第百一話
迷宮には二日に一度、あるいは二日行って一日休む程度のペースで入ろうということになった。毎日行ってもいいが……生き急ぎすぎるのもよくない。
そして迷宮も堅実に進んでいくことになった。リューンの希望だ。雑魚でも相手取って経験を積んでいきたいとのこと。その意思を尊重したい。
まだ観光ができるほど落ち着いてもいないので遊びに出かけたりはしていないが、ルナは若い冒険者の憧れの地と言うだけはあって、かなりエネルギッシュな島だ。
ギルドは休むことなく夜も営業を続けているし、飲食店や酒場も住み分けこそあれ、どこかしらで朝方も深夜も利用できる。宝箱がそれだけよく見つかるからなのか、迷宮産の魔導具も数多く店頭に並んでいるし、魔石が潤沢なので家電系魔導具も大抵の物は手に入る。
島がこの世界にいくつかある流通の中継地を兼ねているので、食べ物を始めとした世界中の品が一挙に集まり、散っていく。市場に通うには自宅の立地はあまりよくないが……落ち着いてきたらその辺りも楽しんでいきたい。
当面の目標は貯金を切り崩すことなく生活できる収入を得られるようになることだ。私達はここに来てまだ銅貨の一枚も稼いでいない。
「やっぱり治癒使いはいないねぇ。そう落ちてるものでもないか……」
休養日、惰眠を貪るエルフを置いて私は一人でギルドに遊びに来ていた。特に目的はない。掲示板で依頼の傾向や相場、仲間募集などの掲示物を眺めている。
パイトと違い、ここはそれなりに剣士……戦士職の募集も見られる。意外に思ったが話は簡単で、単に少人数での探索がきつすぎるのだ。
地元の仲間と三人でやってきたはいいものの、雑魚に阻まれ目当ての階層まで辿り着けずに往復するだけで一日が終わる。流石にそれでは食べていけない。武具だって使えば傷む。
それよりは分け前が減ることになっても、六人で奥まで進んで強い魔物の戦果を持ち帰った方が結果的に多く稼げるのだろう。雑魚の掃討だけなら魔法使いを集める必要もない。
野営を視野に入れるならより大規模な人数が必要になるはずだし、そういった意味でも若い冒険者には生きやすそうだ。
そして、そんな冒険者天国のこの島で、需要の高い治癒使いが野良で転がっているわけもなかった。転がっていたところで現状私達の収入はないわけで、浄化も封印されると死体をバラす必要がある。リューンの仕事が増えて進行速度も落ちる。そもそも慢心がなければ低階層で大怪我などしない。何も利点がない。
五層七層と危なげなく序盤を突破していき、そろそろ日帰りだと時間がかかりすぎるな……などと考えるようになったある日のこと。まとまった休日を取ろうということになった。
迷宮も修練も各々にお任せ。食事も風呂も好き勝手にどうぞ。自宅に帰らなくてもいい。これをリューン側が提案してきたというのだから驚きだ。
「珍しいね、勝手に動いていいだなんて。どういう風の吹き回し?」
明かりを据え付け、お茶を飲んでもいいと思えるようになった程度には充実した居間でまったりしながらの会話だ。私達は下手すると浴室と寝室にしか出入りしないので、居間くらいは活用しようと色々試行錯誤している。贅沢な悩みだけど、大きすぎる部屋というのも不便なものだ。
「あー……それがね、怒らないで欲しいんだけど」
曰く、たまたま同郷の知人に会ったのだと。それで顔なじみとしばらく近況報告も兼ねて、迷宮で遊ばないかと誘われたと。
「旧交を温めるってこと? そんな申し訳無さそうにしなくていいのに。楽しんできなよ」
「ありがとう。ここには連れてこないしサクラのことも……アレなことは話さないから、そこは信頼してよ」
「アレが何を指してるのかは問わないけど……浄化とかそういうところを黙っていてくれれば、別にひた隠しにしなくてもいいよ。お金は手持ち分で足りる?」
「お小遣いは十分すぎるほどもらってるから大丈夫だよ。最近やらないけど、解体なんかもできるしね」
リューンとはもうすぐ一年になろうかという付き合いだが、その時間のほとんどを離れずべったりと過ごしていた。
たまにはこういうのもいいだろう。彼女の情緒も落ち着いてきている。別に離れ離れになりたいわけではないが、こういう提案を持ち掛けられたことは素直に喜ばしいと思う。
危ないことをするつもりはないが、私も色々試してみたいことがある。いい機会だ。
特に期限を設けず、時間を気にせず遊んできていいと告げてエルフを送り出す。彼女も自宅の鍵は持っているし、居間には書き置きも残せるようメモは置きっぱなしにしてある。
一人寝を寂しいなどと思うわけがない、などと考えていたのだが……目が覚めて横に誰もいないというのは、いざこの時がやってくるとやっぱり少し物寂しい。物音のしない静かな部屋。二日目だというのにこんな調子じゃ……ダメだね。
まぁ、そんなこと言っていてもリューンが帰ってくるわけではない。私も私で今を楽しもう。
「鬼のいぬ間にじゃないけど、死層と霊体系の魔物には興味があるよね。その辺探してみようかな」
ルナの迷宮は深さもあるが横も相当に広い。基本的に奥へ行くほど手強くなって浅い部分は魔物も弱いわけだけど、何事にも例外というものはある。それが死の階層。
あの瘴気塗れのイレギュラーフィールドがせっかくあちこちにあるというのだから、死層愛好家の一人としては、ルナのここも探索してみるべきだろう。
パイトと違ってルナは迷宮の地図が普通に売られている。無論探索されている範囲ではあるが、死層の位置が割れているというのはとても楽でいい。
「順に全部回ってみたいけど、横に広すぎるからなぁ……移動だけでかなり時間を取られる。厄介で人が居なさそうで、私一人でも普通に遊べるような場所がいい。ギルドに情報あるかな……」
とりあえず空を飛んでいなければなんでもいい。中央から一番近いところは……二十五層か。横に逸れればもっと浅いところもあるけれど、些か遠すぎる。
「真っ直ぐひたすら奥まで進んで二十五層を見に行ってみよう。迷宮は二十層までしか経験ないけど……何事も経験だ」
私がこれまで迷宮に入ってきた経験からして、迷宮というのはだいたい正方形をしている。
パイトはその中の大岩同士で階層が繋がっており、ルナは黒い穴を経由して階層を……おそらく転移している。
ともあれ地図には黒い穴の位置も記されているわけで、道中の雑魚を無視して突っ走れば、二十五層まで辿り着くのにそう時間はかからない。その死層に竜がいた。
「お、おう……ドラゴン……死んでる? 腐ってるの? ……ドラゴンか、どうしよう」
異常なほど濃い瘴気、だだっ広い荒れ果てた正方形のフィールドの中心部に鎮座している茶色か紫色か判断に困る色の竜。他に魔物がいるようには見えないが、流石にこの環境ではまともな魔物は生きていけまい。まともな魔物ってなんだ。
とりあえず死神よりは強そうだ。
「羽は腐って穴だらけだし、飛べないとは思うんだけど……いざとなったら箱に逃げ込めば大丈夫かな」
とりあえず一当してみよう。階層を跨いで……追ってこないとは思うけど、ここはなすりつけが罪に問われることもない。
神力以外の三種強化を強めに巡らせ、全力で駆け出した。
声帯が壊れているのか、はたまた死んでいて呼吸を必要としないのか、死神と違って死竜は叫ぶことも威嚇することもなく、漫然と身体を持ち上げ私と対峙した。
(近くで見るとでかいな……これ一人で当たったらダメな奴じゃ……)
首を含めた高さはおそらく二十メートルを越えている。体長はそれ以上。伸ばした長い首、その先についた顔がこちらを見据えているように感じるが、落ち窪んだ眼窩に目玉が付いているようには見えない。
先手必勝と言わんばかりに強化を四種に切り替えて腹に全力で打突近当てのセットを叩き込む。上半身が後ろに傾くが、死竜はそれを後ろ足二本で踏ん張り耐えてみせた。
「おー、耐えた……かっ!」
もう一度腹部へ打突する。更にもう一度。それでひっくり返るかと思いきや、身体を支えるのに使っていた大木のような長い尾っぽをこちらへ向けて薙ぎ払ってきて私は吹き飛んだ。完全に意識の外からの攻撃でコロコロと転がり目を回すが……若干のダメージで済む。竜は伏せって追撃してこない。
「効いてるのかな、効いてもらわないと困るんだけど……」
両の手足を地につけてこちらを見ている死竜と向かい合う。どうしようかな、腹を殴っていても埒が明かない気がする……なんとか頭を殴れないものだろうか。
あの長い尻尾も厄介だ。あれを薙ぎ払われると私はその都度弾き飛ばされる。サイズがでかい、首も長い、頭が遠い。ドラゴンとはここまで戦いにくいものなのか……。しかもこれ、飛べるかどうかはともかくとして、まだ飛んでいないのだ。
(幸いにも強化魔法で服の上からなら大したダメージにはなっていない。問題は腕や頭なんだけど……動きは遅いけど力、強いなぁ……どうしたもんか)
霊体とはそういうものなのか。こいつが霊体なのかは知らないが……私にはまだ死層で出会った三種のサンプルしかない。
とりあえずヒットアンドアウェイに終始することにした。近くに張り付いたところでどうせ正面まで届くあの長い尾撃で吹き飛ばされる。手足の爪も鋭いし、あの質量に踏まれたらそれだけで私は死ぬかもしれない。
(四種でこれだけ殴って死なないっていうのは……もう二十回以上打突入れてるんだけどなぁ)
死神は数えられる程度の打撃で死んだ。あれは仮にも終層の主だったが、このドラゴンはそれより格上なのだろう。あるいは耐久力に特化した種であるかだ。
爪は怖いが、尻尾のことを考えると横には回れない。正面から腹に一撃入れて即離脱。それを延々と繰り返す。
(頭殴りたい……効いてるは効いてるんだろうけど、かなり浅い。衝撃がまともに伝わっていないというか……カモネギ相手にしてた時みたいだ)
スカスカで私の一撃を耐えたトンビ時代の奴らを思う。二回殴ればそれでも死んだが、こいつはその十倍以上殴って死なない。
「二百殴って死ななかったら帰ろう……頭、頭殴りたい! 首下げろ!」
竜は行動パターンを変えない。尻尾を振り、足を踏み込み、爪を振り下ろす。もう慣れた、これだけなら当たらない。
「後百……百回だけ……」
殴打を続ける。打突に近当ても乗せ続けている。私に隙はない、もうすぐ、もうすぐ倒せるはず──。
「これで最後! 最後にするから! 泣きの百回!」
私がドラゴンならリーチの短い小娘相手に頭を下げたりしない。死竜も終ぞ下げることはなく、私はすごすごと階層を引き返した。
奴は追ってこなかった。思えばこれが初めての敗北……でもないな、カモネギがおった。
余裕ぶった死竜の態度が癪に障る。絶対に浄化してやるぞあのトカゲ野郎……。