第百三十二話
彼女の教育方針については……。気力は私が見てもいいが、剣術は全く指導ができない。私が指導すると全力で首を狩るだけのマシーンになってしまうと思う。
リリウム式で気力をしごいて、剣はギルドのマスターにお願いするか、どこかいい場所を教えてもらおう。
気力も素人の私が指導するよりはもしかしたら気力学校へ預けた方がいいかもしれない。遠当ての素養があれば……難しいかな。
先に気力学校に見てもらって、素養があったら預けてみるか。なかったら私がしごけばいい。
だがそれは後で考えればいい。今はとりあえず魔石だ。パイトで一番面白味のない光迷宮でちゃちゃっと浄化白石を集め、次いで水石を回収するために第五迷宮へ出戻る。
空気のペンダントに使用した浄化緑石は捨てても惜しいほどの小さなものでしかないが、日本人の性か、これの効果を切らすのはもったいなく感じてしまう。ギルドのマスターのものが伝染ってしまったかもしれない。
水迷宮は鮭がいないものかと随分探し回ったのだが……そんな都合よくいるわけもなく、今のところピラニアとかワニとか、サメみたいな真正面から殺しにかかってくるような水棲生物しか見ていない。
今は防具……特に靴が以前に比べて貧弱なので、毒を持っているらしい海蛇やタコなどが足元から這い寄ってくる階層は全力で無視して奥に突き進んでいた。
逆はあっても、小型の生物から中型や大型の魔石が生成されることはない。強さの割に小型の魔石を残すものは、質が若干よかったりすることもあるらしいのだが……私の場合質は上に振り切っているので、欲するのは質より大きさ、量だ。
「手頃なのはサメだな。あいつらはカモネギ枠だ。集団で襲い掛かってくるのは大層怖かったけど……鼻先を小突けば死ぬ。もう恐るるに足らん」
サメは骨格の問題なのか、当たりどころが悪いと私でも一撃で殺しきれない。腹をぶち破る程度では魔石にならずに平気で噛み付いてくるのでびっくりするのだが、この動きにくい階層で向こうから近寄ってきてくれる、中型の魔物……好都合だ。私はサメが大好きだ。
ちなみに現在の階層は二十を越えており、階層は水で埋め尽くされていて、私は天井に張り付いている。十手の異常な浮力は健在だ。
この迷宮への同行を認めるわけにいかなかったのは、こういう事情もある。私は……十手を手放さないと、うかうか沈むこともできないわけだ。
「北側は終わった。風石はまだ沢山あるし、闇石は後回しにするとして……服も乾かしたいし、先に火だな。十層超えたら行けるところまで行って復路で狩り尽くそう」
濡れネズミで往来を歩く冒険者の姿は、この世界では決して珍しいものではない。少なくとも迷宮都市内では。
酒場や食堂で隣り合った冒険者が焼け焦げていたり、濡れていたり、泥に塗れていたり……そんなことは当たり前。
宿に戻って服をせめて絞りたいという欲求がないわけではないけれど、こんな私の姿も、パイトでは日常の一部でしかない。
北から中央まで歩いて、パイトの中心部……第一迷宮にやってきた。今は夏、人っ子一人いない。
「それにしても、第一迷宮は熱い。暑いなんてレベルじゃない……耐熱なしで飛び込むのはアホだな」
別に私とてアホではない、ここが暑いことも、対策グッズが売られていることも知っている。
それでもあえて耐熱なしで飛び込んでみたのは……生力について自身で調査をするためだ。アホじゃない。
気力も魔力も神力も、格と器があるわけだ。おそらく生力と精力もそうだと思う。生力が自然治癒力や耐久力、耐熱や耐寒といった要素に関わる力であるのなら……格はともかく、器とは何なんだろうか。それはともかくとして。
格を上げていけばマグマに飛び込んでも平気になるだろうなどとは考えていない。ただリリウムは……明らかに体温四十度を優に越えるような環境に放り込まれ、現に突破し……それでもタンパク質が固まって死に至ることなく普通に過ごしていた。あれが生物の理を最初から外れていたとは、考えにくい。
ならば私も、そのくらいであればなれるんじゃなかろうか。そしてもし私がなれるなら──。
「まぁ、なにはともあれ調査が必要だ。彼女達を火炙りにするにはまだ……まだ早い」
嫌がったらロープでふん縛って……ただの縄じゃ焼き切れるかな? となると金属の、手枷足枷──。
あまり奥へ進み過ぎると今の私では焼け死ぬ恐れがある。細心の注意を払って階層を奥へと進み……十五層で限界を感じたので、十四層まで戻って引き返しながら狩りを進めた。
セント・ルナの溶岩地帯などもそうではあるのだが、迷宮は奥に進むにつれて、階層の環境も酷くなる傾向がある。
パイトは一見違いは分からないのだが、気温が徐々に上がっていくせいで……退き時を誤った冒険者の死亡率が六迷宮中一番高いということは知識として持っていた。耐熱装備にも限界というものがある。
「真に怖いのは魔物より過信。教訓だね」
火迷宮の中層以下を狩り尽くし、不本意ながら闇迷宮近くの魔導具屋で暗視の御札の魔導具を購入して浄化紫石を収集する。死神を相手にするのは止めておいた。あそこまで行くのが大変だし、あれが本来の終層の主とも限らない。
翌日再度火と水迷宮で魔石を回収したところで、私のお仕事は終了だ。
魔石の整理を後回しにして、お風呂と食事を済ませてから早めに床に就く。
「芳しくはない」
霊鎧の一件の調査は進んでいなかった。あまり期待もしていなかったけれど、調査は継続していくとのことなので定期的に訪れようとは思っている。
実は聖女ちゃんが敵対神の使いだとか、エイクイルが敵対神関係の国だとか、色々想像はしたことがあった。だが、私から呪いが、十手から女神様が抜け落ちた今……そのどちらも違うような気がしている。
ただの予感でしかないが、私のこれは……結構当たる。死の予兆を感じ取れたくらいだ。その後死んだけど。
早起きして霊鎧とカモネギを狩り、管理所へ向かい、買い物を済ませてついでに土石でも集めるか……なんてことをしていると、お昼も近くなってきていた。
慌てて南へ向かい、その途中でパニーノをいくらか買い込む。門には既に彼女と、そのお見送り部隊が総出で待ち構えていた。
「ここに残る気になった?」
「のっ、残りません! お別れはきちんと済ませてきました!」
ちょっといじわるして認識阻害をかけて物陰から近付き……解除して後ろから声をかけてみた。ビクッとしたのが彼女一人だけではなかったのは、少し申し訳なく感じたが。
私が来るまでは不安そうに周囲をキョロキョロしていたのに、ちょっと煽ってみたらこの通り元気になる。あの儚い美少女っぷりはもう二度と見れないのかもしれないと思うと、寂しさで胸が切なくなるが──。
「そう。なら行きますよ」
「分かりました! 皆も、どうかお元気で!」
一波乱あると思っていた。うちの聖女ちゃんを連れていくな! だとか、勝負しろ! だとか。
だが特に何もなく、聖女ちゃんはエイクイルを離れ、私に付いてくることを選んでしまった。どこまで相手できるかは分からないが……せめて一人で食べていけるようになる程度までは、鍛えてみようと思う。
「今からコンパーラへ向かいます」
今は当然、コンパーラまでの街道を二人で並んで歩いている。大きめの鞄を背負った彼女と手ぶらの私。荷物持ちに使っているとか思われないだろうか。
「そこからガルデ……王都へ向かいます。冒険者ギルドに所属していますか?」
「はいっ! まだ八級ですけれど、ギルド証は持ってます!」
八か。一緒に依頼は受けられないけど……いいか。食い扶持を稼ぐにはある程度ランクがあった方がいいだろうけど、そこは私が引っ張り上げるわけにはいかない。
「王都へ辿り着いたら本格的に剣も気力も修練を始めますが、まずは体力作りのために歩き──その前に大事なことを忘れていました。魔導具は持っていますか?」
足を止め、向い合って目を見て問いかける。今ならまだ、彼女一人でもパイトへ戻れる距離だ。
「いえ、何も持っていません。あ、あの……必要でしたか?」
「その鞄も魔法袋ではありませんね?」
「違います。普通の、ただの鞄です」
「そうでしたか──いいえ、その逆ですよ。一つだけ約束をして下さい。これを違えたらその時点で即お別れです」
「私と一緒に居たいと言うのであれば──迷宮産や、由来の知れない魔導具は、絶対に身に着けても所有してもいけません」