第百三十話
マスターの呼吸が安定してそれなりに楽そうな顔をするようになっても、ギルド証はできあがってこない。知りたいことはあらかた聞いたが、黙っていても仕方がないのでこのおっさんと話を続けることになる。
「大きさはともかく、私は似たような質の魔石を過去にそれなりの量卸したことがあります。私の収入源ですから、今後もあると思いますが」
「今回は見なかったがね、普段は二級の審査の際に法術師には魔石を実際に生成させる。だがあの大きさのものを作れと命じて、職員をナハニアやルナの危険地帯に連れて行かれても、俺達としては困るわけだ。俺が長くここを空けるわけにもいかん。それに、それであんたが昇格を諦めてここを去ってもまた困る。こっちとしても苦渋の選択だったんだよ」
「困るのですか?」
「ああ、困る。特級品の浄化橙石を生み出せる法術師が埋もれるなんていうのは大損失だ。認知されていなければいざというとき頭を下げに行くこともできない。かといってそれが三級や二級でいて、圧力掛けて無理強いしようものなら……あんたなら二度と近寄らないだろ? 正攻法で国に出入りする手段の一つとしてギルド証が欲しかっただけのはずだ。今までなくても問題なかったし、今も別に大して必要としちゃいないだろう」
「マスターにもそういった経験が?」
「俺達も最初はそうだった。六級あれば食うと寝るには困らない、ドラゴンは勝手に狩ってきて売ればいいってな。それが四級を突破した辺りから、護衛をしろだの式典に出ろだの大蛇を引っ張ってこいだの……散々上から言われたよ。その度にあちこち国や街を移動して、最後はパーティが分裂した。そして俺は年を取り、こんなところでギルマスなんてものをやらされている。──半端な階級のままでいると、厄介事も増えるのさ」
「もし私が貴方のいうところの半端な階級の者と組んだとしたら……その者に圧力を掛けてくるようなことがあると思いますか?」
「……半々だな。適正な難度の依頼をそいつにギルドが持っていくことは問題がない。ただ、組んでいると明確にされていればどうしても二の足を踏む。先にあんたに頭を下げに行かなければならない。恐ろしいからな。ギルドは……俺はそういう認識だが、アホはどこにでもいるもんだ」
しかし、と言葉を続ける。
「それは冒険者としてギルドに、国に認知されていればの話だ。俺が口に乗せていいことではないが、抜け穴はいくらでもある。うっかり紛失してしまってギルド証を作り直してるエルフなんて、そう珍しくもないからな」
「──なるほど」
「ここではやらないからな。やるなら他所でやれ」
再発行をせず作り直す……というより、いくつか持って使い分けてしまうというのも手か。めんどくさそうな顔をしたマスターは、存外親身にアドバイスをしてくれた。
「大変お待たせ致しました。こちらが一級のギルド証です」
お盆に載った、湯気を放っている不思議な質感の名刺大のプレート。綺麗な板状ではなく少しボコボコと歪んでいる。石ころのような黒に近い灰色をしているのだが、石なのかな? 金属だと思うのだが……。
表面には階級に加えて名前と性別。裏面には法術師であるということと、発行がガルデの王都であることが刻まれている。日付のようなものは見当たらない。
「不思議な材質ですね、これは金属ですか?」
「アダマントやアダマンタイトなどと呼ばれている魔法金属だ。熟練の職人と専用の器具を揃えても、板状に整形して名前と性別を彫るだけでこの程度の時間がかかるほど……とにかく硬い」
「……ん? ひょっとして、マスターの剣と鎧は──」
「ご名答だ、よく分かったな」
「質感が……似ていたような気がしましたので」
「ドラゴンに踏まれた程度じゃびくともしない、これを破損させるようなことがあればよっぽどだ。ちなみに再発行は大金貨千枚は必要だからな」
「──そういう話は最初にしておいてくださいよ。常に持ち合わせがあるわけでもないんですから」
「再発行は、だ。初回は小金貨一枚だ。三級や二級もこれほどではないが、特殊な合金を使うからな。原価も高いし発行するとギルドは赤字なんだよ。名前を彫るだけでも大変なんだ、職人にも申し訳ないだろう」
「それは……確かにそうですね。一度で済むならそれに越したことはありません。それに再発行するより一からやり直した方が安い……そしたらマスター、またデートしてもらえます?」
「二度としねぇっつってんだろうが! 赤字が増えるんだ、本当にやめてくれ!」
元冒険者のギルドマスターも、すっかりお役所に染まってしまったようだ。
小金貨一枚を支払ってギルドを後にする。さて今後の予定を……と行きたいところなのだが、どうしよう。一度パイトに戻ろうか。
(リューンと出会えるかは分からないけど、魔石は彼女のおもちゃになる。会えなかったとしても冷暖房は欲しいし、市販品を買うにしてもどの道動力として必要になるんだよな……)
火石と水石は王都近辺でも大猪や大黒鹿から手に入るのだが、数が少ない。大した量は必要としないのだが、迷宮に行くと下手したら数が樽で増える。次元箱をただの魔石倉庫にするのは……切ない。
(とはいえまだベッドを運び込めるような大きさでもない。私と一緒に箱の容量が拡がるとは限らないが、やっぱり瘴気持ちを探し──そういえばここ、冒険者ギルドじゃない?)
満面の笑顔で出戻った小娘を、おっさんは心底嫌そうな顔で迎えてくれた。
いつだったか……確かリューンと二人きりだった頃の話だったと思うのだが、聞いた覚えが確かにある。ガルデは辺境、田舎だと。
王都ガルデや女神様の神域は北大陸の南端に近い位置にあり、そして大陸は西にも東にも、そして北にもまだまだ私の知らない街や国が多数存在する。
別にそれらの国や街に興味があるわけではない。私に興味があるのは、私の知らない瘴気溜まりが多数存在するのかどうかだ。
「あるにはあるが、大規模な物はないと言ってもいい。言葉遊びになるが、中規模くらいまでのものならそれなりに情報は入ってきている」
「そこはここからだと遠いのですか?」
「かなり遠いな。浄化黒石が目当てなんだろうと思うが、正直船で東か南大陸に出向いた方が確実だ。小中規模の瘴気溜まりなんてものは大事になる前に国や領主が必死で掃除をしている。現在残っているかも分からん」
あてが外れてしまった。遠いところわざわざ出向いて綺麗さっぱり掃除されていたら……悩ましい。正直暇だから行ってもいいのだが、なぜそこまでして浄化黒石を? となるかもしれない。
「そうですか……分かりました、情報ありがとうございます」
「悩ましい。私はいつもいつもどうしてこう……本当に暇か本当に忙しいかで極端なんだ」
早めにお風呂と夕食を済ませて、かつて拠点にしていた──そして今も利用している宿へと戻った。他の宿を使ってみてもいいのだが、私はこれで十分だと思ったら、そこから動こうとしない傾向がある。
流れで一級冒険者なんて地位を手に入れてしまった。身分証はそれなりに欲していた物ではあったのだが、過去を含めてもこれが役に立ったことは……下手したら一度もないんじゃないか?
特に今は横着しようと思えば国の中に直接移動できる。それも今だけ……になるかはまだ分からないけど、リューンと組めば何かと便利なこともあるだろう。同じくらい面倒事が舞い込んできそうでもあるけど……ガルデを離れてしまえば気にしなくてよくなるとは思う。
「それに、魔石七個で手に入った地位だ。案外一級冒険者なんてものは腐るほどいて……私も有象無象の中の一人に過ぎないのかもしれないし」
ここ数日はずっとのんびりとしていた。やっぱりパイトに行ってみようかな。早めに全種類の魔石を集めておきたいが、次元箱は本当に育つのだろうか……。このままだと魔石樽倉庫になってしまう。
かつて水の交換は私の大事な日課の一つだった。最初にこの世界に呼ばれた頃、水を求めて大変に苦労したことは今でも褪せることのない記憶として私の中に刻み込まれている。
そして時が流れた今、私は浄化で盛大に横着をするようになってしまった。喉元過ぎれば何とやらだ。
「大樽いくつ分もある水の中身を入れ換えるっていうのは、大仕事なわけですよ」
心情的には微妙だが、浄化をかければ水は飲める。小さなゴミや虫が浮いているくらいなら取り除いて飲んでしまえる程度には、私の常識もこちら寄りになってきている。それを捨てるだなんてとんでもない。
保存の効く酒を使うという手も考えたことがあるが、あれは結局止めてしまった。大して好まないお酒を飲んでアルコールを浄化するくらいなら、最初から水を浄化して飲んだ方がいい。
とはいえ、気力に魔法袋から始まって次元箱を手に入れたのは割りとすぐだった。しばらくして手に入れた家には井戸があったわけで……水の確保に苦労したのは本当に最初の頃だけだ。それからは大層恵まれていただろう。文句を言っていたらバチが当たってしまう。
という訳で、やってきました迷宮都市パイト。本日は第五迷宮、通称水迷宮の前よりお送りしております。実況はわたくし、サクラと──。
「お姉さん、私頑張ります!」
解説の聖女ちゃんでお送りします。解せぬ。
いつものように街道沿いに認識阻害転移を繰り返し、白昼堂々パイト北側の裏路地に忍び込んだ私。認識阻害を切って迷宮に向かおうとしたところで、はたと気づく。
「そういえば、空気のペンダント持ってなかったっけ。あれないと途中で詰まるな……仕方ない」
ここで諦めて低層の攻略に絞っていればよかったのだが、夏場、水迷宮は人気のスポットだ。低階層はきっと人でごった返している。多少奥まで進めば人も減るだろう、どうせ暇だしと、私は北から南へパイトを縦断してしまった。目的地は第四迷宮近辺の魔導具屋。裏路地に隠れて転移で移動するのも手ではあったが、流石に横着しすぎだろうと思い直して歩いていたわけだ。
北から中央区に行き着いた辺りで「お姉さーん!」と聞き覚えのある……酷く懐かしい、鈴の音のような可愛らしい声が私の耳に届き、いつもの可愛いやつが、私の胸に飛び込んできたわけだ。
毎度毎度思うのだが、この娘はどうやって私を見つけているんだ? こんなところで出会うものなのか。
「あら……。エイクイルの騎士団と一緒に居た子ね。こんにちは」
「こんにちは! えへっ、会えて嬉しいです!」
この娘が剣を持つようになるのは……既定路線だったのだろうか。今も左腰に一本吊るされている。
服装はいつもの聖女服で、汗臭くもない。この様子だと、今から迷宮へ行くところだった? そういえば前にもこんなことあったな。
「私も会えて嬉しいよ。でもごめんね、私今からやることがあって」
「迷宮ですか!? わ、私も修行にこれから入るところだったんです!」
「迷宮ではあるんだけど、その前に魔導具屋にね。北の迷宮に入るから、空気の──」
「わ、私も! 私も持ってます! 今持ってます! 私も一緒に行きたいです!」
うん、そういえば前にも、こんなことあったな。
「ダメよ。深いところまで入るから、お嬢さんに何かあったら責任取れないもの。騎士の人も心配するわ、皆の所へ戻りなさい」
話はここまでと、ピシャリと言い切って南へ足を向ける。今の私は切れ者のお姉さんで通っているのだ。服装もほら、ピシっとした軍人みたいだし、帽子もかぶっている。
自分一人ならなんとでもなるが、聖女ちゃんを連れて迷宮に入るのは正直怖いし。それ以前の問題として私には何もメリットがない。今は浄化のことはエイクイルに割れて……おそらく割れていないのだから、わざわざ漏洩させることもない。
一緒にご飯を食べるくらいなら付き合ってもいいが、十代前半の少女を……あの危険地帯に連れて行くのはダメだ。っていうか誰か止めろよ、保護者はどこだ?
聖女ちゃんは後をついてこなかった。私は振り返ることなく魔導具屋まで向かい、ペンダントを予備を含めて購入して道を戻る。
それにしても暑い。ずっと耐寒耐熱の魔導服を着ていたからこういう微妙な気温が堪える。そういう機能付きの外套でも売ってないものだろうか、というかこのコートに機能を織り込めないかな? 明日にでも王都で相談してみよう。
ペンダント用にヒヨコとダチョウを数羽屠って魔石を回収して中央へ向かうと、そこには聖女ちゃんと……何やら見覚えのある中年神官が一人待っていた。
いつぞや、第二迷宮で彼女を諌めず私に同行を頼んできた中年の女だ。なんなんだもう……。
「あの……」
無視して横を通り過ぎ、そのまま北へ向かおうとするも、服を掴まれてしまう。
「離しなさい。優しく言っている間に聞き分けてくれると嬉しいのだけれど」
「あの、ダメですか? 邪魔はしませんから!」
「ダメです。手を離しなさい」
「ううぅ……」
手は離してくれたが泣き出してしまった……。それはかなり効くので止めて欲しい。
結局その日は興が乗らず……浄化蒼石を少しだけ回収して、かなり早い時間から近くの宿で一泊した。
溜息が止まらない。