第百二十二話
日差しを感じて目が覚める。いかん、寝過ごした!
「ごめんリリウム、寝坊し──」
知らない部屋だ。ベッドが一つあるだけの質素な、誰もいない部屋。
そういえば、死んだのに記憶残ってるんだな……魔法の術式が残るくらいだし、もしかしたら死というのは比喩なのかもしれないけど。
「はぁ……ご飯食べて猪……いや、狼探しに行こう」
朝方眠って昼前……ほとんど眠れていない。大して肉体が疲労していないというのがまた、私は随分と修練を積んだものだ。
そしてそれを知る者は今はもう、私以外に誰もいない。一人は気楽だとずっと思っていたはずなのだが、こうして一人になってみると……結構寂しいものだね。
身体を動かし、近くの店で水入れと朝食用のパンと果物を適当に買って袋にそのまま突っ込む。
もう間もなく昼になるし、急がないと今日もボウズだ。路銀が尽きたらまたコンパーラまで戻らないといけない……いや、そもそもあっちで情報を集める予定じゃなかったっけ? なんか精神がおかしくなってきている。十手が温くないから? 敵対神の呪いがないっていうのに、以前の方がよっぽど落ち着いていた気がするよ。
アルシュの門番にも森の瘴気持ちについて尋ねてみたが、期待した答えは帰ってこなかった。
「いるのは分かってるんだけどね……どこにいるかを、知りたいわけですよ。具体的に」
街から北東の森まで走り、今日も狼求めて西東。……索敵できないのが本当にきつい、やっぱり早く南大陸行かないとダメだな、効率が悪すぎる。
本日何度目かのため息をつき──向かいから歩いてくる一団から逸れ、軽く会釈をして去ろうとする、のだが、声をかけられてしまった。
「嬢ちゃん、今から森か? あそこは今イタズラ妖精が出るぞ、荷物盗られんよう気ぃつけな」
久し振りに聞くギースの声だ。涙が溢れそうになる……その一団の中に私がいないことが少し寂しいが、自分で蒔いた種だ。その妖精はここにいます。
「ありがとうございます。妖精? ……ふふっ、気をつけますね。あの、アルシュの街の方ですか?」
「そうじゃが、なんぞ?」
「あの森の近くに瘴気溜まりがあると聞いてやってきたのですが、場所が不鮮明でして。もし場所をご存知でしたら教えて頂けないかと」
「瘴気溜まりだぁ? あそこの入り口から森を道なりに進んで川を越えて北に行けば泉に出る。そこから西へしばらく歩けば狼やら熊やら、瘴気持ちは仰山おるよ。東にもいるが、溜まりっつーと西のことじゃろ」
「川を越えて北、泉を西……ですね。ありがとうございます、助かりました」
「おぅ」
頭を下げて一団から離れる。私が彼らと交わることは、二度とないだろうという予感がした。
「あの、ギース様。一人で行かせてよかったのですか? かなり軽装でした、森に入るような──」
「何を見とる、ありゃ紛れなく二つ持ちじゃよ。気力だけでも相当だが、魔力でも何やらやっとった。身体強化もな。かなりの手練じゃよ」
「そこまでなの? とてもそうは見えなかったけど……」
「分からんようじゃ、お嬢もまだまだだの。装備は貧相じゃったが……なに、人は見た目によらないもんじゃて」
沢を抜け、北の泉から真西の方へ地面を駆けると、そこはパラダイスだった。いやほんと、ギース大好き!
狼、猿、カバ、リス、そして初お目見えの熊。なんでもござれだ。
動物園もかくやといった品揃えだが、どいつもこいつも薄黒いモヤに覆われ、一様に眼が赤い。そして揃って好戦的だ。
リスすら私を食い殺そうと木の上から襲い掛かってくる。髪を食い千切られたら困るので、面倒だがこいつも接敵前に叩く。
だがそれでもここまで落ちっぱなしだったテンションがうなぎのぼりだ。喜々として周囲を濁った血の海に変えていく。
そして絶命した魔物から確かに光が……私に吸われていく。
小型の動物はいいが、カバと熊が少々問題だ。質量がそれなりにあって半死程度では構わず襲いかかってくる。確実に急所を潰す。具体的に言えば頭を砕く。
浄化が使えないとはいえ、気力と魔力二種の身体強化に近当てがある。攻撃力は十分だ。魔導服がないとはいえ、熊に噛み付かれでもしなければ……カバの突進程度で死にはしないだろう。
それから三日ほど固パンと果物に井戸水、それに水浴びだけの生活を続け、ついに……ついに! 待望の浄化が生えてきたのだ!
異変はすぐに察知できた。私を常に覆っていたふわふわ……あれがスッと体内に引っ込んだのだ。驚いて仕留め損ねた狼に慌てて止めを刺し、その光が私自身に吸われたのを確認したが、その時点ではまだ何もなかった。
この変化は格の成長とやらに間違いないだろうと、これまで以上に群がってくるようになった瘴気持ちをあしらい……そのまま更に数時間熊とカバを集中的に屠殺して回り……。やっと、ようやっと、術式のようなものが芽生える瞬間に立ち会えた。
「ふわふわはもう出てこない……索敵しようとしても無理だ。これで……いいのかな? 迷宮入っても大丈夫そう?」
試しに近くにいた……樹から飛び降りてきた猿を《浄化》する。収縮に要した時間は、瞬きする暇もないほんの刹那。そして……かなり大きい浄化黒石が残った。
「何これ大きい……おまけに純度も凄いな……。熊だ、熊はどこだ。カバも」
基本的に延々と雑魚掃討をするだけだったので、エルフの身体強化以外はカバと熊をギリギリ一撃で屠れる程度まで強さを下げることで、気魔力の消費を抑えていた。
突進してきたカバをいなして背後の樹にぶつけ、足場魔法で挟み込んでから気力の身体強化のみで浄化を込めて殴りつけてみる。それだけでカバは一瞬で魔石化され、宙に猿よりも更に大きめの浄化黒石を残して地面に落ちる。
身体強化を掛け直し、飛んでいった十手を回収してから二つの魔石を見比べるも……二回り以上違う。
「はぁ……やっと戻ってこれた……」
下腹部へ浄化を試みる。──消えてる。よしよし! よしよしよし! 瘴気持ち最高だ!
(これは一刻も早く南大陸へ向かわねば……浄化真石に手を出す? いや、今はその辺にはリセットがかかってるんだ。軽率に動かないでよく考えないと──)
それから街へ戻る頃合になるまで、延々とミンチと血の海を森に広げていくことになる。その日はもう何の術式も生えてはこなかった。
身体が若干血生臭いが……勘弁して欲しい。宿の部屋に逃げるようにして駆け込んでしっかりと鍵をかける。移動するにしても服の予備がないが、明日早朝から洗濯して……着ていればその内乾くだろう。
袋に残っていた食べ物を夕食に当てながら今一度成果の確認をする。四つの浄化黒石──。あれから狼の物を最後に一つだけ採取して浄化は止めていた。
「狼の魔石は確実に過去のものより大きい。これだけでも一回り以上違う。純度も……かなり黒が濃い。濁ってもいないし、質が良いことは私の目でも明らか。これは……特上以上の査定がつくな。きっと過去にこのレベルの魔石が存在したんだろう」
これまで私が使っていた浄化は似非もいいところだった。それでも査定で特上がつくような質の魔石になるのだから……さすが浄化の女神。
そして本物の《浄化》でこしらえた魔石は間違いなく極上品になるだろう。浄化真石もパイトに卸して間違いなく四、五十万以上の買い取りになるはずだが……今の私には大金を持ち歩く余裕がない。それに万が一にも真石の価値が跳ね上がったら、パイトから狙われることになるかもしれない……これは考えにくいけど。
「懐かしいな……魔法袋についてあれこれ悩んでたね。とりあえず迷宮品は絶対にダメ。まず人造の物があるかを調べよう。それまでは普通の魔石を売って身の回りの物を揃えよう」