第4話:前日譚 (2)
「アーッハッハ!お前あれだな!才能ねぇよ」
目を覚ました時、真っ先に俺が拾った情報はケビンの笑い声だった。
あの後、どうやったのかは知らないが、ケビンは俺をスライムの中から助け出して安全なところまで運んでくれた。
まぁ安全なところと言っても周りに魔物がいないってだけで塀の外側であることに変わりはない。
どちらかといえば危険だな。
「仕方ねぇだろ。そもそも俺たち子供は、知識教育はされるけど実践的な教育は何もされねぇんだ。才能とかそういうの以前の話なんだよ」
「才能以前の話ねぇ」
キレイにヒゲを剃ってある顎をさすりながらケビンが言葉をこぼす。
「……お前、勇者ルールで選ばれる候補勇者はどうやって選ばれるか知ってるか?」
一般常識の確認だった。
教育課程ですべての人類が教え込まれる勇者ルール。その基礎知識の一つをお前は知っているのかとケビンは聞いてきていた。
「は?今更何言ってんだよ。完全な抽選だろ。役職から何から全部が完全な抽選で選ばれている。だからこそこれまでそのルールに不満を持つ人間がいなかったわけで、最小の犠牲で済んできたわけだろ?」
「ああ……。なるほどね。そういう認識なのか」
事実は少し違うとケビンは人差し指を立てて説明を始めた。
「実際は才能による選別とそれを踏まえた完全なる抽選だ。まず、それぞれの国の子供たちは教育課程で基礎能力情報がつくられる。その情報値で子供たちの適正分野を見定めるわけだ。そして、その中でもより高い適正を見せる人間上位十人の中から完全な抽選で選ばれるというわけになる」
いつの間にか伊達眼鏡をかけていたケビンは知らなかったのかよとでも言うように得意げな顔で笑った。そんなケビンの言葉を聞いて、俺は一つ疑問を覚えた。
「上位十人?」
「そうだ」
「どうして一番適正の高い人間が選ばれないんだ?」
ケビンが嘘だろといった様子で両目を見開いた。
「お前、そんなことも考えられないのか?」
「悪かったな。俺はまだ子供なんだよ」
「子供の立場に甘えるなよ。お前はもう候補勇者だ」
「正式にはまだ候補勇者じゃねぇよ。いいから理由を教えろよ」
「わかったわかったって。お子ちゃまなお前に教えてやるよ」
-最も優れた人間を輩出すれば、候補勇者は年々劣化していくことになる-
それが理由だった。
「さて、じゃあ無駄話はこのあたりで終わらせて、早速トレーニングをするか」
ケビンは草原のはるか奥の方を指差した。俺の視界は何も捉えてはいなかった。
「あそこに原初の魔物が群れを作っている。群れと言ってもせいぜい10匹弱だ。武装はしていないから完全な野生個体だろう。そんでもって、野生個体は知性が無い。だからお前でも倒せるだろう」
「いや、待てよ。どこにいんだよ」
「ん?いるだろ。このまま真っ直ぐ行けば遭遇するぞ。ほら、行って来い」
「行って来いって……」
「大丈夫だって。俺は少しだけ距離を置いた場所に待機してるからさ、何かあったら助けてやるよ。だから安心して経験を積んで来い。それが近道だ」
「……わかったよ」
仕方なく、何も知らない俺はケビンの指示に従って経験とやらを積みに行くことにした。
原初の魔物というのはつまりのところ、ゴブリンというやつだった。あの人間の子供程度の身長でコケのような色をして、潰れた鼻が特徴的な腐敗臭のするあの魔物のことだ。
物語などではよく雑魚として扱われるゴブリンがなぜ原初の魔物などという名で呼ばれているかということについてだが、ものすごく単純な話で、一番最初に生まれた魔物だからだ。
十分ほど歩き進んでいくと確かにゴブリンがいた。その数は9匹。
皆が皆、草を引き抜いたり空をぼうっと眺めたりと、特に意味無いことをしていた。
試しに寝転がって空を眺めていたゴブリンに短剣を突き刺すと、頭が痛くなるほどの悲鳴をあげて悶え始めた。
耳に責めるように届いてくるゴブリンの言葉ではない声。悲鳴。
手から伝う肉を断つ感覚。剣先が骨に触れる硬い実感。
全部、初めて経験するものだった。それらは心を蝕む効果を持っているようで、俺はこれまでの短い人生を否定するような情報に酔う形で吐き気に襲われた。
「全部殺せよ。しっかりとな」
その指示に俺は嫌々ながら従った。
無抵抗のゴブリン達が動かなくなるまで支給物の短剣で刺し続けた。手には刺した時の重く柔らかい感触が焼きついた。
結局、この日は同じように草原を歩き続けてゴブリンを見つけ、ただ殺すだけという作業を繰り返した。
「どうだった?」
厭らしい笑顔でケビンが聞いてきた。
「どうって?」
「初めての人殺しの気分だよ」
「コイツらは人じゃない」
足元に転がるゴブリンの死体を指差す。
俺が殺したゴブリンだ。
無抵抗で俺に殺されたゴブリンだ。
「コイツらは魔物だ」
「……そうだ。ソイツらは人間じゃあない。その感覚を忘れるなよ」
‘その感覚’が何を指すのか。
ゴブリン達が人間じゃないと言う認識をその感覚と指したのか、それともゴブリンを殺した時の感触やら感覚やらをその感覚と指したのか。
どちらにせよ。忘れられるはずがない。
片方は心構えでもう一方は罪悪感。どちらも、人間が縋って放すことのできないものだ。
「こんなの忘れられるわけがねぇだよ」
「だろうな。それが大切だ」
ケビンは俺の言葉をどういった意味合いで解釈したのだろうか。
声のトーンを落として真剣な雰囲気を作るケビンにいくらか調子を狂わされた。
サングラスで目元は隠されているが、表情は真剣そのものだ。
ケビンの胡散臭さが幾つかレベルダウンした。
翌日以降も同じような日々が続き、1週間が経つ頃、国王直々の筆記授業とやらが始まる頃には、俺は命を奪うことの不快感が鈍り始めていた。そうなってようやく、俺はケビンがどういった狙いでこの1週間の計画を立てていたのかなんとなく理解した。
きっと、ケビンは俺を慣れさせるために1週間もゴブリンを殺させ続けた。
慣れると言っても戦うことにではない。現に、俺が殺したゴブリンはわざわざ国が放し飼いをしている害のないゴブリンだとケビンが言っていた。
ケビンの思惑は俺を戦いに慣れさせることではない。生き物を殺すということに慣れさせることだ。
命を奪うことへの躊躇いを無くすことで、旅立ってすぐにでも魔物と戦えるように、そういった狙いでケビンは俺にゴブリンを殺させた。
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「さて、じゃあ君たちには生き抜くために必要な知識を叩き込んでいく」
ケビンとは違って本物のメガネをかけた国王が、白板に‘魔王とは’と言う文字を書く。
俺たち4人の候補勇者は用意された机に紙切れと鉛筆を置き、椅子に腰を下ろしていた。
「君たち。魔王とはなんだね?学校教育でも習っているから皆が答えられるだろう?」
顎髭を弄りながら、国王はレオを指名して「魔王とはなんだ?」と問いた。
「魔王は俺たち人間を壊滅にまで追い込んだ悪だ」
「まぁ、間違いではないな。次、カレン」
レオの考えを聞いた国王は当然のようにカレンを指名した。マジか。
これ、全員が言わされるやつなのか。
「はい。魔王とは、全人類の共通の敵です。そして、私の一族の故郷を蹂躙した存在でもあります」
以前予想していた通り、カレンの一族の故郷はアメリカの出身ではないようだった。
そして、意外なことにカレンの一族は俺の一族と同じ国が出身であるようだった。
魔王に完全に蹂躙された唯一の国。滅ぼされ、支配下に置かれたただ一つの国。
大海に浮かぶ小さな小さな島国。‘キノクニ’。
もしかしたら一族の誰かしらが知り合い同士ではないのかと思ってカレンを見ると、カレンは俺の視線に気づいていぶかしむような目で見てきた
「何?」
「いや、なんでもない」
カレンは小声でキモッと言って俺から視線を外した。
女子って意味がわかんねぇなぁ。
「お前さん自体はキノクニの出身なのか?」
「いえ、私はアメリカで生まれました。両親がキノクニから逃亡した末です」
「なるほどなぁ。お前さん、遺伝はあったか?」
「いえ。私にはありませんでした」
そこで国王とカレンの会話は終わった。二人の会話の意味はわからなかった。
次は俺かポーラが問いかけられる番だ。だが、ポーラは国王の娘で、この国王は娘に甘いことで有名だ。多分、ポーラに問いかけることはないだろう。
となると国王は次に俺へ問いかけてくることになる。
どうするんだ。一般常識の認知なんてレオとカレンが語った程度のものだぞ。
他に魔王の定義は何かあるだろうか。いや、ない。
国王が俺の眼の前まで歩み寄ってきた。
どうしよう。どう答えるべきか。
答える義務はないが答えないのはそれはそれでしこりが残る。
何かしらを考えなければならない。
席に座る俺を見下しながら、相変わらず顎髭ひげいじったままで口を開いた。
「まぁ、魔王の認識なんぞその程度だ。だから今から補足の説明をしていく。アレを配ってくれ」
運良くカレンとレオが犠牲になるだけで話が変わった。
国王の指示で付き添いで来ていたケビンが1枚の紙を全員に配った。
「魔王とは、魔族最強の存在を指す言葉だ。魔物ならばどの種族でも関係がなく、魔族すべての生命体の中で最強の1個体が魔王となる。つまり、我々人類と対を為す定義であるのだ。お前たち候補勇者の目的は魔王を倒すことであるが、魔王と対を為す存在である人類最強の一人、勇者になることが目的でもある」
ここまでで何か質問はあるか?と国王が聞いてきた。
俺は念のため挙手をして「一つ聞いていいか?」といった。
国王の話を聞いて出てきた疑問だった。絶対に確認しなければならない大切な疑問。
それは、後の俺たちの旅の定義を問うものでもあった。
「魔王は何体いるんだ?」
「それは聞く必要のある質問か?」
即答だった。
さらに言えば、国王の回答は「それ以上の詮索はするな」という牽制でもあった。
「聞く必要はある」
何体魔王がいるのか、それだけはどうしても聞きたいという意味合いで牽制を無視して突き進んだ。ただ、これ以上の詮索をするつもりは最初からなかった。
国王は呆れた様子で答えた。
「魔王は一体しかおらん。言っただろう?魔王は魔族最強の1個体だと」
レオがため息をついて「それぐらいはわかるだろう」と小声で言った。カレンもレオに影響されるように小さくため息をついた。
まるで俺がバカみたいだ。ふざけるな。
どうして二人とも気づかないんだ。
最強の1個体が魔王と為るわけだが、最強が1個体だけである道理はない。
多分、これは気づかない方が良かったことだ。それに気づいてしまったことで俺の心臓はわかりやすく暴れる。
俺たちは本当に旅立っていいのだろうか。