第百二十九話
「本当にあるとはな……おい、早いとこ済ませろ。手荒に扱うなよ」
私が手荒に扱った浄化橙石を丁寧に布で包んだ細身の男は、一礼して魔石をどこかに……持ち去ってしまった。ここで査定するんじゃないんだ。
「姉ちゃん迷宮はどの辺まで入ったことがある?」
「単独でならルナの六十五層程度です」
「十分だ。そうなるとここじゃ場所が悪いな。明日……いや明後日だな。都合はどうだ? 空いていれば早速模擬戦を行おうと思うんだが」
「構いませんが、ルールはどのように? 得物や防具は?」
「ルールは一応言えない規則になっていてな。武具も好きにしていい。刃に布を巻く必要もないが、腕を見るための模擬戦だからな。速攻で全力で殺しにかかるのは止してくれ。魔法も会場を破壊し……なぁ、アンタ──」
「攻撃系の放出魔法は使いません」
正確には、使えません。普通は使えるものなんだよね。
「なら魔法学院ではなく騎士学校でいいな。明後日昼過ぎに来てくれ、話は正門に通しておく」
「分かりました。今日はこれで?」
「今アルト商会の人間を呼びにやっている、もう少し待ってくれ。確認が終わったら帰っていい」
アルト商会の中年護衛がやってきて、彼によって私の護衛の事実が証言された後……ギルド証は没収された。私のランクがどこまで上がるか分からないから……とのこと。
東門からなら王都の外に出てもいいと言われていたが、特にやることもないので宿とお風呂とを往復して大人しくしていた。
そして模擬戦当日、騎士学校を訪れた私は門衛に案内され……運動会かお祭りか何かといったような喧騒の中、グランドの周辺を埋め尽くした騎士学生に囲まれ、その中央でギルドのマスターと対峙することになる。
「──これは何事ですか? 聞いていないのですが」
マイクのような……拡声の魔導具があるのだろう。それによって私とマスターの言葉が周囲に響く。近所迷惑かとも思ったが、この辺には学校があるのみだ。気にしないでおこう。
そして今日はおそらく休日に当たるのだろう。教職員や指導員と思しき大人も大挙して見物に来ている。
「いや何、せっかくだからな、大事にしてみたんだ。面白いだろう? 晴れて一級へ昇格できれば、姉ちゃんに手を出せる権力者はいなくなる。アホは出てくるかもしれないがね。二級に留まればガルデからちょっかいがかかるかもしれない。三級止まりならギルドから山ほど仕事が押し付けられる。やる気が出るだろう?」
「っ……ええ、とても。話を聞く前に一つ確認をしたいのですが、この場で貴方を殺した場合、私は罪に問われるのですか?」
「もちろん問われない。だが言った通り、これは力量を見るための試験だ。開始数秒で殺すような真似はしてくれるなよ」
年季の入った、頑強そうな黒い全身鎧に身を包み、無骨でよく手入れされていることが一目で分かるような、同じ色の両手持ちの大剣を肩に乗せて……マスターは快く己の殺傷許可をくれた。
だが簡単にはいくまい。ふざけた男だが、この自信は決して虚勢でもおちゃらけによるものでもない。
「ルールをどうぞ」
「今回は三級と二級の審査を同時に行う。制止がかかるまで戦闘力を見せてくれればいい。それを見て昇格の判断を下す。話が早いだろう?」
「──ええ、とても」
リューンやリリウム以外とこうして立ち会うのは久し振りだ。対人の経験は少ないが、殺してもいいと許可は得ているし……近当ては解禁しよう。
身体強化を最高レベルに強め、十手を抜いて開始の合図を待つ。あの剣……破壊できると思わない方がいい。鎧もかなり怪しい。下手したら不壊クラスの耐久力があるかもしれない。
年代物のようなのに、傷一つ付いていないように見える。それにあの自信──。
浄化は不要だが、《結界》も足場魔法も使う。こんなところで死んだら女神様に顔向けできない。逃げても良かったが、あのマスターに良いように扱われたままなのは癪だ。
「それじゃあ行くぞ──始めっ!」
マスターの合図と同時に足場を踏み込んで全力で駆け出し、真正面から渾身の打突を腹部に差し込んで近当てを入れる。これで死ぬとは思っていない。
剣を構える暇も与えぬまま会心の一撃を叩き込み──まぁ、些か派手に……騎士学生の囲いをぶち破って飛んでいってしまったが……死んではいないだろう。場外もない、おそらく。立ち位置を戻してしばらく待機していると、土埃にまみれたマスターがこちらへ向かって駆けてきた。鎧は……無事に見える。遠目がないと不便だなやっぱり。
「何を聞いていた! 開始早々殺しに来るなと言っただろうが!」
拡声でマスターの怒鳴り声が辺りに響く。元気そうだが、効いていないのか……?
「頭でも喉でも心の臓でもなく、きちんと腹の、鎧の厚みがある部分を狙ったじゃないですか。腕も足も動くでしょうに、殺しに来たとは酷い言い掛かりです」
「……続けるぞ、見ての通り俺はそう簡単に死にはしない、存分に来い」
気付いてしまった。この男、虚勢を張っている。実は足がガクガクなのが目に見て取れる。打突本体は鎧によってかなりダメージを抑えられたようだが──。
「ルールを一つ付け加えて頂けませんか?」
「言ってみろ」
「部外者の……審判の制止があった場合、私はそれぞれの審査を突破したものと見なされる、と」
「……いいだろう。騎士団長! 聞いての通りだ、俺が止められなかったらお前が止めろ!」
マスターとの試合は、それはそれは楽しい時間となった。
リビングメイルより機敏に、意思を持って、力強く振るわれる剣。それを弾き、鈎で受け、棒身で止め、頭に、肩に、喉に、胸に、いくらでも打突を加えられる。反撃の際に何度か危うい場面もあったが、その全てを棒身と鈎で相手できたのは……私も少しは成長したのだろうか。保険で控えさせていた《結界》の出番はなかった。
近当てを入れて早々に足腰をガタガタにして終わらせる手もあったのだが、この修練は私にとってかなり有意義なものだ。
「もうさっさと殺せ! いつまでやらせる気だ!」
「殺すなと言ったり殺せと言ったり、忙しい人ですね。──楽しいんですもの。私正直、もう別に昇格できなくてもいいので、ここでいつまでも貴方と遊んでいたいのですが」
私は楽しい。観客は派手な音と斬撃打撃の応酬に沸きに沸いている。マスターが一見余裕そうに見えるためか、騎士団長とやらからの制止の声もかからない。目の前の男以外皆幸せだ。
「俺ぁもう腕も腰もガタガタだ! 明日からしばらく仕事になんねぇぞこれ……」
「まだ動けそうですね、もう少し続けましょう。今度は私から行きますね──」
こうして壊れない相手をぶん殴っていると明瞭なのだが、突くより殴った方が相手に残るダメージは大きい。
突けば体外に突き抜ける衝撃が、殴れば体内に広く深く残るような、そんな確かな手応えがある。殺傷するなら突だが、破壊するなら打だ。
そして私は恨みを存分に晴らし、今はただ己の研鑽と娯楽を兼ねて、壊れないギルドマスターをぼこぼこにぶん殴っていた。反撃もきちんと飛んでくるので凄く楽しい。
まぁでも、あまり袋叩きにするのも……と思いもする。一度距離を置いてから起爆点を設定して──強襲して全力で放った打突の一撃に何か感じるものがあったのか、これまで以上の俊敏な速度でギルマスが両手持ちにした剣で十手を受け──強引に胸部まで十手を押し込んでから、鎧に触れた瞬間に着火させた。剣や腕に近当てを当てたら手が折れるかもしれない。そのくらいの配慮はできる。
初回ほどではないが派手に全身鎧が宙を舞い、騎士学校の生徒と、教職員を盛大に巻き込んで吹き飛んでいった。
しばらく大人しく待機して……よろよろになった全身鎧のマスターがグラウンドに戻り、私が十手を構えたところで、審判から制止の声がかかる。
「これで私は二つの審査を突破したということでいいのですね?」
拡声は最初から最後までずっと効いているので、私の声もずっと場内に響いている。
「ああ、三級の審査も二級の審査も突破だ。姉ちゃんは一級の貢献点も溜まっている。この後ギルド証を発行するぞ」
周囲に歓声が響く。私のものではない。なんとなく手を振ってみると、歓声はより一層大きなものとなった。照れますな。
「マスター、今日はありがとうございました。またデートしましょうね?」
「二度としねぇよ!」
振られてしまった。残念だ。
「見たまえ。あの女性が戦っていた辺り……あれだけの動きをしていながら地面が一切えぐれていないな。均したままのようだ。どのような理由によるものだと思うかね?」
「わぁ、本当ですね! 凄く体重が軽いんでしょうか!?」
「馬鹿、そんなわけがないだろ……。歩法が特殊なのでしょうか」
「魔導具? でしょうか」
「靴は魔導具ですらない普通の物だったな。これはおそらく、障壁や結界といった魔法術式を足元に敷いて、終始それを足場にして戦っていたのだ。普通はそんなことはしない。しようと思っても中々できるものではないが……。酷く有用だ。あの強さはこのような工夫を積み重ねることによって培われたものだろう。皆も装備に驕らず、努々研鑽を怠ることなきよう励みなさい」
「一応仕事だからな、説明だけはしておくぞ」
その日の内にギルドまで移動し、現在貢献点を加算してギルド証……一級のギルド証を発行してもらっている最中だ。
なんでも、下位の物とは違って作成に時間がやたらとかかるらしい。素材が希少とか言ってたし、加工も大変なのかもしれない。
応接室にて美味しいお茶とお茶請けが振る舞われて私はとても気分がいい。一方のマスターはソファーに身体を投げ出して半死半生といった体。自業自得だ。
「まずギルド証を紛失した場合だ。普通は再発行は受け付けていないが、三級以上になると再発行が可能だ。だが今のあんたはこの王都ガルデのギルドでしか再発行ができない。基本的に大国限定で、存在と階級をギルドに明確に認知されていなければできないと思ってくれていい。あんたにはもう関係ないが、その際溜まっていた貢献点は切り捨てられる。再発行には安くない手数料がかかるからな、もったいないし大事にしてくれ。もう依頼を受けずとも失効することはないし、年会費も不要であることは伝えてあったな」
「姉ちゃんはどこのギルドであっても、掲示されている全ての依頼を受けることができる。だが誰かと組んで連名で依頼を受ける場合はその限りではない。一番階級の低い奴の一つ上の物までしか受けられない。駆け出し連れて依頼として悪魔やドラゴン狩りに行かれても困るからな。依頼の外で勝手に狩る分には、もちろんギルドは口を出さない」
「あと誰かと組んでも貢献点は頭割りで、普通に姉ちゃんにも加算される。あまり口出ししたくないが、外から手助けして誰かの貢献点を力技で引き上げたり、そういうのは危険だから止めてくれ。どの道審査が入るから上に行けるかはそいつ次第ではあるんだが」
「いくつか疑問があるのですが……私がこれ以上貢献点を積み重ねることによって、得られるメリットはありますか?」
「ない。ギルド証には貢献点が加算され続けるが、原則貢献点の開示はしないことになっている。職員がこっそり明かすようなことがなければ、あんたが合法的に知る手段もない」
「階級が下がったり、剥奪されることは?」
「危険ではあるんだが、どちらもない。ギルドの権限で剥奪が可能なのは二級までだ。一級冒険者のランクは下がらないことになっている。下げてもどうせすぐに上げられるからな」
「最後に……私の浄化橙石の貢献点、何故あんなに高かったのですか? 正直大したものでもないのですが」
「ガルデに限らないが、浄化橙石は防壁の要だ。そして城壁を増やしたり砦を建てようと思えば膨大な量が必要になる。だが懐が痛いから大金は出せないのさ、ならどこに価値を付けるかって話だ」
「冒険者にとっては……なるほど、都合がいいのかもしれませんね」
「あれが極上品なら同じ大きさで二級までに五十は要るし、特上品でも五百は必要になるだろう。それ以下の質なら雀の涙だ。特級品はそれだけ貴重なんだよ。金にならなくても、国からは評価されるのさ」
「手助けをするな、とはこういうことも含めてですか」
「ご名答。姉ちゃんがどれほど苦労してあの魔石を手に入れたのかは聞かないが、魔石七個とそこそこの戦闘技術で一級冒険者を量産されたらたまったものじゃないからな。一級冒険者は頼みの綱でもある、危険だから本当に止めてくれ」