第72話:血に濡れた手
頭が思考をするよりも早く、体が動く。
目元の涙を拭って立ち上がり、思い切り扉を開けて腰に据えた長剣を抜き構える。
すると、薄暗い通路だったはずの扉の先は、元の教会奥のリビングへと変わっていた。
つい、体が硬直する。
脳が情報を処理できず、体に動作指示を送るのを一時的に停止してしまったから。
けどそんなのは文字通りの一瞬で、俺は自分が経験した一連の不思議な出来事について思考を重ねることはせず、悲鳴の主であるポーラの元へと向かうことにした。
「ポーラはどこの扉に!」
無数に並ぶ扉を見て、あいつはどこの部屋に入っていたのかと思い返す。
重要な情報だとは思っていなくて、全くもって記憶していなかった。
とりあえず手近な位置の扉から順に全ての部屋を見ていこうかと思っていたところで、扉が2つ勢いよく開いて、レオとカレンの二人が剣を抜き身で構えながら飛び出してきた。
「ポーラ!!」
カレンがポーラの名前を叫びながら、隣の扉を開けて部屋の中に入っていく。
どうやらカレンはポーラの入っていった部屋を覚えていたようだな。
レオと目配せをし合って2人でカレンの後を追い、
「なっ……!」
「……んだよこれ」
その先の光景を見て、俺たちは声が漏れた。
「ち、違うんです! 違うんですよ!」
弁明をするように声を張り上げるポーラは奥の壁際にへたり込んでいて、その手には血に濡れた短剣を持っていた。
そして、ポーラのすぐ前には2人の男がうつ伏せの状態で倒れていた。
カローンナの部下である、メガネの男と小太りの男が。
よく見ると、倒れている2人から血が出ているようで、最初は小さかった真っ赤な水たまりも、瞬く間に大きくなっていった。
「違うんです…………私……違うんです……」
歪な笑みをその顔に浮かべて震える声で話すポーラは、とうとう手に持っていた短剣をパッと放し、血で濡れた手で汚れるのも厭わず頭を掻きむしった。
落ちた短剣がカランと音を立て、血だまりに波紋を生みながら小さく跳ねる。
ハッキリ言って、見た限りではポーラが2人を刺したようにしか解釈できない。
けど、だとしたらさっきのポーラの悲鳴は何だったんだって話になる。
なら話は簡単だ。
多分だけど、この2人の男が何かしらの事情があってなのかポーラに危害を加えようとして、ポーラは身の危険を感じて悲鳴をあげながらも自己防衛をしたのだろう。
そして、その結果として行き過ぎた攻撃をしてしまったのだろう。
「レオ! ケイタ! 2人の状態を確認してできるなら治療して! 私はポーラから話を聞くわ!」
「お、おう」
「わ、わかった」
言われるがまま、レオがメガネの男、俺が小太りの男へと駆け寄り、様子を確認する。
うつ伏せの状態から男をゴロンと転がし、傷口を探る……までもなかった。
男の喉にはぱっくりと大きな穴が空いていて、悲惨なことに、骨や食堂までバッサリと断ち切られていた。
ドクンドクンと、傷口が跳ねる。細かな痙攣も合わさることで筋肉が複雑な動きを見せている。
心臓の脈動に合わせて脈打つ傷口は、脈動に誘導されるように一定のテンポで異常な量の血を吐き出す。
一目見ただけで、手遅れである事はわかった。
……いや! まだ方法はあるぞ!
「ポーラ! あの時の薬はあるか?! オリジンで俺の傷口に塗ってくれたアレだ!」
「え?」
間の抜けたような声を出しながら分からないといった様子で首を傾げたポーラだが、すぐに俺が何を言っているか理解したようで、「……あ」と小さく声をこぼした。
「早く! まだ間に合う!」
「…………ごめんなさい。それは……できないんです」
「どうしてだ!」
「その……回数制限が……」
ポーラの言っていることがわからなかった。
回数制限ってなんだよ。
そりゃ薬も有形物なんだから限りはあるだろうけど、また買うだか作るだかすればいいだろ。
そうこうしているうちに男は傷口だけじゃなく全身が痙攣しだし、最後に「うううううぅぅぅぅ」と苦しそうな呻き声を上げて息絶えた。
「そっちは?!」
レオの方はどうなのかと確認すると、レオは冷めた表情で首を横に振った。
「ダメだ。最初から死んでた」
見ると、メガネの男も喉に傷口があり、そこから大量の出血をしていた。
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よほど混乱していたのか、ポーラは落ち着くなりそのまま眠りについてしまった。
これまでの疲労もあるし、それだけ精神が不安定な状態にあって混乱していたということだろう。
「で、何があったんだ?」
入り口から見て部屋の左側に壁に寄せるように置かれている簡素なベッドに腰掛け、眠るポーラに膝枕をするカレン。
そのカレンへとレオが単刀直入に聞く。
どっちかというと最初は錯乱状態にあったポーラだ、そこまで詳しく何があったかを聞き出せることはないだろう。
そう思っていたのだが、流石はカレンだ。
混乱するポーラを早急に最低限会話ができる程度には落ち着かせ、聞くべき話を聞いたらしい。
まぁ、俺が薬の話を振った時点でかなり冷静な状態に戻っていたからな。
それだけカレンの仕事が早かったということだ。
「この部屋に入ってから、ポーラは少し仮眠を取ろうとしてベッドに横になったらしいの。それで、眠り始めてから少しして、ポーラは誰かの話し声が聞こえて目が覚めたらしいのよね。そしたらあの2人がいて、ポーラの荷物をあさっていたらしいの」
「漁ってた? 何でまた」
レオの問いに、カレンは首を横に振る。
「わからないわ。そこまでは聞き出せなかった。それで、ポーラは2人に向けて何しているんですかって聞いたらしいの。そしたら、2人はポーラを押さえつけて襲おうとしてきたらしくて……」
だから自分の身を守るために攻撃して、意図せず殺してしまったということか。
けど、何か話に違和感を感じるな。
2人がポーラの荷物を漁っていたとか言っていたが、そもそも2人は何でそんなことしたんだ?
金にでも困っていたのか?
いや、だったら俺たちの荷物から金目のものを取るより、カローンナの屋敷から何かを盗み出した方がよっぽど金になるだろう。
そもそも、カローンナがそんな盗みをするような人間を部下にするとは思えない。
だとしたら、2人がポーラの荷物を漁っていたのは独断というよりはカローンナの指示か何かなのか?
なら、ガレスは関係しているのか?
部屋に沈黙が広がっていく中、部屋の扉がゆっくりと開かれた。
そして、開いた扉の先にはガレスが立っていた。
全ての事柄に無関心といった様子で、何にも興味がなさそうにほぼ無表情で立っていた。
シロも大概無表情だが、まだガレスよりは人間味がある。
わずかに口角が上がったりして笑ったとかいうのがわかるしな。
けど、ガレスは本当に機械みたいで、その顔には全くもって感情の類がにじみ出ていない。
「あぁ……やっぱりか」
ガレスは2人の死体を見て溜め息をつくと、跪き、土下座をした。
「申し訳ない!!!」
叫ぶようなガレスの声は野太く、力強く、機械的なガレスから出るような声にはとても思えなかった。
「な、何がだよ」
動揺しながらもレオが聞く。
すると、ガレスは俺たちが知らなかった話をしてきた。
「僕たち3人はカローンナ様の初期からの部下でした。ですが数日前、あなた方が楔国へと来たその日のこと。カローンナ様と僕たちが事務仕事をしている時、魔王軍の幹部からの接触がありました」
その言葉に、以前の街でのピース・ライアーとの会話を思い出す。
「ニコラ・スミス。君、魔王軍に来ない?」
あの時は、ピース・ライアーを名乗る自称幹部の竜種がニコラウスに魔王軍への勧誘を行っていた。
あれも立派な接触だ。
「カローンナ様の屋敷に現れた幹部の名はピース・ライアー。ピース・ライアーは、カローンナ様に魔王軍に来てくれと懇願しました。カローンナ様は興味がないと一蹴しましたが、それによってピース・ライアーの標的が僕たち3人へと変わりました」
ピース・ライアー。
その名称がガレスの口から飛び出て、俺たちは唖然とした。
カレンは目を見開いたまま顔を伏せている。
多分、あの時の街での出来事を思い返してしまったんだろうな。
……仕方ない。あれはあっという間に3人が死んでしまった最悪の出来事だったからな。
「ピース・ライアーは言いました。来るべき再編へ向け兵力を必要としている。魔王軍に来てくれるというのなら、中隊を指揮する幹部としての席を用意しようと。当然、僕は即答で断りました。僕たちが守るのは人類なのだから、魔王軍の手先になるはずがないだろうと。ですが、2人は違った。ウィルとバースはそうじゃなかった」
ウィルとバース。あの2人を指す名詞だろう。
けど、どっちがウィルでどっちがバースだ?
どっちがどっちでも名前と顔が似合わなさすぎるだろう。
まぁ、そんなことはどうでもいいけど。
「その場では断っていましたが、2人は翌日に再びピース・ライアーと接触していたようで、その際にピースから条件を提示されたそうです」
「条件?」
聞くと、ガレスは「はい」と静かに返事をした。
これまで、ずっと土下座の姿勢のままだ。
「2人は、ピース・ライアーから魔王軍に迎え入れるための条件を提示されました。その条件とは、大魔法使いニシゾノハルアキの遺物の回収です」
「……は?」




