第百五十六話
金髪碧眼、セミロングの髪をポニーテールに一纏めにした、犬っ娘二号ことペトラちゃん。
ソフィアに王都でできた初めてのお友達であり、今は一番のお友達と言ってもいいだろう。二人は普段からとても仲がいい。
過去では委員長気質で、若干理想主義的な思想が見え隠れしていたが、今は割りと現実を見ているというか、お手々繋いで皆仲良く! みたいなタイプではなくなっている。割り合いに現実主義のミッター君と喧嘩をしている現場も、私は少なくとも一度も見ていない。
二人がどうしてソフィアにくっついて西へ、そして南へ向かうことになったのかを私は知らない。騎士学校を……おそらく卒業したんだとは思うのだけれど。
まぁ今は置いておく。船旅にも身体が慣れて、穏やかな生活を送っていたある日……この努力家さんは、今日も今日とて自主練を重ね……潰れた。
「ペトラ──私言ったよね? 言ったんだよ確かに。この足場魔法はしばらくの間、船上と陸地では使ったらダメだって。練習したかったら必ず私かサクラのいるところでやることって。聞いてた? 忘れちゃった? 想像できなかった? 海に落ちるかもしれないよね? 誰にも気付かれなかったらペトラはどうなる? こうなるんだよ。死ぬかもしれないんだ。魔法を舐めるな! ──師匠から教わらなかったかな?」
リューンがものすごく怒っている。まぁまぁその辺で……と言いたいところだが、今回ばかりは私も擁護できない。してはいけない。一歩間違えれば死んでいたし、航海にも悪影響を与えただろうことは想像に難くない。
私も使っている足場魔法──物理障壁は、汎用的に使える反面、設定すべき項目が多い面倒な魔法だ。
障壁の大きさ、強度、向き、設置位置、そして設置時間など。単に一瞬の足場として使うだけなら項目はほとんど固定できるので考えることはないに等しい。小さめ硬めを足裏と平行に二秒、といった具合に。魔力を流している間だけ設置するようなこともできるが、時間を指定して必要な魔力を流してしまったら、結界の強度にもよるが簡単には消せなくなる。
この障壁、空間に固定される。私は地表や足裏からの相対位置を指定して設置するイメージで使っている。通常はそれで何の問題もないわけだが──。
まぁ何があったかと言えば、足場を作って、地面と垂直に大きめの障壁を設置して、消せなくなって……障壁と船の壁に挟まれたのだ。障壁の位置は空間に固定され、船は動いている。
「ごめんなさいぃ……」
「練習するのはいいことだ。でもね、魔法は使い方次第で簡単に命を奪うんだよ。壁一枚とってしてもこうなる。攻撃系の放出魔法じゃなくったって人は殺せる。そのことを忘れないで。今回は運が良かっただけなんだからね? 本当に死んでたかもしれないんだよ? 船が壊れたらどれだけの人を危険に陥れることになったか、きちんと理解して」
寝室でこっそり練習していて、長めに障壁を展開してしまい、壁と壁に挟まれ、焦って障壁を再展開してしまって……昼寝から飛び起きたリューンによって障壁を破壊され、なんとか事なきを得た。その頃私は居間で図鑑のような物を見ながら、魔石でお花を作ったりして聖女ちゃんと遊んでいた。
「足場魔法はね、私もやらかしたんだけど……その気になれば山よりも高いところまで自分の足で上れるんだよ。危ないよね。あの時は足がガタガタ震えたよ。降りられなくなって、私はその後──術式を維持できなくなって海に落ちた。猫かよ! って笑われたけど、リューンには本気で怒られたよ。──魔法ってそういうものだから、しっかりと扱えるようにならないといけない。ドラゴンの頭くらいの高さから落ちたって怪我をするし、下手したら死ぬからね。しばらく陸地で使ったらダメっていうのは、そういうことも含めてだよ。上手く使えばドラゴンの目玉を刺しに行けるけど、きちんと扱えるようになってからじゃないと、そのまま口に飛び込んで死ぬことになる」
あれは本当に嫌な思い出だ。フロンは爆笑するしリリウムには呆れられるし、リューンは夜叉と化した。今でもたまにフラッシュバックする。
「声をかけることを躊躇う必要はないんだよ。私達が他の誰かと談笑してても、練習に付き合って下さいって一言告げればいいんだ。私もサクラも喜んで付き合うよ。だからもう、こういう勝手な真似をするのは絶対に止めて。分かってくれた?」
「はい……はいぃぃ……ごめんなさい……もう勝手な真似はしません……ぐすっ」
本来美徳とされる勤勉さが今回は仇となった。私達に声をかけなかったのも、あるいは気遣いの結果だったのかもしれない。学んでくれればそれでいいと、私はお説教を切り上げたいが……エルフ先生の怒りはもうしばらく収まらなさそうだ。
「もうっ! これだから若者は……」
「それおばさんくさいから止めた方がいいよ」
ペトラちゃんを友人達に任せ、三人と離れて二人で夕食をとっているのだが……リューンはまだプリプリしている。怒るか食べるかどちらかにして欲しい。ご飯は美味しく楽しく食べたい。
私は居間で本を読んでいるか魔石を触っていることが多い。リューンは寝ているか魔導具をいじっていることが多い。まぁ……気を利かせて声をかけないでおく……というのも分からない話じゃない。
「話しかけにくいのかもね。なんだかんだ年上だし、まだ気心知れてないというか、遠慮があるというか。最初にきちんとダメな理由を説明しておかなかった私達にも落ち度はあると思うよ」
「分かってるっ!」
ソフィアに気を遣ったってのもあるのかもしれない。地味な使い方をしようと思えば、足場魔法は本当に目立たない。その域までなるべく早く達したかったのかも。
とはいえ、いつまでも引きずっているほどペトラちゃんは弱い娘ではなかったようだ。
しっかりと反省し、後日改めて謝罪を受けたことでリューンの激昂は鎮まった。そして機嫌を直したリューンにペトラちゃんはべったりになってしまった。
リューンは言い出した手前、早朝だろうが昼食後だろうが就寝前だろうが、ペトラちゃんの要望に応えて練習に付き合い続けた。たまに私に助けを求めるような視線を送ってくるようになったが、私はソフィアと遊ぶのに忙しいので二人でやってて欲しい。
二人がかりでペトラちゃんを構うとソフィアが拗ねるし、リューンとソフィアを二人っきりにしておくと、このエルフは聖女ちゃんをいじめる。四人でいると足場魔法を使えないソフィアが悲しい思いをするわけで。頑張れエルフ先生。
ミッター君は文句の一つも言わず、一人で黙々と地味な修練に明け暮れている。この子は結構ストイックだ。身体が固いのか、ストレッチだけは難儀していたけど。
色々あったが、ここのところソフィアはずっと機嫌がいい。過去の彼女のようにベタベタと私に抱き付いて甘えてくる。
ペトラちゃんが居る間は控えているが、リューンと揃って不在がちな今は、絶好のチャンスとばかりに引っ付いてくる。訓練をサボっているならともかく、この娘は基本的に真面目で頑張り屋さんだ。やることやってれば邪険にしようとも思わない。
「おねえさーん……退屈ですー……」
「そうねぇ。でも船旅ってこういうものだからねぇ」
気力も魔力も枯らして、身体を動かせなければこうもなる。くっつくのはもういいが、腹に顔を埋めるのは止めて欲しい。そこで深呼吸するのも。今は腰回りに自信がない。
暇潰しとなると修行か読書かだが、私はお勉強で忙しい。天気が良いのだから外で遊んで来なさいとも言えない。船旅は、こういうものだ。
「本なら色々あるけど、読む?」
「サクラおねーさん難しい本ばっかり読んでるからー……私には無理ですよぉ……」
御伽話や娯楽小説の類はない。植物や武具、魔物系の図鑑や歴史書、魔法や魔導具についての物が大半だ。既に粗方目を通し終えたのだが、ラインナップをペトラちゃんやミッター君に確認されてしまっているので、次元箱の中から新たに取り出して入れ替えるわけにもいかない。ミッター君からの評価が大幅に上がったのを肌で感じている。
強いて言えば神話とか、物語っぽく読める物がないこともない。だが別に生きる上で必要になる知識でもないし、興味がないなら無理に読ませようとも思わない。
私も必要に駆られて読んでいるだけで、日本で娯楽の一つとしてこれを寄越されても……まぁ、読まないだろうなぁ。
(娯楽……娯楽か)
──この世界にもボードゲームみたいなものがあるんだろうか? リバーシくらいなら簡単そうだけど、五人で遊べはしないし……すごろくなんて作ってもなぁ。
(囲碁も将棋もチェスもルールよくしらないし、麻雀は……魔石で牌を作ったら私いくらでもイカサマできるな。そもそも教えるにはルールが煩雑すぎる)
道具だけなら作れないことはないが、荷物が増えるし……使える魔石の量が決まっている今、遊具に使ってしまうのはもったいなく感じてしまう。回収して崩したら色々言われそうだし。
(そもそもリバーシって何マスだったっけ、八八? 九九? 十じゃなかった気がするな)
時間を決めてメリハリを付けて遊ぶなら別に構わない気もするが……そこまで目をやるのが面倒だな、止めておこう。盤を二つ作れば監督が私の役目になることは目に見えている。
今しばらくの辛抱だ。この穏やかな時間もいつかは終わる。