第百三十六話
そんな生活をしばらく続け、やっと探査から大型の……大猪より脅威となるような魔物の反応が消えた。
これで一応平穏は取り戻したと言ってもいいだろうが、今回の魔物の大移動は結局何が原因だったんだろう。
「──というわけで、イノシシワニと飛竜、それと豹はあらかた駆除できたかと思います。大黒鹿や大猪の数もかなり減ってしまっていますね、ワニに食べられて」
「大型はその三種のみだったか?」
「私が確認できたものはおみやげに持って行った三種だけです。特に瘴気持ちの数が多いようには感じられませんでした」
「ん? ああ、そうだったのか。瘴気持ちの死骸ばかり届けてきたから、そういう意思表示なのかと思ったぞ」
「誤解を招いてしまいましたか、申し訳ありません。そういう意図はありませんでした。単に黒石は不要でしたので」
「なるほどな。分かった、ひとまずここで終わりにしてしまっていい。ご苦労さん」
「終わりでいいのですか? 調査隊とやらはもう?」
「ああ、もうすぐ暖かくなってくる。直に派遣されるさ」
拠点の宿へ戻って私服に着替え、ベッドに横たわってぼうっとする。ソフィアは不在だった。部屋の様子からして、しばらく帰っていないのかもしれない。
(しかしなんだな、私は随分と攻撃力が落ちたものだな)
もちろん相対的な話ではある。イノシシワニを一撃で仕留められないことに……それほど不満があるわけではない。あれはそもそもハイエルフの魔法師のフロンでも相手にせずに迂回を選ぶような高タフネスの魔物。
大抵の状況において、私の攻撃力は過剰だ。それはまぁ、分かっているのだけれど。
(気力も魔力も格は着実に成長……していると思うんだけど、ソフィアの成長具合と比較しちゃうと、やっぱり私の身体は変だ。格の成長が緩やかすぎる。どれだけ修練を続けていると思ってるんだ)
早熟とか晩成とか、個人差があるのだろうか。下手したらこのまま器ばかり広がって、格はこれ以上成長しないなんてことも──。
大部屋で一人で寝起きし、一人で食事をとり、一人で読書を──なんて生活をしばらく続けていると、ある日とうとうソフィアが帰ってきた。
「お姉さん! もうお仕事終わったんですか!?」
「ええ、依頼の方はひとまず終了しました。ソフィアは今までどこに?」
「ペトラちゃんのお家にご招待してもらっていました! あ、えっと……あの元気のいい子です!」
誰かと首を傾げた私を見て慌てて補足をしてくれる。犬娘二号か。なるほど、犬系同士馬が合ったのかもしれない。犬なのに馬が。
ただ、過去はともかく今は……私は彼女の元気の良い様子を目にしていないはずだ。
「そうでしたか、お礼を言いに行かねばなりませんね。仲良くできましたか?」
「はい! 最近はペトラちゃんが学校でいない間以外はいつも一緒にいさせてもらって……」
(──ふむ)
「騎士学校へ入りたければ、入ってもいいのですよ?」
最初は学校へ入るのではなく私に教えを……なんて可愛いことを言っていたが、私にべったりより同じ世代の友達と切磋琢磨した方がいいに決まっている。
一瞬顔が明るくなり、すぐに暗くなり……何やら葛藤している様子が可愛らしいが、この娘は私のお人形さんではない。
「私は修行に耐えれば貴方を連れて行ってもいいと言いました。その言に偽りはありません。ですが、貴方にやりたいことができたというのであれば、私はそれを応援したいと思っています。それが剣でなくても……魔法でも、勉強でも、料理でも、なんでもです。──答えは急いで出さずとも良いのです。今一度、どうしたいのかを、自分の人生をよく考えてみてください」
それからしばらく彼女は私にべったりで、寝起きからお風呂まで徹底して私のそばを離れようとしなかった。
一緒に買い物に行ったり、マスターによる友人達との修行を見学したり、互いの髪を梳かしあったり。師弟というよりは姉妹のように日々を過ごした。
そんななんでもないことを喜んでくれるのを見ていると……もっと優しくしてあげればよかったかな、などと胸が痛んだが……。
彼女の希望を耳にしたのはそんな冬の終わりの日のことで、私は耳を疑った。
「マスターからは、三年……三年本気でやれば、足手まといにならないだろうと言われています!」
「──騎士学校に行く気はないと?」
「はい! お姉さんの邪魔をしたくはありません。何か……やりたいことがあるんだ、ということは気付いていました。私がいるからそれができないことも。──お友達と一緒にいるのは楽しいです。でも、それ以上に……私はサクラさんと一緒にいたいです! だから、待っていて欲しいんです! やりたいことをやってください! 私から会いに行きます!」
騎士学校に行きたいけど、私と別れるのは寂しいから、最後に少しでも一緒に──その後涙ながらの感動的な別れ! みたいな流れでくると予想していたのだが、完全に外れた。
私のやりたいこと。大きな部屋。日課の散歩。泣き虫エルフ。隠しきれていなかったようだ。
やっぱり……私はリューンに会いたい。仕方がないなんて、諦めることはできない。
子供に気遣いさせてしまうとは……不徳の致す限りだ。
「困った子ですね。本当に……しようのない子です」
こんなにわふわふと懐いてくる可愛のを……他人に任せっきりにしてどこぞへ旅立てるわけがない。
請け負ったのだから最後まで面倒を見ると、心に決めたはずだったのに。
私は弱い人間だ。こんな小さい子に行っていいと言われて、それが精一杯の虚勢であることも分かっているのに、それを額面通りに受け入れようとしている。彼女の優しさに甘えようとしている。
目元に涙を浮かべてぷるぷるしてる可愛いのを、初めて自分から抱きしめる。まだちんまいが、しっかりと柔らかいし、ぬくい。
しばらくそうしていたが……答えを出してあげないといけない。
正直今でも王都にいた方がいいと思っている。私と一緒にいたところで大して楽しいことはないし、そもそもどうしてこの娘が私に付いてきたのか……未だによく分かっていない。
依頼の間ずっと放置してみて、色々と考えも変わったと思ったのだけど。結局過去も今も私に付いてきたがるのが可愛い。こんな私に……不思議でならないが、今度こそ本当に覚悟を決めよう。
「今から三年間、本気で頑張りなさい……手紙を出します。待っているわ、ソフィア」
マスターお勧めの安宿にソフィアが移り、身元引受人をそのおっさんに任せ、自身の支度を色々と済ませてお別れの日を迎えた。
ソフィアは今も修行中だ。マスターにこれまで以上に激しく指導されている。冒険者として。
会いにきてくれなかったのが少し寂しいが、彼女も彼女で必死にやっている。三年後にまた会おう。
十六……十七歳近くなっているだろうか。その頃には、お嬢ちゃんは卒業しているだろうと思う。
「リューン、どこにいるんだろう……寂しいなぁ」
ギルドやギルドに訪れていたエルフにも聞いてみたりしたのだが、とうとう泣き虫エルフの情報は入ってこなかった。王都には来ていないのかもしれない。
彼女がどのような経路を辿って旅を続けていたか、私はその仔細を知らない。ルナから北へやってきて、ナハニアからバイアルを経由して王都に来た、ということくらい。一人で探すのも限界がある、情報も欲しい。やはりルナへ向かうのがいいだろうか。あそこには、もう一人エルフがいるはずだ。
北大陸を去る前にまず管理所に……などと思い立ち、パイトへ立ち寄ったのは本当に偶然だったのか。運命や必然、あるいは女神様の思し召しだと言われた方がまだ納得ができる。気持ちを切り替えて探す気になった矢先に情報が転がり込んできたのだから。
「サクラさん……でよかったのだな? 貴方宛に言伝を預かっている」
第四迷宮の所長に死層の異変について尋ね、進展がないことを確認した後、暇乞いをしようとした矢先のことだ。
過去も今も、ここでは名乗っていないはずなのだが、話の早い所長がどういう理由か私の名前を知っていた。
「私に? どなたからでしょうか」
「フロンと名乗るハイエルフの女性だ。『あの家』まで来て欲しいとのことだ。それだけで分かると」
「──フロンが? その言伝はいつ?」
「言伝自体は貴方が最初にここを訪れるより前に本部に残されていた。私もこれについて知ってはいたのだが、貴方と結びつかなかった」
疑問符が頭上に浮かび、頭の中の大部分をも占める。理解ができない、どういうことだ。
(フロンがあの家……ルナで待っている)
一人でいるのか二人でいるのか、あるいは三人共揃っているのか……それは分からないけれど。
「確かに言伝受け取りました。ありがとうございます。──あの、その言伝はいつ頃残されたものですか?」
言い難そうにしていた所長の返事を聞いて愕然とした。その後ルパの港町まで急いで向かったが、船はだいぶ前に出港していて──。
「大人しく船でルナまで向かおうと考えていたけど、予定変更だ。力技でいこう」