第百六十三話
宿に戻ると相変わらずソフィアはだらしない顔で寝こけていて、リューンは不在だった。ギルドへ行くとの書き置きが残されている。次置いていったら泣くゾ☆ と。筆跡が力強い。これは相当怒ってるな。
しばらく各々好きに時間を使い、ソフィアがだらしない姿のまま起きてきて、足早にリューンが戻ったのは夕方近くになってからだ。さっさと宥めてそのまま夕飯に──とも思ったが、私だけ寝室に閉じ込められた。
「どしたの。ここじゃなんだし、他に部屋取ってからにしようよ」
「真面目な話なんだ。ちょっと時間取って」
──ふむ。
「単刀直入に聞くけど………フロンとリリウムの二人に何かした?」
少年少女達を夕飯に追い出し、結界石を敷いて寝室で話をすることになったのだが……。何の話がしたいんだ、これは。流れが見えない。
「何もしてないけど、どうしたの急に」
フロンとは水色ゴーレムの一件以来会っていないし、そもそもリューンも立ち会っていた。リリウムとはまだ会ってすらいない。
「私はルナでリューンと離れたことなかったじゃない。一日中ずっと一緒にいたんだから」
超監禁されていた。私が一人で出かけたことがないのは、このメンヘラもよく知っているはずなんだけど。
「その前に会ったりとかは? してない?」
「どちらとも会ってないよ。パイトに残されていた言伝はフロンのものだったけど、あれはリューンがフロンに頼んだんでしょ? それ以外で接点はない」
単に構って欲しくて適当に雑談をしているとかいう雰囲気ではない。彼女なりに何か思うところがあるのだとは思うが。
「フロンと手紙のやり取りをしてたんだよ。西とルナは船が頻繁に行き来してるから、暇潰しの文通。それは知ってるよね?」
ソフィアにそのうち手紙を出さないと、なんて話をしたら、どこからか紙とペンを買ってきて、エルフも何やら手紙を書き始めたのは覚えている。相手がフロンだということも聞いている。友達他にいないの、なんてからかった記憶があるし。
「南大陸に向かうってことも伝えてあったから返事はこっちに来たんだけど、受け取った手紙がおかしいんだ。リリウムが急にいなくなって、戻ってきたと思いきやサクラの居場所を聞いてきて、またすぐにいなくなったとか、しかもそれがいつの話なのか分からないとか、支離滅裂なんだよ。正直要領を得ない」
手紙をひらひらさせて難しい顔をしている。よっぽど……変なことが書いてあるんだろう。
ふーむ……過去改変というか、時間遡行というか、そういったものの影響であろうことは想像に難くないんだが──。
それだけじゃなさそうだな。ひょっとして私の知らないところで神格が何かやらかしたんだろうか。なんかもう多少のことじゃ驚かなくなってきたな。
「リューンってリリウムとルナで会ったことあるんだよね? それ、ギースの家で私と会うよりも当然前の話だよね?」
「そうだね」
「リリウムと最後に会ったの、いつだったか思い出せる?」
「──勘が良いね」
「思い出せないなら、十中八九うちの女神様の……というか、私のせいだね。二人に何か……したのかもしれない。あの人が」
私の名もなき女神様。私の愛しい女神様。お願いですからこういう大事なことは、きちんと説明しておいてください……ほうれん草、大事です。おひたし……食べたくなってきた。
「色々と考えられることはあるけど……リリウムは南大陸にいるの?」
「いるのは……あるいは、いたのは間違いない。ただ、私じゃギルドに照会しても詳細は教えてもらえなかったんだよ」
何それ、照会なんてできるのか……うへぇ、初めて知った。
「私ならどうかな、教えてもらえそう?」
「もらえるとは思うけど──バレるよ? 一級冒険者がここにいるって」
正直かなり嫌だが、そんなことを言っている場合じゃない。今はリリウムを探す方が大事だ。
リリウムは私が南大陸に、南大陸の浄化黒石に興味を持っていたのを知っている。フロンとの間にどういうやり取りがあったかは知らないけど、私のことを覚えていて、南大陸にいると聞いたなら……今でも私を探しているかもしれない。リューンと同じように。
と言うかそれを確認しにギルドに行ってたのか。それ以前に聞き流すところだったけど、手紙を受け取ったのって港町とか言うてたな?
「考えても埒が明かないね。ちょっと探してくるよ」
「っていうか、こっちの港町にいる間に教えてくれればよかったのに」
「言ったらそのまま一人で探しに行こうとするかもしれないじゃない。私一人で三人の面倒を見るのはキツイよ……。特にほら、護衛の仕事があれば請けながら行くってのはほぼ決まってたし、手紙を受け取ったのは仕事の話が決まった後だったから」
うーん……あり得る。町を飛び出していたかもしれない。というか依頼に集中できずにうちの子達を危険な目に遭わせたかもしれないな。
「サクラがリリウムのこと大好きなの知ってるからね? 私ほっぽって行くかもしれないって判断は、間違ってたかなぁ? んー?」
「分かった分かった。リューン様の仰る通りです、わたくしめが間違っておりました」
「ご飯も置いていかれたしなぁ?」
「それはアンタがいつまでも寝てるのが悪いでしょ。一緒にしないでよ」
軽くデコピンを見舞うと、コロコロと笑い出した。可愛い奴め。
「それで……本当は付いて行きたいけど……私は待ってるよ。転移で行くよね?」
「連れてくることになったら荷物もあるだろうし……人手は欲しいけど、ごめんね」
「いいよ。分かってる。なるべく早く帰ってきてね?」
「もちろんだよ。ソフィア達のことは任せたよ」
久しぶりに二人で食事をとって二人で眠る。翌朝しっかり起きてきたリューンを引き連れ、ソフィアを叩き起こしてから別行動を取る旨を全員に伝えた。
「急で悪いんだけど、旧友と会ってくるよ。リューンは置いていくから、その間は休息を取るなり迷宮に入るなり好きにしていて。ここは今日を含めて七日は先払いしてあるけど、それまでに戻ってこなかったら延長するなり宿を変えるなりしてね。移動するならギルドに言伝残しておいてくれればいいから」
「分かりました。お気をつけて」
うちの聖女ちゃんは寝起きなのも相まって、一人不服そうな顔をしていたが……エルフが残るとあって、わがままは言わなかった。
行き先は告げていない。リューンも知らないということになっている。
広大な大陸、多くの町村、何千万、何億と人がいても決しておかしくない。そこから一人の人間を当て所なく探すなんてなれば、普通は大仕事なのだが、情報はあっけなく、それはもう簡単に入ってきた。
朝っぱらから酒場で陽気に呑んだくれている連中に酒を奢って話を聞いてみたら、南の港町にそれっぽい女がいるという情報が。何でも二級冒険者らしい。
あのリリウムが二級冒険者となると、ちょっと……いやかなりイメージとは乖離しているが……二級冒険者らしい。
行き掛けに瘴気持ちの魔食獣を二匹討伐し、南大陸南端の町の一つであるとかいうリスロイまで転移で移動する。
ここ数日の成果のお陰で転移の性能が向上していたというか……探査との合わせ技が可能になったことに気づいて、少し検証に時間を使ってしまった。遊んでいるわけではない。
これまでは目視したある地点、座標を目指して飛んでいたのだが、今は視認せずとも、探査の方で確認できた位置に転移できるようになってしまった。
大木の枝の上とか、大岩の影にとか。向きや姿勢まで思った通りの形で……かなり融通が効く。楽しい。探査の範囲が広がればもっと色々できそうだが、現状は遠い町と町を直通で移動できるほどの距離は無理そう。神力の消費はかさむが、これはかなり便利だ。
新たな機能が生まれたというよりは、単に探査と転移が繋がった……そんな感じだろうと考えている。
町が近づくにつれて人の反応が増え、ああ、ここに町があるんだなぁ……というのが知覚範囲の広がった探査で分かるのが面白い。神格の上昇による恩恵は随分と幅広いな。
辿り着いた町はアルシュよりは広いがヴァーリルよりは狭い、そんな感じの港町。大きな船は見られないが……こんな気候で船を出して漁をしてるの? 漁師は逞しいな……。あるいは海は陸路よりは魔物がマシで、南大陸間の交易を担っているのかもしれない。
街の近くで認識阻害を切って歩いて門まで向かい、固く閉ざされた門の上からこちらを見ていた門番に声を掛けて通してもらう。
これまで見てきたどの町よりも守りが堅い。アイオナは例外としても、在野の魔物が強ければこうなるんだな……。
堅牢な外壁とは裏腹に、町の中は割りと普通だ。家屋の玄関に屋根が設けられていたり、露店や屋台の類がなかったり、そういう違いはあるけれど、普通に子供が走り回っている程度には平和そう。
(さて、どうやって探そうか。ギルドくらいあるかな……皆待ってるし、早いとこ見つけないと)
全ての町や村に冒険者や商業といったギルドの支部があるというわけではない。というか小さい村や町にはないことの方が多い。規模的に、ここにはあってもおかしくはないけど──。
「お待たせしましたー! 焼き魚定食でーす!」
「わぁ! これは美味しそう。ありがとうございます、いただきます」
「ごゆっくりどうぞー!」
この世界、魚は普通に食べ物として扱われているし、それなりに食されてもいる。ただクール便なんてものは私の知っている限りではなく、魚を食べられるのは港町が主だ。内陸部へ流通しているのは大体加工食品、干物や酢漬けの類がほぼ全て。主食や主菜と言うよりは、嗜好品の一つといった位置づけだ。
今までも食べられる機会はそれなりにあったのだが、うちのエルフは獣肉を好む。放っておくと猪肉しか食べないので、栄養バランスに気を使うのは私の仕事──まぁ、それはいい。
リューンは量が少なく肉に比べれば圧倒的に割高な魚というものを好まない。食べさせてあげれば食べるが、自分で注文するということは絶対にない。
そして私は割りと魚が好きだ。漂ってきた──焼けた魚の香りの前に足を止めてしまった。屈した。
(んまっ!? これはんまい。パンで焼き魚食べるのは初めてだけど……サバサンドとか、名前は聞いたことあるし……。いやしかし本当に美味しい。ホッケに近いかな? これは挟んで食べたいな……。肉厚の白身魚……ああ、フライもいいな。アジフライ食べたい。おいひいなぁ)
アジフライにはソースという人もいるだろうが、私は薄口の醤油をちょろっとかけて食べるのが好きだ。でもパンに挟むならソースの方が美味しいかな。このホッケみたいな魚は、塩とハーブで香り豊かに焼き上げられたムニエルのようなオシャンティーな姿をしているが、私はもっと庶民的な味付けのそれをガツガツと食べたい。
おかわりを注文して、それも夢中で食べきってしまった。ここはいい町だ。定住するならこういうところがいいな。
食後に注文したお茶も美味しかった。アイオナのあれは単にハズレだっただけかな。
「ご馳走様でした、とても美味しかったです。あの、この町に冒険者ギルドか商業ギルドはありますか?」
「ありがとうございます! ギルドでしたら──」
冒険者ギルドは思いっきりガラが悪かった。酒場が併設されていて、呑んだくれの兄ちゃん達が真っ昼間から管を巻いているような、割りとよく見る光景ではあるのだが……アイオナと違って暗いというか、空気が淀んでいるというか……。あまり長居をしたくない。
これだけ人が居て受付がガラガラというのがまぁ、このダメさ加減をよく現していると思う。
食事は大層美味しかったけど、この町に住むのはなしだな。実は治安も悪いかもしれない。
「お疲れさまです。探している冒険者がいるのですが、情報の開示をして頂けますか?」
長居したくない。ならもう、使うしかない。立場を。仕事をしていると見せかけて……何やら本を読んでいた受付に声をかける。
「えっ……? し、しし、しし、失礼しました! はひ、開示致します! ど、どのようなぼぼ冒険しゃしゃ……」
ギルド証を提示したことで職員が騒いでしまった。他の職員はともかく、呑んだくれ達の視線がこっちに向いたことを肌で感じて大層居心地が悪い。
「落ち着いて下さい。名前はリリウム、女性です。おそらく現在二級で、今もこの町に滞在していると思うのですが」
「はひ、はい! リ、リリウムしゃまなら、はい! 毎日夕方こっ、ここっこ、ここに来られますっ!」
「落ち着いて下さい。サボリを咎めも、取って食いもしません。──リリウムは今日もここに来るのですね? 夕方に?」
「は、はいっ! えっと……はい。リリウム様は毎日日暮れ前に、完了した依頼の報告と、翌日請ける依頼の確認をしに、こ、来られます。ほぼ毎日なので、きっ、今日も来られると思われますっ」
おー、よしよし、ナイスだ陽気な呑んだくれ。しかし夕方となると、しばらく時間があるな……。
「そうでしたか、ありがとうございます。少し外に出てきます。先に彼女が来たら、依頼を請けずにここで待っているように伝えて頂けませんか? それと、私のことは他言無用に願います」
「う、承りましたっ!」
大丈夫かな……まぁいい。ここに居たくないし、今のうちに浄化黒石集めでもしておこう。