第87話:バベル攻略(10)
自らを龍神と名乗る夜叉沼ノ主、魔王名オーディンは、その圧倒的な重量を持って、ただ単純に俺たちの方へ、正確にはレオへ向けて突進をした。
いくらただの突進だと言っても、オーディンは塒を巻けば小山ほどの大きさを誇る。
当然、その重量も比例するように膨大なものとなる。
重量がある以上、ただ純粋にぶつかっただけでも凶器になる。
なのに、オーディンは重いだけでなく早かった。
暴れる尾は部屋を照らす細かい電球を叩き割り、そのついでとでも言うように壁や天井の岩肌を削る。
地面を抉り、崩し、破片を撒き散らしながら、大口を開けて迫り来るオーディン。
その目的は、ついさっきオーディンが自ら語った通り、自身の仇だとかいうゲル・ガラードという男の、その息子であるレオを食うことなのだろう。
だから俺たちは単純に逃げれば食われずに済みそうなのだが、下手をすればその尋常じゃ無い重量と速度によって生み出されるバカにならないほどの衝撃に、ぶち当り、体が吹っ飛ばされるか潰されるかすることになる。
もしちゃんと避けられたのだとしても、飛来する瓦礫までを避け切らなければ安心できない。
(集中しないと……)
ビビっている。
ビビってはいるが、体は動いた。
とりあえずまっすぐに進んできそうだから避けようとかと、左側に飛ぶのが避けるには余裕があるだろうと、俺は剣を持ったまま転がるように飛び避けた。
が、なぜかレオもそっちの方向にオーディンを引き付けるように移動していて、これまたなぜか、俺以外の3人、カレンとポーラとシロは俺とは真逆の方向に退避していた。
ウィークの姿は無い。
散々引きつけておきながら、喰われるギリギリのところで避け、口端をめがけてギケンを振るったレオは、その刃が硬いオーディンの皮膚に跳ね返される反動を利用し、その場で回転してオーディンの攻撃をいなしてみせる。
そのままバックステップの要領でオーディンから距離をとりながら、飛んでくる小中様々な大きさの瓦礫をギケンで弾いた。
そして……
「うっそだろオイ!?」
オーディンは止まることができないのか、それとも止まるつもりが無いのか、進行方向を間違って予測し、転がるように避けた体勢の悪い俺へと突進してきた。
なんとか立ち上がって避けようとした俺のすぐ目の前に、すでにオーディンの大口が迫っていた。
レオがギケンをぶつけた口端に傷はなく、口内の歯は大剣と見紛うほどの大きさ、鋭さを持っていた。
嗚呼。終わった。
もう避けきれない。
俺はこの歯に串刺しにされ、すり潰され、そのまま龍神を自称する魔王に見えない魔王に食われて死ぬんだな。
そう覚悟した時だった。
「邪魔だ退け!」
いつの間にか俺の横に姿を現したウィークが俺を力一杯に蹴り飛ばした。
その力は以上なほど強く、体が宙に浮いて俺は吹っ飛ばされた。
宙を舞い、背から地面に叩きつけられ、そのまま何度も後転するように転がる途切れ途切れの視界の中で、背丈の低い小鬼が、為す術なく巨大な龍へと食われてく。
なぜかウィークは瞬間移動もせずに、もがくこともせずに、ただまっすぐにオーディンを見つめたまま、大口へと飲み込まれていく。
「……どうして…………」
ようやく転がり終わった身を直ぐに起こし、俺は、ただ呆然とした。
1秒前まで俺が居た場所を、オーディンは抉り壊し、瓦礫を撒き散らしてぐちゃぐちゃにしていく。
そのまま、オーディンは壁に激突してようやく止まった。
器用に身をよじりながらめり込んだ壁から抜け出し、方向転換をするオーディンは相変わらずその顔に怒りをにじませており、いつの間にかさっきまでオーディンが塒を巻いていた場所に移動していたレオを6つの目でしっかりと睨みつける。
そんななんということは無いと言った様子のオーディンだが、その顎は腹の辺りまでぱっくりと2つに裂けていた。
そこで、ようやくウィークが瞬間移動で逃げなかった理由を悟った。
(あいつ……わざと自分の体に触れさせてオーディンの体を切り取ったのか!)
確かに、最初の2度の遭遇ではウィークには瞬間移動の力があるだけだったが、このバベルで遭遇してからウィークは触れたものを限定的に切り取ることができていた。
対象の硬度に際限は無いようで、自身の身長ほどの1メートル弱四方で正方形に切り取ることができる。
バフォメットの部屋の扉を切り取っていたから硬度については確かな話だと言えるだろうし、範囲に関しても毎回1メートル四方の立方で切り取っていたわけだから確かなはずだ。
その力を使い、ウィークはオーディンに自滅をさせたようだった。
自身の体を突進するオーディンに触れさせ、勝手に突き進むオーディンをオーディンが動く限り限定的に切り取り続ける。
結果は見ての通り、顎から腹にかけてぱっくりと裂けさせることに成功している。
通常、それだけの損害を受ければ生物というものは大量に出血をするものだ。
血が流れ出るのを防ごうと筋肉が収縮を繰り返し、結果としてその筋肉の本能的脈動がより一層の血を体内から絞り出してしまう。
そうして大量出血をして、血が脳へと回らなくなり数分と経たずして意識を失う……はずなのだが。
オーディンにその気配はなかった。
腹半ばまでぱっくりと裂けたオーディンからは、その傷口から血が出ない。
一滴たりとも。
その代わりとして、オーディンの傷口からは霧のようなものが噴出される。
白色の、きめの細かい霧だ。
「ざまぁねぇな魔王軍。もうくたばっちまったのか?」
いつもよりも余裕の無い表情で、レオが煽るように声を張り上げる。
きっと、散々毛嫌いしておきながらも、今この場ではウィークの力がなければ勝ち目が無いのだと、レオも理解しているのだろう。
「あの紛い物はこの場には不要だ。よって、消えてもらった」
レオの煽りに、ウィークではなくオーディンが答える。
俺も薄々感づいてはいたが、ウィークの気配がまったく無い。
どうやらオーディンの言うウィークに消えてもらったというのは本当のことのようだ。
「さぁ。改めて、貴様の血肉を味わわせてもらおうか」
再び、オーディンがレオをめがけて地を這う。
体を器用に捻り、尾を暴れさせ天井やら床やらを抉り壊しながら、まっすぐにレオをめがけて進行していく。
しかし、次はさっきとは違った。
這うオーディンの周りの空間が、バフォメットが魔法を使った時の杖の周辺のように、ぐにゃりと歪む。
まるでその部分の空間だけ別のものに切り替わっているのだとでも言うように、陽炎のように揺らめく。
次の瞬間、オーディンの周囲の揺らぐ空間から、無数の雷が飛び出した。
そこへ向かうのが当然だとでも言うように、オーディンを置き去りにオーディンよりも早くレオへと向かっていく無数の雷。
超常的な光と熱の暴力をレオは難なく避けていく。
避けた先をめがけて別の雷が襲いかかり、それも避ける。
再び避けた先で雷が襲いかかり、それをも避ける。
何度もなんども繰り返し、レオに当たらなかった雷が地面を抉り天井を壊す。
ここで勝機だとでも言うように、オーディンは再び大口を最大限に開き、レオへと飛び掛った。
対するレオは、オーディンの突進を避けるために剣を構えて重心を落とし、両足に力を込めた。
無数の瓦礫が吹雪のように宙を舞い、その隙間を縫うように数え切れないほどの雷が空間を焼き裂く。
まさしく戦場と呼ぶにふさわしい空間で、相対するのは龍神を自称する初代魔王と、その魔王を倒したという勇者の息子。
西暦の時代にいくつも語り継がれた勇者譚の一節のようなその光景を、俺は……無力な脇役は、長剣を構えるでもなくただ手に持ったまま、他人事のように見つめることしかできなかった。
シロとポーラをカレンが守り、俺はビビって一歩も動けない。
そんな助けを望めない状況で、レオはオーディンと1対1の戦いを繰り広げる。
大きく避けることはなく、オーディンの攻撃を避けられる最小限の範囲で飛び退くと、着地と同時に地面を蹴り、ギケンの切っ先を6つある目のうちの1つへと突き立てる。
今度は粘膜部ということもありあっさりと刃が通る。
俺ならそこで安心してしまうところだが、レオは違った。
すぐにオーディンの顔面を足で踏み蹴り、ギケンをオーディンの眼球から抜き取りながらバック宙の要領で距離を置いた。
大道芸人のように軽やかな身のこなしで宙に浮くレオは、襲い来る雷をわずかな身の捻りでかわしてみせる。
着地をすると、レオは一番近くの壁際にまでまっすぐに走って行った。
オーディンに背を向け、一目散に走って行った。
自身から逃げているように見えるレオをオーディンは嬉しそうに追っていく。
大口を開けたまま、壁ごと食ってやるとでも言うようにレオを追う。
何を血迷ったのか、レオは壁に向かってジャンプした。
そして、壁を蹴り、身を捩って体の方向転換をし、そのまま突っ込んできたオーディンの背へと乗った。
レオを背に乗せたオーディンは壁へと突っ込む。
壁が破壊され、瓦礫が飛び散るが、レオはそれをやはりギケンで弾ききる。
ゆっくりと身を起こし、器用に方向転換をするオーディン。
その身が壁から離れたのを確認し、レオはオーディンの顔を滑り降りながら、自身が潰したオーディンの眼球と同じ側にある残りの2つの眼球を流れるように切り裂いて行った。
これには流石のオーディンも堪えたのか、「ぐぉぉぉぉ」と苦しそうな呻きをあげ、痛む箇所を抑える手もないもどかしさをより一層身をよじらせて暴れることで誤魔化した。
上下左右と、あらゆる方向へと振られる巨大な尾は、これまでよりも強く天井を叩き、天井に穴を開けた。
さらには開いた穴を広げるように尾を振り抜き、より広い範囲で天井に穴が開き、より多くの瓦礫が飛び散った。
そして、その瓦礫のうちの1つが俺の方へと飛んでくる。
雷はレオへと向かっていて、俺の方に向かってくることは無い。
距離もそれなりに離れているから、致命傷になりかねない瓦礫が飛んでくることも無い。
そうたかを括っていた俺は、完全に油断していた。
だから、俺の方へと狙ったように飛んできた瓦礫に対する反応が、わずかに遅れた。
思ったよりも大きなサイズの瓦礫が迫ってくるのを見て、「あ、避けないと」と思い、なぜかバックステップで避けようとした。
背に衝撃が走り、自分が自分の把握していたよりも壁際にいたのだと分からされる。
そのまま、逃げ場のなくなった俺を、飛来した大きめの瓦礫が押しつぶした。
「ケイタさん!!」
ポーラの悲痛な叫びが聞こえる。
何が起きたのかは理解できた。
けど、今自分がどんな状況にいるのか、自分がどうなっているのか、それを理解することはできなかった。
(とりあえず腹の上の瓦礫を退けないと……)
不思議と痛みは感じていない。
ただ、腹の辺りで違和感がして、それが自身の腹に瓦礫が乗っかっていることの証明となっていた。
身を持ち上げると、地面に置いた手にぬるりとした感覚が伝わってきた。
それは、中途半端に冷めた風呂のような生暖かさを持っていて、自分は何に触れているのだろうと思って手元に視線を向けた。
その時、持ち上げた手がぶよぶよとした感覚の何かに触れて、ついでにとそれを手に取ってみる。
手が真っ赤だった。
恐ろしいほどに、これまで見たことが無いほどに、真っ赤だった。
手に持つぶよぶよとした感覚の何かは、同じように赤色でびらびらとした長い長い柔らかな紐みたいなものだった。
自分が何を触っているのか、その状況が理解できないまま尋常じゃ無い寒さに襲われる。
体の芯から冷えていくような、そんな変わった感覚だ。
通常、寒い時は手足の先の末端部から冷えていくのだが、今自分が感じている寒さはそうじゃ無い。真逆だ。
体の中央から末端部へと、徐々に伝播していくような体の冷え方。
(あまりの寒さに頭がくるくる……す……ら)
もう体を起こしているのも辛くて、手に力を込めるのをやめて再び地面に倒れこんだ。
瞳だけを動かし、辺りの様子を確認する。
ポーラが、俺の方へと駆け寄ってくるのが見えた。
嗚呼。ならもう安心だ。
俺が今どうなっているのかは分からないけど、ポーラが来てくれたのなら助かる。
どんな怪我をしていても、きっと治してくれるはず。
「は……はは」
安心したら、なぜか笑いが溢れた。
どうして自分が笑っているのか、自分でもわからない。
だめだ。
すこし、ねむたくなってきた。
瞼を持ち上げていることすら億劫になり、少し、眠ろうかと思い始めた。
「だめです! 寝たらいけません!」
焦る様子のポーラの声が、遠く小さく聞こえてくる。
煩いな。
少しぐらいいいじゃ無いか。
疲れたんだよ。
寒さと眠たさで苛立っていると、
「あらあらあらぁ! 随分と酷い有様だねぇ〜」
おちゃらけた調子の、酒灼けしたような嗄れた女性の声が王の間全体へと響き渡った。
声のした方を半分閉じた眼で見ると、そこには肩にギリギリ届くくらいの長さの金髪と作り物のような碧色の瞳が特徴的な、俺よりも頭ひとつ分ほど背の低い女性が立っていた。
腰に手を当て、嬉しそうに王の間を見渡すその女性の名はアビゲイル・キャンベル。
元米国代表候補勇者の、自称世界最優の武器職人。




