまいと思っていたが……ソフィア、お前は寝過ぎだ。十分な睡眠を取ることは重要だが、お前のそれは間違いなく惰眠を貪っているだけだ。いい加減是正しろ。文句を言われる筋合いはないぞ」
「昨日はほら、いっぱい走ったからね!」
「何騒いでるの、これ」
おはよう私のリューン。よく眠れたかな?
「二人がいつまで経っても起きないから、四人で階層で身体動かしてた」
あぁ、それで……みたいな顔をしている。このエルフはやかましい目覚めを嫌う。迷惑そうな顔を隠そうともしていないが、君ももっと早く起きて欲しい。
腹時計から察するに、もう間もなく昼になる。ミッター君が怒るのも仕方ない。
そのままエルフは干し肉を塊で取り出して、さいの目に切り分けて頬張りだした。リスみたいになってるのが超可愛い。
リリウムは少しだけ水分を補給した後、立ったまま目を瞑り、壁に背中を預けて休んでいる。
私はレモンのような柑橘をもぐもぐしていて、三人はまだギャーギャーと騒いでいる。まぁ各々好きに休んでくれたまへ。
(今度蜂蜜レモンでも作ってみようかな、疲労回復に効くかもしれない)