第百四十一話
ルナから西大陸の港までは、北大陸のルパまでよりは近い。港の役所によると、百二十日程度になるとのこと。
今日は西大陸への旅立ちの日だと言うのに天気が悪い。未明の内から雨が降り出し、徐々に強くなる雨脚に嫌な予感がして……慌ててエルフを叩き起こして宿を引き払い、タラップを駆け上がって朝一に船内まで逃げ込んだ。雷の音まで聞こえる。すっかりお空は土砂降りと化してしまっていた。
「はぁ、危なかった……これ、出航できるよね……?」
「船は出るよ。大丈夫でしょ……」
荷物の整理を済ませておいてよかった。これ以上大荷物を抱えて走るのは流石にきつかったと思う。
抱えていたエルフをベッドに放り投げて、ようやく一息つく。昨夜は遅かったしまだ少し眠気が残っている。私ももう少しだけ眠ろう……。
船旅は基本的に暇だ。前回のリューンとの二人旅でもそうであったが、術式を刻むのに数日安静にしている以外は……気魔力の修練以外に特にすることがない。
だが今回はそういうわけにはいかなかった。私は猛勉強と猛特訓の只中に居る。
エルフ先生指導の下、魔導具の骨格たる回路と魔法術式についての知識をひたすら頭に叩き込み、私に刻み込まれた新たな術式……『変形』と『変質』の二つの習熟に努める。
「サクラは媒体になる魔石の質が飛び抜けてるから、普通に作るだけでも、一般的な職人が一般的な素材で作るよりはるかに高品質な物が出来上がるんだよ」
「……そうみたいだね」
目の前に置かれた二つの冷房の魔導具を比較して私も頷く。片方はお店で購入した、下か中程度の質の浄化蒼石。もう片方はパイトのサメからぶんどってきた、おそらく特級品質の浄化蒼石。それぞれを同じように加工して回路とし、それに魔力を通すことで冷気を発する簡単な仕組みの魔導具だ。
普通は涼を取る魔導具を作る場合、金属や木の板などに回路を彫り、それに水石や蒼石からの魔力を動力として流し込むわけだが、今回は比較のためこのような手法を取っている。
前者は冷ややかな冷気がそよそよと巻き起こるような可愛げのある玩具だが、後者はそばに配置した木製のコップに注がれた水が数秒で凍りついて霜塗れになるような可愛げのない凶器だ。魔力を通している指まで凍りつきそうになったので、慌てて魔力を遮断する羽目になった。
「基本的に魔石を回路として使う方が効果の高い物ができるんだよ。魔力の伝導性が木や金属とは段違いだからね。難点は外部から十分な魔力を通しておかないと、回路に使っている魔石の魔力を消費して……そのまま使っていると消えちゃうことかな。あとはサクラの場合、きちんと制御術式や安全機構を組み込まないと、こうなるわけ」
コンコンと、金属の棒でコップの水面──であった氷面──を叩いてみせるエルフ先生。メガネを掛けていないのが本当に悔やまれる。
「これを剣に組み込むわけだね。冷凍剣とか作れそうだ」
「剣の素材次第では作れるよ。燃える剣とか光る剣とか、原理は簡単だから」
夢が広がるな……。十手にも組み込んでしまえればいいのだが、流石にそれは無理だ。私も一本作ろうかな、剣。
今回製作する予定の魔導剣は、アダマンタイト製の剣を鍛造する過程で浄化真石製の回路を埋め込み、それを剣に転写することを目標としている。
やってることは木や金属の板に回路を彫り込んで、そこに魔石から魔力を流す仕組みの暖房と変わらない。浄化真石が回路として残るかは、かなり怪しいだろうとエルフ先生は考えているようだ。理想は真石の回路が残ることだが、真石の跡が残り、その溝でただの回路ができるだけでも十分過ぎると言う。
魔石は次元箱の中に放り込むだけで割れてしまうほど脆く、覚えたての私の『変形』の術式で簡単に姿を変えられるほど柔らかい。
そんなものを剣に組み込んでボコスカ殴っていたら割れてしまいそうだけど……そこは先人の知恵があるのだろう。
「アダマンタイトにはそもそも回路を彫り込むのが難しいからね。固すぎるっていうのもあるし、防具にも使われるということから分かると思うんだけど、火や冷気といった属性系の魔力は弾く特性があるんだよ。属性系の浄化品で回路を作っても弾かれるし、普通は……浄化真石を回路に使うなんて贅沢な真似できない。仮にできたところで一般に出回っている浄化真石っていうのは……知ってるでしょ?」
私の物と比べれば……という話ではあるが、質が悪すぎる上にそれでも高価だ。おまけにそんなものでも薬でも何でも、他にいくらでも用途がある。需要がある。大量に用意しなければならない上に、それが効果的な回路として残るかも怪しい。成功したところで得られるものは術式の一つや二つ。剣の溝にしてしまうのではなく、もっと違った使い方をするべきだと考えるのが当たり前だろう。
『変形』は分かりやすい、形を変えるだけだ。そして『変質』……についてなのだが、これもそこまで難しく考える必要はなかった。
魔石は結晶化した魔力の塊であり、その物の力は……なんというか、曖昧でふわふわとしている。暖を取ったり涼を取ったり、動力として火石から高温を、水石から低温を引き出すとか、そういう程度であれば何ら困りはしないのだが、その方向性をある程度決定づけてあげれば、動力源としても回路としてもより優れたマテリアルとなる。更に魔導具の質が上がるとのこと。
つまり、天然の魔石を魔導具向けの魔石に変化させる。よく分かってないけど今はそういう理解でいればいいだろう。たぶん、大丈夫なはず。
「変形させたままの、半天然の魔石を火にくべたらダメになるからね。溝に使うだけならそれでもいいんだけど、サクラはたぶん……浄化真石を回路として残せると思うんだよ」
最初は無理っぽいかな……的な雰囲気だったが、日を追うごとに、あれこれいけるんじゃない? みたいな雰囲気に変わってきている。
私が頑張ればリューンにもっと良い剣をプレゼントしてあげられるかもしれない。よく分かってないけど頑張ろう。知見を深めるのは無駄にならないはずだ。
訓練にも熱が入るというもの。幸い魔力消費は軽いので、私はいつまでも魔石をこねくり回していられる。最近は余暇に破損した魔石を一纏めにして、インゴットのように大きさを揃えた延べ棒を作るのがマイブームだ。そのうち変形させることで魔石の質が落ちるかどうかだけは調べておきたい。変わらないのであれば、全部インゴットにしてしまった方が扱いやすいだろうし。
しかもこの二種の術式……やたら格が育ちやすい気がするんだ。自分でもはっきり分かるほど、習得前に比べて格が育っているのを感じている。
ここまではまだいい。だが肝心の魔法術式がちんぷんかんぷんだった。自身にも刻まれている術式なわけだけど……なんでこれで魔法が発現するんだ?
模様とか言葉とか、数とか……そんなんが複雑に絡まり合っていて私の頭ではその細部を理解するに至らない。
(見栄を張りました……。概要すら理解ができません……)
これはあかんとリューンも思ったのだろう。理解させようとするのは諦め、今は彼女が用意した術式通りに魔石を加工する練習に勤しんでいる。これを一から構築するのは……諦めて欲しい。三千年くらいは。
そんな感じで起きてる間は魔法の習熟に努め、一気に気力と魔力を枯らしてゆっくりと睡眠を取るといった日々を過ごしていたら、あっという間に西大陸へ着いてしまった。
「平和だったね」
「人騒がせな剣がないからね!」
リューンは鑑定の術式を消していなかった。なんとなく……とのことだったが、私が足場魔法の術式をあれこれ考えながらも結局残しているのと同じなのかもしれない。
術式の一つ一つにも、なんだかんだ思い出が詰まっているわけで。必要に駆られなければ、この女神様の踏み板を再現してくれた術式も……私の中に残り続けるのかもしれない。