第71話:天撃と魔王と再編
額に冷や汗が滲み、手が震えた。
確かに持っているはずの握力はどこかに行ってしまい、手から本がこぼれ落ちる。
軽い音を伴って地面に落ちた本を拾おうと、慌てて腰を折る。
すぐにでも本を拾い、元あった場所に納め直し、記憶から存在を消し、なかった事にしなければならないと思った。
今自分が見てしまったものは本来見てはいけないもので、もし見てしまったのなら殺される類のものだ。
誰に?
それはわからない。
けど、誰かに証拠隠滅のために殺されてしまうのではないか、そう思わずにはいられなかった。
慌ててすくい上げるように両手で丁寧に本を拾いあげると、眩暈がして体がぐらつき、本棚にもたれかかる程度の勢いでぶつかってしまった。
その衝撃で、ぶつかった本棚からドサドサと音を立てて本が数冊落ちてくる。
全てを拾い上げ、もうどの本がどこにあったか分からなくなっていたから全部を本棚の足元に積み重ね、俺は部屋から逃げ出した。
「なっ……!」
確かに自分が入ってきたはずの扉を勢いよく開け、俺は絶句した。
「どこだ……ここ…………」
そう。扉を開けた先には教会奥のリビングなど無く、代わりに蝋燭の弱々しい明かりで照らされた岩肌が剥き出しの通路がどこまでもどこまでも伸びている虚無という言葉がしっくり来る空間が在った。
「は……はは…………なんだよ……これ」
とうとう俺はおかしくなってしまったらしい。
書庫へと戻り、扉を閉めると頭を抱えて蹲った。
全部、現実逃避のための行動だ。
書庫へ戻ったのも扉をしっかりと閉めたのも頭を抱えたのも蹲ったのも、全部全部、壊れたらしい現実から目を背けるための逃避行動だ。
「うあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
うずくまった状態で、床へ向けて思い切り叫んだ。
パンクしそうな頭から余分な熱を吐き出すための、余分な情報を削除するための感情的な手法だ。
怒り混じりで怒鳴るように、息が切れるまで俺は叫び続けた。
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
全ての息きとともにカッとなって湧き出した無駄な感情を吐き切ると、深呼吸をして扉にもたれるようにして座った。
一度情報を整理しようと、ついさっき自分が見てしまったあの本の事と思い返す。
本当は思い返したくなんかはなかったが、如何せん俺も人間だ。
本能的な探究心という欲求には抗えない。
あの本には、国同士の争いをなくす方法、その計画が“再編”なのだと書かれていた。
具体的な内容は人類に共通の敵を作ることで、国同士の……人間同士の争いを抑止しようというもの。
確かに、かつての西暦の時代では中期のあたりまで人類同士の大きな争い、戦争が多発していたと言われている。
中でも2度、大戦と呼ばれる多くの国が入り乱れた凄惨な戦いがあったそうだ。
そして、その2度目の対戦を期に西暦の時代は戦争というものに怯えるようになり、互いに争いを生まないよう牽制し合い、結果的に平和になったのだと言われている。
本の中には第三次世界大戦という言葉が出てきた。
世界が警戒していた3度目の大戦を指す言葉だろう。
……西暦という時代は、人間という生物が異常な進化を遂げた時代だった。
それこそ、2度目の大戦から西暦が終わる直前まででは、人々の生活は大きく変わり、街の様相も元の姿が全く残らないほどにまで変化したという話もある。
つまりはそれだけ進化をしたということであり、その進化の末での3度目の大戦。
もし起きていたのならと考えると、背筋が凍るようだ。
西暦の技術は今の技術よりもはるかに進歩している。
携帯電話と呼ばれる一部の人間だけが使えるような高度技術通信機器をほぼ全ての人類が持っていたと言われているし、人類が健康に生活して衰弱死していく平均年齢は80だとも言われている。
今と違って、飛行機だなんていうものすごく早く空を飛ぶ乗り物がたくさん空を飛んでいたそうだし、一部の国では人間の脳にチップを埋め込んで機械によって管理させる国も出てきていたらしい。
そんな西暦の時代が終わりを迎え、皇帝期へと切り替わった出来事。
その一連の出来事を総称し、俺たちは再編と呼んでいる。
天撃から始まり、魔王軍の襲撃により西暦が終わりを迎えた一連の出来事、再編。
そういえば、天撃は超巨大非人道的爆弾だと書かれていたな。
俺たちが学校教育で教えられていた天撃は、尋常じゃない大きさの原子力の爆弾という話だ。そして、その爆弾はどこの国が発射したわけでも無く、どこからとも無く降ってきたという。
2つの話を照らし合わせると、超巨大非人道的爆弾“天撃”というものは、超巨大な原子力爆弾で間違いないはずだ。
そして、その爆弾は人工衛星”ラグナロク”によって発射されたという。
人工衛星……。
その言葉の意味は知らないが、文字から推測するのなら人工的に作られた衛星……星なのだろう。
「そりゃそうだ……。そりゃあどこの国からも発射されていないはずだ」
表現通り、天撃は空の彼方から落とされたものなのだから、どこかの国から発射事実が確認されるはずがない。
あの本の話が本当なら、どうせラグナロクとかいう人工衛星はどこの国の保有物なんていう決まりは無く、全ての国々の共有財産という扱いだったのだろう。
「なんだよそれ……ずりぃよ……。……………………あ」
気づいてしまった。
俺は気づいてしまった。
「なら……魔王も……」
ふざけるな!!!
そう叫びたかった。
だって、気づいてしまった事実は全てを否定するものだったのだから。
再編とは、天撃と魔王軍による襲撃が立て続けに起きたことで、人類史が壊滅した出来事を指す言葉だ。
そして、あの本曰く再編とは国同士の戦争を無くす為の手段だという。
再編の計画は人類の共通の敵を作ることで国同士の戦争を抑止するというもの。
俺たちの知る再編は、1度目の天撃の後に魔物が出現するようになり、その後、全世界を標的とした大量の天撃に続くように魔王と呼ばれる存在が軍勢を率いて人類を蹂躙したという出来事。
この出来事の初期段階、魔物が出現するようになったという段階で、俺たち人類は人間同士の戦争をしなくなったと聞かされている。
皆が皆、存在するかもわからない魔王という存在を警戒して、そちらへの対策に知力やら財力やらを使うようになったのだと聞かされている。
ああ。もう、ここまで来れば明白じゃないか。
「魔王は…………俺たち人間によって作られた存在だ」
それだけじゃない。
魔物も含めて俺たち人間が作ったものだ。
その結論に至るのが当然だろう。
見てみろよ今の世界を。
俺たち人類は魔王を恨み、魔王を倒すことを目的として勇者ルールなんてものを作り、その道程で魔物を敵視し、討伐している。
代わりと言ってはなんだが、人類同士の争い、国を取り合う戦争なんか全くと言っていいほど起きない。
本来、人間は個々人で思考が違う生き物で、それ故に喧嘩をするものであり、その延長線上に戦争というものがある。
つまり、俺たちが人間である以上、戦争が起きて当然なんだ。
なのに、俺たち人間は皇帝期に入ってから戦争を起こしていない。
それはなぜ?
魔王を倒さなければならないという共通意識があるからだ。
だとしたら納得だ。
魔王を倒した人が勇者と呼ばれる今の世界は、確かに勇者と呼ばれる人間……魔王を倒したという人間が存在するにもかかわらず、一向に魔王討伐の勇者ルールが終わらない。
それは、魔王が人間によって作られた戦争抑止の為の存在であるからだ。
だから、現状を崩さないためにも魔王が討伐されたら次の魔王が用意される。
俺たちが生きているのは、そういう世界なんだ。
「……ったく、趣味悪いだろ……」
明確な寒気により一層鳥肌がハッキリと浮かび上がる。
顎関節が震えているのも感じるし、口から零れる声にも恐怖が混ざっているのが自分でよくわかる。
戦意が、喪失していた。
これまで短い間だったが、レオやカレン、ポーラと旅を続けてきて、それなりに危ない目に遭いながらもなんとか生き延びてきて、俺は今後というものをより明確に想像するようになった。
それは、レオたちと魔王を倒した後、平和そのものになった世界で4人揃ってゆっくりとした日常を送るという、甘々しい未来像。
言ってしまえばただの夢だ。
いつの間にか、俺は魔王を倒した後の平和な世界を想像するようになっていた。
こうなれたら良いななんていう夢を見るようになっていた。
何かしらの仕事に就き、仕事終わりに毎日のようにレオと酒を飲む。
レオの話を聞きながらたまに毒を吐いて、苦笑いしながら美味くもない酒を飲み、あの頃は必死だったなと旅していた頃の話をする。
たまにはレオとカレンが2人で街を歩いているのなんかを見かけ、まだ進展していないのかとこっちがもどかしい思いをする。
休日にはそれこそ魔王討伐の思い出をちゃんとした形で書き直し、本を書く。
きっと、ポーラは王城に戻って王族として職務に就くはずだから会うことはできなくなるだろうな。
けど、月に一度か年に一度だけは、ちゃんと4人で集まるんだ。
そうして、何度もしたような昔の話をして、今年もまたちゃんと生きていられたなって話をするんだ。
そして、それを死ぬまで続けるんだ。
理由はわからないけど、俺たちの未来にはそんな日常が待っているような気がした。
なのに、もしあの本の再編についての話が事実なのだとしたら、俺が想像するようになった未来の日常は、永遠に来ないことになる。
魔王を倒しても次の魔王が現れるのは確実で、もし次の魔王が現れなかったとしても、世界は再び国同士が争い、人間同士が殺しあう世界へと移ろってしまう。
次の魔王が出てきたとしたら、俺たちはきっとシロのように旅を続けて危険な状況に身を置きながらあちこちに行くことになるだろう。
そう。
俺たちの日常に平和な日々など永遠に来ないんだ。
「クソ……クソ!!」
怒りにまかせ、地面を殴る。
泥砂凝固硬化物の冷たさと硬さがわかりやすく手に伝わってきて、あまりの痛さに手を見てみると、擦れた場所の皮が剥けてうっすらとだが血が滲んできていた。
ふと、その傷口に一粒の水滴が落ちた。
そこでようやく、俺は自分が泣いているのだと気がついた。
どうして泣いているのかは理解できない。
けど、想像はつく。
戦意が喪失し、心が折れ、蓄積した精神疲労が涙となって体から排出されているのだ。
きっと、そうに違いない。
腰を下ろす泥砂凝固硬化物の地面は冷たかったが、背を預ける木製の扉は暖かく感じた。
そういえば、なぜか扉を開けた先が教会のリビングじゃない別の場所になっていたなと思い出す。
次の瞬間。
「きゃああああああああああああ!!!!」
甲高い、ポーラの悲鳴が扉の向こう側から聞こえてきた。




