第68話:杞憂
「もうバベルに突入してから13時間が経過しようとしています。今日の調査はこの辺りにして一旦休みましょう」
小太りの男が懐から懐中時計を取り出し、時間を確認しながら言う。
恐る恐るといった調子で、どこか焦ったような様子も見られる。
かなりしんどそうな顔してるし、体力的にキツくなってきたから言ったんだろうな。
なんて風に他人事みたいに言っているけど、俺も正直言うとキツい。
教会を後にしてからも、俺たちはずっと第一階層の探索をした。
目的は3つ。1つは生物が生息しているかの調査。もう1つが街の様相の調査。そして最後に、第二階層へ上がる為の道の探索。
前者2つはものすごく順調に事が進んだ。
途中で何度か猫に遭遇したり天井スレスレを飛ぶ鳥を見かけたりしたし、街の中に稀に木々が生い茂るエリアがあり、そこで植物が自生しているのも確認された。ゴブリンやスライムには何度か遭遇したが、どれもこれも俺たちに対する敵意はなく、ゴブリンに関してはあっさりとシロに倒されていった。
けれど、第二階層への道だけはどうしても見つけられなかった。
バベル自体、建造物としては土を原材料として泥砂凝固硬化物やレンガの中間ぐらいの素材で作られていて、周囲に何も無い事から電気が通っている様子も無い事がわかる。
だから、おそらく上層へと上がる手段は昇降機ではなく階段なのだろうと思っていた。
そう判断して、俺たちは上層へと伸びる階段を探していたのだが、どれだけ探しても階段が見つかる事はなかった。
そして、見つからないまま無駄に時間だけが過ぎて行き、小太りの男が言った通りもうかれこれ十数時間が経過している。
カローンナの部下である小太りの男とメガネをかけた背の低い男、それからポーラはもうかなり疲弊している様で、顔が引きつっている。
俺も正直に言うとあと少しで限界に到達して動けなくなる。
多分、俺もそれなりに疲れ切った顔をしているだろう。
レオとカレンも少しだけ疲れた様な顔をしているが、それは身体的な疲労というよりは目的がなかなか達成されないという点での精神的疲労が大きいだろう。
ちなみに、シロもそれなりにしんどそうな顔をしている……のに、カローンナの部下3人の最後の一人、骨ばった顔つきの長身の男だけは涼しそうな顔をしている。
涼しそうなという表現はまた違うかもしれないが、それでも確かに、自分は全く疲労していないという風に冷めた様子でシロを睨みつけている。
「勇者様。教会に引き返して一旦休みましょう」
今一度、懇願する様に小太りの男が言う。
だが、シロは首を小さく横に振り、「……いら……な……い」と言った。
あまりにも淡白で冷たい返しに、小太りの男もメガネの男も情けない顔で「そんな!」と反発したいけど出来ないという葛藤の末の声を零す。
俺も思わず「うっわ」って言っちゃったね。
ハッキリ言って空気は最悪だった。
自分のペースで進みたがる勇者と立場上勇者に逆らえないが不満を持つ部下たち。
しかも、直接の部下ではなく、間接的な部下。
互いのことなんかこれっぽっちも理解できていなくて、悪い点だけを認識してしまっていて、もう帰りたいと言った空気が俺たちの間に充満してしまう。
そんな最悪の空気に、カローンナの部下であるやけに冷静な背の高い骨ばった顔つきの男が深くため息をつき、重ねて舌打ちをした。
「勇者様」
気怠そうに、呆れた様な調子で男は言った。
どこかねちっこい感覚のする鼻の詰まったような重い男の声は、なんとなく、男がシロにイラついているのだと分からせてくるものだった。
「あのですね。僕たちは人間なんです。当然、休息なしに動き続ければ疲弊する。そんな状態で無理に働かせようものなら、パフォーマンスは落ちます。あなたも分からないわけが無いでしょう?」
顔をしかめてため息まじりに後頭部を掻き毟る長身の男を、シロは白金色と淡いピンクの入り混じった複雑な色合いの双眸でじっと見る。
そして、「……ん」と短く返事をして教会の方角へと歩き出した。
怒られたとでも思って負い目を感じているのか、もともと早くはなかったシロの歩くペースは一層遅いものへとなっていた。
「ありがとうガレス。俺たちが言えないことを言ってくれて」
「やっぱりお前は頼りになるよ」
小太りの男とメガネの男が長身の男の背を軽く叩きながら感謝の言葉を述べた。
どうやら、長身の男はガレスと言う名前だそうだ。
当のガレスは感謝の言葉を述べられた事に対して嫌そうな表情になった。
「……ああ」
最低限、それだけの言葉を返してガレスはシロの後を追った。
なんだか、カローンナの部下3人の会話を聞いて俺は少しだけイラっとした。
きっと、この3人は今回のバベル探索で何かしらのアクシデントが起きた際はシロや俺たち候補勇者を置いて逃げるだろうな。
自分はカローンナの部下だからと、そう悪い方向に割り切っている感じがしてならない。
「……気分が悪いね」
「あ? 何がだよ」
思わず零れてしまった言葉をレオがいやらしく拾ってくる。
「気にすんなよ」
「そうか」
生返事だけを返し、レオはカローンナの部下達と同様にシロの後を追って歩き出した。
その視線はガレスに向いている。
何かを疑う様に、探る様にガレスに視線を向けている。
それが気になり、俺はレオと隣り合う様に歩きながら聞いた。
「何か気になることでもあるのか」
「……どうしてそう思った?」
「お前、さっきからガレスばかり見ているだろ」
「なんだ、気づいていたのか」
少し驚いた様子を見せると、レオは歩きながら剣の柄を握った。
ただ、握っただけで剣を鞘から抜くことはしない。
何かを警戒しているようだ。
「おい。お前ら、いつでも瞬時に戦える様に警戒しろ」
俺だけでなく、カレンとポーラにも向けてレオは言った。
しかも、わざわざ固まって歩く俺たちだけに聞こえる声で、前方を歩くシロとカローンナの部下達には聞こえないほどの声で。
レオの声が緊張した物であることはすぐに分かった。
だからカレンは鯉口を切り、ポーラはホルスターから小さい手のひらサイズの拳銃を抜き取り、俺はレオと同じ様に腰に据えた長剣の柄を握った。
だが、そんな俺たちの警戒は杞憂に終わり、何事もなく拠点となった教会にまでたどり着くことができた。
「あ、梟」
教会の扉をメガネの男が開ける中、ポーラが近くの街灯を見ながらポツリと言った。
つられてそちらを見ると、確かに街灯の上に一羽の梟がとまっていた。
たれ目が特徴的な白羽の梟だ。
「なんか、間抜けな顔してるな」
「ふふ……確かにそうですね」
手の甲で口元を隠しながら小さく笑うポーラを見て、俺も思わず笑みがこぼれてしまう。
……ん? なんだこれ。なんか俺変態みたいじゃん。
シロを先頭にゾロゾロと教会の中に入ってった皆に置いて行かれないよう、俺とポーラも遅れて教会へと足を踏み入れた。
すると、説教台の向こう側、大きな十字架が飾られた柱の前で、ステンドグラスを経由して変色した暗めの外部の光を浴びながら、一人の女性が天井に描かれた神々の絵をじっと見上げ、眺めていた。
シロ達は入り口付近で立ち止まり、自身にとって見知らぬ存在である女性を訝しむ様に見る。
だが、皆が訝しむその女性を、俺は知っていた。
女性は俺よりも頭ひとつ分ほど背が低く、肩にギリギリ届く長さの金髪と、作り物の様な碧色の瞳が特徴的だ。
……そう、教会に立っていた女性はつい数日前に楔国の広場で俺に話しかけてきてダル絡みをかましてきたあの女性だった。
「お前……なんでこんなところに」
教会内に俺の年相応に低い声が響き渡り、女性が俺たちに気がつく。
「おや、少年はあの時の失恋少年だね?」
そんな誤解を受けかねない言葉を酒焼けした様な嗄れた声で吐き出しながら、女性は歯を見せてニッと笑って見せた。




