第85話:バベル攻略(8)
「GrrrrrrrrrAAAAAAAAAAAAA!!」
バフォメットの重低音の悲鳴が部屋中に響き渡る。
その声量は、音の低さと相まって地面を揺らす。
(ああ……ダメだ)
苦しむバフォメットとその悲鳴に、揺れる地面に立つ俺は怯む。
嗚呼、この敵と俺は戦う事ができないのだと、ビビってしまう。
足が震え、尻もちをついてしまうのを何とか堪える俺の眼前で、レオとカレンはチャンスだとでも言わんばかりに、一歩を踏み出す。
「はぁぁああああ!!」
「死ねぇえええ!!」
バフォメットから飛び降りたウィークとすれ違う形で2人は駆け、レオはバフォメットの胸部にギケンを突き刺すために突進していく。
迷いなく真っ直ぐに突きつけられたギケンは、深々とバフォメットの左胸部へと突き刺さる。そのまま、柄を握って突き刺さった剣にぶら下がり、体重を利用して心臓があると推測される左胸を縦に切り裂く。
「AAAAaaaaaaaaaaaaahhhhhhhhhhhhhhHHHH!!!!!!!!!」
レオがバフォメットへと致命傷を与える一方で、カレンは飛んだ。刀を振り抜きながら。
その腕は滑らかな調子で振り抜かれる。無駄な動きが一切ない、美しい一太刀。
滑らかに、そしてゆるやかに、刀とは、そう振り抜くのが解だとでも言うように、カレンの振るう刀は横一文字を結ぶ。
その切っ先は、見えない。
腕を振る速度が遅いにもかかわらず、カレンの振り抜く刀の切っ先は姿を消す。
繰り出された“ごくごく普通”の最高速の一閃は、吸い込まれるようにバフォメットの左上腕へと向かって行き、眼球を抑えるその手を手首からバッサリと斬って見せた。
「……っ!!!」
それほどまでに痛かったのか、バフォメットはとうとう切り抜かれた眼球を葬い顔に手をかざす事をやめてしまい、俺たち人間には聞こえないレベルの高い音で悲鳴をあげる。
苦しむように身をよじり、レオは振り落とされるが難なく着地する。
バフォメットは慌てて、雷を魔法で生み出した時のように器用にパラパラと片手で本をめくっていくが、どっからどう見ても、冷静さを欠いていた。
「バーカ。チェックメイトだ」
だから、すでにウィークは瞬間移動していることに気がつけていない。
その場所は、レオが縦に切り裂いた傷口のすぐ目の前。
ウィークは空中に姿を現したと同時、その小さな拳を傷口に刺し込んだ。
音もなく、1メートル四方でバフォメットの胸部が切り取られる。
その切り取られた肉片はどこにもない。
厚い胸板からすればまだまだ半分地点にも満たない肉の抉れだが、バフォメットは胸に大穴が開いたことでそこから大量の血を吹き出した。
当然、食道を上って行ったのであろう血が口からゴポゴポと溢れ出る。
その音があまりにも気持ち悪くて、バフォメットの死にゆく姿がより一層禍々しく目に映る。
バフォメットは苦しそうに、何かを叫びたそうにするが、まともに声が出せず、状況が理解できておらず、何が何だかといった様子で残る瞳に涙を浮かべて崩れ落ちた。
うつ伏せで倒れたバフォメットを起点に、どんどんと真っ赤な血が流れ出ていく……と、思っていた。
思っていたというのは、当然のようにそうはならなかったということだ。
うつ伏せに倒れたバフォメットの体は、大量の血で床を汚すよりも前に、黒色の粒子となって霧散した。
まるで今まで見ていたのがヤギ男の化け物ではなく、その姿を見せただけの幻であったかのように、バフォメットは霧散し、空へと溶けていく。
そして、その代わりとしてバフォメットの倒れた場所には小さな四角い正方形の”黒い箱”があった。
(ゲームのドロップアイテムみたいだな)
どう考えてもバフォメットから落とされたとしか思えないその黒い箱を見ながら、俺はのんきにそう思う。
ただの現実逃避だ。
化け物との戦いを見て今にも逃げ出したくなった俺の、ただの現実逃避だ。
「気持ち……わるかっ……たぁ」
いつの間にか俺とポーラの元にまで移動していたシロは俺の袖をくいくいと引っ張りながらそんなことを言う。
お前、さっき戦ってなかっただろこの野郎。
まぁ、俺もビビって動けなかったから人のことを言えないけどな。
「これがアレか? シロとかポーラが見つけたとかいう箱か?」
レオとカレンは箱に近づいていき、不思議そうな顔でまじまじと黒い箱を見つめる。
「これに触れば次の階層に行けるんだな」
と、レオが足先でちょんと箱に触れた瞬間。
俺たちは、いつの間にか巨大な階段だけが置かれた部屋に立っていた。
すでに2度聞いた、本能的に嫌悪感を感じる幾重にもずれて重なったぐにゃぐにゃとした音が部屋中へと響き、階段を上った先の扉がギィと開く。
重々しく、何度も止まりながら段階的に開いた扉の先から、ひょこりと、一匹のうさぎが現れた。
人間の子供くらいの、それこそ小鬼くらいのサイズ感の、二足歩行の服を着たうさぎ。
(もう世界観がわからねぇよ)
二足歩行のうさぎはぴょんぴょんと、ゆっくりと片足ずつ一歩一歩踏みしめるように階段を降りてくる。
その足取りはたどたどしくて、端から見れば下手くそなスキップをしているようだ。
「Alice in Wonderland How do you get to Wonderland」
鼻歌まじりによく分からない歌を歌いながら、うさぎは階段をゆっくりと下手くそなスキップで降りてくる。
明らかに、ここまでの2回とは雰囲気が大きく違った。
うさぎは階段を降りきり、俺たちの元にくると、左手に持つ懐中時計で時間を確認し、開いた右手でパチンと指を鳴らした。
すると、不思議なことに響く不快な音が止む。
艶やかな毛並みの二足歩行のうさぎは、第二次革命未遂事件の際のウィークと同じように片足を一歩引き、懐中時計を持つ手を背に当て、もう一方の手を胸に当てて頭を下げた。
「おめでとうございます。モデル”バベル”のダンジョン、試用はこれにて終了になります。予定よりも早い攻略に、製作者も驚いております」
……バベルってのはカローンナがつけた名前だったが、どうやら製作者も同じ名前をつけていたようだ。
(つーか、製作者って、やっぱりこのダンジョンは誰かが作ったものなのか……)
まぁ、こんな超常的な建造物、どう考えても人間に作ることはできないだろうな、と、そう思っていると、うさぎはもふもふの手で階段の先にある自身が出てきた扉を指し示した。
「ですので、ここからは当初予定になかった記念試合になります。どうか、初代魔王との戦闘をお楽しみください。そこが第四階層となります」
「初代魔王だぁ?」
ウィークへの興味が失せているのか、レオがうさぎを睨みつけながら聞く。
お前、さっきまでここにウィークがいることを疑問に思ってただろ。
順応早すぎ。
「はい。初代魔王です。階段を上った先に広くはありませんが休憩スペースがあります。そこで体を休めて、お好みのタイミングで奥にある王の間にお入りください。魔王は外へとつながる扉を守っています。試用では第四階層での出現となりますが、本来、実装版では第二十階層を守護するボスです。それなりに強いですし、我々もまだ何か景品を用意できているわけでもありませんが、戦闘自体が報酬だとでも思ってどうかご了承ください」
では頑張ってくださいと言い残し、うさぎは地面へと沈んでいった。
とりあえずで階段を上ると、そこには本当に小さな休憩スペースがあった。
まぁ、小さなとは言っても俺たち5人と1体が全員寝転がっても窮屈さを感じない程度の広さだ。
1つ小言を言うのなら、休憩スペースは本当に休憩スペースで何も無い空間だった。
だから俺たちは持ち合わせの食料を食い、横になって体を休めた。
シロの一存で2時間は最低でも休憩することになったからだ。
「お前にはやらねぇからな」
硬い非常食用の乾燥パンを齧りながら、レオはウィークを睨みつける。
ウィークは胡座をかいて座ったまま、呆れたように「要らねぇよ」と返す。
レオやカレンはウィークが俺たちと一緒に来たことについて特に追求をすることはしなかった。
多分、なんだかんだでバフォメット討伐を手伝ってもらったことに義理みたいなものを感じているんだろう。
いつものレオならすぐにでも襲いかかっていそうなものなのだが、アレか? ポーラとウィークの約束みたいに、レオは今回はウィークを見逃そうとでも思っているのか?
まぁ、見逃すだなんて次元じゃなく、レオはウィークよりもずっと弱いだろうけどな。
…………。
(俺たちは、こんな化け物と戦って勝たないといけないのか)
胡座をかいたままブラブラと体を揺らすウィークを見て、改めて思う。
そしてあっという間に時間が過ぎ、とうとう初代魔王が待っているという奥の部屋。
うさぎの言葉を借りるのなら”王の間”へ突入する時間となった。




