第百十八話
北大陸の土を再び踏んだのはお昼も少し過ぎた頃といった時分。あまりここを懐かしいと思わなくなったのは、ルナに慣れきってしまったからだろうか。私は下手したら船に乗ってる期間が一番長くなりそうなんだけど……。次の目的も目的地も何も考えていない。
「それで、これからどうしますの?」
心機一転。当面の予定を考えなければならない。目的地は王都かパイトだが……流石にパイトかな。
「オークションの経過がどうなってるかわからないし、先に王都に行った方が早くはあるんだけど……あそこで受け取るのは避けたいんだよなぁ。パイトにしようか。迷宮に少し用もあるし」
「迷宮にですの!? 全て制覇してしまいましょう!」
寝言は寝てからに──いや、いけるかな? ルナでは六十層近くまで潜っているし……。でもそれなら、何でパイトの迷宮はあんなに攻略されてないんだ?
ルナの六十層くらいまで進める冒険者は、多いとは言えないがそれなりにいる。溶岩地帯のドラゴンが私達以外に狩られていたというのも経験がある。人はあの辺りの階層にもそれなりに出入りしている。
そんな冒険者がそれなりにいるのに……パイトの小中規模迷宮が攻略され尽くしていないのは何故なのだろう。そんな冒険者はわざわざ小さい迷宮になんて足を運ばないのかな。
私の記憶が確かなら、第三迷宮以外に攻略されていたのは一箇所か二箇所だけだったはず。半分は未踏ということになる。管理所が把握していないだけかもしれないが……。
「制覇……制覇か」
「制覇しましょうよ! わたくし達ならできますわ!」
リリウムが戦力になるかはまぁ置いといて……いい経験にはなるだろう。この娘はがっつり迷宮で狩りというものをしていないはず。
それになんだか楽しそうだ。ルナの終の層に辿り着ける気はしないが……パイトくらいならいけるのではないか。事実私は第三を攻略している。
「そうだね、やれるだけやってみてもいいかもね」
散々修行を積んでいたのだ、腕試しをしてみたいという気持ちはよく分かる。
ルパからエイクイルを横目にコンパーラまで走り、そのままパイトまで走り切る。このマラソンも随分と久しぶりだ。そして人を抱えて走らなくていいのは楽でいい。
リリウムは鼻歌交じりについてきた。それなりに……八十くらいは速度を出していたと思うのだが、立派になったものだ。
ただまぁ、靴がダメになった。パイトに辿り着いた頃にはもう靴底が擦り切れて穴が空いており……残念だが、今夜の第三迷宮には連れていけない。いやー残念だなー。
「というわけでリリウムは今日はお留守番ね。明日管理所行って、靴買って、その後迷宮に入ろう」
「ずるいですわ……サクラばっかり……」
夕食を取って第三迷宮近くの宿を取る。甘えられてもダメだ。流石にいきなり死神にぶつけるわけにはいかないし、メガネがないのでリリウムはあそこでは何もできない。
「第三以外は行きたいところ全部付き合うから、今日だけ我慢して。終わったらすぐ帰ってくるから」
この可愛い顔でオネダリされ続けるのは精神衛生上よくない。放置してさっさと出かけることにした。
「というわけで、久し振りの第三迷宮にやってきたのだ……っと」
最近はずっとフロンに送迎されていたので、迷宮を一層から進んでいくというのも随分と新鮮に感じる。
とはいえここの攻略はこれで三度目だ。勝手知ったる何とやら、十七層までも、そこから二十層までも問題になるようなことは何一つとしてない。
二十層へ足を踏み入れて、大岩が消えるのを確認して身体強化を三種から四種へ切り替える。さっさと済ませて帰ろう。
「さて……あ、いたいた。元気にしてた?」
『カカカカ……』
相変わらず意思伝達は機能していないが、元気そうで何よりだ。とりあえず結界の防御力だけ試して……それが終わったらもういいか。槍くれ槍、不壊付きで呪われてないやつね。
「いやー、大漁大漁。やっぱりパイトはいいね、定期的に狩りに来たくなるよ本当に」
「あの……これどこから盗ってきたんです? どれもこれも数打ちの品には見えないのですが……」
数時間と経たずに戻ってきた私を見て、爪の手入れをしていたリリウムは本気でポカンとした顔をしていた。
「第三迷宮の主からぶんどってきた。ねぇねぇ、これ槍かな?」
ウキウキで次元箱から机と戦利品を取り出し、並べていく。相変わらず剣らしき刃物ばかりだが、その中の一本に期待をしている。波々とうねった刃が二メートル以上はありそうな長剣……のようにも見える槍。ということで押し通す。
「槍……と強弁するのは難しいとは思いますが、そうですね、そのように扱うことはできると思います。妙な形をしていますが、綺麗ですね……これ、鑑定するんです?」
リリウムの評価は上々みたいだ、楽しそうに刀身を眺めている。早速鑑定してしまおう。
私達はルナから出てくるにあたり、フロン先生謹製の鑑定魔導具を数点預かってきている。
鑑定書も残せないし、本職の鑑定師ほど仔細は判明しないが、呪われていないかどうかと効果の有無くらいは分かる。つまりリューンの鑑定魔法をそのまま魔導具化したような代物だ。
これがあればリューンの鑑定術式は不要になるかと思いきや、これはリューンの魔法を転写して製作するらしく、よく分からないが、彼女の協力なくして製作できないらしい。おまけに材料の原価だけで大金貨五十枚以上するという贅沢品だ。更におまけで消耗品で一回使っただけで破損する。
依頼を出せば、鑑定の代行は高くても大金貨一枚いくことがない。誰だってこんな魔導具に大金を支払わずに依頼を出すだろう。私だって普段ならそうする。
「四本とも鑑定するかは分からないけど、これは今からするよ。お願いしたから……たぶんこれが当たりだと思うんだよ」
「お願いって……サクラはたまに変なことを言いますわね」
そういってくすくすと笑うのが愛らしい。これが私を襲おうとし、私がこれを殺そうとした過去が確かにあるというのが、不思議で仕方がない。
いやはや、あの時耐えてくれて本当によかったよ。
結界石を敷き、その中に先ほどの槍を一本残して他を全て次元箱にしまう。
リリウムの手には羽ペン、そして机上にはメモ。私が鑑定魔導具を使い、それをリリウムがメモすれば──。
精神を集中して魔導具に魔力を込めていくと、すっと意識が薄くなり……現実に帰ってきた時、手元には破損した魔導具と槍が、隣にはガタガタと震えたリリウムが残されていた。
「どうだった? えっと……。ほらきた! 不壊ついてる、後は伸縮か。でもいいね、当たりだよ」
「あ、あ、あ……当たりだよじゃありませんわっ! 不壊、不壊って祝福じゃありませんの!」
知っている。と言うか皆、神の祝福如きで大騒ぎしすぎだ。私が祝福して物が壊れなくなるなら、いくらでも祝ってあげるのに。
「そうだよ。外には漏れないけど、うるさいからあまり大声出さないで。じゃあこれあげるから、名前考えといてね」
「……はぁ?」
口をぽかんと開けて固まるのが面白い。口に指を突っ込んでみるも微動だにしない。
「名前。名付けしないとこれ、伸縮が機能しないはずだから」
「あ、あげるって貴方……これ祝福付きの武器ですよ!? 値段なんて付けようがありませんのよ!? 問答無用で国宝ですよ!?」
「知ってるよ。私も持ってるし、リューンの黒いのも不壊付きだよ。彼女も最初そんなだったけど、今じゃ普通に使ってるでしょ? いつも言ってるじゃない、慣れますわーって」
船の中でそりゃあもう大騒ぎだった。泣くわ喚くわ……それが今や、上機嫌で日課のように手入れをしているというのだから……慣れるんだなぁ。
「気に入らなければ無理に押し付ける気はないけど、今のリリウムじゃ数打ちの剣や槍じゃすぐに壊れるよ。こんなのリリウムが知らないだけでいくらでもあるんだから、気にしないで使っていいんだよ」
「いえ、気に入ってはいるのです。ですが……その……ううぅ……あ、ありがとうございます。その、大切にしますわ……」
ちらちらと剣と私とに視線を行き来させ……やがて観念したのか、無事受け取ってくれた。
一件落着だ。これで迷宮にも連れていける。
翌朝身体を動かしてからゆっくりとお茶を飲み、リリウムを置いて先に管理所へ行ってしまうことにした。連れていってもよかったが、何やら剣を見つめて考え事をしている。そっとしておいた方がいいだろうと思った次第であります。
「久し振りだな。オークションの件と察するが」
「ご無沙汰しております。はい、進捗がどうなっているか確認しに参りました。今どのように?」
「王都での展示は終了している。オークションも予定通りに進んでいればそろそろ終了しているだろう。代金がこちらに届くのはもうしばらくかかる。今から王都へ出向いてもあちらでは受け取れないかもしれないが、希望するなら手配はしてもいい」
「お気遣いありがとうございます。ですがしばらくこちらに滞在しますので、パイトでの受け取りで構いません。しばらくは宿を転々とすると思いますので、連絡は私の方から伺わせて頂きます。こちらでよろしいでしょうか?」
「連絡はこちらの方がいいだろう。だが代金の授受は本部の金庫室で行うことになる。その際は悪いが足労願うことになるが」
「はい、それで構いません。今日はその確認だけでした。お忙しい中申し訳ありません」
「そうか、わざわざ済まなかったな。──娘達が展示を見に行ったらしくてな、大層驚いていたよ。知らぬかもしれないが、王都ではちょっとした騒ぎになっていてな。博物館にあそこまで人が入ったのは、史上初かもしれないとのことだ」
「それは……喜んで頂けて何よりです。展示を許可した甲斐がありましたね」
まぁ確かにあれは……ビビる。