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この時期は農地の種まきも終わり、定期的な水やりなどの畑の管理にうつる。ロンが住む領地は農地に対して比較的農民、酪農家の割合が多く、あぶれて仕事がなくなる、もしくは適当に仕事を分散させて一人あたりの負担が軽くなる、といった現象が起こる。
ロンはここに来て日が浅いので、仕事を覚えるつもりでご近所のじじばばの畑仕事の手伝いをしていた。
「でも、協力って言ったってどうやって説得するつもり?」
作業中でも構わずミーティアが話しかけてくる。
「おゥい!水やりすぎっと芽ェ出んくなるからなァ!気ィつけてなァ!」
遠くからじいさまも新米のロンに呼びかけてくる。
「はーい!わかりましたー!」
よく通る声で最近耳が遠くなったというおじいさんに返事をした。聞こえたのか聞こえてないのかわからないがウンウンと頭を動かし、スッと中腰になって自分の作業に戻った。
「だからさ」ミーティアがロンの袖を引っ張るようにしてまだ話しかけてくる。
「やっぱり脅して聞き出すほうが楽じゃない?」
ロンは小声で反対した。
「いや、誠意をもって接すれば彼女だって答えてくれるはずですよ」
「…………甘いなあ」
ミーティアは鼻で笑った。ついでにロンの背中を肘掛けにして頬杖をつく。
「女子が一度嫌った相手に対してそんな簡単に秘密を話せるまで打ち解けるわけ無いでしょ。よくて表面上、客と店員の関係に戻るだけよ」
確かにこの説には説得力があった。今目の前にいるのは、相手のことをそうそう許すつもりのない幽体である。
「いえ、なんとか行けそうな気もするんです」
「ええ、なんでよ……?…まさかロン、あの子に気が…」
ミーティアは手足を器用に動かしてロンの体をなぞるように這いずり回る。しかしロンは意外にもはっきりと答えた。
「そんなわけ無いですよ。やらなくちゃいけないことも山積みです。それでも彼女を気にかける理由は一つ」
「ふゥん?」
「彼女がもしかしたらミーティア様の手伝いをしてくれるかもしれないからです」
ミーティアは目を丸くした。昨日の様子のどこをどう見たらそんなことが考えつくのだろうか。詳しく根拠を聞こうとしたが遠くからの呼び声に遮られてしまった。
「ロン!ロンズ・デイライト!」
力強い、壮年の男性の声が、水やりの終わった畑を震わせる。じいさまの声が続く。
「おゥい、ロォン!領主様がお越しだァ!」
「はい!今行きます!」
呼びかけにハキハキと答えてさっさと声の主のもとにかけていった。濡れた土は走りにくいので、一旦まっすぐ畝にそって畑を出る。直角に二回曲がって、領主であり王に仕える騎士であるダインの前に、膝を折ってかしずいた。
フサフサの口髭と刈り上げヘアがトレードマークで、毎朝ひげには整髪料を、髪にはカミソリをあてて整えている。しゃべるとその柔らかな毛が上唇の動きに合わせてもぞもぞと動くのだが、これがなかなか気になってしまい大抵の人は話に集中できない。ダイン本人もそのことをわかっており、何か相談するときはしっかりハキハキとしゃべってヒゲを動かすようにしている。そのおかげで調略に関しては軍内一である。
「立ち話も失礼ですから、ひとまず一席。」
ロンは素早く近くの寄合処に案内した。この地帯の立派な建物といえば寺院と領主の屋敷ぐらいなものなので、農民が案内できる最も上等なところがここだ。
ちょうど屯していた村人たちにお願いをして離れてもらい、ダインを内へと迎え入れた。
「…ロン。全く君は、何をしているんだ。」
席について最初に言われたのはその一言だった。
「…といいますと?」
ロンはそらとぼけた。ダインの黒豆のような目を見れば手前の無作法を咎められたわけではないとわかる。
「いきなり宮仕えをやめたと思ったら今度は農民生活もそこそこにフラフラしているなんて。」
「結構自由でいいものですよ。」
努めて、のんびりとこの牧歌的な暮らしぶりを楽しんでいるように答える。ダインは頭を抱えた。
「君のこれまでの働きぶりは私も聞き及んでいるところだ。…何が不満だったのかは答えたくないだろう。だが君のその腕をクワを握るために使うのはもったいないぞ。」
「近頃、剣をとるのも億劫になりまして。」
極めて矮小に見せているのは、調略上手のダイン、すぐに見抜いてしまう。だが見抜いてしまうが故に彼には宮仕えに戻る気がないことも悟った。
「…ならばこれはどうだろう。」
鋼鉄のブローチを一つ、机の上においてロンに見せた。
「騎士見習いとして私のもとで働くというのは。待遇は保証する。究極、剣を握らなくてもいい。君には無駄にできない才能がある。」
ロンはうつむいて目を合わせようとしない。彼はダインのひげの効果を知っているので、ハナから拒絶する道を選んでいた。
「せっかくですが、ダイン様。土いじりが楽しくなってきたときに、また血なまぐさいところに戻れ、なんてあんまりじゃないですか。」
頑として聞き入れない姿勢である
それもそうか。仕方ない。とダインはため息を付き口に手を当てた。
「……そういえば毎年秋頃にはこのあたりだとキャベツが採れたな。君も今それを?」
「……はあ、じいさまたちに教わりながらですが」
「そうかそうか。私はキャベツのスープが好物なんだよ。素朴なところがね。せっかくだ、君の努力の証も見てみたい」
「いやぁ、まだまだ葉も出てないですよ?」
「いやなに、出来上がったら持ってきてくれ。その時ごちそうもするよ」
「まあ……それくらいなら、お安い御用です」
「うむ!」ダインはぽんと手をうった。「では続きはその時にでも」
しまった。ロンはダインの笑顔を見る。
うっかり交渉の場所と日取りをこの場で決められてしまった。
ダインはかっかと笑って、従者を引き連れ出ていこうとする。案内した以上、お見送りするのが礼儀であるから、ロンも入り口を開け、ダインに一礼した。
「気を落とさないでくれ。私は君のことを高く買っている。」
出し抜かれたと落ち込むロンの背中を叩いて慰めの言葉をかける。ダインは頭が切れ、行いも良い、理想的な領主だ。彼の言にそうそう嘘は含まれない。
「ところで」ピタリと領主の手がちょうど背骨の真ん中で止まった。ピンで留められたように身動きが取れない。
「君は暇ができるとよく街に出てるね?」
「……はい」
「………何か、最近街で変わったことは聞かなかったかい?」
じわりとダインの指一本一本が、ロンの泥で汚れた薄着を貫いて、背中に侵食してくるよう重くのしかかった。
ロンは食い込むことを恐れず、体を起こしてダインと向かい合う。相手の口元はひげで隠れているが、漆のような黒い目はロンをしっかりと見つめていた。
「いえ、何も」
その時彼がどんな顔をしていたかは、彼らの会話が退屈すぎて半分眠ったように宙に横になっていたミーティアですら見ることができなかった。
だが、ダインは笑顔に戻る。
「そうか、ならいい。」ふっと指から力が抜ける。「変なことを聞いたね。今のは気にせず街の散策も楽しんでくれたまえ。」
まるで旧知の仲のように手を振ってダインはロンに別れを告げる。しかしロンが後ろ手で組んだその手の中には、汗がびっしりと握られていた。