第百三十三話
「えっと……分かりました。分かりましたけど、理由は……聞いたらいけませんか?」
「答えられません。迷宮の宝箱から一攫千金を狙いたいと望むのであれば、それは私と別れてからになさい。夢を持つことを止めはしません」
「分かりました。拾いません、買いません、身に着けません。嘘をつきません」
気持ちが……通じてくれていたらいいな。しっかりと私の目を見返して、彼女は約束をしてくれた。
「分かってくれればいいの。約束しましたよ」
頭を撫でて──彼女といると、自然と顔がほころんでしまう。ここまで抑えるのに相当苦労した。
「はい! あの、お姉さん。わたし、イリーナと言います。あの、あの……」
「──本名を、教えて欲しいな。それ、偽名でしょ?」
「えっ、なんで……? そうか、有名ですもんね……はい。えっと、私の本当の名前は……」
急にもじもじしだしたが、何が有名なんだろう。私が彼女の名前が本名じゃないと知っているのは、単に『イリーナ』を過去……名前だと認識できなかったからだ。
女神様の残滓のせいか、敵対神の呪いのせいか……どちらの仕業なのかは分からないけれど。他に要因があるのかもしれないが、まぁ十中八九このどちらかだろう。おそらく女神様寄りで。
今の私はそれが彼女を指す言葉だと、名乗っている名前だと分かっているのだが、私の中の何かが、それが本名ではないと教えてくれている。というか《探査》がだ。
過去、私は大層苦労した。なにせこの世界、冒険者に限らず通り名や異名が横行し過ぎている。そしてそのことごとくを認識できず……私は交流の多くを諦めた。極力名乗らず、徹底的に名乗らせなかった。
「ソフィア……です。名前」
「可愛らしい良い名前ね。教えてくれてありがとう。私は、サクラよ」
「サクラ……さん」
「好きに呼んでくれていいわ。私は呼び捨てにさせてもらうわね? ソフィア」
「はい! サクラさん!」
「どうして躊躇っていたの?」
「えっと……その……か、可愛らしすぎるから……よく、その、男の子にからかわれて……」
可愛らしい名前の代表格みたいなものなんだろうか、たぶんその男の子は、名前じゃなくて聖女ちゃんにちょっかいかけたかっただけだと思う。
(ん、慣れないな……ソフィアソフィアソフィア……頑張って慣れていこう)
ずっと聖女ちゃんと呼んでいた弊害だ。過去はともかく……今は確か呼んでいないはず。気をつけないと。
「ソフィアは名前負けしないくらい可愛いのだから、躊躇う必要なんてないわ。外でイリーナと名乗るのは止めないけれど、私はその名では呼びませんからね」
赤くなってもじもじとしているのが……最高だね! やっぱりせいじょ……ソフィアはこうでないと。
ずっとこのままでいてくれれば嬉しいのだが、あと数年もすれば立派な大人の女性になるんだろうなぁ……。
二人してパンを食べながら街道を歩き、ソフィアがギブアップした辺りで抱き抱えて街道を駆けた。流石にまだ野宿はできない、今日はコンパーラで一泊しよう。
リューンもそうだったが、ソフィアも私の殺人マラソンに耐えた。楽しそうにはしゃぎながら……本当に解せない。私はこれ、怖いんだけど……。
「楽しかったです! お姉さん、凄かったです!」
「そ、そう……? それならいいけど……。とにかく、しばらくは野宿はさせません。歩けるところまで歩いて、その後は今日のように私が運びます。これで王都まで向かいますよ。それと──ソフィア、貴方今日から常に気力を使い続けなさい。枯れるまで、毎日、五年間、ずっとです」
「……え? それってどういう……」
「ご飯を食べる時も、お風呂に入っている時も、常に使い続けるんです。今はまだ、起きて少し経ったら枯れてしまうでしょう。それで構いません。使い続ければ格も器も育ちます」
「そんなことしたら大騒ぎになりますよ! 物を壊したりとか……」
「擬態するのです。気力を使っていないように普通に歩き、気力を使っていないように普通に食事をとりなさい。優れた気力持ちに見られれば分かりますが、それは気にしなくていいです。寝るときはしなくて構いません。でも、そうですね……物を壊すのが怖ければ、まずは歩くところから始めましょう」
私もかつて教えてもらったことだ。彼女にも受け継いでもらおう。彼の教えを。
「そうやって、少しずつでも、使える量と強さを鍛えていくのです。私もそうやって育ててきました。もちろん今も続けていますよ」
「今もって……今もですか!?」
「今この時も、です。戦闘のない日は枯らして休んで枯らして休んでの繰り返しです。戦闘がある日は勝手に使いますからね。魔力もそうしていますが、今のソフィアにはきついかもしれませんね……何か手を考えないと」
「お、おねえさん、これ、きつい、です!」
「修行はきつくて辛いものです。すぐに慣れますよ」
「う、ううぅ……!」
コンパーラから次の街を目指して街道をゆっくり歩く。今はちょうど──盗賊を皆殺しにした辺りだ。メガネがあれば外道を燃やして埋めた辺りが確認できるのだが、今の私ではそれを認めることはできない。
聖女……ソフィアの気力の器は出会った当時のリリウムと比べてもかなり狭い。格もおそらく低めだ。だがまぁ、この娘はリリウムよりも確実に若いわけで、この年頃の少年少女達と比べれば、かなり優れている方だと言えると思う。
今もきついきついと言いながらも、言いつけ通りにメニューをこなしている。本当に頑張り屋さんだ。
そんな彼女に触発されるように、私も格の成長を目指して……気力の強さを一段二段と上げていっている。これほんとにきつい。
二人して身体を壊さない程度の負荷を掛け続け、ソフィアの気力が枯れたら休憩をし、また歩く。日が落ちそうになったら街へ走って一泊し、また歩く。何が楽しいんだと思うような日々を過ごしているが、この娘は弱音も文句も吐かずに楽しそうに毎日歩いていた。
「サクラさん、これすごいです! 気力の量が増えてるのがはっきりと分かります!」
「私としては何でこれが一般的な修練法になっていないのかが不思議でなりません。使わなければ育たないというのに」
ギースの教えを私なりに噛み砕いて生み出したリリウム式気力修練法。
気力をひたすら使って枯らす。これを日々繰り返すことで器の拡大を図り、同時に気力操作の習熟を促す。擬態を取り入れることで時と場所を選ばせないブラックメニューだ。
回復を待っている間はひたすら気力を身体に充填させる速度を上げる訓練を積む。抜いて入れて抜いて入れて……。少しでも手を抜けば十手が飛ぶのだが、ソフィアは模範的な生徒なので一切手抜かりがない。リリウムも少しは見習って欲しい。
歩いている間は板を頭の上に置いて、ついでにバランス感覚を養うというおまけ付きだ。この娘がここが人一倍優れていた。これはただ歩いている間もやらせている。
「ソフィア、地面が抉れています。足を上げる際に地面を蹴り飛ばさないように。静かに持ち上げなさい」
「はい!」
何セットかそれを繰り返して、この頑張り屋さんがふらふらになった辺りで修行は中断。抱き上げて街道を走って街へ。
お風呂にも入れてあげたいが、もうすぐ王都に着く。今しばらくは身体を拭くのみで我慢してもらおう。
「お姉さんお姉さん! 王都! 王都が見えてきました!」
「王都に来るのは初めて?」
言葉通り、街道から王城が見えてきた辺りからせいじ……ソフィアのテンションが上がりっぱなしだ。ウキウキと楽しそうにしながらも頭上の板を揺らさないところに成長を感じる。足元は少し抉れているけれど。
「初めてです! エイクイルから出ることもそんなにありませんでした。エイクイルからは王都に行くより船に乗って西大陸へ行く方が人気があるみたいです。私もコンパーラから東へは初めて来ました!」
あそこからだと王都より港町に行く方が圧倒的に近い。ナハニアも遠いだろうし、迷宮目当てならルナを目指した方が楽しいだろうと思う。西大陸へも比較的短期間で渡れるそうだし。そもそもガルデには……言っちゃなんだが特産品とか、そういうものがない。良くも悪くもただの大都市だ。
「そうでしたか。日課として気力は枯らしてもらいますが、毎日修行漬けというわけではありません。余暇は楽しんでいいですからね」
外界に出た経験の少ない少女であるのだから、きょろきょろするのを咎めようとも思えない。この娘は馬でも馬車でも商人でも、道行く物に何でも興味を示す。本当に犬みたいだな。
ふらふらとあちこちへ向かってしまわないので、そこだけは手がかからなくて楽だ。
相も変わらず長く、遅々として進まない行列を何とかやり過ごし、王都の東側まで移動して宿を確保する。
街中を色々見たがっていた様子だが、まずは当面の方針を定めなくてはいけない。観光はその後にしてもらおう。
最近よく利用しているので、宿の受付の人の応対も慣れたものだ。ソフィアに視線を向けられたが、特に何か言ってくることはなかった。
「今日はお風呂に入って……その後はお休みにしますが、気力はしっかりと消費してから眠ること。明日は街中を歩き回ると思うのでしっかりと休みなさい」
「分かりました! それであの、サクラさん」
何? と顔を向けてみると、ソフィアは部屋に視線を巡らせてから口にする。
「このお部屋……広すぎると思うんですけど……お、お金……もったいないなって」
私は大部屋を一室取っていた。
この世界は冒険者や旅人というものがそれなりの数、当たり前のように行き交っている。中には一人用、広くても二人用の部屋しか用意されていない宿というものもそれなりに存在するのだが、冒険者とは二人以上でパーティを組むことが多い。
そういった冒険者に需要があるのか、中部屋や大部屋といった部屋を備えている宿というものもまた、それなりに存在するわけだ。
過去に冬のパイトでリューンと二人で過ごした宿のように、大部屋を安価で貸し出して寝具の調達は自分達で行う……という形態に特化した宿というのも決して珍しくないということを今では知っている。ここはそれとの折衷のような部屋で、普通であれば備え付けられている寝具の類が無く、別料金を払えば……宿の物をいくつか運び込めるようになっている。
中部屋にベッドを三つと机とテーブルなどを並べれば……身体を動かすには手狭だ。室内でチャンバラをさせるわけではないが、素振りやストレッチは冬の間も日課にしてもらいたいし、部屋は広いに越したことがない。
料金の差は些細なものだ。ケチってしまっても仕方がない。
「説明はしませんが、理由があります。お金のことは気にしなくて構いません。貴方がいなくても、私はきっと大部屋か、広めの中部屋を一つ取っていたでしょうから」
「そ、そうなんですか……理由があるなら、はい、分かりました」
「よろしい。ベッドを整えたらお風呂へ行きましょう、洗濯物も溜まっています」
入浴に洗濯、そして夕食を済ませた頃には、既に日は落ちてしまっていた。
ソフィアには昼と夜の二食、バランスよく肉も野菜も食べさせている。日が落ちてからしか肉食をしないというエイクイルの規則はすっかり過去の物になっていた。大食ではないが、モリモリと食べるので見ていて気持ちいい。
支払いを彼女にさせ、財布を預かって宿まで戻る。その日は彼女も疲れていたのか、私のベッドに入り込んですぐに眠ってしまった。