第81話:バベル攻略(4)
牛人間の化け物の手足にこびりついた血は、砂を巻き込んでなのかカピカピに乾燥している。
確かに集中して匂いを嗅げば血の匂いがするのだが、乾燥しているが故に血の匂いはさほどしない。
(レオはよく血の匂いがわかったな。化け物かよ)
「ほんっと、魔物どころじゃねぇだろ。ただの化け物じゃねぇか」
額に冷や汗を滲ませながらも、レオは犬歯をチラつかせて不敵に笑う。
だが、その笑みもいつものように禍々しく自信に満ちているわけではなく、弱々しく引きつってしまっている。
(魔物と化け物って何が違うんだっつの)
なんて不必要なツッコミを言葉に出さず入れる。
そして、「ゔぉおおおおおおおお」という雄叫びをあげて地団駄を踏み始める牛人間に警戒し、俺たちは皆、臨戦態勢に入った。
レオは姿勢を低くして両刃の長剣を構え、カレンは下段で刀を構える。ガレスは足がガックガクになりながらも立ち上がり、震える手で長剣を抜く。シロは身につけていたローブの内側からナイフを両手に一本ずつ抜き取る。棒立ちのままで。
ポーラはシロを見て、見よう見まねで腕の革製収納袋から短剣を2本抜き取り、左右の手で逆手に構える。
レオからもらった長剣を構え、皆と同じように臨戦態勢に入る俺の瞳に、地団駄を踏む牛人間の足の裏が映った。
「うっぷ……」
思わず、吐きそうになってしまう。
(今……人がいた……! あいつのあしの裏に……人が!)
吐き気をこらえようとして手から長剣がずり落ちそうになり、慌てて握り直す。
そんな俺をガレスとポーラは不思議そうに見てくるが、きっと他の3人は俺の目に見えているものと同じものが見えていたのだろう。
だからこそ、動じない3人は剣を握る手に一層の力を込めた。
「アレがおとなしくなったら行くぞ。今突っ込めばアイツらと同じことになる」
ほらやっぱり。レオにも見えていたんだ。
あの、踏み潰されて形がなくなるほどまでぺしゃんこになった人間……達が。
どれほどの数なのかはわからない。
巨大な足の裏にはびっしりと、辛うじで人間だとわかるような皮や肉の塊が砂と絡みながらひっついている。
さながら、足の裏に直で靴底がつけられているんじゃないかってほどのレベルで。
そんな、人としての形を失った残骸達は、牛人間が地団駄を踏むごとに擦られ、剥がれ落ちる。
「きゃあ!」
背後からポーラ悲鳴が聞こえ、ポーラの方を向くと、彼女の目の前に人の潰れた右腕が落ちていた。
牛人間の足の裏からはがれ落ちた残骸が飛んできたのだろう。
目の前に落ちた腕を見て、ポーラはとうとう我慢ならないといった様子で牛人間に背を向けて逃げ出してしまう。
「アぁ。逃ゲた。ダ目」
牛人間は首を半周ひねって言った。
本来なら回らないほど首が回るのを見て思わずひるんでしまうが、それよりも牛人間が人語を使ったことに意識が引っ張られる。
「……お前、どうやって産まれた」
念のため、言葉を選んで牛人間に聞いてみる。
だが、牛人間に俺の声は届いていないようで、その飛び出た眼球の黒目が逃げるポーラを追っていた。
「……まずい! ケイタ、ポーラを守って!! 私たちはあの化け物を足止めするから。ポーラを連れて逃げ……」
「避けろ!!」
カレンの言葉を遮り、牛人間が動きだす。
そして、牛人間がゆっくりと持ち上げて落とした足は俺たちが出てきた一軒家を踏み潰した。
すぐ目の前に、牛人間の巨大な足がある。
とっさのレオの指示がなかったら誰かしらが踏み潰されていただろう。
俺はビビって動けなかったけど幸い踏み潰されずに済んだ。
けど、牛人間の足は目と鼻の先にある
もしも少しでも位置がずれていたらと考えるとゾッとする。
目前にある牛人間の足を立つように視線を上げると、遥か上空にぎょろりとした気味の悪い眼球があった。
(まるで塀を見上げているみたいだな)
門出の日にふと塀を見上げた時、その時に目に映った光景を思い出す。
あの時よりも、相手が生き物であるぶん言葉にしようのない圧迫感を感じる。
飛び出た牛人間の眼球は相変わらずポーラの方を見ていて、すぐにでもポーラを追い出すだろうことは考えるまでもなくわかった。
「ケイタ!早くポーラを!!」
いつの間にか準備していた弓に矢を番えて構えながら、カレンは叫ぶ。
その声が切羽詰まっていることから、俺もつい“動かなければ”と体が認識し、ほとんど無意識のうちに走り出す。
教会では意識してやっと形になっていた、レオやカレンがよくやる瞬時に最高速で走り出せる走り方を自然にやることができ、俺はぐんぐんと加速してもたもたと逃げるポーラに近づいていく
逃げるポーラを追う俺を、牛人間はゆっくりとした足取りで地面を踏みしめながら追ってくる。
(早くは……走れないのか?)
なぜか走らずに歩いて追ってくる牛人間。
走れないならそれはそれで助かったと、俺はどんどんとポーラに近づいて行き……
「ポーラ!」
追い越すと、
「乗れ!!」
彼女の目の前で背を向けてしゃがんだ。
走っている間に荷物鞄は背中側から腹側へと背負い変えた。
おぶって走るから乗れという意だったが伝わるだろうかと場に合わない心配をしていると、ポーラは「えーっとぉ」なんて恥ずかしがっている。
「いいから早く! その方が早いんだ!」
自分でも何を根拠に言っているんだと思ったが、そんな事の根拠を考えている暇はない。
早くしないと牛人間にすぐに追いつかれる。
カレン達が足止めをしてくれると言ったが、俺たちとあの牛人間とじゃあ生き物としての次元が違いすぎる。
どれだけ時間が稼げるのかはわからない。
申し訳ないと、恐る恐る俺の背に乗っかるポーラをしっかりと背負うと、走り出す前にレオ達の方を見た。
だが、確認をする俺にレオは「いいから逃げろと」叫んだ。
それだけ、余裕がないということなのだろう。
ちらりと見ると牛人間は左右の手でそれぞれ、両目を覆うように押さえていて、さらには「痛いィ〜」なんて悶えている。
何があったのかはわからないけど、カレンが矢を番え直しているしシロがローブから新しいナイフを抜き取っているから、2人が何かをしたのだろう。
ともあれ、みんなは予想以上に時間を稼げているようだ。
「アイツ等なら大丈夫だ。ポーラも知ってるだろ? シロは勇者だし、カレンもレオも強いんだ。負けるわけない」
不安そうにレオ達の方を見るポーラにそう言い聞かせると、ポーラは「そう……ですよね……はい」と、安心しきれない様子で頷いた。
今度こそ、ポーラを背負った俺は走り出す。
普通に走っている時と違って走りづらくはあったが、ポーラは背負っている感覚がほとんどないほど軽くて、幸い、そこまで走る速度が遅くなることはなかった。
ポーラは心配なようでなんども俺の背の上で後ろを振り返って確認していたが、俺は、走り出してからは一度たりとも振り向くことがなかった。
途中で何度も地面の揺れる重い音がしたり、何かが弾けるような音がしたり悲鳴が聞こえたりしたが、俺は振り返らなかった。
背ではポーラが息を飲む音がした。
だから、きっと何かがあったのだろうとは思った。
けど、俺は決して振り返らなかった。
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1時間後、俺はもう足を上げるのが辛くなった。
けど、走っているのか歩いているのかわからないスピードのまま、俺は足を止めずに走り続けた。
そこからさらに30分後、
「ケイタさん。もう……大丈夫です」
ポーラに言われ、俺はようやく足を止めた。
太ももが限界まで張っていて、ふくらはぎなんかはとうの昔から攣り続けていてパイプが突き刺されているような鈍い違和感が残っている。
呼吸は乱れに乱れ、ぜぇぜぇという引っかかるような自分の呼吸がうるさい。
膝は笑って力が入らず、俺はポーラを背から下ろすなり、すぐに地面に倒れた。
「その……ごめんなさい。もっと早くから私が自分で走ってたら」
「ハァ……ハァ……気にするな。俺が選んだんだ」
「けど……」
「ハァ…………ハァ……それよりも……ハァ……何を見た?」
その問いにポーラの表情が強張る。
背に感じるポーラの息遣いや、俺の肩をつかむポーラの手に不自然に力が篭った事から、俺が背を向けていた戦闘の場で何かよくないことが起きていたことは察していた。
だから、俺は何があったのかと、ポーラに残酷な質問をした。
ポーラは言うべきか悩んだようだったが、絞り出すように事の内容を語ってくれた。
「カローンナさんの部下の方が……亡くなりました」
「……そうか」
「……はい」
死んだのがレオやカレン、シロじゃないとわかり、ホッとする自分がいた。
俺は、最悪な人間だ。




