第25話:邂逅と終戦
一体何があるというんだ?
邪竜事象の背後の虚空を見つめているだけなのに、緊張した雰囲気のせいもあってか心臓が急にバクバクと高鳴り始める。
何かに対し、本能的な恐怖を感じているんだと思う。
そうじゃなきゃ何も無い空間を見て心臓が高鳴るなんてこと、変態でもない限りは無いだろう。
「レオは無理だ!」
と返し、ケビンはカレンを小脇に抱えて俺たちの元まで戻ってきた。
ケビンの言葉でさっきの出来事を思い返してしまう。
邪竜事象が突然動きを変えたあの出来事を。
…あの時、確かにレオは‘踏み潰された’。
あんな重量に踏み潰されたんだからぺしゃんこになって形も残っていないハズだ。
だから、ケビンは「レオは無理だ」と言ったのだろう。
形も残っていない人間なんか運びようが無いと。
そういった意味合いでケビンは言ったのだろう。
思い返しただけで吐き気がする。
けど、そんな負の感覚を純粋に味わうような時間は俺たちには与えられなかった。
突然、‘パァン’と言う破裂音とともに邪竜事象の右後ろ足が弾け飛んだ。
内側から肉が押され、皮膚が隆起して爆発に至るといった感じだった。
意味のわからない爆発もどきはなおも続く。
右側の足が前後両方とも使えなくなった邪竜事象は、当然バランスをとることができずに転倒する。
そんな邪竜事象の足の付け根、臀部、背部へと内側からの隆起が伸びて行き、途絶えた。
わずかに遅れ、耐えきれなくなった皮膚がはち切れて内側から茶褐色の透明がかった血液が溢れ出す。
「何が…起きてるんだ」
終いには項が隆起し、‘ボキッ’という音を伴いながらその場所に穴が開く。
パックリと開いた項の穴からも血液が飛び出すのだろうかと見ていると、予想通りに茶褐色の透明がかった血液が溢れ出した。
だが、一つだけ他の部位とは違う点があった。
吹き出し、溢れ出す汚い血液に紛れ、一人の人間が邪竜事象の中から姿を現す。
髭を生え散らかし、髪の毛もボサボサで腰のあたりまで伸びきっている男性だった。
邪竜事象の血を浴びてより一層薄汚れているが、それを差し引いてもかなり汚れていることがわかる。
服がボロボロだし、服だけじゃなくて顔にまで泥が付いている。
ぱっと見、年齢は40前後だろうか。
ケビンもアリスもウィークも、皆がその男を警戒するようにじっと見つめる。
「な…なんだよアイツ」
「救われない人よ」
「バッカ。それじゃあ説明不足だろアリス」
「そう?」
「ああ。あいつは世界の構造に気づいた男だ」
「なんだよそれ…意味分かんねぇよ」
「ケビン。ストップ。それ以上はダメよ」
人差し指を自身の口に当て、静かにするようにとアリスが示す。
「ああ。わかってる。そこまで深く語るつもりはねぇよ。
いいかケイタ。よく聞け。お前はまだアイツに付いて分からなくていい。それが通常だからな。
けど、お前が強くなったらアイツについて知らなきゃならない時が来る。その時になったらアイツについて教えてやるよ」
だから強くなれよ。と、ケビンは俺の背を叩く。
そんな俺たちを、邪竜事象から出てきた小汚い男はじっと見つめてくる。
…いや、よく見ると俺たちの方を向いてはいるけどアイツは俺たちなんか見ていないぞ?
目の焦点が合ってないし。
「あぁ。こんなハズじゃなかった」
男は嗄れた声でいうと、空間に溶けるように姿を消した。
ウィークが瞬間移動をする際のように突然姿が消えるのとは違い、雲が青空へと溶けるように、煙が空に散り溶けるように、男は少しずつその姿が薄くなって行き、最後には姿が見えなくなった。
男を警戒していた3人がわかりやすく安堵する。
それに伴って場の雰囲気が緩まるのを感じた。
「…あ、雪」
いつの間にかしっかりと冷静になっていたポーラがポツリと言葉を零す。
空を見ると、真っ白な雪の粒が空からハラハラと落ちてきていた。
いくつもの雪の粒が、街全体を範囲とするように静かに降る。
けど、
「…晴れてるのにな」
空は青く澄み渡っていて、太陽もしっかりと姿を見せている。
雲も少なく、いわば快晴の状況だ。
そんな快晴の中、大粒な無数の雪の粒が空から降り注ぐ。
ポーラに視線を向けると、彼女はほんのりと頬を赤らめながら手のひらを少し持ち上げ、降る雪を手にとってその感触を感じ取っていた。
絹糸のように細く柔らかなポーラの金の髪が、太陽の光を浴びてキラキラと光る。
降る雪の中にいる彼女は…、白く明るい世界にいる彼女は確かに美しかった。
ポーラを倣って俺も手のひらを少し持ち上げ、雪の粒が降りてくるのを待つ。
もう4月なのだから珍しくはあるのだが、4月でも雪が降る日は稀にある。
暖かい日差しの中で降る雪もいいものだな。
………違う。何かがおかしいぞ!
こみ上げてきたよくない直感の正体を探ろうとあたりを見回していると、ウィークの姿を目が捉える。
ウィークは俺やポーラと同じように手のひらを少し持ち上げた状態のまま、呆然と空を眺める。
「……時間切れ…カ」
残念そうに言うウィークは瞬きのすぐ後には俺の目の前にいた。
「ハハ! マタ 逢オウ ゼ」
再び瞬きをすると、ウィークの姿は視界のどこからも無くなっていた。
「はぁ。帰ったか」
「ええ。帰ったわ」
ケビンとアリスが溜め息をつく。
俺もつられて溜め息をついた。
すると、張っていた気を緩めたからなのか、ものすごい眠気に襲われた。
「あー。ダメだ。眠い」
「眠いなら寝ていいわよ。後は私たちがなんとかしておくから」
優しく微笑みながら、アリスは寝てもいいという誘惑的な言葉を囁いてくる。
それが引き金になったのか、俺の眠気はどんどんと肥大化していく。
視界の奥で、ケビンが邪竜事象の死骸を持ち上げて動かしているのが見える。
持ち上げているのは右の前足だから、邪竜事象を退けることが目的じゃなく下敷きになっているハズのレオを引っ張り出すのが目的だろうな。
でも、そんなことをしたって意味がないだろ。もう手遅れだろ。
だって、レオは邪竜事象のあの重量に潰されたんだ。
何百キロだとか、下手したら何トンだとかの単位の重量だと思う。
きっともう破裂して跡形もなくなっているハズだ。
邪竜事象を動かすケビンを眺めながら、アリスは優しい声で続けて言う。
「あの二人の処置もやっておくわ」
土道に倒れこんで眠りに落ちる前、最後に俺の耳に入ってきたのはそんなアリスの言葉だった。
そして、最後の最後まで俺の瞳に映り込んでいたのは、飛び散って地面へと染み込んだハズのレオの赤黒い血液が潰れた肉塊の元へと集まり、飛散した肉片もが同じ肉塊の元へと集まってゆく。そんな光景だった。
別に、ケビンがそれらを集めているわけではなく、血液や肉界が自分で動き、肉塊の元へと寄って行っていた。
その光景はまるで時間を巻き戻しているかのようだった。
飛散した肉片や血液が肉塊の元へと集まり、時を巻き戻しているかのように体の形を形成し始める。
レオという赤髪の青年を形成し始める。
あまりにも非現実的な光景に、眠気でぼうっとする頭が鈍く痛む。
うなじと後頭部の間あたりが鉄パイプでも差し込まれているんじゃないかってくらいに、鈍く熱く痛む。
「何だよそれ……。なんで……お前ばっかり………」
そこで、俺の意識は飛んだ。
雪が降っているというのに、不思議と寒さは感じなかった。
むしろ触れた雪の粒は暖かく感じたほどだ。
実にあっけないものだが、後に第二次革命未遂事件と呼ばれる魔王軍からの襲撃事件はこうして幕を閉じた。
残り2話で第一部【魔法を使えない魔法使いの物語】の第1章『門出編』が終わります。
伏線をふんだんにばらまきましたので、これから3章をかけてゆっくりと回収し、回収できなかった分の伏線や回収するつもりのない伏線は第二部以降で回収していきたいと思います。
言っておきますが、第一部は全体の物語におけるプロローグです。
その一区切りまで物語を読み進めてくれた人たちには、今までになかったような感覚をお届けすることを約束します。
ぜひ、末長くお付き合いください。




