第91話:意味
橙色の温かな灯りが等間隔で並ぶ廊下を足早に進み、俺はその部屋の前、カローンナの執務室の前にたどり着いた。
すでに時刻は遅めで、カローンナは寝てしまっていてもおかしくはないものだが、俺は彼女が寝ていないと確信している。
だから強めの力で執務室の扉をノックする。
内側から物音がして、中に人がいる事を確認した俺は、ノックの返事がカローンナから帰ってくるのを待つ事もせず、扉を思い切り開いた。
「おい。私はまだノックへの返事をしていないぞ」
俺を睨みつけながらカローンナは言い、そのまま視線を俺に固定した状態で手だけを動かしてデスクの引き出しをゆっくりと閉める。
「いいだろ別に。やましい事でもあるわけじゃないだろうに」
「口のきき方に気をつけろ」
デスクの隅に寄せてあった灰皿を手元に引き寄せ、同じように隅に寄せてあった紙のパックからタバコを一本抜き出し咥え、火をつけるカローンナ。
すぅと息を吸い、吐息に混ぜて白煙を吐く。
「で、どうした?」
何か用事があるんだろう? そう無言の圧力をかけてくるカローンナに、俺はすぐに聞くべき事を聞く事にした。
ピースが去り際に言った言葉の確認だ。
_________
時間は1時間ほど遡る。
ピースとの密会の時間へと。
「7ヶ月後の1月23日。私たち魔王軍革命派は、再編を完遂するために人類に対して総攻撃を仕掛けるぞっていう、そういう宣戦布告をしに来たの」
俺の顔色を伺うように、ピースはニタリと笑う。
その表情は妖艶で、俺の何もかもを見透かしているぞっていう風を匂わせている。
ついつい、俺はたじろいでしまう。
たじろぐ中でも言葉を選び、ピースへと返す。
「それを、カローンナに伝えに行ったと?」
「そうだとも。もうすでに伝えてある」
いったい何時?
だなんてマヌケな質問をする必要はなかった。
俺には思い当たる時があったから。
「お前が広場で俺に声をかけてきたあの日か」
「ピンポーン。あの後に私はカナリスの屋敷に行って彼女に宣戦布告したんだ」
やっぱりそうだ。
あの時、ピース・ライアーと同じ声を持つ金髪碧眼の女性は俺から逃げるようにしてカローンナの屋敷の方向へと向かっていった。
確かに多くの民家がその方向にはあるが、ピースはどうも街の人間という感じじゃあなかった。
どうしてあの時に気がつかなかったのかと、心底そう思う。
いや、あの時に気づけていたら俺はもっと人生を楽に過ごせているだろう。
だから今更あの時の自分を責めてもどうにもならない。
「どうしてカローンナだったんだ?」
話の中でどうしてもわからなかった点を聞く。
どうしてわざわざ宣戦布告の相手がカローンナである必要があったのかと。
だってそうだろう?
再編の完遂のため、人類へと総攻撃を仕掛ける。
その宣戦布告をするなら、楔国という1つの国の主へ向けるよりも、全世界の管理機関のような立場にある勇者認定課へと向けた方が、効果がある。
お前たち人類を滅ぼすぞ。その意思表明が、より意味と現実味を持つ。
にも関わらず、なぜかピースはカローンナへと宣戦布告をした。
それはあまりにも不自然だ。
何か、相応の理由があるはずだ。
「ああ。そんな事?」
知らないの? とでも言うような調子で、ピースは卑しい笑みを作って見せた。
「そんなの凄く簡単な話だよ。だって、再編の完遂を願ったのは彼女だもん」
「……は?」
(それってどういう……)
「9年前、カナリスは偽りの再編を嫌い、本当に世界を再編させてやろうと、革命を起こしてやろうと行動に出た」
9年前?
偽りの再編?
革命?
(こいつは何を言って……)
「まぁ結局、革命は未遂に終わり、カナリスはミカドリョウスケに両足を切り落とされて魔王の座から降りる事になったんだけどね」
ミカドリョウスケ? 誰だよ。
魔王の座から降りる? 何言ってんだよ。
そんなのまるで……
(カローンナが魔王だったみたいな言い方じゃねぇかよ)
「皮肉なものだよね。革命を試みて失敗しておいて、その時に殺し損ねた候補勇者にあっさりと負けて。それで魔王の座から引きずり降ろされて、聖剣フラガラッハを失って、逃げるように魔王軍と人類のどちらにも属さない中立国家を作って。そこの王様として踏ん反り返っている。で、今でも再編による革命を夢見て」
「ちょ! 待て待て待て待て待ってくれ!」
「ん? どうしたの?」
「その……話についていけねぇ」
「どの辺りから?」
「魔王がどうのってあたりからだ」
「なんだ。君、全然何も知らないじゃん」
急につまらなくなった様子で、ピースはため息をついた。
そのまま今度こそと俺に背を向け、言い捨てた。
「なら直接彼女に確認して、知るといい。カナリスに、お前は革命未遂事件の犯人、魔王ノクターンなのかって。きっと彼女なら正直に答えてくれるはずだよ。で、君はそこから全部知ればいい」
私はもう帰るよ。
そう最後に言い括り、ピースは背の側にいる俺に軽く手を振り、去っていった。
呼び止めようと声をかけたが、ピースは振り向いてはくれなかった。
_________
「カローンナ。俺は今から、お前に馬鹿な質問をする。馬鹿な質問をしていると思ったら馬鹿な事を言うなと俺を怒ってくれ」
「……聞こうじゃないか」
「お前は、魔王ノクターンなのか?」
僅かに、カローンナの瞳が揺れた。
「そうだ」
即答だった。
隠す必要がないのか、悩む素振りも見せずにカローンナは肯定した。
「今となっては元だがな」
椅子に深く体を預け、過去を懐かしむように天井の光源をぼうっと見つめながら、カローンナは言った。
その様相はまさしく人間のそれで、目の前にいる人間が元魔王なのだとは到底思えない。
どっからどう見ても、ただの人間だった。
「どうして……」
口から、震える声が零れ落ちる。
それを、俺は自分の意思で止める事ができない。
「どうしてっていうのは、何に対してだ?」
聞きたいなら答えてやるぞと、カローンナはいう。
何に対して?
決まっている。
何もかもに対してだ。
けど、何もかもだと答えるとカローンナは何を語るべきか悩むだろう。
だから、選んで答えないといけない。
「どうして、お前は魔王なんかに」
「なるつもりは無かった。ただ、成ってしまっただけだ」
「お前は勇者だったんだろ」
「ああ。そうだな」
「革命未遂事件をどうして起こしたんだ」
「無駄に失われる命を少しでも減らしてやりたかったんだよ」
多くの人を救うために、あの事件を起こした。
カローンナは自分自身の言葉を訂正した。
けど、その内容は到底理解できるものでは無かった。
だって、カローンナが言っているのは無駄に失われる命を減らすために人々を殺す。そういう事だからだ。
理解などできるはずがない。
「言っている意味がわからない」
「ああ。最初から分かってもらうつもりはないさ。ただ、お前も私と同じ立場に立てば私の気持ちが痛いほどわかるようになるはずだ」
どう言葉を返せばいいのかわからず、ただ、カローンナを見つめる俺。
そんな俺に、カローンナは「なぁ」と声をかける。
「お前さ、候補勇者として旅立って今この街にいるわけだが、勇者ルールについてどう思う?」
「どう思うって……」
正直な話をするのなら、俺は勇者ルールを随分とまぁ不親切な決め事だなと思っている。
だってそうだろう?
あれは、世の中に魔物という生き物がいて、それらを魔王が率いていて、その魔王によって俺たちは苦しめられている。その程度しか魔王軍についてを知らない少年少女の中から、毎年のようにすべての国が4人ずつ、合計で80人を候補勇者として選出する制度だ。
しかも、何ヶ月も何年も前から選出して育て上げ、満を持して旅に出すならまだしも、選出されるのは旅立ちの僅かひと月前。
それまでの人生でまともに魔物と戦うための術を学んでいない少年少女を魔物の蔓延る危険な塀の外へと送り出すには、あまりにも選出から旅立ちまでの間隔が短すぎる。
まるで、戦えない事を前提に旅に出されているみたいだ。
いや、みたいではなく、現にそうだ。
俺は既に気がついている。
この勇者ルールは候補勇者が魔王を倒す事を目的としているのではなく、候補勇者を旅に送り出すそれ自体が目的なのだと。
そう。この勇者ルールという制度は、ただの儀式でしかない。
門出の儀も言葉の通りただの儀式だ。
候補勇者を多くの国民の前で盛大に送り出し、魔王を倒すための手を打っているのだと言いふらす。
たったそれだけのことで国民は未来に希望を見出し、世は安全になるのだと勝手に納得して安心する。
勇者ルールという制度において、候補勇者と呼ばれる4人の少年少女はただの生贄でしかない。
魔王を倒す事ではなく、旅立つ事それだけが意味を持つ、ただの生贄。
犠牲になる事が前提の、犠牲故の生贄。
犠牲の勇者。いや、犠牲の勇者。
俺たち候補勇者は、魔王を倒すための人類の矛などではなく、人類に安堵をもたらすための宗教的道具、ただの犠牲だ。
それに気づいているからこそ、俺は言葉を丁寧に選んでカローンナへと返した。
「勇者ルールはクソみたいな制度だと思っている。少年少女を甘い言葉で唆し、騙す最悪の制度だと思っている」
「どうして最悪な制度だと思うんだ?」
「それは、俺たち候補勇者が人類の希望なんかじゃなく、ただの犠牲だからだ」
「そこまで分かっているならお前は私の気持ちがわかるはずだ。どうして私が革命未遂事件を起こしたのかもな」
「いや。わからないな」
嘘は言っていなかった。
何せ、本当にカローンナの言っている事の意味合いがわからなかったのだから。
「なら私の言葉で説明してやる。私は、勇者ルールによって子供たちが意味もなく死んでいくのが見ていられなかった。あのルールによって、自分自身も何人もの仲間を失ったから、尚の事悔しかった。だから私は変えようと決めた。世界を」
考えてみろよと、カローンナは言う。
「勇者ルールによって旅立ち、死んだ子供たちは、最初から死ぬ前提だった。なら、その死に意味はあるか?」
俺は考えた。けど、俺の想像力じゃあ、とても少年少女たちの死の意味を考える事ができなかった。
そこに、意味を見つけ出す事ができなかった。
考えてみろよと、重ねてカローンナは言う。
「再編は、本当に魔王を独立した敵として成り立たせるための手段なんだ。今度こそ、勇者認定課の管理外で人類は魔王と敵対し、真の意味で魔王の討伐を目指さなきゃならない。その戦いの中できっと多くの少年少女は死ぬだろうが、その死にはどうだ? 意味があると思わないか?」
俺は考えた。そもそも、再編について本当の意味で理解する事は出来ていないが、それを差し引いて、魔王の討伐を人類が真の目的として目指したとき、その戦いで失われる若い命たちに意味はあるのかと。そこでの死に意味はあるのかと、考えた。
よくわからないというのが俺の回答だが、けれど、なぜかその死には意味があるようにも感じられた。よくわからないけど。
「分からないか?」
「ああ。よくわからない」
「そうか。それは残念だ」
本当に残念といった様子で、カローンナはため息をついた。
そして、煙草を灰皿へと押し付けて火を消すと、鉄の義足で立ち上がった。
鉄同士のぶつかる重い足音を響かせながら俺の前にまでやってくると、俺の肩を掴み、真剣な様子でいう。
「改めて言うが、私は元魔王だ。魔王名はノクターン。333革命未遂事件を引き起こした張本人だ。だが、今はもう魔王軍ではない。身を引き、完全な中立の立場としてこの国を運営している」
中立国家。
以前、ガレスか誰かに聞いた言葉で、楔国を指し示す言葉でもある。
その中立の意味が以前はわからなかったが、今ならもうわかる。
人類側にも魔王軍側にも属さない。そう言った意味での中立国家。
人類と魔王軍の戦いから距離を置き、自分たちは関係ありませんよとシラを切る国だ。
「私は中立の立場だから、魔王軍を倒す手助けはしない。けど、お前たちが強くなりたいと願うのなら、私は旅立つ子供たちが死なないように稽古をつけてやる。そういう事にしているんだ」
さぁ、どうする?
カローンナの、大人びた声が至近距離で投げかけられる。
囁き声に近いその声は脳の奥をくすぐるようで、わずかに頭がぽぅっとする。
「お前が強くなりたいというのなら、私はお前に戦う術を教えてやる。魔王軍に勝つ術は教えてやれないが、生き残るための、魔王軍に負けないための術を教えてやる。大丈夫だ。精度は保証する。何せ私は元魔王であり、元勇者なんだからな」
そんなやり取りがピースとの密会の後に繰り広げられた晩。
あれから、早いものでもう4ヶ月が経とうとしている。
俺たちは、未だに楔国に居た。




