幕間の物語:憧れの裏側
レオ・ガラードという赤髪の少年は、幼少期の時から勇者になりたくて仕方がなかった。
正義感が強い。とは違い。
目立ちたい。とも違う。
うまくは言えないが、とにかく、やけに勇者という存在が輝いて見え、憧れだった。
その気持ちが確固たるものへと変わった出来事が、3つある。
ひとつ目の出来事は、レオがまだ4歳の時の話だ。
4歳という年齢は人間の意志が芽生える初期段階の年齢であり、多くの人間は最も古い記憶を引っ張り出そうとすると必然的にそのあたりの年齢での記憶を思い返すことになる。
さらには人格形成期の最初期の段階でもあるものだから、与えられた情報によって物事の好き嫌いが大きく変動することになっていく。
そんな、与えられた情報を真実だと信じ込み、良い話には憧れを抱き、よくない話には嫌悪感を抱くという年齢で、レオは父親の話を聞かされた。
レオの家庭は少々特殊で、もう4歳になったというのに、レオは父親の顔を見たことがなかった。
母子家庭とも違うレオの家庭事情は、レオの父親の職業に理由があった。
レオの父親は、勇者だったのだ。
18の時に候補勇者として旅立ち、21の時に魔王を倒したレオの父、ゲル・ガラードは、その旅の途中で知り合った女性と、魔王を倒す直前に結婚した。
直前と言っても数ヶ月前程度の単位なのだが、そこはまぁ気にする必要もない。
魔王を倒したゲルは勇者として崇められた。
そんなゲルが生まれ故郷の米国へ帰還すると、妻はレオを身ごもっていた。
勇者になった事での報奨金も入る事だし、しばらくは妻と子と3人で安寧を楽しもうかと思っていたゲルに、米国帰還の翌日に勇者認定課から呼び出しがかかった。
呼び出しの内容は魔王を倒した事を褒め称える旨の表彰と、勇者としての仕事の言い渡しだった。
そこで言い渡された仕事の内容は、すぐに米国を発ち、勇者として人類の平和を守る事。
曖昧な指示のもと、ゲルは我が子の姿を見る事もなく米国を後にした。
それが、レオの生まれる4ヶ月ほど前の話。
レオが生まれた時、家にはすでにゲルの姿など無かった。
以来、レオは4歳に至るまで、ゲルのいない家で母の愛を受けて育ってきた。
ずっとずっと、父がいないのは父が勇者だからだ。
勇者として、人類に平和をもたらすために戦っているのだ。
そう言い聞かされてきていた。
そうして迎えた4歳のある日、レオは父であるゲル・ガラードの写った一枚の写真を母から見せられた。
毎夜の、ゲルが勇者であるという話のついでにでだ。
そこに写っていたのは、整えていないボサボサの赤髪と剃り残しの激しい顎髭が特徴的な筋骨隆々の大男。
僅かに垂れ気味の目尻と、固く一文字に結んだ口元がその男の真面目さと優しさみたいなものを表していた。
「これ、誰?」
聞くと、
「これがお父さん」
そう母は答えた。
母から写真の男へと視線を戻し、その顔をまじまじと見る。
確かに、そう言われてみれば懐かしい感じがする。
そう思った。
男……父親は、写真をよく見ると左耳が無かった。
聞くと、母を守って竜種にえぐり取られたらしい。
それ以外にも、父の体はボロボロだった。
身につけた服の隙間から見える腹や袖口の手首など、明らかに肉がえぐり取られて治りきらなかったであろう傷や、不自然に縫い付けた傷というものが多量にあった。
4歳の子供が見るにはあまりに悍ましさを孕みすぎている写真に呆然としていると、母はレオの頭を撫でて言った。
「いい? よく聞いてレオ。お父さんが家にも帰らず勇者として旅をしているのはね? あなたが戦わなくて良いようにするためなの。だけど、お父さんはそんなに強い人間じゃない。強い人間じゃないけど、それでも頑張っているの」
どうか恨まないであげてと、4歳の子供に母は言った。
3年間、母はレオに毎日のようにゲルの勇者としての武勇伝を語り聞かせた。
竜種の巣に1人で入っていき、そこで竜種と仲良くなって不思議な力を使える武器をもらって帰ってきたりだとか。
母が暮らしていた街を魔王軍が襲ってきた時、偶然通りかかった父が仲間の老人と2人でその場にいた魔王軍を全滅させたりだとか。
魔王と呼ばれる強大な敵を、旅の中で集めた仲間とともに打ち倒したりだとか。
聞かされる話はどれもこれも、まさしくおとぎ話の勇者、英雄を体現するようなものばかりで、話を聞けば聞くほどレオは勇者というものに憧れの感情を抱くようになっていった。
ふたつ目の出来事は、レオが、教育課程で基本勉学に取り組み始めて1年が経った頃の出来事だ。
7歳となっていたレオが8歳を目前にしていた4月1日の話。
そう。333全世界同時多発襲撃事件。通称333革命未遂事件だ。
門出の儀とは、文字どおり門出を祝う儀式だ。
より多くの人の前で、より盛大に執り行ってこそ意味が生まれる。
候補勇者たちは期待をその身に感じ、観客の側は希望をその目に映す。
こうして、候補勇者にもそれ以外の一般人にも、平和な世界の望みを宿す。
だからこそ門出の儀を観ることはそれそのものが重要な意味を持ち、故に、子供達が教育課程を辿る学校の行事で、門出の儀の観覧というものがある。
その日、レオも当然のように、学校行事の一環で門出の儀を観るためにコロシアムへと訪れていた。
例年どおりに盛大に執り行われ、満員の会場の中で門出の儀は進んでいく。
勇者役が気だるげに大口を叩き。
剣士役がハリのある声で勇者のような夢を語る。
治療師役が控えめに頑張ると話し。
魔法使い役が台本を読むように上っ面の言葉を吐き出す。
そうして進んでいった門出の儀は、突如として中断されることとなった。
激しい爆音と衝撃に目の前が真っ白になったレオが次に目を開けた時、ついさっきまで自分がいたはずのコロシアムは上半分が吹き飛んでいて、自分自身がいる下層部ですら立ち見席の仕切りが粉々になってしまっていた。
周りをみると、仲良くなったはずの友人が潰れていた。
引率の教師も怪我をしていて、レオの周りの他人たちもかなりの数の人間が怪我をしていた。
状況が理解できない中でも、レオの眼の前で上層から瓦礫と魔物が降り注いでくる。
大量の小鬼と大蜥蜴。
上空には小竜が複数体旋回している。
レオは一刻も早く逃げないと思い、出口を目指した。
すると、人間は1人が動き出すと大衆が動き出すもので、すぐにパニックになった人々の大流が生まれた。
大の大人たちに圧迫され、転びそうになりながらコロシアムの外に出ると、外はすでに酷い有様だった。
飛散した瓦礫によって民家が踏み潰され、運悪く巻き込まれた人々は瓦礫だったり家の残骸だったりに押しつぶされて息絶えていた。
幸い、レオの暮らしている家は街の中央からは離れた位置で、レオは一刻も早く母の元に行って逃がさなければならないと思った。
コロシアムからずっと伸びる、入り口の無い側へと続く幅広の大通り。
そこを、家の方へ向けて、駈け出す。
すると、逃げ惑う人々の奔流に逆らうように、1人の男が道の中央にものすごい形相で立っているのが見えた。
男の名前は栗原優吾。
その年の、勇者役の候補勇者だった。
男の様子が気になり、レオは路地に入って人々が逃げ終えるのを待った。
程なくして、人の気配がなくなる。
レオは路地からひょこりと顔を出して栗原の様子を伺った。
栗原は、コロシアムから出てきた魔物に向けて何かを話していた。
その声は決して大きくはなく、何を話しているのかレオの元にまでは届いてこない。
少しの間話し続けた栗原は、諦めた様子で剣を構えた。
そこからは単純な話だ。
溢れ出てくる大量の魔物を、とても1人で戦える量では無い魔物を、たった1人で倒しきって見せた。
どこか楽しそうに、獰猛に笑いながら、栗原は剣を振り回し、小鬼の頭をつかんで首をへし折り、転がる小さめの瓦礫を投げて小竜を打ち落として見せた。
殲滅という言葉がまさしくしっくりくる。
そんな栗原の戦いぶりを見て、レオは身震いがした。
レオが直接的に助けてもらったとかそういう話では無いけれど、戦う栗原の姿を見て勇者は格好いいものなのだと、レオは幼いながらに思った。
またまた時は過ぎ、レオが10歳のとき。
みっつ目の出来事があった。
レオの父親、ゲル・ガラードが家に帰ってきたのだ。
筋骨隆々で優しさを持ちながらも逞しかった父が、四肢を失い、瀕死の状態となって。
どうしてそうなったのか、父を運んできた勇者認定課の人間は何も教えてくれなかった。
ただ、後々に父が語ってくれた話によると、どうやら新しい魔王に切られたそうだ。
理由を知ったレオは、父をそんな姿にした魔王を恨んだ。
殺してやると、切にそう思った。
だからこそ、いっそうに勇者に憧れた。
魔王を倒す、魔王の天敵となる存在に憧れた。
こういった過程があり、レオは勇者に憧れ、勇者になりたいと願うようになった。
レオと母の元へ戻ってきた父は、それ以降は勇者認定課から渡された義手と義足を使って生活するようになり、レオは初めて会った父と、失った10年間を埋めるように日常を過ごした。
わけでもなかった。
ゲルは物静かな人間で、いつも家で家具を作るか本を読むかしてぼうっとしていた。
レオに何かを教えてくれたわけではなく、レオに話しかけることもほとんどなかった。
きっと、自分の子供だと認識してはいるが、実感できていないのだろうなと、レオはそう思った。
そして時は過ぎ、レオの元へ勇者認定課から一通の手紙が届いた。
バラを象ったシールで封をされた、候補勇者へと任命する旨を伝える手紙。
レオに与えられた役職は、勇者だった。
「レオ。朝だ。そろそろ起きないと遅れるぞ」
愛想のない低い声によって、レオは夢の根底から意識を引っ張り上げられた。
もうすっかり聞き慣れたその声は、父のものだ。
「……わかってる」
父に返事をし、意識を覚まそうと試みる。
普段から寝覚めが悪い自分がこれから勇者として旅立った場合、仲間に迷惑をかけてしまうのではないだろうか。
「朝食、食べるか?」
「食べる」
レオは、父親らしさなんて微塵も見せてこなかった父の気まぐれな優しさに甘える事にした。
仕方ない、せっかく父が朝食を用意してくれると言っているのだ、これを無下にしてしまっては自分で作らなければならなくなる。
起きてすぐに活動するのは体がしんどい。
思えば、父に朝食を作ってもらうのはこれが何度目だろうか。
思えば、父と会話をするのはこれで何度目だろうか。
多分、どちらも数えきれるほどしかないだろう。
それでもレオは父親を尊敬していた。
なんとか眠気をはね退け体を起こしたレオの視界に入るのは、四肢を失い、その全てを機械で出来た義手と義足でまかなっている歪な父の後ろ姿だった。
その両手両足の様を考慮しなかったとしても、父は筋肉質の良い体を持っている。肩幅の広さや隆起した筋肉を見ればよく分かる。
昔からよく見せられていた写真の通りだ。
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今でも思い返すことができる。
父親のゲル・ガラードがレオと母の元へ運ばれてきた日のことを。
寒い寒い冬の日。年を跨ごうとしているその日だった。
父は両手両足を失った状態で国に運ばれてきた。
何も教えてくれない大人たちに憤慨したレオに、母はただ「頑張ったのよ。あの人は」と言った。
母の様子を見るからに、母は何があったのか理解しているようだった。
「親父……」
神経の通っていない冷たい両手でフライパンを握り、ぎこちなく卵を焼く父の後ろ姿に言葉を投げた。
父は振り向くことなどせず「どうした」と言葉だけ返してくれた。
「俺、魔王を倒してくる」
「ああ。頑張れ」
「親父みたいに、立派な勇者になってくる」
「ああ…………頑張れ」
ただ頑張れとだけ言ってくれる父の背中は少しだけ寂しそうに見えた。
少しだけ……悲しそうに見えた。
父の作った朝食を食べ終えると、レオは父に教えられながら旅支度をした。
なるべく行動力を削がないよう、機動力を奪わないよう、荷物は最低限に、本当に必要な物だけ。
最後の最後で父はレオへと1つの武器と4つの言葉をプレゼントした。
武器は両刃の長剣。
かつての世界の言葉を使うならば、洋式のその武器には和式の名前が与えられていた。
正義の剣で‘義剣’それが、父から託された剣の名前だった。
レオは、父から授けられた義剣を背中に携え、言葉を記憶の引き出しへとしまい込み、最低限の荷物が入った腰巾着を腰に結びつけ、家の扉に手をかける。
見慣れた木製の質素な家。
ほとんどの家具も木製で、その全てが勇者を引退した父が暇つぶしの一環で作ったもの。
もう何度も何度も見たこれらの光景を、すでに記憶に焼き付いているはずの光景を、レオは両目で見据える。
そうすることで、レオはこれまでの人生を振り返り、整理した。
口では魔王を倒す、勇者に選ばれて良かったと言っているが、こうやって過去の思い出を大事そうに振り返る点、きっと俺は心のどこかでは怖気づいているのだろう。恐怖しているのだろう。
そんな柄にも無いことを考えた。
きっと、もうこの場所に帰ってくることなど無いのだと、心のどこかで感じたまま。
木製の扉に取り付けられた冷たいドアノブを捻り、レオは父に挨拶をして家を出た。
「じゃあ……行ってくる」




