第十五話
明くる日の昼過ぎ、私達は二人して森への道を走っていた。最初に出会ったあの森だ。半刻と少しかけて歩いたあの道も、身体強化を使って走ると速いもので、改めて気力の凄さを実感する。
今回は修練と銘打ってはいるが、半分は仕事だった。私が倒した狼。あれについて調べたいからついてこい、と。
どこまで打ち明けたものだろう。
うちの女神様のことは絶対秘匿、これだけは決めている。ギースのことは信用していたが、それとこれとは別問題だ。
私達のことは、相手が神様であっても王様であっても絶対に明かさない。あの邂逅だけは誰にも侵させやしない。
私は記憶を失くして泉の北側にいた、十手のことはとても大切なものであるということしか覚えていない、泉が目の前で枯れたので興味を持って歩いていた、そこで狼に襲われて倒した、その後森で母娘と出会った。
こんな感じの話を作っていたが、あの母娘もギースも、打ち明けたくなさそうにしていた私に気を遣ってくれていた。このままこうであればいいのだけれども、後ろめたい気持ちも正直ある。
他の問題として、浄化の力をどう説明するかだ。私はまだ魔力を使えない。魔法でやりましたは無しだ。精力ということではどうだろう。
(納得してくれないよなぁ、きっと……うさんくさい。魔力に近い力なら、ある程度解明されていてもおかしくないだろうし)
魔力での浄化を扱う人がいるのに、魔力を扱えない私がこれは精力だと言い張れば……うん、ないな。これもなしだ。
そんなこんなで森に着いてしまった。もう出たとこ勝負でいくしかない。
身体強化を抑え駆け足程度の速度で森を駆ける。強く踏みしめると大変なことになるのは身体で覚えた。あそこまで柔らかいとは……。
泉の位置は彼が知っているらしく、先日通ったものとはまた違う道を進んでいる。
ギースには狼と出会った場所が泉だったことと、時間が日が沈み切る直前であったことは正直に話した。目の前で泉が枯れたとも。まぁ嘘ではない。
泉が枯れたということに驚いていたが、すぐに目にすることになる。
彼曰く、あそこはこの辺りの住人に水を引こうにも岩盤が硬く、そもそも飲めもしないし生き物もいないと役立たず扱いされているらしかった。ひどい話だ。
おまけに周囲の森には瘴気の濃い場所が多いと。これまでこの辺りにまで出てきたことはないから、それを調べるのだ、と。
そういうのってもっと人を集めて調査団みたいなものを組んでやるのではないだろうか。しないかな、金にならなさそうだし。
これはきっと、世話焼き老人の趣味だろう。
「これは驚いたな……あれだけの量の水はどこに。大昔の坑道が崩落でも……いや、それにしては……」
懐かしい水溜り。その跡地。ここからは確認できないが、北に寄ればあの大木も見えてくるだろう。
そして坑道が崩落は結構近い。飲まれたのは地の底ではなく、私の右手にだけど。
ひょっとして私が棒に執心してなかったら、ここは今でも役立たずな湖扱いだったのだろうか。あの人のことだから別のものをくれたのかもしれないが、最初から最後まで急だったからなぁ。
まだほんの数日前だ、はっきりと心に焼き付いている。私の愛しい女神様。綺麗な記憶ばかりではないけどね!
「それで、どの辺りを調べるのでしょうか。個人的にあまり、北の方へは行きたくないのですが……嫌な気分がするので」
それは本音だった。瘴気の調査はいいとしても、北方面は避けたい。本当に近づきたくない。
「瘴気が濃い場所が多いのは東北東の辺りかの。西にはそれより酷い場所もあるんじゃが、ここからではちと遠すぎる。お前さん狼と遭遇したのは泉のどの辺か覚えとるか、大体でいい」
一時間くらい? だったかな、確か。あの日は確か夜明けとともに起き……身体を動かして、ある程度日が登ってから木を確認して南を目指したはずだ。
「歩いて半刻くらいだったと思います。一刻はなかったかと。方角はほぼ北だと思います。私があの森に入った場所は……ごめんなさい、もう分かりません」
「ふむ、女の足で半刻そこらとなると、あの場所よりだいぶ南じゃの……軽く回ってみるか、走るぞ」
そうしてギースは泉だったものへ向かって走りだした。いきなり走り出すのはびっくりするからやめてほしい。
北へ東へと走り、そのまま森へ突っ込んだ直後、急停止したギースに私は衝突して弾き飛ばされた。地面から根でも張ってるのかという位彼は微動だにしなかった。あるいはそんな重いのかこの人。
その両手には初見の時に持っていた刺身包丁のような刃物が握られており、油断なく辺りを窺っている。
私も辺りに注意を払うが、特に何かが分かるわけでもなかった。
気温は変わらない、物音はしない。嫌な予感も……ないなぁ。狼が纏っていたあの瘴気、ああいう感じもしない。
「北から流れて来とるわけではなさそうだの、はぐれが数匹迷い込んだだけじゃなこれは。狩りにいくぞ、ついてこい」
いるらしい。マジか。全くわからない。だが──
瘴気持ちなら神力、というか浄化で見つけられるのではなかろうか。
思えば狼と遭遇した時、私は押し倒される前にあれの存在に気付いていたはずだ。地面に倒されてから気付いたのではなかったはず。それなら先に首筋をガブリといかれていただろうと思う。
実はこれ、私の身体からは割と簡単に外に出せる。
ある程度の量が常に体の周囲をふわふわと漂っていて、神力だけを身体から引き出そうとすると、同じように私の周囲をふわふわと漂った後、しばらくして余剰分が身体の中に戻っていくのだ。
私が背後からの狼に気付いたのは、私に接触する数瞬前に、神力のふわふわに触れたことによるものなのではないか。
(これ、もっと広げられないかな。外へ、広く、遠くまで……)
ビンゴだった。分かるわこれ。抵抗なく拡がっていく神力が微かな抵抗を覚えたのが分かる。柔らかい粘土を押し付けて、形が残ったままになるというか、そんな感覚。
やたら疲れるし、広げられる距離には限界がありそうだが、今はこれで十分だ。
(これ使いこなせば魔物の位置丸分かりにできないかな。瘴気にしか反応しないとなれば微妙だけど、ギースには反応しなかったもんな……。森の木も無視してるし。調べておきたいなぁ)
前を行くギースに声をかける。
「ギースさん。あちらの方向に二匹、向こうに一匹。こちらを向いていて、おそらく気付いてもいる、だと思うのですが、どうでしょう?」
比較対象がないので大きさが分からないのが残念だ。
「ほぉ、分かるんかい。方角は正確、こっち向いとるかは分からんが、気付いてはいるだろうな。これが分かるとなれば、お前さんは年季の入った狩人か浄化魔法に適性があるかのどちらかじゃ。なんで浄化品なんぞ持っとったのかと思っていたが、自前で用意したと考える方が素直だの」
魔法ではないのだが、少し気になる。
「浄化魔法に適性があれば、瘴気持ちの位置が分かるのですか?」
「瘴気そのものに反応しとるらしいがの。聖女レベルの神官は瘴気に敏感で、これを探知犬代わりにして悪霊の類を浄化して周ってるとか、そんな噂は聞く」
そこまで喋って歩を進める。
「先に二匹片付けようかの。こいつらはお前さんは見てるだけでいい。その後残りの一匹を処理してみろ」
なんとなくそう言われるような気がしていた。