幕間の物語:夢見る少女の重ねる2人
開け放しの扉をノックし、「こんにちはー!」と挨拶をする。
すると、奥の部屋から「はいよー」という雑な少年の返事が飛んできた。
今の時代は珍しくも無い木造のその建物に足を踏み入れ、そこに無造作に並べられた商品を見回す。
冬場ということもあり、氷袋などで冷やすこともせずに木箱へ野菜が直接突っ込まれている。
もう、何度も何度も見てきた光景だった。
「よう、カレン。どうした?」
「あ、お兄ちゃん」
かけられた声に振り返ると、奥から出てきた寝間着姿の少年があくびをかみ殺し、後ろ頭を掻いていた。
見るからに寝起きのその少年に、カレンはため息をつく。
「お兄ちゃん。今何時だと思ってるの? もうお昼だよ?」
指摘すると、少年はチッチッと下を鳴らし、指を振ってみせた。
「うちを使うのは飲食店だけだから、朝しか客が来ねぇんだよ。だから、別に……」
言葉を区切り、少年は大あくびをする。
「寝てても問題は無い」
ドヤ顔でいう少年に、カレンは呆れた。
「とりあえず、キャベツが足りなくなったから買いに来たの」
「いくついる?」
「3つ」
「どうせ売れねぇから2つ余分に入れといてやるよ」
カレンから受け取った木編みのカゴにホイホイとキャベツを放り込み、いっぱいになったそれをカレンに渡そうとして、少年はピタリとその手を止めた。
「いいや。思ったより重くなったから運んでやるよ」
「えーいいよ。隣なんだし」
「隣だからなおさらだ。すぐなんだから運んでやる」
カレンの制止を無視して、少年はキャベツの入ったカゴを持って開け放しの入り口から出て行ってしまう。
カレンは、少年の背を見つめながら、その後を無言でついて行った。
2人の関係は、ただの幼なじみだ。
カレンは少年のことをお兄ちゃんと呼んで入るが、2人は実際に血縁関係にあるわけでは無い。
ただ、偶然家が隣同士で、カレンの両親がみたま屋という食堂を経営する一方で少年の両親が野菜の卸売をしていた。
その関係上、カレンは何度となく両親について買い出しへ行き、そのうちに少年と知り合い、少年と仲良くなり、3つ年上の少年のことをお兄ちゃんと呼ぶようになった。
お兄ちゃんがカレンのことをどう思っているのか、カレンにはわからなかったが、カレンは少年のことを実の兄のように慕っていた。
「おばさーん。キャベツ運んできたよー」
同じように開け放しにしてあるみたま屋の扉をくぐり、お兄ちゃんはカウンター裏へとキャベツを運んでいく。
「あ! いつもありがとうね×××くん! せっかくだし、ご飯食べていく?」
満席で忙しい中、カレンの母はせわしなく包丁やらフライパンやらを握り変えながら、お兄ちゃんにお礼をいう。
本当、客の話し声で騒がしいのによくお兄ちゃんの大きくは無い声が聞こえたものだと、カレンは感心した。
「やっりぃ! ありがたくいただくよ」
母に誘われ、お兄ちゃんは喜んで奥の居住スペースへと入って行った。
その様子をみて、お兄ちゃんは最初からご飯をご馳走になるのが目的だったのだとカレンは悟った。
またお兄ちゃんに呆れてため息をつきながらお兄ちゃんを追うカレンだが、そんなお兄ちゃんの狙いを悟ったところで厚かましいとは思わない。
きっと、母も同じなはずだ。
トイレに行っていたであろう父が奥から出てきて、狭い廊下ですれ違う。
「おう。×××。今日も来たのか。いっそのことうちに住んだらどうだ?」
そう言いながら、すれ違いざまに父はお兄ちゃんの背を叩く。
すると、店の側から「ばかやろー!」「親がプロポーズすんな!」「カレンちゃんに言わせろ!」と常連客たちのヤジが飛んでくる。
あまりにもおせっかいすぎるヤジに、カレンは頬が熱を持つのを感じた。
まだ8歳のカレンには早すぎる話題にどう返していいかもわからず赤くなっていると、お兄ちゃんが笑いながら「それはありがたいなぁ」と後ろ頭を掻きながら返した。
「けど、あの家からは離れられないよ。父ちゃんと母ちゃんの形見だし」
困ったように、笑顔を歪めるお兄ちゃん。
そのあまりにも弱々しい様子を見て、カレンは胸が苦しくなった。
そう。お兄ちゃんの両親はすでに亡くなっている。
まだ数えるほど時間は経っていない。
1年近く前のことだ。
その日は、雪の降る寒い冬の日だった。
お兄ちゃんの両親は、塀の外という人間の手が届いていない環境でしか育たないという野菜を手に入れるために、武装し、冒険者時代の仲間を連れ、塀の外へと出た。
両親がそれなりに有名な冒険者だったことも影響し、お兄ちゃんはただ1人だけ戦うことができないのに、その採集に防具だけ整えてついて行った。
塀を出て南下していた時だという。
不意に、魔物に遭遇した。
竜種を引き連れた土人形だったそうだ。
ともに1体ずつで、魔王軍の魔物で無いことは明らかだったという。
魔物に遭遇したことでお兄ちゃんは驚いたが、両親とそのかつての仲間たちは動揺を少したりとも見せず、戦闘態勢に入った。
前もって決められた後衛組が銃で威嚇をし、前衛組が一気に距離を詰めて長剣で切りつける。
だが、そんな慣れた様子の元冒険者たちを、ゴーレムは無感情にその拳で叩き潰した。
真っ先にやられたのは、お兄ちゃんの両親が一番信用していたという冒険者時代のリーダー。
その時もそのリーダーが指揮を取っており、頭がやられたことで元冒険者たちはあっさりと崩壊した。
久しく相対していなかった竜種に怯み、背を向けたものが背から食いちぎられ、のったりとした歩調の土人形が迫っているというのに足がすくんで動けなくなったものは、近づいてきた土人形の大きな手で握りつぶされた。
目の前で繰り広げられる凄惨な光景に、お兄ちゃんは逃げなきゃと思ったらしい。
けど、思っただけで行動には移せなかった。
初めて見る塀の外の魔物に威圧され、腰が抜けていた。
そうこうしているうちに両親以外の皆が死んでいき、両親までもが、お兄ちゃんの目の前で土人形に踏み潰され、竜種に食い殺された。
次に殺されるのはお兄ちゃんの番。
それは、多分お兄ちゃん自身が一番わかっていた。
けれど、お兄ちゃんは死ななかった。
救世主が現れたからだ。
「下がっていてください」
落ち着いた様子の凛とした声が聞こえ、突如、お兄ちゃんの前に長い黒髪を後ろでひとつに結んだ、背の高い女性が現れた。
女性は右手に大きな片刃の長剣を持ち、左手に小さな片刃の短剣を持っていた。
「その……危ないよ」
お兄ちゃんがそう声をかけると、
「大丈夫です。私の方が強いので」
女性は自信満々に返し、一歩を踏み出した。
振り下ろされる土人形の拳を短剣でいなし、長剣で胴と頭の接合部を刺し貫く。
頭を切り落とすように長剣をスライドさせ、ゴーレムは力なく崩れ落ちる。
本能的に勝てないと悟ったのか、竜種は慌てて飛び去ろうと翼を広げるが、その翼をあっさりと斬り、そのまま背に乗り、素首を流れるように切り落とした。
「あ、あなたは」
お兄ちゃんがそう聞くと、女性は綺麗な整った顔に笑みを浮かべることもなく、
「ヒシギ。ヒシギ・カナコ」
その後、ヒシギカナコを名乗った女性に連れられ、お兄ちゃんは無事に塀の内側へと戻って来た。
あとはカレンも知っている通りだ。
毎日を屍のように無力に生き、店の外に出ようともしなかったお兄ちゃんが、ある日何の前触れもなく店の営業を始めた。
理由は全く教えてはくれなかったが、どうやらかつてのお得意さんや近所の大人達が毎日のようにお兄ちゃんの元に通って励ましていたようだった。
こういった経緯があったからこそ、お兄ちゃんは1人で店の切り盛りをしている。
だからこそ、料理を作り慣れていないお兄ちゃんは料理が上手なカレンの両親の作るご飯を食べたがる。
だからこそ、多少厚かましい態度を取っていたとしても、カレンやカレンの両親は仕方が無いことだと飲み込む。
「ほら。ご飯もらえるまでの間に勉強教えてやるから」
手招くお兄ちゃんに言われ、カレンはノートと鉛筆、西暦時代のキノクニの書籍を持ち、お兄ちゃんと一緒にリビングにあるテーブルに、2つずつ向かい合うように置かれたイスへと、並んで腰を下ろす。
「この間はどこまでの話をしたっけ?」
「西暦1932年の頃までだよ」
「わかった。じゃあその年の話をもう一回だけして続きへ行くか」
親の方針で学校に通っていないカレンに勉強を教えてくれたのは、同じように親の方針で学校に通っていなかったお兄ちゃんだった。
2人とも学は無いのに、お兄ちゃんは博識だった。
博識で、両親を失ってもなお強く生きるお兄ちゃんをカレンは心の底から尊敬していた。
心の底から大好きだった。
そんなお兄ちゃんがカレンの前から居なくなったのは、お兄ちゃんの両親が死んでから3年後。
カレンが10歳になり、お兄ちゃんが13歳になった時のこと。
2人で塀の中にある林へとピクニックに行った時の話だ。
カレンはその頃、自身がお兄ちゃんに対して幼なじみの枠を超えた特別な感情を抱いていることに気がついていた。
だから、お兄ちゃんがよく話に出すヒシギという女性の特徴に寄せた容姿を作るようになっていた。
カレンがお兄ちゃんにへと抱いている感情と同類の感情を、お兄ちゃんはヒシギへと抱いているのだと感づいていたから。
両親に教えてもらいながら弁当を作り、無邪気にお兄ちゃんの手を引くカレンの心は満たされていた。
だが、それ以上に心が満たされていくに連れて心の中央にぽっかりとした強固な穴が開いて行った。
自分は幸せだけど、お兄ちゃんはそうではない。
自分はお兄ちゃんを好いているが、お兄ちゃんは自分を妹か娘のようにしか見ていない。
幼いながらにそのあたりを悟った故に、カレンの心うちには異なる2つの感情が生まれていた。
そして、残酷な瞬間は訪れる。
林の中頃に差し掛かり開けた空間に出たところで、2人は魔物に遭遇してしまう。
塀の中にいるはずのない、火を噴く特殊個体の大蜥蜴。
しかも、その数なんと10数匹。
大蜥蜴たちは気が立っており、低く唸り声をあげながらその口内で灼熱の炎を転がしている。
視線はカレンとお兄ちゃんへ向けられ、今にも襲いかかってきそうだった。
「いいか。目を逸らすな。絶対に背を向けるな」
カレンをかばうように大蜥蜴との間に入ったお兄ちゃんは、緊張した様子で言った。
声も出さず激しく頷き、一歩をあとずさる。
−バキッ!−
足元から、枝を踏みおる軽快な音がなった。
そのわずかな音に呼応するように、大蜥蜴達が火を吹き、吠える。
「ひ、ひぃ!」
あまりにも凶悪な大蜥蜴の様相。
その刺し殺すような眼光に、カレンは思わず声を上げてしまい、尻もちをつく。
「だ、大丈夫か!」
お兄ちゃんが振り向き、安否確認をする。
その視界の向こう側で、大蜥蜴達が動き出すのが見えた。
「ダメぇ! お兄ちゃん! 逃げ……」
「なっ!」
最後まで言い切る前に、正面を向き直ったお兄ちゃんの頭へ1匹の大蜥蜴が噛みついた。
慌てて悶えるお兄ちゃん。
だが、その頑張りは虚しく、カレンの見る前で噛みついていた1匹の大蜥蜴がお兄ちゃんの頭を砕いた。
ぱきゃ。という聞いたことのない音がなり、真っ赤な血とよく分からない柔らかなものが飛び散る。
お兄ちゃんの頭を噛み砕いた大蜥蜴はペッとまずそうにお兄ちゃんを吐き出し、他の大蜥蜴がお兄ちゃんへ寄って食べ始める。
「や……やめて……! おにい……」
お兄ちゃんを食べないで。
その言葉は、体が言うことを聞かずに出なかった。
ある程度お兄ちゃんを食べ進めたところで、中の1匹が気づいたようにカレンをみる。
ああ。次は私が食べられる番なのだ。
と、カレンはそう思った。
だが、そうはならなかった。
カレンの前に、救世主が現れた。
「下がっていてください」
落ち着いた様子の凛とした声が聞こえ、カレンの前に長い黒髪を後ろでひとつに結んだ、背の高い女性が現れた。
女性は右手に大きな片刃の長剣を持ち、左手に小さな片刃の短剣を持っていた。
「あ、あの……危ないですよ」
そうカレンが言うと、女性は微笑みもせず、冷たい表情のまま返した。
「大丈夫です。私の方が強いので」
自信満々に、左右の手に持った剣を構えながら。
女性に睨まれ、怯む大蜥蜴達。
今にも逃げ出してしまいそうだった。
だが、女性は大蜥蜴達を逃すつもりはないらしく、そっちが仕掛けてこないならと力強く1歩を踏み出した。
その戦い様は、まるで芸術のようだった。
左右の手をまるで別の人間が操っているかのように、全く別の方向へと振るわれる左右の剣。
短剣が大蜥蜴の頭を地面へと縫い付けるように振り下ろされ、長剣が撫でるように別の個体の首を落としていく。
(水が流れるみたい……)
女性の戦う姿を見て、カレンはそう思った。
水が流れるように、斯くあるのが当然だとでも言うように、振るわれ、ぶれることないまっすぐな軌道で大蜥蜴を屠っていく女性。
(お兄ちゃんが惚れるわけだ)
日を増すごとに上の空になっていったお兄ちゃん思い出し、カレンは涙をこぼす。
お兄ちゃんは、ついさっき自分自身の目の前で食べられてしまったのだと。
もう二度と、あの気だるげででも優しい声を聞くことなどできないのだと。
付随する話を次々に思い出してしまい、涙が溢れる。
そうこうしている間にも女性は大蜥蜴を一掃し、両腰に据えられた鞘に剣を収めながらカレンの元へと寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
かけられた冷たい声にカレンは返す。
「はい」
ホッとした女性の息遣いが聞こえて来る。
「あの……あなたは?」
聞くと、女性は淡白に答えた。
「ヒシギ・カナコ」
ああ。やっぱりそうだったと、そう思ったカレンは、立て続けに聞く。
「私に、戦い方を教えてください」
もう二度と、大切な人を目の前で殺されないように。
もう二度と、お兄ちゃんに子供だと思われないように。
強くなりたい。と、カレンは切に願った。
「あなた、魔族が憎いのですか?」
首をかしげるヒシギの問いにそうじゃないとカレンは首を振る。
じゃあなんなのだと自分自身でも思ったが、その答えをカレンは見つけられない。
お兄ちゃんが目の前で魔物に殺され、もう二度と同じ間違いはしたくないと思い、強くなりたいと願う。
なら、魔物が、魔族が憎いと答えるのが正解なのかもしれない。
けれど、カレンはそれがどうにも違うように感じた。
だとしたら、弱い自分が憎いとか?
いや、それも違う。
カレンが憎いと思うのは、
「私は、この世界そのものが憎いです」
突如として、人類史が崩壊し、魔王とその配下である魔族に怯え、弱かったら殺されていく。
悪いのは弱い人間。もしくは、弱いのを自覚できていない人間。
強がった人間。勇気を振り絞った人間。
そんなの、間違っているだろうとカレンは思った。
弱い人間も弱いのを自覚できていない人間も、強がった人間も勇気を振り絞った人間も、みんなみんな、悪くはない。
誰1人として、間違ってなどいない。
少なくとも、お兄ちゃんに教えて貰った西暦の時代はそういう時代だった。
それで十分に成り立っていた。
だとしたら、今のこの世界が間違っている。
どうして西暦が終わったのか理解できない。
ただ、全部全部、変わってしまった世界が悪いのは理解出来る。
絞り出すように、カレンはもう一度行った。
「私は世界が憎い。もう誰も失わないためにも、強くなりたい!」
カレンの号哭を聞き届け、ヒシギの口角はわずかに上がった。
「なら、候補勇者になりなさい。本来は抽選選出ですが、粘り強く申し出れば特例で立候補も認めてくれるはずです。もし申し出が聞き届けられたなら、王城に来てください。私は今そこで伝達係をしています」
その後、ヒシギに連れられてカレンは林を出た。
お兄ちゃんの遺体はヒシギに協力してもらって林の中に埋めてきた。
家に帰ると、両親にお兄ちゃんが死んだことを伝えた。
何があったのかも、すべて事細かく。
それから、店を商う人間がいなくなり、お兄ちゃんの野菜卸屋は潰れた。
カレンが時間の止まったお兄ちゃんの年齢を追い越してしまった頃には、店は取り壊されて新しく宿屋が建てられた。
随分と寂しくはあったが、少女1人が寂しがるというだけの理由で取り壊しが取りやめてもらえるほど、大人の世界は甘くない。
その頃にはすでに、カレンは米国王城に毎日のように通って候補勇者になりたいのだと門番に懇願した。
けれど、どれだけ頼もうが門番は首を横に振るばかりで、全くもって聞き入れてもらえなかった。
それもそうだ。候補勇者を認定するのは勇者認定課であり、王城ではない。
ただ、学校に通っていないカレンはそんなこと知るはずもなかった。
時は過ぎ、カレンは14歳になった。
すると、その誕生日の日に、偶然だが門番に頼み込むカレンを国王が見つけた。
「どうしたんだい?」
優しい口調で聞きながら寄ってくる国王に、カレンは駆け寄った。
門番たちに止められたが、その制止を振り切って国王の元へと駆け寄った。
そして、跪き、縋るように国王の服を掴み、カレンは言った。
「私を候補勇者にしてください。私は、もう何も失いたくはないんです!」
国王は「またか」と困ったように頬を掻いたが、「あれ?」と、国王の背から聞いたことのある声が投げかけられた。
「ああ。ヒシギか。いやね。また来たんだよ、候補勇者になりたいとかいう若者が」
助けてよとでも言わんばかりの国王に、ヒシギは言った。
「彼女を勇者認定課に推薦してあげられませんか?」
「え?」
国王は動揺した。
「大丈夫です。彼女は私が強くします。それこそ、栗原よりも強く」
少し悩んだ様子を見せた国王は、真剣な眼差しで自信を見つめるヒシギの圧に押され、諦めたようにため息をつく。
「仕方ない。勇者認定課に推薦をしておくよ。ただ、私としても若い子を無為に殺したくはない。だから2年だ。2年後の候補勇者に君を推薦する。それまではどうか、ヒシギの元で特訓をしてもらいなさい」
「っ……! ありがとうございます!」
勢いよく頭をさげるカレンの向かい側。
国王を挟んだ向こう側で、ヒシギも同じように頭を下げていた。
さらに時が過ぎて、カレンは16になった。
それまで、毎日のように両親の経営するみたま屋の手伝いをし、空き時間にヒシギから剣の扱いを教えて貰った。
ある日カレンがヒシギに特訓してもらっているのを知り、両親もカレンへ剣や弓の稽古をつけてくれるようになった。
元候補勇者の2人だったから、とても頼もしかった。
それだけでなく、2人はキノクニの歴史や勇者ルールについても事細かく教えてくれた。
そして、約束通りにカレンは候補勇者に選ばれた。
後になって聞いた話だが、ヒシギがかなり箔を押してくれたようで、そのおかげもあって候補勇者として任命されたようだった。
与えられた役職は剣士。
両親に与えられた家宝の刀を使い、ヒシギの教え通りに戦うにはぴったりの役職だった。
今でもよく、夢に見る。
お兄ちゃんと過ごした、幼い頃の淡く暖かい日々を。
そして、お兄ちゃんが死んだ、あの林での出来事を。
「お兄……ちゃん」
愛しいお兄ちゃん。
大好きなお兄ちゃん。
ああ。私は、お兄ちゃんのことをお兄ちゃんだと呼びすぎていて、彼がどんな名前だったのか、思い出せないや。
大好きで大好きで仕方がなかったのに、今はもうその顔すら朧げにしか思い出せないや。
「ごめんなさい。お兄ちゃん」
頭をゴツゴツとした手で撫でられる感覚がして、カレンは目を覚ます。
もうすっかり見慣れつつある、楔国にあるカローンナの屋敷の、彼女から割り振られたカレンの部屋の天井が何よりも先に見えた。
隣から布ずれの音がして、視線を向ける。
「悪りぃ。起こしたか?」
一糸纏わぬ姿で、赤髪の少年は行き場を失った手のひらをどうしようかと迷わせる。
その様子を見て、カレンはクスリと笑った。
この少年は、死んだお兄ちゃんにどこか似ている。
より乱暴で、自分勝手で、目つきが怖いけれど、それでも、お兄ちゃんと似て根は優しく真面目だ。
「その、力加減が分らねぇんだよ」
バツが悪そうに言うその少年の肩を、カレンは身を起こして軽くパンチした。
「なめんな」
少年の真似をして、獰猛に笑ってみせる。
すると、少年は「ふざけんなよ」と軽い調子でいい、頭の後ろで手のひらを組み、自身の腕を枕にして寝転がった。
「怖い夢でも見てたのか?」
普段聞けないような優しい口調で、少年は言う。
カレンにとって、普段乱暴なその少年の、優しい声を聞くのは1度目や2度目などではなかった。
恐怖で震える体を宥める為に、初めて体を重ね合わせたのはいつのことだろうか。
楔国へ来てもう数ヶ月も経つが、覚えていない。
お兄ちゃんが死ぬよりも後の話なのに、お兄ちゃんの名前と同じレベルで覚えていない。
カレンは自分が薄情な人間なんだなと思い、笑った。
そして、それを誤魔化すように、赤髪の少年へと、お兄ちゃんの虚像へと、言葉を返す。
「怖い夢なんかじゃない。すごく、素敵な夢だった」
初心を思い出すことができ、お兄ちゃんに会うことのできた、とても素敵な夢だった。
納得できないといった様子で、少年は目を瞑る。
その隣で、カレンは少年に熱を求めるように抱きつき、同じようにして瞼を下ろした。
この日、カローンナの屋敷に1人の来訪者が現れた。




