第89話:密会
笑い疲れて突然静かになったアビゲイルが早く帰りたいと言い出したものだから、俺たちは運よく残っていた出口への扉を開いて外に出た。
王の間は第四階層だったから階段でも下っていくのかと思っていたのだが、出口だと言われていた扉を開くと扉の向こうはどこかの草原に繋がっていた。
これまでの俺だったら、そんな超常的な現象が起きるはずないだろう。
それこそ、魔法でも使わない限り。
なんていう風に思っていただろうが、今はもう違う。
俺はバベルに足を踏み入れた。
誰がどうやって作ったかもわからない、物理法則を無視した建造物。
その中で、俺はいくつもの超常的な現象を目にした。
空間が切り替わって別の場所に飛ばされたりだとか。
見たことのない新種の魔物に遭遇したりだとか。
目の前で、魔法が行使されるのを見たりだとか。
現に、死ぬのがほぼ確定したような大怪我をおったにもかかわらず、魔法で体を再生させられたりだとか。
そして、レオが振るった疑似聖剣が空間を斬り、そこから溢れ出る光によって何もかもを飲み込んだ事とか。
とにかく、このたった数日間で、俺は祖父から耳が腐りそうなほど聞かされていた「ありえない」という言葉がいくつも否定されるのを目撃した。
流石に、それだけ現実という言葉の定義を疑いたくなる事象に複数回接触したのなら、多少驚くことがあったところで「おっ?」と首をかしげるくらいで現実を受け入れることができるようになる。
「誰かおぶってよ〜」
なんて言って駄々をこねるアビゲイルをバベルの中へと置き去りにし、さっさと外に出て行く。
すると、流石にその状況で崩壊するバベルに残るワケにはいかないと、「あ〜ん。まってよ〜」と言いながらアビゲイルは俺たちを追ってバベルから飛び出た。
全員が扉をくぐると扉はひとりでに閉まり、そのまま空に溶けるようにしてじんわりと消えていった。
「みんな……アレ……」
刀を持たない方の手で、カレンが遠くを指差す。
その方角へと視線を動かすと、遠く向こうのほうで、バベルが下部で折れて倒れている真っ最中だった。
「あれ、本物だよな……」
「ああ。周辺の景色から見て本物だろうな」
辺りを見回しながら、目のいいレオが言う。
「私たち、さっきまであの場所にいたんですね」
「そうよ。帰ってこられなくなった人はいるけれど、少なくともここにいる私たちはあの場所から生きて帰ってくることができたの」
「…………ん」
「なんつーか、奇跡……だな」
しみじみと、クサい台詞を吐く。
別に狙ったわけじゃないけど、つい口にしてしまった。
誰か拾ったりしないよなとそわそわしていると、「ぶふぉ!」と、アビゲイルが盛大に吹き出した。
クソ。やっぱりお前が拾ったかアビゲイル。
今ここにいるメンバーで俺の恥ずかしい言動をわざわざ拾ってくるのはお前かレオかのどっちかぐらいだもんな。
「あーあ。ちょっと無駄に疲れちゃったなぁ〜」
早く帰ろうよと笑うアビゲイルに煽られ、俺たちは楔国へ向けて歩き出す。
幸い、レオが言うにはバベルよりも楔国に近い場所に俺たちは出たらしく、歩いて向かっても日が暮れる前には着くだろうとの話だ。
季節は初夏。
芽吹く草花は青々しく、空に浮く雲の数も多くはない。
暑すぎない程よい温かさの日の光が世界を包み、少し強めの吹く風は、一歩一歩を噛みしめるように歩く俺たちの背を確かに押した。
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3時間ほどレオに先導されながら歩くと、無事に楔国へとたどり着くことができた。
予定よりも、かなり早い段階での到着だった。
「いやぁ。今日はいいもの見せてもらったなぁ。今度お礼させてよ」
ニコニコとした笑顔で、嗄れた酒灼けしたような声で言ったアビゲイルは、楔国に着くなり俺たちに手を振ってさっさとどこかへ行ってしまった。
「最後まで鬱陶しい奴だったな」
ボヤくレオに、俺は激しく同意した。
最初から最後まで、常にテンションが高くてうるさかった。
けど、アビゲイルがいたからこそレオが疑似聖剣を使ってオーディンを倒したのかと思うと、あいつも別に悪い奴じゃあなかったんだなとも思えた。
それから俺たちは揃ってカローンナの執務室に行き、バベルでの報告をした。
カローンナはカローンナで別のダンジョンに向かうと言っていたから居るかは不安だったが、合鍵を持っているというシロに屋敷の鍵を開けてもらい、執務室に行くと何食わぬ顔でカローンナが居た。
一から十まで事を説明し、カローンナの部下である3人が命を落としたことも報告した。
多少傷つくかと思っていたが、カローンナは「そうか」と淡白に流し、俺たちに臭いから早く部屋から出て行って風呂に入れと怒鳴った。
それが、カローンナの強がり出会ったことは皆がわかっていた。
だからこそ、レオも噛み付くことなく「悪かったな」と大人しく執務室を後にした。
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さらに時間が経ち、空に月が姿を現した頃。
俺は、幅広の道から1本路地へ入った場所にある小さな酒場へと、指定された通りの時間に足を踏み入れた。
手近な位置にいた女性のウェイトレスへと、待ち合わせである旨に加えて前もって伝えられていた”メイビス”という予約名を伝える。
連れはもう来ていると教えてくれたそのウェイトレスに連れられ、多くはないテーブル席の、一番奥の席へと通される。
ウェイトレスの言ったとおり、そこに、俺を呼び出した人物は座っていた。
「……来たぞ」
言葉少なに声をかけると、がぶがぶとビールを飲みながら香草で蒸し焼きにされた魚をばくばくと食べる金髪碧眼の女性は、その手をぴたりと止めた。
「やぁやぁ。約束通りに来てくれたね」
「別に約束はしていないけどな」
「いいから座りなよ」
促されるままに座り、金髪碧眼の女性”アビゲイル・キャンベル”がその特徴的な声で呼び出したウェイトレスへとコーラを注文する。
アビゲイルは追加で幾つかの料理を慣れたように注文し、ウェイトレスは笑顔でキッチンへとオーダーを伝えに向かった。
「それで、話っていうのは?」
単刀直入に聞くと、カラカラと笑いながらアビゲイルは「つまらない男だなぁ」と返してきた。
悪かったな。つまらない男で。
「いいだろ別に。疲れてんだよ。早く帰って寝たいんだ俺は」
「ああ。確かに疲れたね。私としても失うものが多かったよ」
「……そうなのか?」
「まぁ、それ以上に得るものがあったけどね」
ウェイトレスが持ってきてくれたコーラを受け取り、それをひとくち口に含む。
炭酸の刺激と特有の砂糖っ気が喉を撫で、心地いい。
「それで、話っていうのは……」
「まったく君はしつこいね」
「いや、しつこいも何もお前が呼び出したんだろ」
ポケットから、一枚の紙切れを取り出してみせる。
いつの間にか荷物鞄へと入れられていたその紙きれには、下手くそな字面で
『
私と話をしよう。
午後6時、第7区画の路地にある酒場
“アトフィスト”で待っているから1人で来てね。
メイビスって名前で予約しておくから
』
と描かれていた。
ご丁寧に、末尾をアビゲイル・キャンベルと書き結んで。
「私、お前って名前じゃないんだけど?」
どこかで聞いたような返しをされ、少しだけイラっとする。
「はぁ……。アビゲイルが呼び出したんだろ」
「いいよ別に。今はその名前で呼ばなくて」
ニヤニヤと笑いながら、器用に口を尖らせるアビゲイル。
その表情はまるで、「知っているんだろう?」と問いかけてきているみたいだ。
深くため息をつき、どうしようかと短く思考する。
そして、わずかに悩んだ末に俺はその名を口にした。
「お前が呼び出したんだろ。ピース・ライアー」
名を呼ばれ、女性はニタリと顔を歪めてハスキーボイスで笑う。
「アハハ。ピンポーン」
妖しい笑みで笑う金髪碧眼の女性、一度はアビゲイル・キャンベルの名を名乗ったその女性を、俺は睨みつけた。




